1.

「せっかくの人里でも、外に出られないのではつまらないんじゃないか?」
 背に声がかかって、シグルドは体をひねって振り返った。
 大きく開かれた窓から、はるか下方に広がるサージェントの大通りを眺めていたところだった。
 窓から差し込む光は傾き、柔らかい橙に染まっている。もうすぐ、門が閉まる時間だ。
 声の主は、開かれた部屋の入り口に立っていた。
 夕暮れ時の陽光に、男の白っぽい金髪が光る。
「いや、大きな街は久しぶりで、戸惑っていたところだ」
 シグルドは窓際から離れ、男に歩み寄る。
 男は軽装だった。重厚な白い鎧ではなく、同じ色の騎士団の平服を身にまとっている。
「白磁の都と呼ばれたイル・ラッセルで生まれ育った人間が、何を言う」
 男は、呆れたように薄い青の瞳を細めた。黙っていれば冷たささえ感じさせる端麗な顔に、温度が生まれる。
「昔の話だ」
 しかしシグルドは男のからかいには乗らずに、つまらなそうに呟いた。
「相変わらずだな、シグルド。おまえらしくて嬉しいよ」
「おまえは変わったな、ロキ」
「そうか?」
 ロキエルは驚いたように目を瞠った。
「いや、悪い意味じゃない」
 自分の言葉が足りないことを、シグルドも一応は理解している。
 小さく頭(かぶり)を振って、用意された客間の椅子に腰を下ろした。ロキエルも向かい側に座る。
「すっかり、聖騎士らしくなった」
「お前に言われると、くすぐったいな。私など、まだまだ若輩だ」
「街に出たフェスターから聞いたぞ。大した評判らしいじゃないか。庶民の希望の星だと」
「そう言われているうちは、まだまだなのさ」
 少しだけ憂えた表情で笑い、ロキエルは目を伏せた。
「サージェントは実力主義の街だ。当代のサージェント候に代替わりされてから、要職も広く一般に開放された。貴族方の意識も変わってきている。ただ……」
 ロキエルは言葉を切った。何かを思案する間をおいて、そののちに深い溜息を落とした。
「ただ、民衆の気持ちが変わらないのさ。支配され、虐げられていると不平を言いながら、上れる階段に足をかけない。自分たちの権利を、はじめから放棄している。私を星と仰ぐのは、だからだろう?」
「……前言撤回だ」
 シグルドのつぶやきに、ロキエルが伏せていた顔を上げた。
 苦笑をしている公子と目が合った。
「おまえは何も変わっていない。学院にいたころから」
 珍しく上機嫌で笑って、シグルドが言った。


