1.神の子

 どうぞ。差し出される真っ白な聖服に、導かれるまま袖を通す。
 白装束は、神聖なものなのだろうか。
 結婚式も、白い服。
 死ぬときも。
 死とは、神聖なものなのだろうか。
 分からずに目を閉じると、上から水を降りかけられた。
 ただの水じゃない。聖水。そう呼ばれていた。
 そのうちに、押し当てられた大きな掌が、額と目を一緒に包み込んだ。
 目を閉じてても、暗くなったのが分かった。
「要様」
 呼ぶ声が聞こえた。同時にスッと、意識が遠退く。
 今日もまた、繰り返すんだ。
 一体いつまで続くのだろう。

 死ぬまで?


            *


 足の裏に上質の絨毯の感触。乱暴に歩いているはずなのに、足音はすっかり吸収されてしまっていた。
 異様に広いくせに、人気はあまりない。まるで入ってはいけない場所に踏み込んだような錯覚。
 その上、先程の対面が引きずった不快感を、今尚消化出来ずにいる。

 玄関で英要という少年とであったあと。
 一馬は、柴浦という男に連れられ、依頼人である英秀一郎の待つ部屋へと通された。
 客人とはいえ歩かせるところが、相手の強気な態度を象徴している。
 成瀬様をお連れしました。
 扉を開くなりそう言うと、柴浦は下がってしまった。取り残されてどうすればいいかわからない一馬に、部屋の主が来客用のソファーを示した。
 鼻の下に髭を蓄えた、厳格そうな紳士が一人立っていた。
 彼が英秀一郎なのだろう。
『ご足労、感謝する』
 向かい合わせるようにソファーに沈み込んだ英氏がはじめた。
 口先だけの感謝だということが、口調の固さから伝わってきた。向こうもきっと、若すぎる来客に戸惑っているのだろう。
『成瀬一馬です』
 名乗ると、英氏はゆっくりとひとつ頷いて見せた。
『銀氏から話は伺っている。早速だが頼みたいことがある』
 単刀直入だった。その態度からは、人に命じなれているということが伝わってきた。拒絶を前提としていない態度。
 英氏は、内ポケットから取り出した名刺を机の上に置き、一馬の方へと滑らせた。

 聖ゴート教会会長 英 秀一郎

『私の息子のことなのだが』
 一馬がその名刺を手にとるのを合図に、再び英氏は口を開く。
『一人息子で、名は要。年は今年で13になる。私の教会では司祭のクラスにいる』
―――英 要。
 一馬の脳裏に浮かんだのは、先程出会った少年のことだった。品のよい猫のような。
『近頃、夜中にふらふらと彷徨いだすことが多い。本人にはその記憶はない。同志たちも奇妙に思っているようだ。その調査を頼みたい。銀始氏からの紹介ということで、信頼している』

―――取り敢えず君にはあの子の家庭教師として接してもらいたい。気難しい子だから、大変かもしれないが。

 そこまで思い出して、一馬は眉間に皺を刻んだ。
 次の会合があるからと早々に部屋を追い出されたことも癪に触るが。
(自分の子供のことなのに、淡々としたもんだな)
 相手の至極偉そうな態度もさることながら、そのことが妙に引っかかった。
 心配だと、一言もいわなかったし、態度にも出さなかった。
 巨大な組織の頂点に立つ者は、仕事と私情とを切り離して考えるとは言うが。自分の子供でもそうなのだろうか。
 他人の家庭に首を突っ込むつもりは毛頭ないが、居心地は良くない。初仕事からこれでは、あまり自分に厳しくない自分のことだ。すぐに挫けてしまいそうで気が重くなった。
 生き残ることを、選んだのに。
 毛の長い絨毯が敷き詰められた廊下を来た順に戻りながら、深々とひとつ溜息をついた。

