弐 予兆
妖(あやかし)と血の契りをむすぶものなり。
1.
銀御園 彰子(しろがねのみその あきらこ)。
銀家二代目の当主であった女性。
平安の世、時の帝に憑いた怨霊を祓ったことにより、帝召抱えの霊媒師になった。
男社会の中で生き残るために、男装をしていたと伝えられている。
銀は元は京都の出。
時が移ろうのに従って、都は遷り、それに従って銀の本家も京から江戸へ移る。
その後も銀縁の地を守り続けているのが京都分家であり、銀一族の中でも発言力は強い。宗家に続く実力者である。
特に、京都分家の当主が女性である場合は、二代目当主にあやかって、"御園"と呼ぶのだそうだ。
京都にある銀の分家。その屋敷の裏手にある、白く塗られた蔵のうち。
階上へ続く木の階段に腰掛けて、要は蔵書や日記、家系図などに目を通しているところだった。
宗家の家系図と、分家の家系図、ふたつともが蔵には収められており、宗家の家系図には、ちゃんと雅や都佳沙の名も記されている。
家系図の長さに、改めて、大きな家だと思う。
「熱心やねぇ」
声をかけられて、要は我に返った。
腰をおろした階段のちょうど正面。開いたままにしてあった蔵の入り口に、着物姿の女性が立っていた。今日は朱の着物に黒の帯だ。
「紅子さん……」
人の気配に、全く気がつかなかった。
「もう昼すぎよ。休まんでもええの?」
京都分家の当代当主である紅子は、苦笑混じりに言う。
「え、昼!?」
思わず要は腰を浮かした。
午前中から蔵に入って、まだ一時間ぐらいだと思っていたのに。
愕然とする要に、紅子は口元を抑えてころころと笑った。
「そんなことやろうと思ったわ。えらい集中力やねぇ」
ハイ、と返事をして、要は俯いた。なんだか恥ずかしい。
「如月の京都は冷えるさかい、風邪でもひいたら大変よ。読みたいもんがあったら、運び出してもええから」
上品に紅をひいた口唇を緩めて、紅子があでやかに微笑する。
「あ、ありがとうございます。わざわざ、呼びに来てくれたんですか?」
「せや。……まぁ、半分は下心なんやけどね」
「は?」
下心?
「話したいことがあるんよ」
その端整な顔立ちから、やわらかい笑みをふっと消して、紅子は真っ直ぐ、要を見つめた。
*
「宗家の修練場に、通ってるみたいやね」
茶筅の立てる音が、狭い茶室に響く。その他は音のない、ひたすらの静寂(しじま)。
要は紅子に連れられて、離れにある茶室の中にいた。
「はい。去年の冬ぐらいから……」
「ええことや。力との折り合いはつけな。修練は、己をよく識ることに繋がるんやから。少しは何か、変わった?」
「前よりは、少しずつ自分が持ってる力とか、分かるようになったと思います」
要は、言葉を選ぶようにして返事をする。
一体なんだろう?
昨日会ったばかりの自分と、一対一で話がしたいなんて。
「作法は気にせんでええよ」
そう言葉を添えてから、紅子は要の前に点てた茶碗を差し出した。
「警戒せんでも……っていうても、無理な話やね。単刀直入に言うわ。その方がええやろ?」
きりりと引き締まった女の顔に、要は自然と背を伸ばして、居住まいを正した。
「一緒に住んでる子から、聞いておきたかったんよ。――― 一馬の様子」
目の前に置かれた茶碗から立ち上る湯気と、抹茶の匂い。
ぼんやりとそれを見下ろして、要は、紅子の言葉をゆっくりと嚥下する。
"様子"。
おぼろげな言葉だけれど、要には紅子の言わんとしていることがなんとなく、分かった。
「その様子やと、話は聞いたんや?」
俯いたまま黙っている要に、労わるように紅子は声をかける。
「……修練場に行ったときに、斎さんから、聞きました」
「ああ、ご隠居様から聞いたんや」
「本当に……」
震えを帯びた声を、漏らした。紅子が先を促すように首をわずかにかしげる。
「本当に、そんなことになるんですか」
折った膝に乗せた両の手。それを拳の形に握り締める。
うなだれたまま、要は訊いた。
「要くん、あんな……」
「そしたら今度こそ、銀の家はカズマのこと……!」
「落ち着きなさい」
ぴしゃりと。窘められて、要は乗り出しかけた体を元に戻す。
すみません、と謝罪が口をついて零れた。
こんなに取り乱すなんて、思ってもみなかった。
「そうならんようにするのが、うちらの役目や。昨日の今日でうちのことはまだ信用できひんかもしれへんけど、坊や雅のことならよう知っとるはずやないの。できる限りの事はするつもりで、話を聞こと思たんや」
萎縮する要を労わるように、やわらかな笑みを紅子はたたえる。口調も幾分か、和らいだ。
ハイと、小さく返事をした。俯いた顔は、上げられなかった。
