異人の祀


3.

「祭りは、夜中なんですね。何か特別な理由でも?」
 晃子に館の中を案内してもらううちに、正午をまわり、夕方も近づいてきた。
 昼飯に要は帰ってこなかったけれど、一体どこをほっつき歩いていることやら。
 吾妻は、晃子に伴われて庭にいた。
 山の日暮れは早いのか、空がそろそろ鮮やかな青を失い始めていた。
「さぁ、どうなのでしょう。聞いた覚えはありませんわ。ものごころついた頃から夜中に行われていましたから、それに違和感や疑問を持ったこともありませんでしたし」
 口元に手を当てて、晃子は小首を傾げる仕草をする。
 黒の着物の、袖からのぞく腕は、白く細い。
「ちまたの、迎え火とか送り火とかと、同じような理由なんですかねぇ」
 ほら、あれ。盆に、先祖の御霊を迎えたり送ったりする。
「ええ、おそらく、源までたどれば、そうなると思いますわ」
「家に不要なものを火にくべるっていう慣習には、何か意味があるんです?」
「厳密に、不要なものをくべる、ということではないのですわ。その家にある日用品を持ち寄るというのは本当ですけれど。元々は、送り火などと端は同じで、先祖の御霊を鎮めるためのものですから。貢物、のような意味合いではないでしょうか。昔は、特別に着物やら何やらを用意して、火にくべていたようです」
「へぇ、それは豪勢だなぁ」
 ひとりごとのように呟いて、吾妻は空を見た。雲が、増えてきた。
 雨が降らなければいいけれど。
 それと同時に、不思議だなぁと、思った。
 これほどまでに山奥にある村で、着物を特別に用意? あつらえた?
 普通、これほどまでに人里はなれた村は、寒村であることが多い。
 自給自足の、ぎりぎりの生活をしていることが多いというのに。
(きもの?)
 大切な祭りのためとはいえ、わざわざ用意する余裕など、あったのだろうか?
(ああ、そういえば)
「この村の名前、寒立って―――」
「晃子さん」
 村の名前に由来は、と思い立ったところで。
 館の奥のほうから声が飛んできた。
 しわがれた、女の声だった。
「はい、只今。吾妻様、申し訳ありません。少々席を外しても宜しいでしょうか?」
 館のほうへ声を返し、心底すまなそうな顔で、晃子が吾妻をかえりみた。
「ああ、すいません。お気になさらず。こっちが勝手に頼んだだけですしどうぞ」
 申し訳ありません、と繰り返して晃子は深々と頭を下げた。
 着物の襟から覗く項もまた、白く細い。
 彼女には珍しく慌てた様子で、屋敷のほうへ引き返していった。
 そして、館の前の庭には、吾妻がひとりぽつねんと残された。
「さァて、どうしたものかしら」
 ひとりごちる。
 どうも、色々と変だ。
 変というよりも、包み隠されているようだ。
(それよりも、要ちゃんはどこに行ったんだろね)
 首を、ぐるりと回すと骨が鳴った。
 大学の後輩を介して知り合ったあの美青年は、どうも色々なことに巻き込まれる要素が強いようだ。
 以前にも、いない、と思ったらその特異なちからゆえに”ひとじゃないもの”に引きずられるように湖に落ちたことがあるというし。
「何かに巻き込まれてたりして」
 ハハハ、と笑ってみたものの。
 これは、冗談で済むんだろうか。
 乾いた笑いは、すぐに消えた。
 第一、言ってはナンだが、あまりめぼしいものもないだろう。
 こんなに狭い村では、なにかめぼしいものがあったとしても、一、二時間で見て回れるのではないだろうか?
 それとも何か、民俗学を学ぶ学生に魅力的なものがあったということだろうか?
(後者はどうにも、ありえんな)
 出かけてきます、と言い残して大学生が館を出たのは午前中。
 今はもう、午後の三時も回っている。
「いくらなんでも、遅い、か」
 ざわざわと、胸騒ぎがした。
 困ったことに第六感というようなものは、結構鋭かったりするのだ。
 探してみますかね。
 そもそもこの村についてこいと誘いをかけたのはこちらのほうであるわけだから。
 そのあたりの責任はある。
 屋敷の外を見て回ったら、なにか見つかるかもしれないし。
 祭りの準備とやらもすこし見てみたい。
 そうと決まれば門の外に―――。
 飛び石が並んだ方向を見る。