          *


 初めて出会ったときのことを、シグルドは今でも良く覚えている。
 十二のころだった。
 当時から、サージェントは堅固な城塞都市であると共に、学園都市であった。
 母の故郷ということもあり、シグルドはしばらくの間サージェント候のもとに預けられ、国内でも有数と言われる学院に通っていたのだ。
 学ぶだけならばイル・ラッセルでも可能だった。けれど、シグルドの父であるバルドルは、息子を多くの人間と交わらせることを望んだ。
 いずれは人の上に立つ身。ならばこそ、広く様々な人と触れ合い、その考えを知るべきだ。
 望むものには広く門戸を開いているサージェントの学院は、バルデルの求める格好の社交場なのだった。
 ロキエルは奨学生だった。
 決して裕福ではない家の生まれで、もちろん貴族ではない。
 昼間は勉学や剣の鍛錬にいそしみ、夜は遅くまで酒場で働いていた。
 そしてその頃から、サージェントの現状を憂えていたひとりだったのだ。
「あのころはもっと拗ねていたさ。おまえと、オーガスタ様に出会うまでは」
「確かに目つきが悪かった」
「酷い言い草だ。だが、否定はしないよ。――私は随分、世間を憎んでいた」
 実力至上主義とはいえ、貴族と庶民との間には深くて広い溝と意識の差があった。
 貴族の子息たちには家柄に対するプライドがあり、何とか学院にもぐりこんだ庶民の子供たちは、血筋だけで優遇される貴族たちを遠巻きに眺めながら、心の底で嫌悪していた。
 ロキエルもそのひとりだった。
 文武両道で、将来有望と目されていたロキエルは、貴族の子息たちから妬まれ、自らもまた、彼らと距離を置いていた。
 そんなロキエルにまず近づいたのは、オーガスタだった。
 シグルドは、オーガスタを介してロキエルと知り合ったのだった。
「はじめは驚いた。サージェントの姫君がなんの嫌味かと思ったよ」
「オーガスタにそんな器用な真似ができるわけがないだろう」
「すぐに分かったさ。そして、オーガスタ様やおまえと関わるうちに、身分の壁をぶち壊したいと思いながら、自分が一番壁を作っていたことに気がついたんだ」
 オーガスタは実に分け隔てのない性格だ。
 どんな人間に対しても、地位や身分ではなく、一個人として接する。
 それが、サージェントの美姫と民衆から絶大な支持を受ける理由でもある。
「自ら歩み寄らなければいけない、そんな簡単なことにも気づかなかった」
 庶民の出でありながら、一軍を預かる将になるまでには、おそらく筆舌に尽くしがたい苦労があったに違いない。オーガスタ自身、ロキエルには感服すると語っていた。
 しかしロキエルは、自らの苦労を美談のように語ることはしない。
 そこが、人々から愛される。
 騎士の器だと褒めそやされる。
 ここに至るまで、恵まれ、喜ばれたことばかりではなかったはずだ。多くの壁を乗り越えたからこそ、ロキエルには現状が不満なのだろう。
「……つまらない話をしてしまったな」
 苦笑をして、ロキエルは話を切り上げようとした。
「つまらなくはない」
 すぐさま否定が返って、ロキエルは訝しげに眉根を寄せた。
「おまえの言うことは正論だ。ごまかす必要があるのか?」
 シグルドは真剣だった。
 心の底から不思議そうな昔馴染みの様子に、ロキエルは驚いた様子で目を瞠り、そのあとで困ったように笑った。
「おまえこそ、昔からまったく変わらない。涙が出そうだ」
「馬鹿にしているのか?」
「失礼なことを言うな。素直に喜んでいるんだ。――生きていてくれると信じていたからな」
 閉門を報せる鐘の音が、大きく響き渡った。
「……心配をかけたな」
 鐘がきっかり六つ鳴り終わるまで待ってから、シグルドがつぶやく。
「謝るならオーガスタ様だろう。誰よりもおまえの身を案じていたんだ」
「そうだな……」
「私のことなど、二の次でいいだろう」
「どうして変えたんだ?」
「……何がだ?」
 主語のない問いかけに、ロキエルはまた怪訝な顔をする。
 シグルドの話には、往々にして言葉が足りない。
「おまえが自分のことを"私"と呼ぶと、違和感がある」
 さも重大であるかのように真面目な顔で、シグルドが言った。
 さすがにロキエルも絶句した。
 幾度か目をしばたいたあとで、こらえきれずに吹き出す。
「何がおかしい」
 当然、真剣なシグルドは笑われたことが面白くはない。
「これが笑わずにいられるか。少しは"俺"の立場のことも考えてくれ。これでも一応、一軍を預かる身なんだ」
 騎士には騎士なりの振る舞いがあるのだ、とロキエルは続けた。それも、笑い声で途切れ途切れではあったが。
「……似合わないな」
「そう思われるなら、私もまだまだということさ」
 つまらなそうに顔を背けるシグルドに、ロキエルは口元をほころばせた。

「アレス軍団長殿、こちらにいらっしゃいますか?」
 重みのある女性の声が、扉の向こう側から届いた。
 オーガスタ付きの侍女頭の声だった。
 素早く椅子を立ったロキエルが、廊下に通じる扉を開く。
「ご足労させてしまいましたか、メリア殿」
 髪を一つにまとめて束ねた、初老の女性が立っていた。
 背は高いが体が細く、全体的に印象がいかめしい。
「若様も、失礼いたします」
 オーガスタのみならず、シグルドの母フリッグの世話役でもあった侍女頭のメリアは、シグルドに向けて丁寧に頭を下げて見せた。
 シグルドは、彼女が笑ったところを見たことがない。それでも、彼女が誰よりもサージェント家に忠誠を誓っていることは、母やオーガスタから伝え聞いていた。
「姫がお呼びですか?」
「……そうでした、アレス殿。すぐに応接の間においでくださいまし」
「何かあったのですか?」
「黒旗騎士団の、アルヴィース殿がお見えなのです」


          *


 オーガスタは応接の間の扉を押し開いた。
 サージェントが誇る美姫の登場に、ソファに腰掛けていた若い男が立ち上がる。
 頭の先からつま先まで、黒づくめの男だった。
「わざわざお時間を取っていただいて、申し訳ございません」
 艶のある黒髪をさらりと揺らして、男は深々と腰を折った。
「父の具合が良くないものですから。わたくしではご不満でしょうが……」
「とんでもない。美姫と名高いオーガスタ様にお会いできるだけで、身に余る光栄です」
 黒旗騎士団の参謀総長をつとめるアルヴィースは、やわらかい微笑を浮かべた。



2.