「心配なんは、分かるわ。……せやから、今一馬を京都に連れてくるのがいいことなのか、うちには分からへんのよ。元々成瀬も京の血筋や。何ぞ悪い影響が出ないとええんやけど……」
つれてきてしまったあとで言うても、仕方がないことやけどね、と紅子は苦笑しがちに付け加える。
けれどもその苦笑も、茶室に満ちた空気の重みを緩和することは出来なかった。
「……特に変わったところなんて、目に付かないです」
少し黙り込んだあと、要が口を切った。
強く握り締めた拳が、膝の上で白くなっている。
「でもそれも、見せないようにしてるだけかも」
自信はなかった。
それを言葉にするのは惨めだと、思った。
とりあえずあれから。あの一件から一年以上も、同じ屋根の下で暮らしておきながら。確かなことは本当は何も、見えていないような気がする。
「ちいさい頃から、なんでもかんでも抱え込む子やからねぇ」
昔を懐かしむ年寄りのような口調で、紅子が溜息を落とす。
ようやく、要は顔をあげて紅子を見た。
この人も、自分が知り合う前の同居人を知っているのだ。
「心配かけたくないのよ」
「でもそれで、限界ぎりぎりで暴走するのは困ります」
憮然と要が言い返せば、紅子は豆鉄砲を食らったような顔をして、そのあとちいさく吹き出した。
「ほんまやね、ほんまにそうやわ」
余程ツボか何かに嵌ったらしく、しばらく紅子はくすくすと笑いを噛み殺していた。
「でも、成瀬も京都なんですか?」
幾分か和らいだ空気に、要が質問をさしはさんだ。
「そうや。元々を辿っていけば、公家の血筋やね」
「……公家?」
あれが? とは思ったが、口には出さないでおいた。
それでも露骨に、顔には出ていたらしい。
顔をしかめる要に、紅子は尚も説明を付け加える。
「系図を辿りに辿っていけば、帝に連なる血筋なんよ」
信じられない、とばかりに目を見開いて、要は言葉をなくした。
「成瀬雪匡(なるせのゆきまさ)」
勿体つけるように、紅子が古めかしい名を口にした。
「初代の夢喰い。血筋から言えば、帝の従兄弟。まぁ、その頃の成瀬の家は、権力的には衰退していたんやけど。強い力を持ってたそうや。御園様と契約を交わして、銀と付き合いを始めた男。どこまで本当かは、調べようがないんやけどね」
「そんなに昔から続いてるんですか、成瀬の家も……」
銀御園彰子は、銀の3代目の当主というから、その代から付き合いが続いているとなると、成瀬もそれ相応だ。
「せやな。……深い業やね」
呟いて、紅子は要の前から茶碗を持ち上げる。
「冷めてしもたわね」
「あ、すみません……」
「新しく点てるさかい、一服付きおうてね」
悪戯っぽく紅子が笑った。
苦笑して、要も「はい」と頷いた。
2.
住宅街は騒然としていた。
都市部から程よく離れた、ベッドタウンの一角。閑静な住宅街の隅にある、マンション建設予定地の空き地。
空き地への入り口には、黄色いテープが張り渡されている。
そのテープから少し空間を置くようにして、半円の形に人垣が出来ていた。
人々の表情は一様に暗く、しかし目は貪欲だった。
黄色いテープの向こう、青いビニールシートで覆われたさらにその向こうをどうにか透視できないかと、ぎらぎらと輝いている無数の瞳。
「とうとう街の中でもねぇ」
「警察は何やってるのかしら」
「怖いわぁ」
ひそひそと交わされる無数の言葉たちが、大きなざわめきとなって、その空き地を包み込んでいた。
その群集を、ストロボが何度も照らし出す。
綺麗に化粧を施した足の細い美人が、カメラの前で沈痛な顔をしていた。
「和製切り裂きジャック事件の犠牲者が、これで4人目となりました。その残忍な手口は前回までと同じようですが、今回は街中での犯行ということで、住民の方々は恐怖を隠せない様子です。被害者は梶取芽衣子さん、25歳。現場近くのマンションに一人暮らしをしていたOLです。帰宅途中に襲われたものとみて、警察は捜査を進めています」
*
「えらい騒ぎですね……」
黄色いテープの内側、さらに青いビニールシートの内側で、秦野はぼやいた。
昨日は昨日で、3件目の事件の捜査に精を出し、ようやくひとり住まいに戻って仮眠を取ったあたりで、電話にたたき起こされた。
4人目や。と電話口で先輩である服部善信(はっとり よしのぶ)が口にしただけで、何が起こったのかすぐに察しがついた。
温まりもしなかった寝床をそのまま飛び出して、現場へ向かってみれば。
早朝だというのに野次馬と報道陣でごった返していた。
残忍で悪質、恐怖の殺人鬼。人々の興味が一点に集中するのは仕方のないことだろう。
けれども、現場に群がる報道陣や野次馬たちの群集が、あまりにも貪欲で滑稽な、好奇心のモンスターに見えてしまう。