 ぎぎぃ。


 重々しい、音。
 体の、左手。
 首だけを捻って、そちらを見た。
 白塗りの、立派な蔵が、立っている。
 入り口が、細く開いている。
 風が吹いた。
 ぎぎぃ。
 風に軋みを立てて、鉄製の、観音開きの扉は、揺れた。
 招くように。
 昨日来たときも、先程外へ出たときも、扉は閉まっていた―――と思う。
 いつ、開いたんだ?
 やめておけ、と、体の内側で何かが警鐘を鳴らした。
 異界のいりぐちのような気がした。
 踏み入っては、帰ってこられぬ。
 ぎぎぃ。
 風に、扉が招く。
 招く。
 もう、気持ちは決まっていた。
「虎穴に入らずんば、ナントカってね」
 蔵は、仕舞いこむ場所だ。
 何かが隠してあったとしても、不思議ではない。
 館の気配をうかがう。
 晃子が戻ってくる気配はない。
 一歩。
 二歩。
 左手側に向かって、歩き出した。
 足音はできるだけ立てぬように。
 ぎぎぃ。
 蔵が招く。
 小走りに近づいて、開いているほうの扉に手をかけた。
 指先を刺すようなつめたさ。
 通れる分だけ細く開いて、体を滑り込ませた。


 少しばかり、扉は開けておいた。
 閉ざしてしまうのが怖かった、というわけではなく。
 完全に閉ざしてしまったら、明かりがない。
 とはいえ、大分日も暮れかかっており、高い位置にある天窓から漏れてくる光もこころもとない。細く扉を開いておいたところで、十分蔵の中は暗いのだ。
 懐中電灯でもあればなァ、とは思ってみるが、世の中そんなに都合よく運ぶものでもなかった。
 しばらく、目を凝らして周囲を探る。
(おかしいな)
 異変には、すぐに気がついた。
「これって、蔵かよ」
 思わずひとりごちた。

 “中身”が、無かった。

 ごくごく一般的な現代の庶民家庭に育った吾妻にしてみれば、蔵などはじめて入るのだ。他の蔵がどうであるかなど、実際に見たことはない。
 しかし、これは一体どういうことなのだろう?
 蔵とは、何かを仕舞っておく場所ではないのだろうか?
 資料などで見た、蔵の中身を思い出そうとする。もしくは、資料館など。
 圧迫感を感じるほどに、所狭しと葛篭(つづら)や旧い家具などが詰め込まれている場所ではなかったか?

 からっぽだった。
 足の裏には、良く鳴らされた土の感触がある。
 ぼんやりと浮かび上がるのは、土壁。
 資料などでよく見る、木製の階段はおろか、家具のひとつも。
「あ」
 思わず声を漏らして、反射的に口を塞ぐ。
 何もない空間には、良く声が響いた。

 葛篭があった。

 すこし闇に慣れた目に、飛び込んできた。
 扉から真正面。蔵の突き当たりの壁の手前に。
 大きな葛篭がひとつ、置かれている。
 怪しいにも程がある。
 大きさは、大人ひとりが膝を抱えれば入れるほどの、大きさ。
 着物などを仕舞っておくものだろうか。
 舌きりすずめを、不意に思い出した。
 大きな葛篭と、小さな葛篭の、どちらが―――。
 大きな葛篭の中には化け物が入っていたとか。
(まさかね)
 そんな非常識なことがあるはずが無い。
 では、これみよがしに置かれたあの葛篭の中には、何があるのだ?
(ひとが入ってたりしてね)
 冗談半分に考えて、さっと血の気が引いた。
 “大人ひとりが膝を抱えれば入れるほどの大きさ”?
「冗談だろ……!」
 大股に近づいて、葛篭の前にたどり着く。
 まさか、この中に―――。
 古風な、黄色の。ほぼ正方形に近い葛篭の前に立って、息を飲んだ。
 嫌な汗が、背を伝って落ちる。
 蝉の鳴き声が遠くから。かしましい。
 葛篭の蓋に、手をかけた。
 一呼吸置いて。
(たのむ)
 何かに祈って、吾妻は一気に蓋を開いた。


