8.閃 光
1.
「お前いったい―――なにものなんだ―――?」
へたりこんだままの男が、腹部を押さえてうめくように言った。その声は少し震えているようにも聞こえた。
「答える義務は、無い」
「聞いてない、こんな力があるなんて俺は聞いてな……」
足で地面を蹴って必死に後ずさりしようとする男を、要は完全に見下す体で見つめた。
「よくもまぁ、次から次へと。好き勝手に掻き回してくれる」
「いっ!?」
すっと目を細める。要が行ったのはたったそれだけの動作。
が、突然男が右の腕を押さえて、その場にうずくまった。
「一馬にも、言っておかなきゃならないな。本当にうざったい。最近は"要"が頑張っていたから出てこなかったのに」
「う、うわあぁっ……!」
「さっさと消えろ。"俺"は"要"のようにやさしくは無いから、腕の一本折るぐらい、何の罪悪感も感じない」
要が視線を向けたのは、うずくまっているほうではなく、校門の傍で呆然と立ち尽くしている男にだった。
すると、弾かれたようにその男が動いた。うずくまっている仲間を引きずって、学園の敷地から脱出する。
すぐ傍に車が停めてあったらしい。あわただしい走行音が、すぐに遠ざかった。
「……か、なめ?」
走行音が聞こえなくなってから、嘆息するその背中に、勝利が声をかけた。
お前はいったい、なにものなんだ。
突然の侵入者が思わず口にしたその台詞は、勝利の気持ちを代弁してもいた。
お前、誰なんだよ。
「ああ」
忘れていた、とばかりにその正体不明の少年が勝利の方へ向き直った。
「神田勝利。はじめまして」
決して、要のものではない、どこか冷めた笑い方で笑った。
止んでいたはずの風がまた通り過ぎて、目の前の少年の、日本人とは思えないような栗色の髪を撫でていった。
はじめまして? それはどんな挨拶だったろう? 自分と相手とは、決して初対面でもなんでもないのに。
3年間、毎日のように顔をあわせてきた人間同士の挨拶では、なかったはずなのに。
「おかしいな」
呆然と立ち竦んでいる勝利を、眉をひそめて見やる、そんなひどく大人のような顔も。
勝利は知らない。
「聞いていないのかな、要から」
要? それは、今目の前にいる、男の癖にひどく端正な顔をした、人形のような少年の名前ではなかったのだっけ?
混乱してきて、視界が暗くなったような気が、勝利はした。
「君の前には、現れたことはなかったよね。3年前のあの日から、俺が現れるのは決まって一馬の前だったから」
誘導尋問されたように、勝利は頷いていた。"こんなやつ"には会ったことがない。
同時に、何か憤りのようなものがこみ上げてきた。
なぁ。それ、要の体だろう。あんた何。何してんの。
頭で思ったそんなことが、気がつけば口から垂れ流しになっていた。
どうしてくれんの。
「光」
ひとこと。目の前の知っていて知らない人間は言った。ヒカリ。
あ。と勝利はうめいた。随分昔に、聞いたことがあったかもしれなかった。たった一度だけで、それ以上は聞いたことはないけれど。
「俺は、ヒカリという名前だよ。もう随分消えかけの、英要の、別人格―――」
*
ひとつの生命を、ふたつに分割する。―――それは、凶兆。
元々、たったひとりにしか許されていないその力をふたつに割る。どちらも出来損ないの、まがいものが出来上がる。
どうしても完全にはなれない。弱い力しか継がれない。
故に、夢喰らうものの家系に双子が生まれることは、凶兆。
滅びのきざし。
母親の顔は知らない。
双子を産み落としたという最悪で最大の罪を、内側からも外側からも陰湿的なまでに責め立てられて首を吊ったという。
馬鹿らしい話だと思うのは僕だけだろうか。
寧ろ吉兆だと思うよ。
何せこの力は呪いだというではないですか。許されるはずのないひとと妖の間の子に課せられる、呪いだと伝えられているじゃあないか。
呪いの血が滅ぶなら、それは吉兆ではないのかな。
生まれてすぐ、死ぬことを定められた。
いや、その言い方は少し違う。人は生まれたときに皆、逃れようのない死の運命を課せられて生まれてくるものだから。
言い直そう。その生き物は、生まれてすぐ、殺されることを定められた。
櫛引。
それは長らく続いてきた夢喰いの家系の名。
成瀬、兵頭、根津。それらと共に古くからあった家と言われている。
その家に双子が生まれたのは、絶望的なことだった。
どちらの能力が残すに値するのか、それが知れるまでその双子は別々に育てられた。
その名を、空(アキ)と充という。
皮肉なことにその名は全く正反対の状態をあらわす。
空虚と充実。
古い家にとって、名は強い言霊だ。はじめはおそらく、弟に多く力が宿るようにと願ってつけられたのだろう。
力、充つるよう。
けれども言霊の力は、遥か昔に比べれば格段に弱くなっていて。資質が現れたのは姉の空の方だった。
弟は、本家から切り離され、飢えて死ぬまで捨て置かれる。
どうしてそんな。貴方がたは。
消極的な方法を取るのだろう。
赤子のうちにどちらかの、首を手で強く握ればそれだけで。こんな馬鹿らしいことにはならなかったのにね。
おろかなのは、貴方がただよ。
赤子の命ひとつ、慈しんだところでどうせ。
流れているのは呪われた、人喰いの血のくせに。
偽善だよ。可哀相に。
いつまでヒトと同じでいようとするのかな。
十八を越えたあたりから、弟は狭い蔵のような離れに幽閉されるようになった。
突然訪れる、原因不明の発作に喘ぐ日々が続く。これは一体、何の病だろう?
