7.共 生
―――姫、待て。やめろ。
どうして。離してよ。
腕を強く後ろに引くのは、雅兄の手。
やめておけと、制する声。どうして?
離してと、強く腕を振り払う。だって、大変なんでしょう?
見舞いぐらいいいじゃない。何がいけないの。
振り切って、屋敷の一番奥の障子を開け放った。
時が、止まった。そう思った。
終わりかけの夏の名残。蝉の鳴き声や風鈴の音が、全て一瞬で消えた。その部屋には、時が存在しなかった。
その、時間の止まった只中にひとり、その人が座っていた。
障子の開いた音に、ゆるりとうなだれたその、重そうな頭を持ち上げる。
―――ああ、姫……。
どこかうつろな瞳が、こちらを見た。
やわらかく、ひどくやわらかくその人が微笑んだ。
どうしたの、姫。
幻じゃ、ないのかな。あたしは何度も、まばたきを繰り返す。
目を合わせていられなくて、あたしは視点を落とした。そして見た。
そのひとの、左の手首に、蛇のように白い包帯が巻きついているのを。
ほつれかけたそれからも目を逸らすと、また視線がからまった。
どうしてそんなふうに笑っていられるのか、あたしには分からない。
あまりにも無邪気すぎて、背筋を冷たいものが這い上がった。
この世界の汚れなど何一つ、知らない顔をしている。
ねぇ、一馬兄さん……?
名前を呼ぶと、ゆっくりと首を傾げてみせる。その動作はまるで、年端も行かぬ子どもの動きだ。
手、どうしたの。怪我したの。
―――手……? ああ。
今気がついたというように左手を持ち上げて、その内側を見た。薄暗い部屋の中で、病的なほどに目を引く、ほつれかけた白の包帯。
―――なかなか、うまくいかないものなんだね。
なに?
くすりと、口の端だけ、持ち上げて笑う。
―――ここを切っても、死ねるわけじゃないんだな。
ぼんやりと、そんなことを言う。不思議だなぁ。難しい。
あたしは、片方の手を障子にかけたまま、呆然とそこに立ちすくむ。残暑が厳しくて、物凄く暑いはずなのに。何も感じない。
ねぇ姫、不思議だねぇ。
呼ばれて我に返ると、そのひとがじっと、こっちを見ていた。
一馬兄さん。
そうやって呼ぶことしか、あたしに出来ることはなかった。言葉が何も出てこない。
どうしたの。ねぇ。
―――姫は、知ってた?
不自然に澄んだ瞳が、射抜くようにこちらを見た。
知ってたのかな、姫は。
その真っ直ぐな視線に、串刺しにされたような気がする。痛い。"逃げたい"。
責められているような気がした。
―――姫はこんな生き物のこと、知っていたんだよねやっぱり、銀の家の人間だから。
照りつける日差しが、セーラー服の背中に落ちてきているはずなのに。
寒かった。
―――"夢喰い"っていう生き物のこと、知ってた?
知っていて、みんなで秘密にしていたのかな。
知らないのはもしかして、俺だけだった?
ねぇ。姫。教えてよ。
立ち竦むあたしの腕を、強い力が引いた。
刹那、すべての音が生き返る。蝉がやたらうるさく鳴きだした。生ぬるい風が揺らす、風鈴の音がする。
だから言っただろう。叱るような、なだめるような声がすぐ傍でした。止めておけって、言っただろう。
あたしは、一馬兄から視線をずらして、ゆっくりとセーラー服の袖から剥き出しになった腕を掴む、生暖かい体温を見た。人の掌だ。
その腕をゆっくりと辿り、相手の顔を見た瞬間、あたしの中で何かがぷつんと切れた。
一瞬で、ばらばらと何か熱いものが頬を伝って落ちた。
見上げた雅兄のほうがなんだか傷ついた顔をしていて、ずるいと思った。ずるいよ。
ああ雅、と部屋の中から無邪気な声がした。ぞっとしたものが一瞬で足元から髪の先まで走って、あたしは掴まれた腕を振り払って、"逃げた"。
良く磨かれた廊下で、何度も滑って転びそうになる。どうしていいのかも分からないのに、涙だけがただ溢れた。
怖いんじゃなく、悲しいんじゃなく。
わけがわからない。どうすればいい。
あたしは何も出来ずに、現実を全部捨てて逃げることしか、出来なかった。
―――やめておいたほうがいい。
雅兄のその言葉をもう一度聞いたのは、あたしが髪を染め始めた頃だった。
―――姫、やめておいたほうがいいよ。お前がどれだけ、一馬を好きでも。
報われないよ。
好きにならないよ誰も、きっと。
ねぇ、雅兄。あたしはね、いいんだ。
別に、報いが欲しいわけじゃないよ。
だって仕方のないことじゃないの?