            *


 ぴち、ぴちん。ぽちょん。
 水。
 しずくの、落ちる音。
 徐々に、闇から意識が分離して、うかびあがる。
 ぴちん。
 水音が、少しずつ、明瞭に聞こえるようになる。
 肌が、濡れたものにふれている。
 肌の表面と、別の何かが判断できるようになる。
 僕はどこかに寝ている。うつぶせに。
 頬が、冷たくてかたいものに触れている。
 次に、痛覚がよみがえった。
 後頭部に、激しい痛みが。
 ずきん、ずきん。
 脈打つように。
 眼球が、うごく。
 重い目蓋を押し上げた。
 何も見えなかった。
 闇だけが、あった。
 暗い。
 掌が、地面―――と思われるものに触れていた。
 滑らすように動かすと、石の感触。
 石畳、だろうか?
 ざらついている。濡れている。
 まばたきを繰り返した。
 濁って、闇に支配されていた視界が、徐々に、明瞭になってきた。
 闇に馴れてきた。
 どうやら、狭い場所らしい。
 左右に、圧迫感がある。
 均等に切り出されて積み上げられたような石が見える。
 石造りの壁のようだ。おそらく地面と変わらぬ材質だろう。
 痛む頭をなだめすかすようにして、首を上向けた。
 倒れている上のほうを、確認しようとして。
「うそ、だろ」
 思わずうめいた。
 声がかすれていた。
 格子が見えた。
 木で組まれたものだ。
 時代劇で見るような。
 ここは、牢屋なのか?
「冗談っ……!」
 冗談じゃない、と叫んで起き上がろうとした。
 急激に体を動かしたとたんに、頭が割れるように痛んで、また石の床に転がった。
 殴られたのだろうか。
 強張った左腕を持ち上げて、痛みを訴える後頭部へ運んでみた。
 大きな瘤に触った。ぬるりと、指先が滑って驚いた。
 血?
 血の気が引く音を、聞いた。
 一気に体が冷たくなった。
 殴られた場所が悪ければ、死んでいたかもしれない。
 殴られて。
 殺されていた、かもしれない?
(なんでこんなことに)
 祭りの取材に来ただけではなかっただろうか。
 横溝正史だよ、と喜々とした吾妻さんの声が蘇った。
 それっぽいですけど、と応じた自分も。
 まさか、そんなおどろおどろしいことなんて。
 殺人事件なんて起きるはずがない。
 ありえない。
 そう思っていたのに。

―――マロウド。
―――今年こそ。
 意識が途切れる前に聞いた声。
 複数の、男の声、だったような気がする。
 今年こそ、なんなのだろう。
 そしてここは、どこなのだろう?
 運びこめ、と言っていた気がする。
 どこに運ばれた?
 ここは一体どこなのだろう。そもそも。

 この村は、一体、どこにあるのだろう。

 東北、という地名は今は、役に立たなかった。
 世間から完全に隔絶されているような気がする。
 この世では、ないところ。
 時間が停滞しているような、錯覚。くらさ。
 何をとっても、日ごろ自分が生活している環境とは違いすぎる。
(ああ、携帯―――)
 日ごろの自分を思い出して、文明の利器を思い出した。
 “携帯電話は、部屋に置いてきていた”。
 電波が届かないからだった。
 名案だと思ったのに。電波が届かないのならば、無用の長物だと鞄に仕舞いこんでいたんだった。
 もしも電波が届いていたとしても、ここは明らかに地下だ。結局は無意味かもしれなかった。
 今は何時だろう。
 明り取りの窓も見当たらない。光が全く入ってこないのだ。
 闇の中にいる。
 ぴち、ぴち。
 どこかで雫の落ちる音が、続いている。
 どれほど気を失っていたのだろう。
 水―――。