力は不十分のくせに、一人前に餌を強請る、獣の本性。
それは、飢餓。
いつ終わるだろう。死ねるだろう。楽に。
なれるだろう? 一体いつ。
―――はじめまして。
曜日も時間も疾うに分からなくなった頃、唯一外に開かれていた小さな窓から、細く白い手が伸べられていることに気づく。
―――不思議ね。私たち双子なのにはじめましてなんて。私は空。
その手は、優しく差し伸べられていた。
ふたりは、感動の再会をした双子のふりをして、本当は、その瞬間から互いを一番近い餌として認識していた。
十七で夢喰らう力を継いだ空。元々はひとつであったはずの弟の力を喰らえば、その力はより強くなっただろう。
与えられるはずの力を与えられずに飢えている充。目の前の手を取れば、常にぐるぐると渦巻く空腹を充たすことが出来た。
その空間には、共食いの気配がした。
弱いものが強いものの糧になるのは摂理。
その張り詰めた緊張に先に音をあげたのは、空。
―――私は、父さんを食い殺して、そうして充も見殺しにするのかな。どちらかしか生き残れないのなら、私はいいよ。
外界との境界から、こちらへ手を伸べる。白い手。
"食べなよ"。
その白い手を、欲望のままに掴む。
君の負けだ、空。
この世界は、強いものだけが生き残る。感傷に冒されると弱くなるよ。いきものは、本能だけのほうが生き残れるんだ。
自分を責めず、受け入れるのだ。聖人君子のふりはやめて。たくさんの生命を食い荒らすことで生きている事実を。
難しいことじゃない。
僕は生きるつもりだ。人の意識を惨めに食み、妖やけだもの、果ては畜生に堕ちても。
生き残るつもりだ。
惨めに死ぬなんてごめんだよ。
死んで楽になろうなんて甘い。
僕らは苦しむように出来ているのだから。
何せこの力は呪いなのだから。
僕らがこの世界に生まれたということは、生きてゆくということは、苦しむことと同義語だから。
死んで楽になりたいなんて、成瀬さん貴方。甘いよ。
苦しみもがいて、この時代まで生き残ってしまった血の、眷族になってしまったのだから。
「なにをそんなに苛々しているのかな、"匠くん"」
「だって、葵がいないんだ」
下ろしたブラインドの隙間から外を覗いて、痩せた少女が言う。
少し低めに、無理に下げた声で。
「あいつ、一応姉のくせに、すごく泣き虫なんだ。僕が傍にいてやらないと」
声は投げやりで、少し荒っぽい。が、決して男のものではなかった。
水ノ瀬葵という少女は、目の前で溺れ死んだ双子の弟の死を認めないために、自分で"弟のふり"をしている。
新しい患者だ。
「姉さん想いなんだね、匠くんは」
部屋の中央に置かれたニ脚の椅子の片方に座って、充は少女に声をかけた。
口の端をゆるりと持ち上げて、笑いかける。
「姉、っていうか。なんか違うんだよ。僕と葵、双子だからさ」
どことなく照れたふうに、少女は首の後ろを掻いた。
それが彼女の癖だ。少し前まで長かった髪の名残を、探しているように充には思えた。
「双子って多分、普通の兄弟と違うんじゃないのかな。僕には他に兄弟がいないからわかんないけど」
同じ時を同じ胎の中ですごし、同じ日に産み落とされた、自らの片割れ。
「そうだね。そう思うよ」
組み合わせた足の上に重ねた両手を乗せ、充は双眼をほそめて少女の華奢な体を見る。
少女は、疑わしそうな瞳を充に向けた。簡単すぎる同意が軽く思えて、気に入らなかったのだろう。
「僕も同じなんだよ。匠くんと。双子なんだ」
少女の顔から一瞬、全ての感情が消えて、そのあとぱぁっと笑顔が広がっていった。
「そうなんだ? 先生一度もそんな話してくれたことないじゃん」
心なし浮ついたような足取りで、少女は窓際から充の向かいの椅子に座る。
身を乗り出して、充の顔を覗き込んだ。
「どっち? 上? 下?」
「僕は弟だよ。君と同じ。上は姉」
「僕と一緒じゃん。名前は?」
「アキ。空中の空で、アキ」
「へぇ、きれいな名前だね。似てる?」
「どうかな」
嬉々として質問を繰り返す少女に、充は肩を竦めた。
その態度に、怪訝そうに少女は眉をひそめる。
「昔は似ていたけど、今はどうだろう。分からないな。もう、死んでしまったから」
「え……」
「もうだいぶ前の話になるよ。7年ぐらい前かな」
「そう、なんだ」
申し訳なさそうな顔をして、少女が俯いた。気にしないで、と充が言った。
うん、と頷きながら、それでも少女は顔を上げようとしない。
充はその姿を見下ろして、口唇の端を持ち上げた。深い蒼の瞳を残虐に細める。
獲物を、見据える瞳をする。
「でも、今も時々夢に見るよ。姉さんのこと。―――僕が殺したようなものだから」
びくり、と目に分かるぐらい少女の体が震えた。
肩に力が入り、強張る。