自分でも分からないけど、仕方ないよ、好きなのは。
今は前よりも随分、あの時が嘘みたいに笑えるから、笑って話せるから。
いいんだ。
それに、あたしは逃げたんだ。逃げたのに、今もずるずる引きずってるなんて、情けないし。今更資格なんてないよ。
言えないよ、とても。
好きだなんて。
1.
いつまでも、共に生きてゆくことを決められない自分のせいだ。
この無様な、醜態は。そのせいだ。
「それでね、雅兄があたし、坊が神田勝利にそれぞれ頼んだらしいの。考えることな一緒なんだね」
向かい側に座って昨日の出来事を説明する姫架の言葉を耳に流し込みながら、相槌を打つ。
馬鹿じゃん、って思ったよー。英要を中心にして三竦みだもん。でもねぇ、神田は結構いい奴だけどあたしはアガツマはきらい。
所望通りのキャラメルマキアートを片手に、姫架が自由奔放に話した。
そうだなぁ、吾妻先輩はマイペースな人だからね。
簡単な相槌を打ちながら、頭の半分を使って別のことを考える。
(この力は)
「今は始さんが動いてくれていて、密通者の尻尾を捕まえようとしてくれてるし。呉は呉で櫛引の行方を追っているって言うし。だからしばらくは、捕まらないようにしていたほうがいいと思うんだけど」
「そうだなぁ……」
(きっと呪いだ)
夢喰いの起源は化け物だと聞く。
科学的な根拠があるわけではなく、ただ代々夢喰いや霊媒の家系に言い伝えられてきたことだけれど。
その昔、今よりも妖が人の身近に存在した頃。
その異種間の交わりで、生まれた血なのだという。人よりも、妖よりも、弱い生き物が。
きっとそれは、呪いなのだ。
今でこそ霊媒の家と契約を交わせるような立場になってはいるが、昔はそれこそ霊媒師が使役する、使い魔の一派でしかなかった。
どうしてそんな血が今まで、伝えられてきたのだろう。
生き残ってきたのだろう。
「あれ。一馬兄、煙草なんて吸ったっけ?」
向かい側から声が聞こえてきて、ふと我に返る。気がつけば、無意識のうちに煙草に火をつけようとしているところだった。
「あ、ああごめん」
無意識の反射だ。
「え、いいよあたしは別に。どーぞ」
と、テーブルの隅の、鈍い銀色を放つ灰皿をこちらに押しやる姫架の指。
ごめんね、ともう一度断ってから、安っぽいライターで火をつけた。
癖だった。苛立ちや焦燥感、そのようなものを感じると手が伸びる。煙草に摩り替える前は、それは自傷行為につながった。
いつもは考えないようにしているのに、時々無性にいらだたしくなるのだ。
何故、生き残っているのか。そう、思うたびに。
―――成瀬さん、私たちはこうして、寄生して、生きてゆくしか。
それしか、道は残されていないといったのは、櫛引充だ。
この脆弱な生きものの生命をつなぐ方法などはじめから、それしかなかったではないか。
それに傷ついたなら、どうして死んでしまわなかったんです。
どうして今も、人を喰って生きているんです。
「そういえばさっきの電話さぁ」
煙草が半分ほど短くなったところで、姫架が口を開いた。
視線を合わせると、先程までの穏やかな眼差しではなかった。真剣な、真っ直ぐなそれ。声もどことなく堅い。
「だから言っただろ。依頼の話だったって。今は手が離せないからって、断ったってさっきも説明したじゃないか」
けれど姫架は表情を和らげないまま、右手だけ頬杖をついて、しばらくこちらをじぃっと見た。
そして、ふぅんと言って視線をずらした。納得していない顔だ。
我ながら、下手な嘘だと思った。勘のよい姫架でなくてもきっと感づくだろうに。
事務所を出ようとしたところで、電話が鳴ったのだ。
電話というのは鳴るのが当たり前のはずなのに、その時代物の黒電話が鳴り出したとき、やけに違和感を覚えてしまった。
静まり返った室内にかしましい音だけが響いて、しばらく呆然と電話機を見つめる。
でなくていいの? と姫架が促すから、ようやく受話器を取った。
―――こんにちは。
穏やかな声が、耳元で囁いた。こんにちは成瀬さん。
―――お元気そうですね。安心しました。
一体、何の用ですか。生憎と今、忙しいんですよ、俺は。
―――頑張って逃げてくださいよ成瀬さん。呉はあてにしないほうがいいですよ。もう少し銀を引っ掻き回すまで、動きませんよ。
もう切りますよ、忙しいと、言ったでしょう。
―――ケリをつけましょうか、もう。
耳から離しかけた受話器から、くすくすと笑い声。
決着を。
右の耳に、もぐりこんだのは誘惑だ。
終わりにしようか。
―――待っていますから、来てくださいよ。
とさりと、指の先から煙草の灰が落ちた。
「コーヒー、冷めるよ」
向かい側から声がした。もう姫架はいつもと同じ明るい歳相応の女の子の顔で、きょとんとこちらを見ていた。
「ああ、そうか」
いつのまにかフィルターの近くまで燃えた煙草を揉み消して、コーヒーカップの中に砂糖を投入する。と、目の前にもう一袋、砂糖が差し出された。
「要る?」
ほそい指だった。指から大幅にはみ出すぐらいに伸ばした爪は、赤い色でコーティングされている。
「一袋じゃ足りないんじゃないかと思って」
少し小馬鹿にするように姫架が笑っている。
なんだか情けなくなりながらも、それを受け取った。相変わらずなんだねぇ。