「それは心音に似て
 ひとへふたへと打ちにけり」

 石の壁に、声はよく響いた。
「しずかで やはらかく
 ふつふつと ゆつくりと
 あたかも波のやうに広がつてゆく
 おのこよ おのこよ
 けして手を差し入るなかれ
 じわりじわりとなんじをむしばみ
 やがてなんじと入れ替わらん」
 水が生む、波紋。
 ぴち、ぴちと雫が落ちている。
 ぽちょん。どこかに水溜りがある。
 水溜りに、波紋ができているのだろうか。
 脳裏に、石畳にできた水溜りが見える。そこに天井からしたたった雫が落ちて、波紋を。
 石畳を打つ足音が近づいてきた。
 闇の中に、ぼんやりと白が、浮かび上がった。
 白い着物。

「だから、出てゆけと言ったのに」
 少女は、木で組まれた格子に指を絡ませてこちらをのぞきこんで、かなしそうな顔をした。
 祭りがはじまる前に出てゆけと、そう言えば少女は言っていたのだったか。
「君は、知っていたの?」
 つめたい石畳に両手を突いて、何とか上半身だけを起こした。少女と向かい合わせになるように座る。
 後頭部が、金槌でも打ち付けられているようにいたい。
 君は、こうなることを、知っていたの?
 少女は悲しそうに眉をひそめている。
 格子にからんだ指先が、白い。
「まろうどは、殺されるよ」
 か細い声で、少女が喋った。
 殺される?
「まろうどは敵で、仇で、のろいだから、殺されるよ」
 敵、で仇。
 のろい。
(巌は、呪われたのだ)

 一体、異人とは、何なのだ。

「のろいのせいで、人が死ぬから、まろうどを、火にくべるんだ」
 奥底の読めない黒の瞳でじっとこちらを見て、少女が、言った。
            *


「……なんだこれ」
 拍子抜けして、呟いた。
 葛篭の中は、空だった。
 布一枚入っていない。
 完全な、”から”。
 もしかしたら人が―――要が入っているかもしれない、なんて思っていたのいたのに。
 安堵して吐息を落とすと、どっと汗が噴き出してきた。
 こめかみから顎に落ちてくるそれを、手の甲で乱暴に拭う。
 嫌な想像にも程がある、馬鹿馬鹿しい。
 ミステリの読みすぎだ。
「意味深にも程があるっつーの」
 あまりにも緊張してしまった自分が馬鹿馬鹿しくなって、吾妻は葛篭の蓋を元通りにすると、つま先で軽く蹴った。
 ごとりと、葛篭が動いた。
 思わず目を瞠る。
 ずれた葛篭の下は、なだらかに整えられた土―――ではなかった。
 蔵と外壁と同じような白に、黒い漆のようなもので縁取りが施されている、正方形の面。
 葛篭とほとんど同じ大きさの。
 取っ手のついた”蓋”だった。
 しばらく、黒い光沢を放つ取っ手を見つめた後で、吾妻は葛篭を持ち上げて、横へ退けた。
 柄の悪い格好で、取っ手に向かい合うようにしゃがみこむ。
 まさか、できすぎだろう。
 それこそミステリの中の世界のようだ。
 利き手の右で、取っ手を掴む。軽く引っ張る。うごかない。
「馬鹿に、しやがって」
 何かが悔しくなって、吾妻は両腕で取っ手を掴むと、力いっぱい上方に、引いた。
 ず、とかすかな振動の後に、あきらかな手ごたえがあって。
 蓋は、ぱかりと上にひらいた。
「……あーァ」
 目の前にさらけ出された空洞を覗き込んで、吾妻は複雑な胸中を嘆息に変えた。
 感心すればいいのか呆れればいいのか。
 柄の悪い若者のように座り込んで、ひらかれた穴を。その奥に広がる闇を、見る。
「事実は小説よりも奇なり、か」
 目の前には、地下へ続くと思われる階段が、姿を現していた。






続く

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