 奇妙な男だった。
 身にまとう黒旗騎士団の騎士服から、艶やかに肩にこぼれる髪まで、全て漆黒だった。
 肌は白く、顔立ちも整っている。
 切れ長の右目も、今は穏やかな微笑をたたえていた。
 左目は――長く伸ばされた前髪に隠されて見えなかった。
「ご無礼をお許しください。顔の左側は、醜く爛れておりますので」
「お話を伺いましょう。どうぞお掛けになってください」
 先に腰掛けたオーガスタに促され、黒旗騎士団の参謀総長をつとめるアルヴィースは改めてソファに掛けなおした。
「突然の来訪にも関わらず、お時間を取って下さったこと、感謝しております。是非ともお耳に入れたいことがございまして」
「何でしょう」
「シグルドのことです」
 本来ならば主君に当たる人物の名を、アルヴィースはためらいもなく呼び捨てにする。
 壁際に控えたロキエルは、隣に並んだメリアがかすかに顔をしかめるのを見逃さなかった。
「彼は、二年前に死んだはずでは?」
 オーガスタは顔色ひとつ変えずに、アルヴィースを見つめ返す。
 凛とした眼差しを受け止め、アルヴィースは和やかに微笑してみせた。
「フレイヤの遺跡が崩落した一件は、既にお耳に届いていると思いますが……」
「……死んだはずの人間が、遺跡の崩落に関わっていると? 二年間、ブリガンディアで潜伏していたとでもおっしゃるのですか?」
「大罪人とはいえ、姫にとっては血のつながりのある存在、認めたくないお心も重々承知の上です。しかし、ここ最近になってシグルドの足取りが各地で確認されている。神の庭で呪われた民と接触したという情報も入ってきております。先だって崩落したフレイヤの遺跡はサージェントと目と鼻の先。我が主であるカリストフ伯爵閣下も、サージェントを案じておられます」
「……黒旗騎士団はさすがですわね、お耳が早い」
 オーガスタはそのうつくしい顔にやわらかな微笑を浮かべた。
「フレイヤの遺跡が崩落したのは、つい先日のこと。イル・ラッセルはここからかなり離れておりますのに、随分前からご存知だったようなご様子ですわ」
「民の安寧のために身を粉にしろと、我々は常々叩き込まれておりますので」
 やんわりと、アルヴィースはオーガスタの追及を逃れた。
「それゆえ、しばらくサージェントに滞在する許可をいただきたい」
「我らでは用が足りぬということですか」
 さすがにこらえきれず、ロキエルが口をはさんだ。
 サージェントには独自の軍である聖騎士団がある。彼らはサージェント家に忠誠を誓い、己の力で領土を護ることを使命としている。
 いくらラッセル家直属の騎士団である黒旗騎士団とはいえ、我がもの顔で踏み込んでこられると矜持に傷がつく。
 アルヴィースは、オーガスタの後方に控える騎士に、ゆっくりと視線を移した。
「サージェントの聖騎士団がアスガルド王内でも指折り数えられるほど優秀な騎士団であることは、私も存じ上げております、アレス軍団長」
「ならば!」
「それほどまでに強力な騎士団がありながら!」
 ロキエルの反論を、強めの声でアルヴィースが遮った。
「それで尚、サージェントにシグルドが潜伏しているとするならば――そちらのほうが問題なのです」
 アルヴィースの真意を汲んで、ロキエルは唇を噛んだ。
 サージェントは、ラッセル公爵家と主従の関係で結ばれている。しかし、イル・ラッセルとの間に深い峡谷を挟んでいることもあり、ドラゴンが現れはじめてからも、黒旗騎士団の介入を受けずに自衛の道を選んできた。
 我々には聖騎士団がある。ゆえに心配は無用、と。跳ね除けることができたのだ。
 しかし、今回ばかりはそうはいかない。シグルドにとってサージェントは母方の故郷。彼の足取りが間近で途切れたとなれば、まず疑われるのはここだ。
 サージェントが街ぐるみで大罪人を匿っているなどと思われたら……。
 カリストフはここぞとばかりに武力に訴えかけるかもしれない。
 黒旗騎士団にとって、シグルドがいようがいまいが、かまわないのだ。
 サージェントに介入する足がかりになりさえすれば、それでいい。
「ご迷惑はおかけしません。滞在をお許しいただけますか?」
 アルヴィースは柔和な笑みを浮かべた。
 答えなど、元からひとつだ。
 自ら道を塞いでおいて、どこへ行きたいか尋ねるなど、白々しい。
 オーガスタは長い睫毛を伏せるようにして目をつぶる。
 応接室を沈黙が包み込んだ。
「分かりました」
 静かな声のあと、アルヴィースは無言で深く頭を垂れた。