そうなんだよな、変わらないんだよこれだけは。
細長い紙袋の先を指で破って、黒い液体の中に投入する。さらさらと光の粒子のような、白い粒が落ちて、溶けた。
変わらないものもある。こんなふうに。
どんなに矯正を試みても、どうしようもない、こんな味覚のような。
変化したり消えたり、なくなったりしないものが。生きている限り。
この力は、生きている限り。
「ひとりになっちゃだめだよ」
持ち上げたコーヒーカップの中で、黒い波が少し揺れた。
「今は出来るだけ、ひとりにならないほうがいいよ。向こうは多分、力押しでくるんじゃないと思うし……。ある意味力だとは思うけど、使い魔とか使ってくると思うんだ」
「そうだね」
コーヒーを嚥下すると、何故か右の肩が痛んだ。確認はしていないが、多分青い痣が出来ているだろう。
なんだかとても、呆気に取られた自分がいた。
きっと、姫架はそんなつもりもなく言った言葉なのだろうけど。
ひとりになっちゃだめだよ。
君は本当になんというか、とても勘のいい子だな。
「それで、これからどうすんの? 特に予定がないなら、一馬兄の家に行ってみたいな。24歳が持ってる一戸建て」
「……嫌味みたいだぞそれ」
あははは、と笑って姫架が窓の外を見た。
「あ。おかあさん見て」
すぐ近くに座ってパフェを頬張っていた男の子が、姫架と同じように窓の外を見て、空のほうを指差した。
「電線のうえ。スズメがいっぱい」
導かれるように、窓の外を見た。張り巡らされている電線の、その上。
視界の端で、姫架の顔が少し、強張っている。
青い空に走る一本の黒い線の上に、びっしりと、小さな鳥がとまっていた。
2.
「坊ちゃん! 仁坊ちゃん、お待ちください!」
制止を振り切って、久しぶりに踏み込んだ屋敷の奥へ向かった。
ぎしぎしと足の下で廊下が軋む。
もう二度と踏み込むものかと思った家に、どうして今自分はいるのだろう。
目的の障子を、思い切り力を込めて開け放った。すぱぁんと、うつくしい音がした。
「騒々しい」
筆机に向かったまま、こちらも見ずに相手が言った。
「何の用だ」
目線も合わせないのは、端から話などする意志のない態度だ。
仁は、掴んだ障子の端に、知らぬうちにぎりぎりと爪を立てていた。
「あんたなのか?」
ようやく吐き出したその言葉に、ようやく腹違いの兄が顔を上げた。
まるでそこいらに落ちている石を見るような視線で、仁を見た。
「なんのことだ」
「分かってんだろ」
しばらく、視線が絡まって、それを先に外したのは呉覚だった。
「用がないなら、出て行きなさい」
「あんたなんだろ。しらばっくれるなよ」
「だから何のことだと聞いている」
苛立たしげに溜息をついて、覚が筆を置く。顔を上げた瞬間に、その胸倉を仁の腕が掴んだ。
しかし、路傍の石を見るような覚の視線は、揺らぎもしない。
「お前のっ……せいなのか?」
胸倉を掴んでいるほうが動揺して。声が揺れる。ゆびさきの感覚が少しずつ失われる。
吐き出す息が、何故か荒くなる。
「お前が、やってんのか?」
―――もう手の施しようがない。
そんなことを言っておきながら。お前が。
「どうする」
やけに冷たい手が、仁の腕を掴んだ。震えがくるような、強い力で。
「それならどうすると言うのだ」
炎のようなものが一瞬にして肌の内側で燃え上がるように、カッと熱くなった。
「お前っ……! 嫡男で、もう、全部手に入ってんだろ。それでなんで」
その熱が何故か突然、目頭までこみ上げてきて、息が詰まった。
「答える義理はないだろう。手を離せ」
「てめぇっ……!」
ばきり、と鈍い音が響いた。気がつけば、握り締めた拳で覚の左頬を殴っていた。
はっと我に返ったときにはもう、逆に胸倉を掴まれて強い力で殴り飛ばされていた。
背にした障子に音を立ててぶつかる。背骨がぎしりと鳴った。勢い余って、障子が外れて倒れる。
唐突過ぎるその攻撃に思わず口の中を切ったらしい。口の中に鉄の味が広がった。
(畜生本気で……殴りやがった)
「気は済んだか、仁」
口の端からあふれ出た血を拭っている上に、影が覆い被さった。
着物を少しも乱していない、腹違いの兄の姿だった。
「てめぇっ……! 殺してやる!」
ついに堪えきれずに涙が溢れた。こんなやつ。
こんなやつ殺してやる。
「私も同じだ。お前と」
「何……」
「殺したいと思う気持ちは、同じだろう。同じところから湧くだろう。―――憎いからだ」
憎いから、消してしまいたくなるのだ。目の前に存在することすら、許しがたくて。
「そんなの、エゴじゃねぇか! お前は知らないんだろ、俺たちが……どんな気持ちで今までっ……暮らしてきたのか知らないからそんな自分勝手なっ……!」
妾腹の子と後ろ指を差され生きてきた気持ちが、嫡男と育てられたお前に、分かるものか。
幼い双子を背に庇った姉の気持ちが、分かってたまるものか。
それで、そんなエゴは認めない。そんな、嫉妬のような感情は。認めない。
「それならお前が、私を殺せばいい」
9月の、まだ汗ばむ風の中。
その瞳がひたすら冷たい。
「……ふざけんじゃ……ねぇっ!」
震える拳を握り締めて、絵のように動かない兄の襟元をもう一度掴んだ。
殺すとか、殺されるとか、そんな簡単に……!