疲れているのだろうか。
砂利が敷き詰められた地面に、白い線で人の形が記されている。死体はもう、ここにはない。
黒い数字のついたプレートが所々に置かれ、先程からぱし、ぱしとフラッシュが煩い。鑑識用の写真なのだろう。
「腕か」
その、死体の形に縁取られた白い線を見下ろして、服部がぼそりと呟いた。
「……なんのつもりなんでしょうね。快楽殺人なんでしょうか」
白い人型を見をろして、秦野は言う。
一人目は足。二人目は耳。三人目は腹。そして今度は腕だ。
腹は無残に裂かれ、その上、体の一部には喰われた形跡。
間違いなく、一連の事件の被害者だ。
ただ、決定的に今までと違うのは、この犯行が住宅街で行われたということ。
今までの三件は全て、山や林、人気の少ないところで行われてきた。けれども今回は、閑静とはいえ人々がすぐ近くにいる住宅街でのこと。
人気のない場所へ行かなければ大丈夫、という幻想は、これでもろくも崩れ去ったといえるだろう。
不安がる住民たちからの批難も、覚悟しなければならなかった。
「……せやけど、人やないかもしれへんのでしょう?」
か細い声が、背にかかった。
秦野が振り返ると、今年配属になったばかりの新米刑事が、蒼白の面持ちで立っている。怯えた犬のような目をしていた。
小柄で、大学生のような童顔の彼―――赤城は、確かこの現場で死体を生で見ていたはずだ。
「何の話や」
白くかたどられた人の形を見下ろし、コートのポケットに両手を突っ込んだまま。銜え煙草で、服部が口を挟んだ。
下手をすると、やくざものにすら間違われそうなその鋭い眼光で、赤城を振り返った。
気圧されて、赤城は一瞬たじろぐ。が、覚悟を決めたような顔をして、口を開いた。
「凶器、鋭利な刃物ってだけで、まだ特定されてないやないですか」
「それだけか」
「違いますよ。食われたあとが―――鳥の嘴みたいやって、鑑識のやつが……」
赤城の声が尻つぼみに消える。服部にさらに睨み据えられて、全ては言えずに黙った。
「鳥が、人の腹を器用に裂いて、文字を書くんかい」
ぐっと言葉に詰まって、赤城は俯いた。
死体の形にひかれた白い線の傍。洗い流されていない、赤いあと。
血液をなすりつけたような、流麗な文字があった。
「起源の、理」
秦野が骸の傍らに残されていたその文字を、声にして読んだ。
3.
「まぁ、大小様々ではあるんだが」
そこでふと言葉を切って、右手の指に挟んだ煙草を口に運ぶ。
「一番多いのは"勝手な仕事"だな」
紫煙とともに、雅は吐き出した。
立てていない前髪が、目のあたりまで落ちかかっている。
屋敷の離れにある、洋間だった。
庭に面した窓を背にするように置かれた長いソファーに、決して行儀がいいとはいえない足の組み方をして、銀宗家の次男坊は新聞を開いている。
「勝手な仕事、ねぇ」
ソファーから見て左手側にあるサイドテーブルに置かれたポットから、急須に湯を注ぎながら、一馬は相槌を打つ。
「一回一回依頼が来るたびに報告義務があるわけじゃないさ。そうだな、大体三ヶ月ぐらいごとにその地域の元締めに報告書を提出するのが決まりみたいになってる。それが約半年ぐらいで一括になって、宗家に送られてくるってわけなんだが、去年の一件以来、色んなところで滞っててだな。特に西が顕著だっていうわけだ」
「それで、調査って言ってもお前、具体的なことは何をするんだよ?」
新聞を繰る音と、急須から湯呑みに緑茶を注ぐ音と。響く間に沈黙が落ちた。
「下らん仕事さ。面つき合わせて、相手の顔色見て来いっていうんだからな。調査っていっても、具体的なモンじゃない。とりあえず、西側の空気を肌で感じて来い、だとよ。隠居したんだから自分で行けよって言ったんだがな」
「それで?」
「殴られて仕舞いさ」
そのときのことを思い出したのか、雅は口をへの字に歪める。
隠居したとはいえ、前当主である雅の父、斎が出てゆくわけにもいくまい。
それを重々承知の上での冗談だったのだろうが、返ってきたのは鉄拳制裁らしい。
「俺だって仕事があるんだぜ。勘弁しろってんだよ」
ばさりと新聞をたたみ、ソファーの前に置かれたテーブルに放って、ぼやく。
「そういえば、仕事はどうしたんだ?」
自分で淹れた緑茶の湯呑み片手に、一馬は雅が手放した新聞に手を伸ばす。
銀、という家の仕事ではなく、雅の本業とも言えるカメラマンの仕事の方だ。
すると雅は苦い顔をして、ソファーの背もたれに重みを預ける。
「盲腸」
「は?」
新聞を掴んだ、中途半端に屈んだ体勢のまま、ソファーにふんぞり返る雅を見る。
今、なんと言ったのだ?