「二人とも危険な状態でね。だけど、僕だけ生き残ってしまったよ。姉さんも、苦しんでいたのに」
穏やかな声で、まるでおとぎ話を読むように充が続けると、少女の肩が小刻みに震え始めた。
見開かれたままの瞳が、焦点を失う。
―――葵、助けて。
悲鳴と、水音。叩きつける、痛いほどの雨。
「見捨てたのと、同じなんだ」
「やめて!」
耳を塞いで、少女が叫んだ。頭を抱えて、体を縮める。
「聞きたくない、そんな話……!」
「ああごめん、"葵ちゃん"。苦しいかい?」
充は、ちぢこまる青いの頭に、己の手を置いた。
小さな体の震えが、手を伝ってダイレクトに充の体に伝わる。
「ちがう、葵じゃない、僕は―――!」
―――たすけてよ、葵。
「葵ちゃん」
「やめろっ……!」
頭に乗せられた充の手を、葵は力いっぱい振り払う。
その細い腕を、反対に充が掴んだ。
顔を上げた葵の瞳には、うっすらと涙が浮かび、呼吸はせわしない。
「大丈夫だよ」
細い手首を掴んだまま、充が諭すように告げる。
「君のせいじゃない」
何かを踏み台にして生きるのは、当然のことだよ。ただそれがいつもは、目に見えていないだけで。
君はただそれを、目の当たりにしただけだ。
「楽にして。大丈夫だから」
充は、空いている左手を持ち上げて、葵の額に押し当てた。熱を測るような動作。
一緒に覆い隠された葵の瞳から一筋、雫が頬を伝って落ちた。
静寂。
しばらくの沈黙のあと、充は左手を額から離した。
力の抜けた葵の体が、くたりと前に倒れるのを、抱きとめる。
短くなった髪を掻きあげて、耳元に口唇を寄せる。
「葵ちゃん、これから、出かけようか。一緒に来てもらいたいところがあるんだよ」
2.
「あ。どうも、はじめまして」
しばらくぽかんとしていた勝利は、とりあえず挨拶をした。
するとまた、要の顔が見たことのないような笑みを浮かべた。
「そんなに困った顔をしなくても、すぐに消えるよ。この体は要のものだから」
どうやら勝利は、困った顔をしていたらしい。
目の前の栗毛の少年は、足元に落ちた要のカバンを拾い上げ、土を払う。
「だけど、今俺が引っ込んだら意識を失った状態になるから、とりあえず吾妻って奴の家まではこのまま行くけど」
ここで気絶されたら、運べないだろうし。と、要の顔をした別人が言った。
体は確かに英要のものなのに、口調も物腰も、雰囲気も全く違う。
相変わらずボケっとしている勝利をよそに、カバンを持ち直すとさっさと校門の外へ歩き出した。
「え、あ……ちょっと!」
咄嗟になんと呼んでいいか分からず、勝利は口ごもった。見慣れた背中を追いかける。
「今回は特別なんだ」
追いついて隣に並んだところで、唐突にヒカリが口を開いた。
真っ直ぐに。前を見据えたままの瞳には、感情の揺らぎが殆ど見られなくて、整った顔つきが更に人形めいて見える。
「洗脳とか催眠は、要にとってトラウマなんだ。ここ最近、色々なプレッシャーが重なっていて精神的な緊張も結構ぎりぎりで。その上あんなことされて、限界を超えそうだったから、俺が無理やり要を押し込めたんだ」
十字路を、ヒカリは迷わずに右に折れる。どうやら吾妻の家への道順は知っているようだ。
「もう、いいんだ。昔は少し傷ついたぐらいで不安定になっていたけど、日常の生活を送るだけならもう大丈夫なんだ。こんなことがないのなら、もう俺は必要ないんだって、そう思ってる」
そこまで言って、初めてヒカリは隣を歩く勝利の方へ視線を向ける。
本当は、こうしてあんたと話す機会なんて、なかったほうがいいに決まってるんだけどね。
ヒカリの浮かべた笑みは、苦笑のように見えた。
ヒカリ。
前に要から聞いたことがある。要が自分の、少し特殊な過去の話をしてくれたときだ。
別の人格。要が持っているらしい不思議な能力を、自在に操る。
嘘だとは思わなかったけれど、その話に真実味を感じられなかった。自分があまりにも別の領域に生きていたから。
勝利は、至極一般の道筋を至極単調に歩いてきたので、そういう能力とやらは、胡散臭いテレビ画面の中でしか知らない。
3年前、とある事情で眠りから目覚められなくなったことがあって、その時は要の保護者である成瀬一馬に助けてもらった、らしい。
らしい、というのは覚えていないからだ。
だから、不思議な力というものを目の当たりにする機会は殆ど皆無で、先程も何が起こったのか全く分からなかった。
今も、何がどうなっているのかよく分からない。ただ、目の前にいる少年が要ではないことは、なんとなく分かった。
ヒカリは、もう一年近く現れていないと聞いていた。もういなくなったのかもしれない、とも。
まさかその相手とこうして言葉を交わすことになるなんて、考えてみたこともなかった。
「あのさ、必要ないってことは、消える、ってこと?」