しかし、殴ろうと振り上げた拳は、途中で止まった。
涼やかなその顔を殴ったところで。きっと何も変わらないのだろうから。
この男の挑発に乗ってやるのは苦痛だ。
腕を、下ろす。
「……もう来ない。あんたには、もう会わない。姉さんもきっとそうだ。だからもう、やめろよ」
胸倉を掴んだ手を、ゆっくりと離した。
「この家はもう、あんたのもんだろ」
外れた障子を踏みつけて、廊下に出た。
綺麗に整えられた中庭の、池で何か魚が跳ねた。
兄は、何も言わなかった。
俺は何で、この家に生まれたんだろう。
元来た廊下を戻り始める。ひそめた声がそこここから聞こえた。
何を言われてももう、気にならなくなった。どうせさげすみの言葉は同じだ。
もう慣れた。
「仁……」
門を出たところで、傍の塀にもたれかかっていた木葉がこちらを見てかなしそうに眉をひそめる。
多分、先程兄に殴られた頬は、腫れているのだろう。
木葉は、呉の本家に来ると具合が悪くなるという。囁かれ続けた陰口と、陰湿な空気が、精神的な枷になっているのだろう。
だからついてくるなと言ったのに、それでも屋敷の外までついてきてしまった。
「冷やさないと、もっと腫れるよ」
「平気だよ、このぐらい」
「血が出てる」
「……あの野郎、本気で殴りやがって」
喋ると、口の端が痛む。その痛みが忌々しい。痛み自体より、それを誰によって与えられたかを思えば。
「本当に……、兄様がやってるの……?」
―――どうする。
「お姉ちゃんの……」
―――そうだとしたらどうすると言うのだ。
「お姉ちゃんの、病気……」
―――それならお前が私を、殺せばいい。
がつん、と石の塀に右手を叩きつけた。仁、と木葉の悲鳴が少し遠くに聞こえる。
右手の横で、何度も。
どうすればいいのかわからない。
何を一体どうすればいいのか。
殺すとか、殺されるとか。そんな言葉、聞きたくもない。
「仁、やめてよ」
右腕に木葉が縋りついた。灰色の石の壁にいつのまにか、血がぽつぽつとついていた。
「もうわかんねぇ……」
嗚咽を噛み殺して、木葉は震えていた。
*
「英要」
廊下で突然、フルネームで呼ばれて振り返る。
「次、お前自習だろう。ちょっと来い」
担任の真堂迅だった。
片手に世界史の教材一式を持っているということは、今授業が終わったばかりなのだろう。
「え、でも……」
「平尾には言っておいたから」
平尾とは、副担任の名前だ。次の授業の現代文は自習で、平尾が監督に来ることになっていた。
「分かりました」
頷くと、手招きされた。彼の向かう先は、おそらく社会科の資料室だろう。
その予想は見事に当たった。
「まぁ、座れ」
学校によくある、教職員用の事務机と、揃いの椅子。その傍にパイプ椅子を持ち出してきて、真堂は言った。
言われたとおりに、要はそのパイプ椅子に座った。
「大丈夫なのか」
開口一番、真堂が言った。
「始から連絡が来たんだ。お前はちゃんと学校にきてるか、ってな」
「あの、見ての通り、僕は何ともないんですけど……」
とりあえずまず、結果から告げた。僕は何ともないです。元気ですけど。
「そうらしいな。別段顔色が悪いわけじゃなし……。で、お前昨日はどうしたんだ?」
「昨日は、カズマの大学の先輩の、吾妻さんっていう作家さんの家にお世話になりました」
「そうか」
「勝利が一緒に泊まってくれて。あと、銀姫架さんっていう人に色々教えてもらいました」
「おお、姫か。雅の奴も咄嗟とはいえいい人選だな」
なぜだか嬉しそうに真堂が笑った。スーツの内側からソフトケースの煙草を取り出して、火をつける。
「神田も、いい奴だなぁ本当に。どおりであいつの家の蕎麦が美味いわけだ」
あんまりそれは関係ないと思うけど、とは思ったが、真堂本人がとても納得しているようなので、口は挟まなかった。
それに、勝利がいい奴なのは本当のことなので、要は素直にはいと頷いた。
