異人の祀


2.

 昼間は、日差しもあって暑いぐらいだったのに。
 完全に日が落ちてしまうと、急激に涼しくなった。
 東北地方だから、ということよりも、現在地が山の中であることが理由だろう。

 濃い闇がある。
 離れに並べて敷かれた布団の、障子側。
 夜の闇の中、かすかな月明かりを透かす障子と向かい合って、横たわっていた。
 眠れない。
 吾妻さんは、部屋の奥のほうでこちらに背を向けている。
 長距離の運転がこたえたのかもしれない。食事が終わったら、静かになってしまった。
 眠ろうと目を閉じる。
 けれど、脳のどこかが冴えていて、睡魔がいつまで経っても襲ってこない。
 明日は吾妻さんに引きずりまわされるんだ。今眠っておかないと辛い。
 頭では、分かっている。
 分かっているのだが、うまくいかない。
 行方不明者だとか、奇妙な歌だとか。
 薄明かりを目蓋ごしに感じる。
 様々な物事が、浮かんでは、消えていった。
 異人の、祭り。

―――轟と唸るは紅蓮の猛火

 あの子の口にしていたのは、歌? だろうか。
 家々ごとに伝えられているという、歌。
 家々に、歌が。どうして伝えられているのだろう。

 まつりの前に、はやくでていけ。

 あれは一体、どういうことだったのだろう。
 白い着物の少女。


            *


 異人。
 祭りの火。
 喪服の黒。

―――四方に大きな家が。
 行方不明。
 歌。
―――巌では先だって不幸が。
 死体が出ない。

 ぼそぼそと人の話し声がする。
(数年ぶりの)
(夏の異人)
(巌は呪われたのだ)
(今年こそは)
(今年)

 ぎし、ぎ、ぃ。
 年代物の床の、軋む音。
 細い月が出ている。
 ぼんやりと人影が浮かび上がる。
 ぎ、ぃ。ぎ。
 黒の影が近づく。
 障子が整然と並ぶ廊下。

 火を燃やせ。
 薪をくべろ。
 櫛を、帯を着物を。
 投げ入れろ。燃やせ。

 めらめらと、火の粉をばらまいて、空を焦がすが如く。
 炎。
 踊る、人。
 獣のような鳴き声。

 ぎぃ。
 軋みだ。
 静かな夜。人の気配がしない屋敷。
 影はゆっくりと歩く。
 並んだ障子。
 影が立ち止まる。
 白い腕を伸ばして、障子に手をかける。
 音もさせずにさらりと開く。
 布団が敷いてある。
 二つ、並べてある。
 手前、障子に近いほうの布団へ、影が白い手を伸ばす。
 背に月を背負っている。顔が見えない。
 手が、布団のふくらみの肩を。
 掴む。
 揺する。
 強く。
 慌てて目を開く。
 月を背負った人影。
 ぬぅ、と首を出してかかみこんでくる。
 迫った顔―――。


「―――要くん」
 詰めていた息を一気に吐き出したようで、咳き込んだ。
「だいじょうぶ?」
「うわぁっ」
 一気に目を開くと、目の前に人の顔があったものだから、思わず叫んでしまった。
「失敬な。俺が化け物にでも見えたのか」
 大袈裟に怯えた僕を覗き込んで、吾妻さんが憮然とした顔をつくる。
 すっかり朝だった。
 蝉が鳴いている。
「いや、違います。ごめんなさい」
 ちょっと夢が、と言葉を濁した。
 夢? 吾妻さんが眉をひそめる。
「悪い夢でも見ていたの? 魘されていたみたいだけど」
「はい。たぶん」
「多分?」
「夢の内容を良く覚えていないので」
 本当のことだった。
 漆黒と、炎。
 やけにおどろおどろしい印象だけが尾を引いていて、具体的な内容はすっかりと空になっていた。
 ただ。
 揺り起こされるその瞬間に、ぐっと眼前に迫った顔ばかりは、覚えている。
 赤黒く、顔面が濡れていた。

 あれは、血、なのだろうか。
 思い返したら身震いがきた。
 蝉が鳴いているのに、寒かった。


            *


 暗い。
 夜が明けて、朝になっても、その印象は変わっていない。
 何も変わっていない。むしろ時間そのものが、停滞している。
 そんな気すらする。
 祭りは今日の夜更けと聞いた。
 夜がふけるまで、どうしたものか。
 吾妻さんはその時間になるまで晃子さんから話を聞くとか言っていたから、ほぼ一日暇になってしまった。
 暇を持て余したときのために本は一応持ってきてあるけれど、とても読む気にはなれなかった。
 気を抜くとすぐ、昨日の夢を思い出す。
 黙って座っているのもなんなので、外に出ることにした。
 ちょっと出かけてきますね、と声をかけると、んー、という生返事だけ帰ってきた。
 聞いていないに違いない。