なんとなく訊き辛くて、勝利はヒカリから目を逸らしてから口を開いた。
「そうだね。消えるってことになるんだろうな。人格統合って言う言葉があるみたいだけど。要は3年で随分変わったし、もう俺がいなくても平気だろうから」
返事を返すほうは淡々としていた。
「そっか……」
勝利は制服のズボンのポケットに両手を突っ込んで、少し歩く速度を落とす。
急に足が重くなったような気がした。
「なんか、いなくなるのって、寂しいな」
足元に視点を落とす。のろのろと歩きながら、勝利が言った。
理由もわからないけれど、急に寂しくなった。
俯いた勝利の耳に、くすくすと静かに笑う声が聞こえてきた。
顔を上げると、立ち止まったヒカリが半ばこちらを振り返って見ている。
「おかしいことを言うね。俺がいないほうが要にとってはいい環境なんだよ」
「そりゃ、そうなんだけどさ。あんたはあんたでしっかり存在しているわけだから。……辛くないのかなと思って」
「……辛い、か」
不意にヒカリが、視点を斜め下に落として小さな溜息をついた。口元が、仕方ないものを見たときのように笑っている。
相手の反応の意図がわからなくて、勝利は疑問符を頭の上に浮かべる。
「前に、同じことを言われたことがあって。あの時は意味も分からなかったけど。今なら少し分かるかなと思って。俺も、変わったのかな」
言っていることが分からなくて、勝利は更に頭の上の疑問符を追加した。
「一馬にも、言われたことがあるんだ。状況は、違ったけどね」
それだけ言って、ヒカリはまた歩き出した。
結局のところ、辛いのか辛くないのか。明確な答えははぐらかされたような気がする。
けれど勝利には、なんとなく分かったような気がした。
吾妻珪丞は悩んでいた。
自宅マンションの、仕事部屋と呼ばれる部屋の中。
パソコンデスクに座り、眼鏡なんぞをかけて、腕組みをしてディスプレイを見つめている。
口の端に銜えたままの煙草がちりちりと焼けてゆく。
「困ったな……」
静寂にポツリとこぼす。
渋面を作って、ディスプレイと睨みあって、既に1時間が経過しようとしていた。
キーボードの横に置いたマグカップを、半ば無意識のうちに持ち上げて口に運び、やけにそれが冷えていることに気付く。
溜息をついて煙草を揉み消し、コーヒーを入れ直そうと椅子を立ったときだった。
インターホンが鳴った。
時計を見ると4時を少し回ったところだった。
流しに冷めたコーヒーを置いて、玄関の扉を開けると、予想通り、私立高校の制服がふたつ並んでいた。
栗色と、黒髪が並んで立っている。
「やぁ、お帰……」
迎え入れるより前に、開いた扉の隙間からするりとひとりが室内に滑り込んだ。挨拶もなしに。
俯き加減で、表情が伺えない。部屋に上がりこんで、真っ直ぐにリビングに向かっていってしまう。
「……神田くん。要くんはどうかしたの。具合でも?」
部屋の奥へ向かう栗毛の少年の、その後姿を見送って吾妻は玄関に立ち尽くす勝利に訊いた。
吾妻は、英要を猫のように気難しいけれど繊細で躾の行き届いたいい子だと認識している。具合が悪いのでもなければ、さっきのような無愛想な態度を取るとは思えない。
「ええと、それがですね……」
結局吾妻のマンションまでついてきてしまった勝利は、何から説明していいのか分からず、口ごもる。
「ま。あがんなさい」
さして気にするふうもなく、吾妻は勝利を迎え入れた。
リビングへ入ると、壁際のソファーに人影があった。背もたれに体重を預けて、俯いたまま腕組みをしている。
やわらかそうな茶の髪が俯いた顔にかかって、表情は見えない。微動だにせず、眠っているように見えた。
吾妻は、ソファーに沈む要の姿を一度だけ見て、また勝利に向き直った。
「今からコーヒーを淹れるから、それでも飲みながら説明してよ。君の分かる範囲でいいから」
眼鏡を引き抜いてパソコンデスクの上に乗せた。なんだか全然動じないひとだな、と勝利は思った。
視界の端にぼんやりとともるディスプレイに、なにげなしに目をやって、勝利はぴたりと固まった。
作家という職業である吾妻にとって、パソコンは言うまでもなく、仕事道具だ。
「……吾妻さん、何してたんですか?」
パソコンは電源が入ったままになっている。画面には、白と黒が所狭しと並んでいる。
キッチンでコーヒーメーカーをいじりながら、吾妻が顔だけを勝利の方へ向けた。
「ああ。見れば分かるじゃない。オセロ。手詰まりでさー」
困ってたんだよねぇ、と零す吾妻は、やっぱり良く分からない人だな、と思った。
こぽこぽとコーヒーメーカーのたてる音を耳に注ぎ込みながら、勝利は壁際のソファーを見る。
相変わらず微動だにせずに、同級生はソファーに沈んでいた。
このときを境に勝利は、ヒカリには会っていない。
3.