「姫架さんは、分家の人だって言ってましたけど……」
「ああ。姫はな。確かに分家の出だよ。しかも、かなり末流の。本当はあんまり宗家とも近づかないような家系だな。だが、あいつは特別なんだ」
ガラス製の灰皿を手元に引き寄せつつ、真堂が紫煙を吐き出した。
「おおっぴらにすることでもないが、隠すことでもないな。あいつは100年に一度出るか出ないかっていう、珍しい力を持っていてな。そのおかげで宗家の修練場で都佳沙なんかと一緒に腕を磨いたんだ。分家からのやっかみも随分買ってな。おかげで随分勝気な性格になったもんだ。でもそのおかげで雅や都佳沙、一馬なんかとは随分前から親しくしていたみたいだけどな」
「そうなんですか」
銀姫架。その面影を思い出す。
どう見ても、街にいるような女子高生にしか見えなかった。ただ、強烈な色を放っているとは思った。
溶け込まない。染まらない。他のものと"同じ"にはならない。
自分が、似合うと分かっているからそういう格好をしているのだと思った。
格好いい。
「でも、意外だったな」
人差し指と中指の間に煙草を挟んだまま、真堂が言った。
「もっとお前、参ってるかと思ったんだがな」
要はきょとんと、何度かまばたきを繰り返す。
「お前、心配だろう?」
一馬は生命を狙われているんだぞ。昨日から連絡つかないんだろう。
きょとんとしている要に、真堂が怪訝そうな顔をした。
手が、無意識に胸元を探った。その内側に収まっている堅い、携帯電話の感触を確かめる。
「それは、心配じゃないって言ったら、絶対に嘘になるけど……」
俯いて、リノリウムの床を見た。顔の半ばまで髪がかかる。
「カズマは確かに間が抜けてるところがあるし子どもみたいだし、だけど、結局はひとりでなんでも出来るんだって、本当は僕が一番知ってるから」
「英……」
「僕も、何か出来ることがあるならしたいけど。今一番出来ることが自分の身を安全にしておくことなら、それを全力でやるしかないんだって思って」
自分の力の及ぶ範囲を、知っておくこと。
出来ること出来ないことを、分かっておくこと。
それが本当に、自分を知っているということだ。
「そうか」
煙草を揉み消して、真堂が声を上げて笑った。
突然笑い出したので、何事かと要は俯かせた顔を上げる。
「そうだな。もう3年だな。すっかり忘れてた」
大きな手が、まるでもぐらたたきをするように頭に落ちてきた。栗色の猫っ毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
「先生……!」
「3年経てば、人も変わるよな。格好よくなったな、英要」
あの頃は。
誰かに庇ってもらうことばかりを考えた。
自分は特殊で、守られるべきなのだと。
漠然と思っていたのかもしれない。
「そうだな。相手の心配ばかりしていられんか。下手をすればお前も標的になりうるってことだしな。一馬はああ見えて結構図太いから平気だろう。お前も気をつけろよ。出来るだけひとりになるな。毎日蕎麦食いに行く約束でもして、神田と遊んでもらえ」
「遊んでって……」
小学生じゃないんだから。
「まあいいや。授業に戻れ。今日の現代文のプリントは提出だからな」
「え!? 早く言ってくださいよそれ! あ、あと30分しかない!」
壁の時計を見て、要は勢い良く席を立った。
「あ。あの時計5分遅れてるぞ〜」
あわただしく社会準備室を出てゆこうとする要に、真堂はあえて追い討ちをかける。
「失礼します。ありがとうございました!」
扉を締める一瞬前に、通る声で言って、出て行った。
心なしか早足の足音が遠ざかってゆく。
「全く。格好よくなったな本当に」
初めて会った頃は、目の奥にどうしようもない怯えがあって。
この繊細な子どもは、家の外で生きていけるのかと、不安に思ったこともあったが。
「俺の取り越し苦労だったな」
苦笑して、真堂も席を立った。
3.
