異人の祀
四
4.
「あの若者の方は、確保したという話よ」
床の間を背に座した、こじんまりとした老女が、皺だらけの口元を動かして言った。
低い声だった。体の芯に響く。
晃子は、二十歳そこらの青年を思い出す。
全体的に色素の薄い、薄茶の髪を持つ、人形のように端正な顔の若者だった。
「あとは、作家と名乗る男か」
「……はい」
向かい合わせに膝を折って座った晃子は、うつむいて、応えた。
老女の鋭い視線を感じる。
「先だってあった巌の不幸もわしの息子―――おまえの夫が沢で死んだのも、すべてはご先祖のあらぶる御霊が為したこと。儀式を取りやめたが故に怒っておられるのだ。今だ、恨みは晴れておらなんだ。寒立に立ち入るもんは、すべて異人、我らの敵じゃ。非科学的だ、時代を無視していると皆上や風祭は言うが、奇ッ怪な人死にが絶えんことは事実」
「重々、承知しております」
「あらぶる御霊を鎮めるために、その恨みを和らげるためにも、異人を、ささげねばなるまいよ」
「はい」
「時期もよい。久方ぶりの、夏の異人じゃ。すべて、滞りなく済ませるのじゃぞ」
「分かっております、お義母さま」
「……そういえば、蘭子はどうした。昨日今日と姿が見えなんだが」
娘の名を口に出されて、晃子はようやく面を上げて義母を見た。
鋭い眼光がこちらに向いている。
責められているようなこころもちが、した。
「蘭子は、なにやら異人に怯えている様子でして、ここ二日ほど、あまり人前に姿を現しません」
「そうか。それも仕様のないことか」
障子の外は、徐々にくらくなってゆく。
日が暮れる。
気の早い虫の声が、かすかに聞こえ始めた。
「そろそろ、支度をはじめねばならんな」
双眸を閉ざして、老女は虫の声に耳を澄ました。
*
体のすぐ傍に、壁がある。土を塗り固めたもののようだ。
圧迫感がひどい。
妙な湿気で、肌が汗ばんできた。
例の蔵は実は、この階段を隠すためのカモフラージュだったのだろうか?
階段は十数段ほどで終わり、後は細い道が延々続いている。
村の地下に、道が張り巡らせてあるということだろうか?
どちらの方向に歩いてきたのかも、良く分からない。
もう随分と歩いたような気もするが、全く進んでいないような気もする。
違和感は、つづいている。
一体この村は何の村なのだろう?
祭りのために着物をあつらえたことといい、村の地下にこれだけの空間を作りだしたことといい。
尋常ではない。
足元は、石でできているらしく、足音が高らかに鳴る。
しかも、おそらく石畳、なのだろう。
いよいよおかしい。
ただの山奥の農村、であるはずがない。
それではこの祭りというやつも。
(ただの祭りじゃないということか?)
先程晃子に質問をぶつけたときにも、違和感はあった。
何かを隠されているような。のらりくらりとかわされているような。
要がいないことも、いよいよ不安になってきた。
かつん。
足音の響きが、急に変わった。
左右の圧迫感も消え、唐突に、広い場所に出た。
わだかまる、闇の果ては推し量れない。
どれほど広いのかは目分量になるだろう。
十畳ほどだろうか?