和室には、静寂が満ちている。
薄闇に包まれる時間だというのに、その部屋には灯りは無かった。
外から差し込む茜色の日差しが、障子を通して僅かに漏れてくる。
「鷹由(タカヨシ)、どうした」
障子と向かい合うようにたち、康臣が言った。背後には、先程から落ち着かぬ息子の鷹由が控えている。康臣は、苛立っていた。
未だ『夢喰い』を確保できぬ。
殺さずとも良い。宗家との交渉の、切札にさえなれば良い。成瀬の身柄を拘束して、それと引き換えに宗家と話し合いに持ち込むつもりだった。分家はあまりにも、宗家に管理されすぎている。
そのために分家数家を説き伏せ、成瀬一馬を追わせているというのに、未だ良い報告が入らないことに、康臣は苛立っていた。
それなのに突然、息子が話があるという。
「親父……」
息子が弱々しい声を上げた。鍛え上げた立派な体躯には似合わぬ声だ。"これ"は精神的に弱い、と康臣は常々思っている。それは、特殊な力を扱いそれを精神で御する霊媒の家の人間には、致命的なことだ。
「もう、やめよう親父……」
「馬鹿者!」
か細い声で言う息子を、康臣は怒鳴りつけた。
「何を言う、このままでいいものか! またとない好機だぞ!」
がばと振り返りながら叫ぶと、鷹由は情けなく身を竦ませた。その動作がまた、康臣の怒りを煽る。
「仕事の内容、結果、資金面に至るまで、分家は宗家の監視下に置かれている。これではただの飼い犬ではないか!」
「し、しかし、宗家の看板があるからこそ依頼も来る……。銀という名が在るから……」
「情けないぞ鷹由。お前もいずれこの家を継ぐのだろうが……! 我々の力は宗家に何ら劣らぬ。このまま飼い殺されるのは我慢ならぬ!」
一気に吐き出し、康臣は中庭に通じる障子を開け放った。茜色の光が一気に差し込んでくる。整えられた庭に、僧都の高い音が響いた。
「呉には話をつけてある。こちらが成瀬を確保するまで、櫛引には手を出さぬと……」
「それは」
突如、康臣の背後で気配が動いた。今まで全く感じられなかった気配が。
「それは、聞き捨てなりませぬな」
感情の起伏が全く感じられないその声音には、かすかに聞き覚えがあった。
「鷹由、貴様っ……!」
ゆるりと康臣が振り向くと、鷹由は情けなくうめきながら平伏した。その傍に。
先刻までは無かった影がある。
「貴様、"使"を屋敷内に入れおったな……!」
鷹由は、平伏したまま何も言わずに震えている。舌打ちをし、康臣は新たに現れた影を見据える。
「不自然なほどに、屋敷の結界を強めておられるゆえ、少々気になりましたもので」
鷹由の傍らに立つ、黒ずくめの男が言った。否、人の姿を真似た妖が。
「叶……」
康臣は、その妖の名を呼んだ。滅多にその姿を目にすることもない、宗家のためだけに動く使い魔。
「霊媒の家はそれぞれが不干渉が原則であり約定。貴方ならばよく御存知のはずだ、康臣殿。此度の呉との結託、見過ごすわけには参りませんが、如何」
揺らぎの無い瞳で、使いは淡々と告げる。
康臣は、開いたままだった障子を後ろ手に閉ざした。差し込んでいた茜の光が、すぅっと遠ざかる。
「迂闊」
口の端を持ち上げるようにして笑い、康臣が零した。
「迂闊であったわ。宗家の人間が公に動けぬ以上、使を用いることなぞ用意に考えられたこと。しかしまさか息子に手を噛まれることになるとは思わなんだが……」
「鷹由殿には、色々と聞かせていただきました。確認のため、少々影に潜らせていただきましたよ」
「この、役立たずめが!」
かっと咽喉を開くようにして、康臣が叫んだ。
「お、親父はいつもそうだ!!」
がば、と平伏していた体を起こし、鷹由が嗚咽交じりに叫んだ。
「俺が、俺がどれだけあんたの言葉に苦しめられてきたか、一度だって考えたことなかっただろう! 二言目にはいつも宗家、宗家……。所詮純血に敵うわけないんだ、宗家の人間の力は、化け物みたいなもんさ! それを……そんな化け物と比べて人を無能だ役立たずだ……。俺を何だと思ってるんだ!」
たがが外れたように、鷹由が泣き叫んだ。畳に立てた爪が、がりがりと傷を作る。
「俺はいつもあんたが憎くて……憎くて仕方がなかったんだ!」