「……どうするの?」
「……とりあえず、人のいないところにいったほうがいいんじゃないか?」
「それってさ、罠の可能性が高くない?」
「そうだけど、これ以上このままにしておくわけにも……」
ギチギチギチギチと、あまりうつくしくない鳴き声が常に耳に聞こえている。
小さな鳥でもたくさん集まれば、気味の悪いものだ。
「銀に、鳥を使える人間なんて、いたか?」
喫茶店を出たすぐ先の、張り巡らされた電線にはびっしりと雀が連なっていた。
「……いる。あんまり良く知らないけど、鳥って言うか、動物を使役できるのが」
出来るだけその鳥の群れに目をやらないようにして、姫架が言った。
軽く頷いて、一馬は右側に歩き始めた。
「ちょっ……、一馬兄……! どこに行くのよ?」
「この先に、人気のない公園がある」
姫架にそう告げる間も、小さな翼が連なって羽ばたく音が背中に刺さった。
「……ね、走ったほうよくない!?」
軽やかな足音が、後ろから一気に一馬を抜き去った。長いベージュの髪をなびかせて、セーラー服の背中が徐々に遠ざかる。
「ひ、姫! ずるいぞ!」
叫んだところで、ざぁああっと一気に雀たちが電線から舞い上がった。
「怖い怖い怖い〜っ!」
交差点を突っ切って、住宅街を横切る間、姫架はずっと叫んでいた。
「怖いって、雀じゃないか」
「何でそんなに冷静なの!? 怖いでしょ!? 小さな雀だってあれだけ大群になれば!」
「いや、それはそうだけど、姫は怨霊とかと平然と対峙してるのに、おかしいと思って」
「自分が狙われてるのに平然としてる一馬兄が分かんない! あたしにはあの雀のほうが怖い! 対処の仕方分かんないもん!」
なだらかに下る坂のせいで加速がつく。
そんな会話を交わすうちも、背後には常に雀の鳴き声と羽ばたきが聞こえていた。
ひゅ、と風を切る音が耳のすぐ傍で鳴った直後、ピッと頬に鋭い痛みが走った。
小さな黒い影が、地面すれすれでまた急上昇してゆくのが見えた。雀?
「一馬兄! 頬、切れてる!」
振り返った姫架が叫んだ。右頬を伝い落ちる生暖かい液体を左手で強く拭うと、手の甲に赤い色がついた。
ざっ、と足が砂利に踏み入れる。
真っ直ぐ一本に続く砂利道の傍に松の木が連なっている。その向こうに大きな池の水面が見えた。
人影は、ない。
数歩公園の中に踏み入れて立ち止まると、おそろしいほどの静寂が満ちた。
ぱさぱさと軽い羽ばたきが、頭上でくるりくるりと旋回する。
仰ぎ見ると、小さな鳥の影が大小違う輪を描いていた。
「……どこ!?」
どん、と背中に何かがぶつかってきた。姫架の、背。
肩越しにそちらを振り返ると、姫架がセーラー服の内側から札のようなところを抜き出すところだった。
灰の瞳をめぐらして、何かを探っている。
「どこで、操ってるの!?」
「近くに……いるのか?」
「目の届く範囲ぐらいでしか、操ってられないはずなの! 待ってて。今結界を……」
「ああ。……?」
ふと。気がついた。
頭上の羽ばたきが一瞬で、止んだ?
異変を察してふたり同時に空を仰いだ。
空を旋回していた黒い小さな影が無数の弾丸のように、急降下してくるところだった。
「姫……!」
咄嗟に一馬は、姫架を懐に庇う。
一瞬。
ギャァ、としか形容できない鳴き声が、突然耳元で聞こえた。顔に、影がかかる。
ばさばさという激しい羽ばたきが耳に届き、顔の傍を、黒い羽根がはらはらと落ちた。
「叶!?」
腕の中の姫架が先に、その黒い影の名を呼んだ。
蜂の子を散らすように、雀が散り散りに飛び去る。
その羽ばたきが聞こえなくなったところで、黒い影がぱさりと砂利に降りた。
「ご無事で何よりです。成瀬殿」
標準よりも少し大きめの鴉が、黄色い嘴を開いてそう言った。その声は、ひどく淡々としていた。
「叶……か。ありがとう、助かったよ」
胸を撫で下ろし、一馬は足元の鴉に向き直る。
「いいえ。これも主に申し付けられたことですので、成瀬殿に礼など言っていただかなくても結構」
しかし、相手の反応は至極冷徹だ。
礼ぐらい、素直に受け取ってくれればいいのに、と一馬は苦笑する。
このドライな鴉の姿を見るのも久しぶりだ。銀の直系にのみ使役される、"叶"。鴉の姿をとってはいるが使い魔だ。
彼は、銀宗家の人間の命にのみ、従ういきもの。
「主……ってことは……」
「私は今は、始様の命で動いております。その命の中には、成瀬殿の身の安全を守ることも組み込まれておりますゆえ、私は当然の事をしたまで」
「始さんが……」
物静かな面影を思い出す。一回り以上歳の違う、雅の兄。おさない頃から良くしてもらってきた。