長方形の部屋、と呼べるもの。
体の右手側に、空洞があった。左手には、壁。
前方にはまだ一本、道が続いているようだ。
意味深な空洞だった。
目を凝らすと、ちょうど長方形の中央あたりに据えられるようにして、粗末な木のテーブルが置かれているらしい。
なるだけ足音を立てないようにしようとは思ったが、周囲が石で、こうも静まり返っていては意味もない。
吾妻は、大股に粗末なテーブルに近づいた。
テーブルの上に、古風なランプがひとつ、乗っている。
できすぎだ、と思った。
整えられすぎている。
ちょうどいいことに、こちらの手元にも、火種が、ある。
ランプには、アルコールもちゃんと入っていた。
やっぱりできすぎだな。
しかし、手元に灯かりがあるに越したことはない。
理科の授業なんかを思い出しながら、シャツのポケットからライターを取り出した。
ようやく、火を手に入れた。
ほんのりとした橙の炎が、周囲の闇を一気に追い払った。
長方形の四方は、やはり岩壁だった。
小さな炎が増幅されて、ぬらりぬらりと揺れる。
影を、大きく映し出した。
ランプの炎が揺れるたびに、影もまた、揺らめいた。
黒く濡れたような岩壁を確かめるように、ランプを掲げて周囲を見回した。
ぼんやりとした灯かりの領域が、黒い壁を通り過ぎて、ふと、戻った。
何かが、映し出された。
縦に長い長方形の、上方。吾妻が相対した壁に、額が、かけられていた。
目を凝らして、見る。
そこには、達筆な筆文字で大きく二文字。
左から右に、“断神”、と。
道場の額面のようなその二文字の下に、それよりも一回り大きな額が、下がっている。
なにやら縦書きに、細かく文字が並んでいる。
詩、だろうか?
ざ、ずる、ざざっ。
耳が、かすかな雑音を拾う。
何かを引きずるような音だ。
息を殺す。
遠いところで、這いずっているような。
ず、ずず、と鈍い歩みは徐々に、こちらに近づいてくる。
灯かりを、消そうか。
咄嗟に、そんなことを思った。が、やめた。
視界がなくなるのは、この明るさに馴れ始めた目には辛い。
耳を澄ます。
引きずるような這いずるような音は、ひとつ。
まさか、化け物が出てくるわけでもあるまいし、ひとつならばなんとかなるだろう。
いざとなれば。
(逃げるだけ、だな)
争いごとを起こすのは、本意ではない。
ずる、ずるりと。
重いものを引きずるような音は、徐々に足音になった。
おそらくこの灯かりは遠くからでも見えているのだろう。
こちらに近づいてくる。
音が、大きくなる。反響して、耳に届く。
自分が降りてきた方向とは逆の。先に伸びていた道の方向から。
意識だけを、そちらに向けた。
ずるり。
覚束ない足どり。
体を、岩壁に預けているかのような動き。
もののけや、蛇の類を思わず連想して、息を飲んだ。
らしくない。
体の左側が、鋭敏に気配を拾った。
何かが、いる。
体重を重そうに引きずって、得体の知れない何かが。
気配と質量が、ざざ、と石畳の上を滑るように、すぐ傍まで迫ってきた。
間合いを計る。まだ早いか。
もっと傍に、近づいてから。
はぁ、と荒い呼吸が聞こえてきた。
くるしそうな、吐息を落とす。
「誰だ、おまえっ……」
鋭く怒鳴って、背後まで迫った気配に振り返った。
ランプを突きつけるようにする。
どんなものが現れても、驚かない自信ならあった。
あった、のだが。
「……」
思わずかたまってしまった。
「あがつま、さん……」
額に脂汗を浮かび上がらせた、顔面蒼白な美丈夫が、うめくように吾妻の名を呼んだ。
「……おまえ」
あからさまに安堵の吐息を落として、がくりと要は膝から崩れた。
*
これまでの経緯を、吾妻さんに説明する。
後頭部は、釘を打ち付けられているような断続的な痛みを訴えつづけているし、無理して動いたせいで、意識が大分朦朧としている。