呆然と立ち尽くす康臣の傍を通り抜け、鷹由は障子を開け放ち、その部屋を飛び出した。
「鷹由殿は、先程自ら本家にいらっしゃって話を聞かせてくださいましたよ、康臣殿」
止めを刺すように、叶が告げた。康臣は動かない。
「雅様と都佳沙様の、待機という名の"軟禁"、解いても異存はございませんね、康臣殿」
開け放たれた障子の傍、動かぬ康臣から視線を逸らし、叶は障子の外を見た。おどろおどろしいまでの赤が、空を灼いていた。
その赤へと向かい、叶は足を進める。
「……待て」
丁度、敷居を跨ごうとしたときだった。かすれた声で呼び止められ、叶はその男を漆黒の瞳で一瞥する。
「貴殿の命令を聞く義理はない。私に命を下せるのは、宗家の血族のみ。失礼する……」
前に進もうとして、叶は小さく息を呑んだ。僅かに目を見開く。
自らの体の、異変に気付いた。時を同じくして、隣からくつくつとかすかな嘲笑が上がった。
「……使い魔とは言え、元を辿れば妖よ。よく効くようだな、鴉」
「緊縛結界か、愚かなことを。私が戻らずとも、もうすぐ雅様たちの軟禁は解かれる。意味のないことは止めるがよろしかろう」
自らの体を、四方八方から糸で雁字搦めにするような圧力は、康臣得意の緊縛結界。叶は僅かに眉をひそめた。辛くはないが、鬱陶しい。
「意味のないということはあるまいよ。屋敷にもぐりこんだ邪魔な鴉の一羽、落とせば宗家も少しは肝も冷えよう」
畳に視線を落としたまま、康臣は尚もうすく笑っている。
「どの道、此度の一件で宗家はこの家を潰すのだろう。それならば、足掻くさ。一矢でも二矢でも報いてくれる」
着物の懐より、康臣は札を引きずり出した。
「宗家がお前や夢喰いを飼っているように、私にも可愛い奴がいてな。獣の肉を好む、少々乱暴な奴だ。銀では私しか飼っておらぬゆえ、今回は呼ばずにおこうと思っていたが、今となっては話は別」
取り出した札の縁を、反対の人差し指の腹に薄く滑らせる。と、細い傷が浮かび上がり、ぷくりと赤い血が溢れ出した。その血を、札の表面になすりつける。
「喰らってやるぞ、叶。貴様も、成瀬の夢喰いもな」
右の、人差し指と中指に札をはさみ、康臣はそれを口唇に押し当てる。
一瞬、まばゆい光がその部屋を灼いた。
*
一条の稲光が、闇を裂いて耀いた。
間を置かず、雷鳴。近い。
「最ッッ悪」
後ろ手に閉ざした玄関の扉に、その背中を預けて、姫架が悪態をついた。
色素を抜いた長い髪の先から、たつたつと雫が落ちる。
「でもまぁ、降り始めで良かったな」
玄関と、そこから伸びる廊下の電気をつけて、一馬は額に落ちてきた雫を拭う。
先程急に、雨が降り始めた。
昼間の青空が嘘のように、叩きつけるような雨と、雷。屋根や窓を今も打ち続けている。
公園からまたふらふらと歩き回って、ここに戻るまでの間、できる限り人通りの多い道を選んだことが幸いしてか、尾行の気配は感じたものの思ったほどの妨害はなかった。
この家を空けていたのは、たったの二日あまり。それなのに何故か、ひどく懐かしく感じた。
(色々なことが重なったからな)
スーツの上着を脱ぎながら、姫架に上がるように言う。
洗面所から持ち出したバスタオルを一枚、姫架に投げた。居間の扉を開き、電気のスイッチを押す。
「ゼータクモノ」
髪を拭きながら、姫架が言った。しげしげとあたりを見回している。
「二人で住んでるだけなのに、すっごくデカイじゃん。24歳の私立探偵さん」
「俺の稼ぎじゃないよ」
苦笑しつつ居間に入る。ソファーの上に電話の子機が置き去りにされたままになっていた。
これほど人気のない居間は、珍しい。寒々しい。
「姫、そういえば学校は?」
ソファーの上の子機を拾い上げながら、居間に入ってきた姫架に一馬は訊いた。
「自由登校って感じ。もう学祭も終わったし、受験一色だね。あたしは推薦で決まりそうだし、登校日に出てればいいんだ」
「え?」
「何よ、そんなにびっくりした顔しなくてもいいじゃない。失礼だなぁ……。これでも成績悪くないんだから」
どうやらよほど驚いた顔をしていたらしい。姫架が心外だとばかりに口を尖らせる。
ごめん、と一馬が素直に謝ると、ホントにねと笑って、姫架は空いたソファーに腰をおろす。
「じゃあ、進学か」