「分家の筆頭である康臣の動きのはやさを、当主は怪しんでおいでです。私は康臣の情報源を探るべく、現在は諜報活動を。あと一歩というところですので、今はどこかで静かにお過ごしになることをお勧めいたします。成瀬殿には"呪い"は効きませんから、外界の衝撃にのみ神経を集中させていればよろしいかと」
たとえば今のような、生き物を使役させる方法や、私のような使い魔の攻撃に。
あとは、物理的な「暴力」。
「出来るだけ、外にはお出にならないように。それから、決しておひとりになられますな。姫架殿がいらっしゃるのはちょうどいい。姫架殿のほうが敏感に、使役の術や使い魔の空気を察知するでしょうから。一日二日とかからぬうちに、雅様と都佳沙様の謹慎も解かれるはずですので」
温度を感じさせない口調で叶が告げた。
"ひとりになられぬよう"。
「……そう、だな。ありがとう」
「仕事です」
最後まで淡々と言い放って、ばさりと叶がその黒い翼を広げた。
「では、私も多忙の身ゆえ、失礼いたします」
重さを感じさせずにふわりと舞い上がると、空中で何度か羽ばたき、幻のように掻き消えた。
「相変わらずだねー、叶ってば」
乱れた髪を手ぐしで直しながら、姫架が苦笑する。
「そうだな」
叶が消えた虚空を見つめたまま、一馬は曖昧に相槌を打った。
「とりあえずじゃあ、家に戻ったほうがいいね」
取り出したままだった札を懐に仕舞いこみながら、姫架が公園の出口に向かって歩き出した。
耳元で、繰り返す。
―――ひとりになっちゃだめだよ。
言葉。
―――成瀬さん、待っていますから。待っていますから、来てくださいよ。
ケリをつけましょう。
4.
「あれ? 要は?」
放課後。教室の扉を開けてその中を見渡した勝利が、誰ともなしに訊いた。
「ああ。要ならHRが終わるなり用があるって帰ったけど……」
「ええぇ!?」
掃除当番から戻ってきた勝利は、応じてくれた男子生徒のほうを向いて、情けない声を上げた。
地団太を踏むようにして、苦いものを食べた顔をして叫ぶ。
「なんだよ、恩知らず!」
「俺に言うなよ勝利……。何が恩知らずだよ」
「もういい、俺も帰る!」
づかづかと教室に踏み入るなり、勝利も自分の荷物をまとめ出す。
「おい勝利! 文化祭の準備……」
「ちょっと神田あんた! 逃げるつもりじゃないでしょうね!?」
リュックに荷物を詰め込む勝利に、クラス中から非難の矢がごうごうと飛んできた。
「俺も急用だ! 失礼する!」
「嘘つけ裏切り者っ!」
ごうごうの非難を跳ね返す勢いでリュックを背負い、勝利はがらがらぴしゃりとクラスの扉を閉めた。
「なんだよ全くもう。失礼しちゃうなぁ!」
風を切る勢いで昇降口へ向かいながら、ぷりぷりと勝利はひとりごちる。
ひとりで勝手に帰るなんて、他人行儀な。多分あいつのことだから、これ以上迷惑はかけられないとか思っているに違いない。
それこそ迷惑だっていうんだよ。
―――おい神田。
たったさっき、非常階段を掃除していた勝利を、担任の真堂が呼んだ。屋上近辺を「適当に」掃除していた勝利は、踊り場からこちらを見上げる教師の姿にびくっと背筋を伸ばす。
ナンデスカ先生。
―――英から聞いたぞ。面倒見いいな、お前。
さぼりを叱責されるわけではなかったようで、勝利はほっと胸を撫で下ろした。
そして、現実を思い出す。今、おかれている状況のことを。
まぁ、成り行き上といいますか。だって友達だし。
そうだよな。友達だもんな。
踊り場からこちらを見上げて、真堂が笑った。
―――なぁ神田。もうしばらく英要と仲良くしておいてくれよ。なんだかんだ言って、大変だろうから。
ひどく、大人の顔をして担任が言った。下からこっちを見上げているくせに、上から見下ろすような態度で。
お前も、英要から聞いてると思うけども。あいつは3年で随分変わったと思うけども。
それでもあいつにとって、一馬はきっと特別なんだろうから。
心配だと思うんだ。
そんなの。
反射的に言い返した。そんなの、俺は百も承知なんだよ先生。馬鹿にしないでよ。
俺は友達だから、先生にそんなこと頼まれなくても。
困ってるなら助けるんだよ。
みくびらないでよ。
階段掃除用のモップを持ったまま、言い返す。これ以上馬鹿にしたら、これで殴るよ。
殺気すら滲ませて言った。そういうふうに頼まれることが既に、見くびられているんだと思った。
信じられてない。屈辱だ。
悪い、と素直に担任は謝った。悪かった。
「なのになんだ、要の馬鹿!」
みずくさい。
