異人の祀
五
5.
どこからともなく、木材が運ばれてくる。
村を十字に区切った、踏み固められた土の道の、ちょうど中央。
人々が広場と呼ぶ場所に。
うずたかく、積み上げられる。
夜は更けた。
子どもたちを寝かしつけ、大人たちは外へ出る。
各々、家からひとつずつ、物を持ち寄る。
それは、先祖のあらぶる御霊を慰める供物であるという。
松明が、十字の道をあかあかと照らし出す。
無言の行列。葬列にも似ている。
ゆらり、ゆらりと揺らめきながら、
夜の闇を退けながら、松明の列は、徐々に、広場に集っていった。
*
「炎道に、岩尾。水上に風奉、か」
ランプのアルコールが少なくなってきた。
はらはら揺れる炎が心もとなくなって、何故か不安になる。
この部屋に掲げられた四つの額縁の隅には、同じように小さく文字が記されていた。
えんどう、いわお、みなかみ、かざまつり。
それは、この村の東西南北に位置する、大きな家の名と、同じ音だった。
「カンダチ村の、配置図、ってところかな」
不気味な唄の掲げられた空間をぐるりと見回して、吾妻さんが呟いた。
「神を断つって、どういうことなんでしょう?」
読もうと思えばカンダチと読める、”神”を”断”つという文字。
それは、何かの意味を持っているのだろうか?
「そもそも、神って、なんだろね」
火力の弱まってきたランプを見つめて、最もな疑問を作家が口にする。
この村にとっての神とは、なんなのだろう。
日本は古来から、万物に神が宿ると信じてきた。
八百万。
すべてのものに神がいる。
ヨーロッパのように強力な一神教で束ねられているわけではないから、一言に神と言っても、特定するのは容易ではない。
唯一絶対の、全知全能の神でもないのだ。
良い神もいれば、悪い神もいる。
一体何をさして神というのか。
そして、どうしてその神を断つのか。
本来であれば、興味深いはずの話題だ。
好きな分野だ。
けれど今は、純粋には楽しめなかった。
ふ、と。
とうとう油が切れた。
音もさせずに、灯かりが消え、周囲はまた、闇に閉ざされる。
急に不安になった。
「吾妻さ―――」
相手の名を呼びかけた口を、唐突に掌で押さえ込まれた。
「だまって」
ようやく聞こえるような声で、吾妻さんが囁く。
あるける?
そのままの調子で、僕に訊いた。
僕は口元を片手で押さえ込まれたまま、小さく「はい」と返事をした。
「こっちにきて」
ほとんど空気だけで発音した吾妻さんは、僕の右腕を掴んで、ゆっくりと長方形の空洞から、通路のほうへ移動した。
通路まで移動したところで、気がついた。
遥か遠くからではあるが、ざわめきが聞こえてくる。
僕が囚われていた方向。地下牢の方から―――。
(逃げたことがばれた)
頭から爪先まで。一気に冷えた。冷水を浴びせ掛ける心もちというのを、初めて味わった。
朦朧とした意識ではあったけれど、自力でここまでたどりついたから、ここが地下牢から一本道であることは分かっている。
頭痛が酷くて、体が重くて仕方がなかったから、途方もなく長い道程に感じたけれど、きっと健康な人の足では―――しかも慣れた人間が走ったりしたならば―――すぐにここまで到達できるだろう。
半袖から剥き出しになった腕が、一瞬であわ立った。
今度こそ、殺されるかもしれない。
立ちすくんだ僕の腕を、無言で吾妻さんが引いた。
闇に馴れてきた目で、何とか辛うじて、相手の顔を窺い知ることができる。
吾妻さんは、顎をしゃくって、自分が辿ってきた道のほうをしめした。
だって、そっちはさっき、吾妻さんが、無事に出られるか分からないといった道じゃないか。
しかし、今はそれしか道がないことも分かっている。
片方は、確実に追っ手が迫っている道なのだ。