部屋の隅の充電器に子機を戻す。
「そう。女子大生。そそられる〜?」
「姫……」
わざとらしく色気を絡ませた声で言う姫架に、一馬は思わず溜息を零した。
「冗談だってばぁ」
けらけらと笑う姫架に、一馬はげんなりと肩を落とした。一度二度ならいい。しかし今日は一日中、「援交みたい」だの「犯罪っぽい」だの、言われ続けているのだ。いい加減げんなりもする。
「雅兄なら軽く、『うん、そそられるそそられる』って言ってくれるのになー」
ノリ悪いよ一馬兄〜、と姫架がつまらなそうに言う。それは雅の反応のほうがおかしいと思ったが、口には出さないでおいた。
「あたしもさ、雅兄と同じで、霊媒を本職にするつもりはないんだ。別に、本職にするのが悪いとかそういうわけじゃないんだけど。結構、あの業界狭いじゃない? そこに収まっちゃうのが嫌だって言うか。あ、でも別に、この力が嫌なわけじゃないよ。昔は、きらいだったけど」
傍らのクッションを抱きかかえて、姫架は少し、声のトーンを落とした。
「分家は、凄く強く宗家の管理を受けてるじゃない? ピラミッドの底辺と頂点、みたいな感じで。同じ苗字でも、その間には大きな山か深い溝がある。……まぁ、大きな家だから仕方ないんだけどね。あたしは、この力のお陰で宗家の修練場にも自由に出入りできて、雅兄や坊や、一馬兄と仲良くさせて貰って。特別扱いだから、逆に分家連中から色々言われて、一時期本当に辛かったけど……。今は全然そんなことないよ。あの頃本当に皆やさしくしてくれたから。感謝してるんだ」
ヤケになって修練をサボったり、時には八つ当たりなんかもしたけど。
慰めてくれたり、叱ってくれたりしてくれて。
「なんてねっ!」
しんみりした雰囲気はきらいだし、自分には似合わない。姫架はわざと明るい声を出して話を打ち切ると、立ち上がった。
「髪だけ異様に濡れたー。キモチワルイ。シャワー貸してー」
髪の先を引っ張りながら、姫架が居間を横切る。
「ああ、ここを出て左手の奥だから……」
説明をすると、扉まで辿り着いた姫架が振り返り、何かを含むように笑うと。
「覗いちゃヤだからね」
と言った。
「姫……!」
「冗談ですってばー。でも」
ふと、姫架が鋭い眼差しをこちらに向けた。
「ひとりでどっか行ったら、ダメだからね」
釘をさすように言い残して、姫架は扉を閉めた。
*
―――ひとりになっちゃだめだよ。
居間のテーブルについて、煙草に火をつける。
首に絡まりつくネクタイを、少し乱暴に緩めた。
姫架はおそらく、気付いているのだ。朝の電話の相手に。
―――成瀬さん。
妙に落ち着いた声が、耳元で言う。お元気そうで良かった。
―――実は私も最近、とても調子が良いんですよ。栄養がしっかり足りているからかな。
くすくすと受話器の向こうで相手が笑う。押さえても、押さえられないように。
しっかりと人の意識を喰っているからかな。相手は、そう言っていた。
―――けれど、これが当然の状態なんだろうな。どう思います、成瀬さん。
私たちは、人を喰らって生きるのが当然なのだと。そう思いませんか。
当たり前なんだと。
当然なんだよ、姫。姫がその力を持っているのは。
悪いことでもなんでもなくて、当たり前なだけだよ。
昔、自らの力を嫌悪する姫架に、そう言ったことがある。まだ自分が、夢喰いの力を継ぐ前のことだ。
慰めた言葉に、嘘はなかった。けれど今。
同じ言葉は、言えないと思った。
力を持つことが当然で、それが悪いことでもなんでもないなんて、もう思えない。
この力を正当化することなんて、出来やしない。
―――笑わせないで下さいよ、成瀬さん。
灰皿に置いたままにしていた煙草が、いつの間にか消えていた。
じっと、右の掌を見る。
―――貴方だって、糧を得ているからこうして、生きているんじゃないんですか。
それは、否定しようのない現実。
ここまで生き残ってきたということは、そういうことだ。喰ってきたということ。人を助けるふりをして。
この手に、体に宿った力で。
「……欲しくなんて、なかった」
掌で額を覆う。肌に触れる自分の指先は、つめたかった。
けれどこの力は生命だ。
父の、祖父の、そしてそれより昔の。脈々と継がれてきたものだ。