勝利は、廊下を走るなという学校の鉄則を綺麗さっぱり無視して、階段を駆け下りた。
*
文化祭まで2週間を切っている。
今日から授業は5限までで切り上げられて、あとは文化祭の準備に宛がわれることになっていた。
いつもよりも1時間も早く、学校を出た。
今日はとりあえず真っ直ぐ、吾妻のマンションまで帰るつもりだった。
やりたいと思うことなら、それこそたくさんあるんだけど。
家に戻ってみるとか事務所に顔を出してみるとか。
けれど今は、おとなしくしていたほうがいいのだ。絶対。
(なんだか、いらいらする)
自分のキャパシティを超えることはしない。限界を知る。それが、自分を知ることだとは言っても。
なす術もなく防御体勢で、嵐が過ぎるのをひたすら待っているのなんて。
もどかしいじゃないか。
「英くん」
聞きなれない声が耳にもぐりこんできて、足元を見ていた顔を上げた。
数メートル先の、校門の外。見たことのないスーツ姿の男が二人立って、こちらを見ていた。
なんだか、妙に二人とも似ていた。中肉中背の、あまりこれと言った特徴のない顔。
「英、要くんだよね?」
一歩、片方が学校の敷地内に足を踏み入れた。
こちらは反射的に、足を止める。言葉では説明の出来ない予感がした。
近づいては、だめだ。
「少し、話したいことがあるんだけど、一緒に来てくれないかな」
校門から先は、石畳になっている。学園の敷地には何故か緑が多いが修恵学園も例外ではなくて、昇降口のあたりまでイチョウの並木が続いている。
風が吹いて、その枝ががさがさと鳴った。風がやけに、冷たく感じる。
問答無用で門の中に入ってきて、こちらに近づいてくる。づかづかと。不法侵入のような凶悪さで。
いつのまにか、周囲の音がすっかり消えていることに気がついた。
今までひっきりなしに何処かから聞こえていた、ベニヤ板を打ちつける音とか放課後特有のざわざわとした声とか、文化祭の準備期間だというのに大会に向けて練習を重ねる部活動の音とか。
一切の音から切り離された空間に、いつのまにか投げ出されていることに気がついた。
周囲から空間を切り離すこの力を「結界」と呼ぶのだと、まだ知らずにいた。いつのまにかその術中に、捕われていたことも。
ただ。
自分と他人との境界に無遠慮に踏み込まれたことだけはやけに鮮明に分かった。
体が動かないのは、相手に見えない力で押さえ込まれているからだ。
精神的威圧。
この感覚は覚えている。
「おとなしくしてくれれば、危害は加えないから」
いつのまにか傍にきていたその男が、また無遠慮に片方の腕を掴んだ。その手からまるで電流のように、何か得体の知れないものが入ってきた。
蛇のように、体中の毛細血管を駆け巡って脳に至るような。
この感覚は覚えている。思わず息を止めた。
外側から凶暴な回避不可能な見えない「暴力」で、人を屈服させる力。
覚えている。思い出したくない。
(いやだ)
瞬きを忘れた双眸が、ひりひりと乾きを訴える。
「じっと。そのまま楽に」
"侵される"。
強引に侵略して、掻き回して屈服させられる。こんなのは。
(嫌だ……)
あの頃と同じだ。
もう片方の手が、ゆっくりと近づいてきて、額と目とを一緒に覆い尽くそうとする。
刹那、何かが"切れた"。
ばちん、と電流が発するような音を立てて、要の体からスーツ姿の男が弾き飛ばされた。
空を舞い、数メートル後ろに背中から放り出される。強く叩きつけられ、苦しげに咳き込んだ。
「要!」
玄関から飛び出してきた勝利が、要の背中に叫んだ。一瞬で、事態が異常だと悟った。
「要、大丈夫かよ!?」
駆け寄って、後ろから両肩を掴んだ。要は俯いたまま、動かない。風もないのにその髪が、さらさらと揺れていた。
「お前ら一体何……」
「……うるさいな」
まだ地面に座り込んでいる男と、校門の傍で呆然としている片割れに向かって勝利が怒鳴りつけるのを、すぐ傍で静かな声が遮った。
「要……?」
怪訝に思って勝利が呼ぶと、返事の代わりに肩を掴んでいた両手を振り払われた。要の手で。
呆然とする勝利など気にも留めず、要はゆっくりと俯かせたその顔を上げて、地面にへたり込む男を見据えた。冷えた双眸で。
「折角1年も、静かにしていたのに……」
すぅっと目を細め、要は来訪者二人をなぞるように見た。
「お前―――いったい、なにものなんだ―――」
要に催眠をかけようとしていた男が、石畳に無様に座り込んだまま、腹部を押さえてうめいた。
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