残されているのは、もう一方しかない。
僕は、地下牢に続く道を振り返った。
ただひたすらの闇。闇に塗りつぶされて、道は半ばから先が見えなくなっている。
できるだけ足音を立てぬように、先に立つ吾妻さんに腕を引かれて足を進めた。
濃い闇の気配が、背後。
まるで人の気配のような存在感がある。
もしかして、今、すぐ後ろに人がいたりしないだろうか。
怖くなり、恐る恐る肩越しに振り返る。
そこにはのっぺりとした闇だけがある。
鼓動が煩かった。
外に聞こえているのではないだろうかと思うほどに煩かった。
その音を聞きつけて、追ってくる。追われている。
こめかみから嫌な汗が落ちてくる。
頭が痛い。
たたきつけられているように痛い。
何かが、そこに張り付いていたりしないだろうか。
目指す地上が、見えない。
ただ、目の前にものっぺりとした闇がある。
寒いのか暑いのかももう分からない。
振り返る。
ゆらり。
遥か遠くで、赤が揺れた。
闇を払いのけるような、苛烈な赤は、松明の炎。
人影が。
ぬぅと、遥か後方に現れた。
「吾妻さん―――!」
耐えられなくなって、叫んだ。
「走れ!!」
大声で答えて、吾妻さんが僕の腕を強く引いた。
引きずられるような勢いで、駆け出した。
いたぞ、と耳が男の声を拾う。
石畳の溝につまづいて転びそうになる。
ざわめきが、後方から迫ってくる。
前方にはただ、のっぺりとした闇。
階段など見えない。
ゆらり、ゆらり。
炎が追って来る。
―――まろうどは、火にくべられる。
何の悪夢なんだ。
鼓動が煩い。心臓が、破裂してしまいそうだ。
頭が痛い。くるしい。
体が冷たい。
がつんがつんと叩きつけるような、痛み。
闇に囲まれている。
炎が追って来る。
夢なら、夢ならば早く。
早く終わってくれ!
階段、と吾妻さんが鋭く叫んだ。
どれぐらい走ったのか覚えていない。
一段目につまづいて、よろめいた。
「がんばれ、馬鹿!」
励まされたのか貶されたのか分からなかった。
返事もできずに、ただ階段を、上る。
重い体を引きずり上げる。
ざわめきは迫ってきていた。
松明の燃え盛る音まで、聞こえる気がした。
狭い壁を支えに、体を引きずり上げるようにして。
気がついたら地上にいた。
葛篭が蔵の隅に転がっている。
吾妻さんが、勢い良く扉を閉めた。
錠などないから、時間稼ぎにもならないが。
「平気か、頭は?」
荒い呼吸を整えながら、額に張り付く前髪を払って、吾妻さんが鋭く訊いた。
今すぐ座り込みそうになる体を必死に支えて、僕は頷くことしかできなかった。
「蔵の外に出るぞ」
乱暴に顎の汗を拭う仕草で、吾妻さんが小走りに蔵の扉へ近づいた。
―――開かなかったら。
最悪の予想はあっさりと裏切られ、蔵の、観音開きの扉は向こう側に押し開かれた。
夜の闇ですら、まだ明るかった。
さっと、一条の光の筋が、開かれた扉の広さ分、蔵の内側に差し込んでくる。
「早く!」
急かされて、僕はようやく、のっぺりとした闇の中から抜け出した。
吾妻さんは、蔵の扉をしっかりと閉ざして、錠前を元のように施してしまった。
*
夜は、赤々と燃えていた。
官能的な踊りのようだった。
朱の衣をひるがえす動作に似ていた。
濃い闇に、昇るような、赤い金魚の鰭。
炎は、闇を舐める。
侵す。
火の粉がはらはらと、散ってゆく。
着物の帯や、鼈甲の櫛が、手鏡などが。
次々と炎にくべられる。
一瞬苛烈に燃え上がり、そして、炎はすぐにそれを、飲み込んだ。
夜は、赤々と燃えている。
*
闇から抜け出した僕の前に、また、闇が現れた。
蔵から、遠藤の館へ、倒れそうな体を引きずっている僕らの眼前に。
喪の色が。
「あまり、手間をかけさせないで下さりませ」