苦しみや悲しみを伝えてきた血。
憎みながら、それを捨てられなかった自分がいる。
―――終わりにしましょう。
雨音が、強くなったり弱くなったりを繰り返している。
―――待っていますから、来てくださいよ。私の新しい患者にも是非、会っていただきたい。
その一言が何より一馬を刺激した。その効果を櫛引は知っている。明らかな挑発で、明らかな誘いだ。
椅子を引いて、立ち上がった。
テーブルの上に乗せたままだった、少し濡れた上着をそのまま羽織る。
どうするかはもう、今朝のうちに決めていた。
居間を出、ふと左側を見る。つきあたりに洗面所とバスルームの扉が見える。
苦笑が自然と、口元に上がった。
姫架が、この状況に明るさをもたらしてくれたことは確かだった。必死になってくれているのは、凄く分かるんだけど。
ごめんね。
玄関に下り、ドアノブに手をかけたときだった。
左手が急に、後ろに引かれた。
「ダメだって、言ったじゃん」
左手に絡まりつく指は、熱かった。熱い湯に、さらされたあとの指だった。
苦笑と溜息とが、一緒に落ちた。肩の力が抜ける。
「姫……。いつの間に」
気配を感じなかったよ。
「なんだか、居間に入っていけなくて、ここの階段にいた」
玄関を入ってすぐ、右手にある階段。ここに座ってた、と姫架が言った。
「だめだよ」
姫架が繰り返した。少し強く、手を握る。
「櫛引のところに行くなんて、そんなの罠に決まってんじゃん」
消えそうな声が言う。先程までの明るい声とは、全く違う。
「明日にも、多分雅兄たち自由になるし。わざわざ危ないとこに行くことないじゃん。……雨、降ってるしさ」
大丈夫だよ、すぐカタがつくから、焦んないでよ。
「焦ってる、かな」
ドアノブに手をかけた体勢のまま、間の抜けたことを一馬は訊いた。
「そうだよ、らしくないよ……」
背中にかかる姫架の声は、何とか笑おうとして、失敗したような響き方をした。
見てもいないのに、泣きそうな顔が浮かんだ。姫架には、とても似合わない顔だった。
そうか、これは焦ってるのか。小さく頷いたまま黙っていると、沈黙を裂くように雷が鳴った。
激しい雨音にまぎれて、小さな嗚咽。更に強く、縋るように掴まれる左手。
「行かないでよ」
上擦った声が、一言、言った。
とても小さな声なのに、体に痺れるようなふるえが来た。
胸に、わけの分からない重いものが広がった。
「……そう、だな。きっと。明日か明後日には落ち着くんだろうな」
状況はおそらく、信じられないほど劇的に好転するのだろう。そして、丸く収まってしまう。数ヵ月後には、笑い話にもなるかもしれない。
「そうだよ……! だから……」
ドアノブから手を離すと、安堵を滲ませた姫架の声が背に届く。
ゆっくりと向き直ると、コンタクトを外したらしい姫架の漆黒の瞳にうっすらと涙が浮かんでいるのが見えた。
少し安堵したように、緩んだ口元。
掴まれていた左手をやんわりとほどいて、姫架の右肩を掴む。
ひくりと姫架の体が僅かにふるえた。
「一馬、に……」
少し怯えた目で見上げてくる。髪はまだ少し、濡れていた。
「姫」
うっすらと、自分の顔に笑みが浮かぶのが分かった。
怯える子どもを手懐けるような、無害な、大人の、卑怯な。
姫架は瞬きも忘れたようにじっとこちらを見ている。彫刻のように、体が強張っていた。
笑顔を浮かべたまま、持ち上げた右手を。
「ごめん」
姫架の額に下ろした。
右手が覆い隠してしまうその一瞬前に、驚きと恐怖で大きな瞳が更に見開かれるのを、見たような気がした。
強引に瞼を閉ざして、押さえつける。
一瞬、まばゆい閃光が奔った―――。
「かずま……に……」
かくん、と姫架の膝が折れた。
力を失って、前のめりに倒れる体を、抱きとめる。
細い指がきつく、上着に皺が出来るほどにきつく、腕を掴んだ。伸びた爪が、きっと腕に掻き傷を残している。
それぐらい、強く。
「どうして……よ……ぉ……」
掌の内側に、何か熱いものが触れた。瞳から溢れた、熱い雫。
腕の中で意識を手放す姫架に、もう一度言った。
「ごめん」
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