吾妻さんが、僕の後頭部の傷に気がついて、慌てて無理はするなと言ったけれど、正直なところ喋っていなければ今すぐにも意識を手放してしまいそうだった。
長方形に広くなっている部屋の、岩壁に背を預けてとりあえず座った。
吾妻さんは、古ぼけた粗末なテーブルに背を預けるようにして、こちらに向かい合っている。
「火にくべる、だって?」
盛大に、吾妻さんが眉をひそめた。
不快感をあらわにした。
「敵で、仇で、のろいだから、火にくべるって、それじゃあ、まるで生贄じゃないか」
「そうみたいですよ」
「そうみたいですよ、っておまえね、簡単に……」
殺されかけたんだぞ、のほほんとしてんじゃねぇよ、と。
かなり本気で怒鳴られてしまった。
今もあまり実感はないんですから、しょうがないじゃないですか。
認めたくないのかもしれない。
人に、明確な殺意を向けられたということを。
残された痛みだけが、鮮烈な現実なのだ。
「それで、おまえ、往来でぶん殴られて、どこか分からないところに放りこまれて、どうやって抜け出してきたんだよ? 多分、その地下牢とやらは、遠藤の家の地下と繋がってるみたいだけど」
「あの、遠藤さんの家で会った女の子、覚えてます?」
「白い着物の?」
「そうです。あの子が逃がしてくれたんです」
感心したように、吾妻さんが目を瞠る。
「あの子は、一体なんなの?」
「遠藤さんのうちの娘さんだそうですよ。晃子さんの」
「晃子さんの? あんな大きな子どもがいたんだ? とてもそうは見えなかったけど」
三十半ばから四十のあたりに見えたけれど。
ああ、と思い出したように吾妻さんが声を上げる。
「あの子が俺たちを追い返そうとしていたのって、そういうこと」
守ってくれようとしていたってことなのか? と吾妻さんが首を傾げる。
「そうみたいなんです」
祭りがはじまる前に出てゆけと散々忠告したのは、この事態を恐れてのことだったらしいのだ。
*
時間はすこし、遡る。
「のろいのせいで、人が死ぬから、まろうどを、火にくべるんだ」
奥底の読めない黒の瞳でじっとこちらを見て、少女が、言った。
「火にくべる、だって?」
深い呼吸を繰り返しながら、僕は訊きかえす。
「そんなの、ただの生贄じゃないか」
「だから、早く帰れって言った」
「詳しく説明してもらえなきゃ、分からないよ」
意味不明な歌ばかり並べられて、脅されても。
君の本意がどこにあるのかなんて分からないじゃないか。
すると、少女は更にかなしそうに眉根を寄せる。
「おかあさんは」
少女は、唇を開いて、言葉を捜しあぐねてまた閉じた。
しばらくためらってから、もう一度口を開く。
「おかあさんは、遠藤の家にさからえないから」
白い着物の袖に、腕を差し込んで、その細い指先が、何かを引きずり出した。
「おとうさんと、おばさんが死んでから、おかあさんは取り憑かれたみたいになってしまったから。のろいを、信じてしまったから。だから、早くこの村を出て」
着物の裾から、少女は古びた黒い鍵をつかみ出した。
木の格子にはめられている錠前に差し込んで、かちりと回す。
けたたましい音を立てて、錠前は濡れた石畳に、落ちた。
*
「じゃあ、あの子は、これが村ぐるみの犯罪だって言いたいのか?」
テーブルの上で、ランプの炎がゆらりと揺れた。
「村ぐるみ、というか。遠藤の家と巌の家は、共謀しているみたいです。僕が殴られたのもどちらかの家の使用人だったみたいだし」
「使用人、ねぇ」
吾妻さんは顎に指先を当てて、宙を見た。
「結局この村はなんなんだ?」
違和感はまだほどけない。
このような山奥で、あれだけの屋敷を維持するのも大変だろうに。
使用人を雇う余裕など、あるというのか?