青白い顔が、夜の闇と、喪の黒の中で一際目立つ。
「晃子さん、退きなさい」
未だ乱れた呼吸でもきっぱりと、吾妻さんが言った。命令だった。
「そういうわけには参りません」
華やかなほど凄艶に、晃子さんが笑った。
「あなた方がいらっしゃらねば、祭りは終わらないのです」
そこかしこで、炎の燃える音が聞こえる。
夜が明るかったのは、炎が闇を退けているからだ。
「退け、馬鹿野郎ッ!」
吾妻さんが、吠えた。
「てめぇらのやってることはな、立派な殺人未遂だ。この村に何の関係もない人間を、いきなり後ろから殴る奴があるか!」
「仕来りです」
艶やかな笑みを消して、きっぱりと唇を結んで、晃子さんが答えた。
「こうしなければ、村が滅びます。呪いによって」
「とっとと滅べ、そんなもん知るかよ!」
「異人は、火にくべて、御霊への供物と為せ。無念の御霊を、祀れ。これが、この村の祭りの由来です。お知りになりたかったのでしょう」
「この山で行方不明になった遭難者たちも、こうやって村ぐるみでぶっ殺してたってのか」
晃子さんの顔から、表情が、消えた。
僕の耳にだけ、図星かよ、と喘ぐような吾妻さんの声が届いた。
「この村は、呪われているのです。かつての中央、”神”とのあらそいに破れ、ここまで落ち延びても尚追い立てられ、蹂躙された先祖たちの御霊によって、守られながら、呪われている」
「何のことだか分からん」
「中央からの追っ手。この村の外の人間。敵、異人によって、先祖は苦しめられ、虐げられた。その呪いが今も生きているのです。あらぶる先祖の魂は、人の命を求めます。故に我々は、先祖のもっとも憎む異人の魂を、供物として差し出すのです」
晃子さんの、折れそうなほど細い白い腕が、喪服の懐に差し込まれた。
細腕が、白いきらめきを、懐から抜き出した。
小刀―――?
「生きながら火にくべるが仕来りなれど、仕方がありません」
小刀を逆手に握って、晃子さんがこちらに一歩踏み出した。
晃子さんの黒目がちな瞳は、爛々とかがやいている。
「死ねェ―――ッ」
金属のような絶叫。
次の瞬間、僕は何か強い力に突き飛ばされていた。
受身も取れずに、無様に地面に転がる。
「吾妻さんっ!!」
僕を突き飛ばした腕の持ち主の名を、叫んだ。
着物の裾をはだけ、髪を振り乱すようにして、喪の衣を纏う女が吾妻さんに飛びかかろうと―――。
そのとき光が、さした。
錯覚であったとしても、そう思ったのだ。
「おかあさん!」
館の影から飛び出した影が、横から晃子さんの体に体当たりを食らわせた。
その勢いのまま、着物姿のふたりは地面に座りこむ。
「やめて、もうやめて」
母の腰にしがみつくようにして、少女は泣きじゃくっていた。
晃子さんは、呆けたようにぺったりと、地面にへたりこんでいた。
動こうとはしなかった。
きれいにまとめていたはずの髪がほつれ、爛々輝いていた瞳は、いつのまにか焦点を結ばなくなっている。
小さな体が、母にしがみついて、泣いている。
「ばか者、殺せ、殺さんかァッ!」
館の中から、金切り声が飛んできた。
枯れ木のような老婆が、よたよたと転がり出てくるところだった。
「忘れたわけじゃァなかろうが! おまえの夫も、巌に嫁いだおまえの妹も、呪いのせいで死んだんじゃぞ、晃子! 殺せ、まれびとどもを殺さんかッ!」
「キクさん、もうやめなさい」
静かな男の人の声だった。中年ぐらいの、低い。
「こんな馬鹿なことを繰り返しちゃァいかん」
腰が抜けたのか、吾妻さんがその場に座りこんだ。
緊張の糸が切れる音を、聞いた気がする。
おのれ、皆上が、はなせ、はなさんか!
金属質の、老婆の声が徐々に遠ざかった。
僕の、その晩の意識はそこで途切れている。