 立派な門から、外へ出た。
 門を形づくる木材は、まるで漆を塗ったように黒い。
 年月を重ねた色、なのだろうか。
 何かが―――染み込んでいるような。
「”イワオ”は、のろわれた―――」
 夢の断片を拾い上げて、唇に乗せた。
 のろわれた、と。
 声色さえ思い出せない声が、呟いたような気がする。
 巌って。
 不幸があったという家ではなかっただろうか。
 遠藤の門から真っ直ぐに伸びる道路は、ひろかった。
 平安の世の大路とは、このような感じなのかな、と左右を見回す。
 こんな狭い村には似つかわしくない。二十メートル? それ以上か。
 遮るものなく、延々と続く道。
 果てに、遠藤と同じような門―――なのだろうか―――が、見える。
 黒い。
 昼間だというのに、この”大路”には人影がない。
 ここを真っ直ぐ言った突き当たりが件の広場だと言うけれど、準備はまだ始まっていないようだ。そんなに簡単に準備ができるものなのだろうか?
 まだ午前中とはいえ、祭りは今日の夜らしいのに。
 気がついたら、一本の道を真っ直ぐに、歩き出していた。
 吾妻さんは見たって言っていたっけ、巌の門には、黒い幕が。
 喪の、色だ。
 晃子さんの着物の色も、黒。
 暗い。
 一体なんだ、この村に流れている、暗さは。
 舗装されていない剥き出しの土が、足の裏にアスファルトとは違う感触を伝えてくる。
 よく、整えられている。
 石も転がっていない。
 ひとが、いない。

「ひとのよぶ声がするとて……」

 慌てて振り返った。
 後ろから、少女の声が聞こえた。
 不意に。
 誰もいなかったはずなのに。

「ひとのよぶ声がするとて
 むすめひとり山へと入りぬ
 ざわざわとなる木々の
 そのあいまをさ迷い歩きて行くうちに
 いつしか夜が山をつつまんとす
 むすめいよいよおそろしくなり
 走り はしりゆくうちに
 そのむすめ大地に引き込まれぬ
 もがけどももがけども
 絡みつく土は一向にはなす由なく
 ぬるりぬるりと喰らいにけり
 そのむすめもどらぬと聞く」

 白い着物だった。
 濡れたような漆黒の髪が、肩に落ちている。
 黒目の部分が多い、あまり感情の読めない瞳が、真っ直ぐにこっちを見ている。
 遠藤の門の前に、少女が立っていた。
 黒い門の前に、白。はっきりとした陰影で、浮かんでいるように見える。
「なに?」
 聞き返した。
 背筋を、冷たい筆がなで上げたような、悪寒。
 ひとが、消えた?
 土に、飲み込まれる?
「出てゆけと、言ったのに」
 初めて、少女の顔に表情のようなものが浮かんだ。
 苦悶の? 痛みを堪えるように眉をひそめる顔。
「あの、君は、一体―――」
 誰。
 少女は、白い着物の裾を翻して、遠藤の門の中に、駆け込んだ。
 ぎぎぃい。
 軋みを立てて、黒い木が、動く。
 閉ざされる。
 黒に、白が、飲み込まれた。
 静寂(しじま)だけ、あとに残された。

―――ぬるりぬるりと喰らいにけり

 土が、ひとを。
 飲み込む? 喰らう?
(死体が出ない)
 蝉の声が聞こえている。
 右から左へ、風が吹いた。
 人よりも色素の薄い茶の髪を、右から左に撫でて過ぎる。
 半袖から剥き出しの腕に、にわかに鳥肌が立った。
 山に吹く風は、冷たい。
 ぼんやり、目の前で黒い門がぼやけた。焦点をうしなって。
 どろりと、昨日の夢のなごりが体に取り付いて離れない。
 蝉の声が、ちかく、とおく。
 寄せては、返す波のような。
 この村は、一体何―――。


 がつん、と。
 鈍い音を聞いた。衝撃が、来た。後頭部。
 痛みよりも先に視界が。
 暗転。


            *


 ざわざわ。
 人の声。
 辛うじて繋がっているのは聴覚ばかり。
(はこびこめ)
 ざわざわ。足音。
(マロウド)
(今年こそ)
 夢の続きか?
(今年こ―――)





続く

夢喰い

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