「何か、謂れはありそうですよね。さすがに彼女もそこまでは知らなかったみたいですけど……。とにかく、僕たちはこの村にいる限り、生贄の対象なんです。どうにかして、逃げないと……」
「逃げるって言ったってさ要くん。車が遠藤の敷地の中だろう」
「吾妻さんが来た道を逆に辿って、蔵に戻れませんか?」
「戻っても、出られるかどうか保証はないな」
迂闊にも吾妻さんは、蔵の入り口を薄く開いたまま、葛篭も転がしたまま、地下道への入り口も開け放ったままで来てしまったらしい。
遠藤が家ぐるみでこの「祭り」を成功させようとしているなら、蔵に戻ったとたんに押さえ込まれると思ったほうが、自然かもしれなかった。
八方塞、とはこういう状況のことをいうのかな。
少しずつ、しっかりし始めた意識の端で、そんなことを思う。
ここは、僕が囚われていた牢屋と繋がっている。
ということは、ここは敵の手中であるのだ。
僕が牢からいなくなったことが知れれば、きっとこの道を辿るだろう。
遠藤の蔵にも出られず、牢屋の方面にも戻れない。
八方塞、だ。
「せめて、残る二つの家がどういう立場か分かればねぇ」
吾妻さんが、ランプを持ち上げた。
「もしも残るふたつの家が祭りに反対なのだとしたら、強行突破してその家にでも飛び込めば保護してもらえるだろうけど、分からないしね」
吾妻さんが持ち上げたランプが、黒い岩壁を照らし出す。
そこに。
「吾妻さん、それ、なんですか」
ランプの炎に照らし出された岩壁には、額縁がかかっている。
「ああ、これ」
ぐるりと、吾妻さんがランプを掲げて、周囲をぼんやり照らし出す。
四方の壁に一枚ずつ、額縁がかかっていた。
「詩、みたいなものなんだろうけど」
だるい体の体重を壁に預けるようにして、僕は何とか立ち上がる。
吾妻さんが心配そうな視線を寄越したけれど、気にしないことにした。
今まで背を預けていた壁に、向き直る。
毛筆。達筆ではあるけれど、読めなくはなかった。
一箇所だけ、二つ額縁がかかっている、長方形でいうところの上部に向かって、右手側。
上部を仮に北と呼ぶとするなら、東側。
「―――それは心音に似て
ひとへふたへと打ちにけり」
どこかで。
これと同じことばを。
ぱたっ、ぴちん。ぽこり。
雫が落ちる音が、耳元に蘇った。
そうだ、先程の牢屋で、少女が口にしていた。
「吾妻さん、ランプ、貸してくれますか」
貸してくれ、とは言葉ばかり。
半ば強引に強奪して、東から北へ向かった。
「―――ひとのよぶ声がするとて
むすめひとり山へと入りぬ
ざわざわとなる木々の
そのあいまをさ迷い歩きて行くうちに……」
やっぱり。
これは、殴られる直前に聞いたものだ。
部屋の中央に据えられたテーブルをぐるりと迂回するようにして、今度は西。
「―――其はあたかも夜啼く凶鳥のやうに
びゆうびゆうと甲高く
我が耳劈かんとするばかりに
我に怨嗟の声を投げ掛けん
来たるは呪いか疫病か
風に触れ宵に触れ
我もいつしか怨嗟を吐きぬ
たれもここから出ること叶わじ」
これは聞き覚えがなかった。
風が運ぶ、災厄。
その災厄がなんであるのかは、獏として掴み所がない。
(そして多分)
予想通りなら。
足早に”南”に向かう。
通路の一部であるそこには、やはり。
―――轟と唸るは紅蓮の猛火
大地震わせ闇夜を焦がす
近寄る勿れ。
一番初めに聞いた、炎の詩が、書かれていた。
「あれ」
詩の結び、額の隅。
小さな染みのようなものを見つけて、顔を近づけた。
しみではなかった。
炎道。
縦に、二文字。
それだけ、書かれている。
「えん、どう……」
えんどう、だって?
それは、この村の”南”に位置する家と、同じ読みだ。
ランプを振りかざすようにして、”北”を振り仰いだ。
“土”の詩の額の上、何よりも高く掲げられた、もうひとつの額。
荒々しい書体で、たった二文字。
左から右へ、”断神”と。
「だん、しん?」
いや、違う。
“断”の隣に、この書をしたためたと思われる人の名が記されている。
ということは、これは、右から左へと読むのだ。
神、断。
「神を、断つ……」
背筋を一筋、冷たい汗が伝って、落ちた。
―――カンダチ、だ。