「盲腸で入院してることになってるんだ」
不本意、と大きく顔に書いてある。
ああ、やるといったら本当にやりそうだ、あの家なら。あの人なら。
幼い頃から見知っている雅の父を思い浮かべて、納得する。
新聞を持ち上げて、心中で手を合わせた。ご愁傷様。
「ってことで、早速今日から挨拶回りだ」
大きく伸びをしてから、雅はソファーを立つ。
「結局のところ、俺が京都に来た意味なんてあったのか?」
今まで雅が腰をおろしていたそれと、向かい合わせのように置かれた一人掛けのソファーに腰をおろして、一馬は新聞を開く。
身支度を整えようと、ドアに近づいた雅がふと、足を止めた。
こちらに向けられた一馬の背を、しばらく凝視する。
「お前最近……」
声を半ばまでかけて、少し黙る。
言葉を選ぶような沈黙が続いたあとで。
「最近別に、変わったことないよな」
「別に? どうかしたのか?」
すぐに返事は返ってきた。ただ、新聞を開く背中は振り返りはしなかった。
「いや、なんでもない」
しばらくその背を見てから、雅は扉に手をかけた。
かちゃり、と扉の閉まる音が室内に響いて。
それからしばらく一馬は黙っていた。開いたままの新聞はそのまま。紙面を繰る気配もなく。
ただ、壁にかけられた時計の秒針の音だけが鳴っている。
「参ったな」
苦笑とともに、ぼそりとこぼした。
呆れたような、諦めたような、そんな吐息を落とした。
「何でこう皆がみんな、勘が鋭いんだろうな」
見下ろした紙面に踊る文字は、情報としては入ってこなかった。ただの記号の羅列が、こまかく蟻のようにちりばめられているだけだ。
眩暈。
蟻のようなこまかい文字が、視界の中で歪んだ。
碌に読みもせずに、新聞を閉じてテーブルに投げ出した。
おそらくは、誤魔化しきれないあたりまで、来ているのかもしれない。
ふと、右の掌を見た。
中央に、ヒキツレを起こしているような傷痕は、残ったまま。
一年前。
あの一件から、わずかに、けれども着実に変化を続ける何かに、気づいてはいて。
それでも必死に、気づかないふりをしていたけれども。
京の空気は、なつかしかった。
旅行などで数度訪れたことがあるだけで、別に長期滞在をした覚えはない。
以前は、このような懐かしさなど感じたことはなかった。
今。
おそらく、あの一件のあとから。
着実に、自分の内側で、抗いようのない変化の奔流が起こっている。
騒いでいるのは、おそらくこの皮の内側に張り巡らされた管を奔(はし)る赤い流れだ。
近頃、夢を見なくなった。
快い夢も、悪夢も何一つ。
あるのはただ、無。
父を喰らう、あの記憶も繰り返さない。
縋りつくような無数の腕に絡め取られるのも。
母に泣きつかれるのも。
これは、鈍感になったということなのか。
それとももっと何か別の。
不可避な大波に飲み込まれようとしているのだろうか。
すっかりと古傷になった痕をしばらく、見つめてぼんやりとしていた。
―――いつまで、ヒトと同じでいようとする。
人だ、と。
大声で言い切ることが出来ない。
負い目や痛みが常に、この体の内側に棲んでいる。
消すことは出来ないだろう。おそらくは、人でいようとする限り。
しかし、近頃、思うのだ。
いつまで、人でいられるのか、と―――。
―――……き、……ま。
背筋を逆さに撫で上げるような違和感に、一馬は、扉のあるほうを振り返る。
妙な声が聞こえたような気がした。
そして確かに。
刺すような視線を感じたのに。
振り返ったその先には何もなく、がらんとした洋間が広がっているだけだった。
「気のせい、か」
独白が、やけに大きく室内に響いた。