 玄関まで戻ってくると、何やら辺りが騒がしくなっていた。
 重なって、声に聞こえなくなったざわめき。
 無意識のうちに吸い寄せられた視線が捕らえたものは、白い礼拝堂だった。その入り口に、人だかり。
 しばらく見つめていると、礼拝堂の白い扉が開き、神父姿の男たちが二人、群がる人々を中に招き入れた。
「成瀬様も如何ですか」
 不意に後ろから声が聞こえて、一馬は大げさに振り返った。一瞬止まった心臓が、今度は早鐘のように打ち始める。
 振り返った先にいたのは、先程一馬を秀一郎の元へと案内してくれた柴浦という男が立っていた。大げさな一馬の態度にも、眉一つ動かさない無表情ぶりだ。
「えっ……と、何が始まるんですか?」
「祈りの時間です」
 げっ。心の中で一馬はうめいた。宗教というものにあまり重きを置いていない一馬である。ただでさえこの敷地内の雰囲気に飲まれているというのに。
 宗教的な儀式に溶け込めるはずが無い。
「要様がいらっしゃいますので。ちょうど良いかと」
 しかし、柴浦の口から零れた名前で、気が変わった。
 英要。あの少年がどうしてこの教会で司祭という位に就いているのか。そして夜毎、彼が彷徨う理由はなんなのか。
 なんにせよ、直接この目で見てみなければ分からない。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
 覚悟を決め、一馬は礼拝堂の方へ歩き出した。


            *


 礼拝堂の中央には、ひとつの大理石の椅子が置かれていた。中世ファンタジーに出てくる玉座のような、巨大なもの。
 そこに、純白の聖服に身を包んだ要が座り、目を閉じている。
「皆様、ご着席を」
 後ろ手に礼拝堂の扉を閉めた柴浦が促すと、ぱらぱらと立っていた人々が長椅子に腰掛ける。一馬もそれに倣った。
 礼拝堂内がしんと静まり返ると、玉座のような椅子に座る要が、うっすらとその目蓋を持ち上げた。
 色素の薄い茶色の瞳が今は、黄金の光を湛えていた。
 ぞくりと這い上がるものを感じた。全身の毛が逆立つような、粟立つような感触。震えが来た。
 目が合っているわけでもないのに。その目の力に縛り付けられたように、動けない。

 要の足元から真っ白な光がドライアイスのように溢れ出してくるのを、一馬は見た。
 力の奔流がやがて、強い風となって吹き付けてくるのを感じた。
 目がくらむほどの、圧力で。


            *


 ぷはぁ。
 目の前に白い煙を吹きつけられて、一馬は我に返った。一瞬遅れて激しく咽る。
「何するんだ、お前は!?」
 げほげほと、不用意に吸い込んでしまった"人様の煙草の煙"に咽ながら激しく抗議する。
「お前が"あっちの世界"に言ってたから引きずり戻してやったんだろうが。感謝されこそすれ、抗議される覚えは全く無い」
 人の顔に無遠慮に紫煙を吹きかけておきながら、目の前の男は至極偉そうな態度を崩そうともしない。
 あのあと一馬はこの男に呼び出されて、顔なじみの居酒屋に連れ込まれたのだ。
「凄かったか。『神の子』は」
 短くなった煙草を灰皿に押し付けて、昔馴染みである銀家の次男、銀雅は訊いた。
 問われて、一馬は黙った。特に言いにくいことがあるわけでもないが、今日感じたあの感覚を、上手く表現する言葉が出てこない。
 あれからどうやってあの敷地を出たのかもおぼろげなのだ。
 それだけ受けたショックが大きかったと言っていいだろう。
「正直、驚いた」
 とつとつと、一馬は始めた。テーブルの上に置いた手に視線を落とす。視界の端で、雅が新しい煙草に火を点けたらしい、オレンジ色の小さな光が見えた。ホタルのように、薄暗い照明の中に点滅する。呼吸のように、規則的に。
「俺が持ってる力はお前と違って、"霊感"とは少し違うから、霊的なものをはっきりと見ることは出来ないけど。もちろん、普通の人よりはあるとは思うけど。だけどあれは……」
 逆接だらけの表現を使う。酷く遠回りで、まどろっこしい。ぴったりの言葉が見つからなくて、色々な言葉を繋ぎ合わせて。
 けれど、そうすればするほど、本当に伝えたいことから遠ざかってゆくような気がする。その矛盾。
「足元から、物凄い力が立ち上った。それは見えた。真っ白な光……」
 強烈な、それでいて神聖なオーラだった。穢れたもの全てを焼き払うような。
「色々と、あそこの家について調べさせてもらったんだが」
 一馬が黙ってしまったのを見計らって、雅が口を切った。
「あそこの家系に霊能力を持った人間はいないらしい。だから、その要少年の力は、遺伝的なものじゃなく、突発的に現れたものだということだな。それで、その要少年は、何かしてくれたのか?」
「何か?」
「彼が『神の子』と呼ばれるに足る、奇跡だよ」
「……骨折した腕を、治してみせた」

 おずおずと、参列者の中から進み出た一人の男が、要の前に跪いた。
 2日前に折ったのだという、ギブスと包帯とでぐるぐるになった腕。
 椅子から立ち上がった要がそこに触れて、ゆっくりと撫でた。一馬には、掌から迸る白い光が見えた。
 次の瞬間にはもう既に、腕はすっかり治っていた。

「……なるほどな。力が強い奴には、出来ないことじゃない。気功などの応用も必要になるが、不可能じゃない。まぁ、俺たちが今考えているのは、英秀一郎がインチキで宗教やってるかどうかじゃないし」
 空になった煙草のソフトケースを指でびりっと破りながら、煙草を銜えたままもごもごと雅が言った。
「確かに、英要って言う少年にはその力が存在して、それによって癒されているひとがいて、信じている奴らがいる。宗教ってのはそんなもんだから、誰も責めたり出来ない。問題なのは、何でその少年が、夢遊病のようにふらふらと夜毎、彷徨いだすか、って言うことだ」
 雅の兄、銀始によると、あそこの敷地の中に、霊的な作用は一切感じられなかったとのことだ。
 だからつまり、要が何かに"憑かれて"、ふらふらと彷徨っているということではないのだ。心の問題。
 それで一馬にお鉢が回ってきたというわけだ。
「お前、その子に会ったんだろう。何か感じなかったか」
 改めて訊かれて、一馬は黙り込む。
 変わったところなんて、無かった。普通の13歳の少年だった。
 女の子のように酷く愛らしい、礼儀正しい子だった。
「ただ……」
 ほんの少しの違和感が引っかかって、一馬は付け足した。ぴくりと雅が眉を動かす。
「普通のときと、"おいのり"のときとじゃ、全然雰囲気が違ったな」
 存在感というのか、そういうものが。
 普通の13歳の少年の柔らかさから、研ぎ澄まされた、威圧的な聖者に。

「まるで別人みたいだった」


            *


 うっすらと瞳を持ち上げると、見慣れた天井だった。
 ああまた、お祈りのあとに倒れたんだろうな。おぼろげな意識の中で、それだけが分かった。
「お気づきですか、要様。ご気分は」
 むくりとベッドの上で体を起こすと、傍について本を読んでいた高橋という初老の執事が顔を上げた。
「……悪くないです」
 決して良くも無いけれど。
「それはようございました。それではわたくしも下がらせていただきますが、何かお持ちするものなど、ございませんか」
「ないです。ありがとうございます」
 早く出て行ってくれないかな。要は心の中で思った。
 ひとりになりたい。
 高橋は嫌いじゃないけれど、今は他人の温度が邪魔だ。
「ああ、要様」
 ようやくドアのところまで言った高橋が、振り返った。
 なんだよ。過敏になった精神が、その小さな行動を不快として認識する。
「明日から、新しい家庭教師の先生がいらっしゃいます。くれぐれも悪戯だけはなさらないようにお願いしますね」
「家庭教師?」
 俯かせた顔を持ち上げて、高橋のほうを見た。
 そう言えば、この間まで来てくれていた30歳ぐらいの女のひとが、気味悪がって辞めたって、噂になっていた。
「若い人?」
「ええ。今年で21だとか」
「21歳? 大学生?」
「いえ、詳しくはわたくしも聞いておりませんが。それは是非、成瀬様ご本人にお聞きください」
 高橋の口から零れ落ちたその名前に、要は心臓を鷲掴みにされたように硬直した。
「―――"成瀬"?」
「ええ。成瀬一馬様と仰る方です」
 それでは失礼します、と高橋が下がった後も、要はそのドアを凝視したまま、動けなかった。

―――どうおありがとうございました。……えっと……。
―――成瀬一馬。

 今日の昼間出会った青年。
「あのひとが……」
 要は、ぎゅっと布団を握り締めた。
 予感がした。
 一体それが、どんな"予感"かは分からないけれど、酷く心がざわつく感じ。
 いい予感なのか、悪い予感なのか。分からないけれど。

 何かが始まる予感が。




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