            *


 手をつけられないまま冷めた紅茶を見下ろし、オーガスタは吐息をひとつ落とす。
 さすがの手腕だ。あの男、侮れない。
 従弟にはゆっくりと疲れた心身を癒してほしいが、長期滞在させるわけにもいかなくなった。
 今後、どのようにして彼らをサージェントから逃がすべきか。
「姫様!」
 慌しい足音が駆け寄ってきて、応接室の扉を叩いた。
 若いメイドの声だった。
「騒々しい、何事です!」
 規律に厳しいメリアが、扉を開けながら若い娘を怒鳴りつける。
 厳しい侍従長の一喝に、少女を脱したばかりの娘が身をすくめた。
「メリア、いいわ。どうしたの?」
 自ら椅子を立ち、オーガスタはメイドに歩み寄った。
 日々メリアの教育が行き届いている彼女が廊下を駆け回るなど、尋常ではない。
「姫に、お会いしたいという者がおりまして……」
「私に?」
「はい。若い男の方でした。これを――」
 鼻にそばかすの残るメイドが、オーガスタの前で右手を開いて見せた。
 美姫と侍従長は、そろって息を飲む。
 メイドの手には、サージェント家の家紋が刻まれた腕輪が乗せられていた。
「これを見せれば、姫にはお分かりだと……」
「姫……」
 メリアが震える声で呼びかけた。
 オーガスタはまばたきも忘れ、じっとその腕輪に見入っている。
「罠やも……使いは戻らなかったではありませんか」
「いいえ」
 きっぱりと、オーガスタはメリアの言葉を跳ね除けた。
「会いましょう。その方はまだいらっしゃる?」
「……は、はい。裏門にお待ちいただいておりますが」
「こちらにお通ししてちょうだい」
「姫、危のうございます!」
「ロキ、同席してくれますね?」
 追いすがるメリアの言葉を遮るように、オーガスタはロキエルを振り返った。
「もちろん」
 サージェントの希望の星と呼ばれる騎士は、左胸に右手を当て、主に応えた。


            *


 用意された部屋の扉が開いたとき、ヴァンはやわらかすぎる寝台に仰向けに転がっていた。
 大きな街であるサージェントで、不用意に出歩くわけにはいかない。自分の姿がどのような影響を及ぼすのか、ヴァンは良く知っていた。
 室内に閉じこもっているというのはあまり性には合わないのだが、この際仕方がない。とはいえ、他にすることも見つからず、ここ数日はこのようにごろごろと転がっていることが多い。
 体がなまってしまいそうだ。
 やわらかい寝台も、もふもふと体が沈み、どうにも落ち着かない。

 寝返りをうっているうちに、娘ふたりが戻ってきたことに気がついた。
「おかえり。……うわぁ」
「……何よ、その嫌そうな顔」
 ベッドの上で上体を起こしたヴァンの視界に、いささか刺激的すぎるゲルダの装いが飛び込んできた。
「何よ、って。それ、体守る気ないじゃないか」
「いいの。身軽さの方が大事なの!」
「そんなこと言って、シグルドのこと誘惑するつもりなんじゃないの? 無理無理、あいつにはそういうの、効かないって」
「な、何よ、そんなのやってみなくちゃ分からないじゃない!」
「分かるよ。な、ルクス……」
 ルクスはまるで亡霊のように部屋に滑り込み、そのまま間続きになっている女性陣の寝室へと消えた。
 うつむいたまま、一言も話さずに。
 力なく閉ざされた扉を見つめて、ヴァンが怪訝そうに首をかしげる。
「あいつ、どうかしたのか?」
「実は……」
「扉を開け放ったまま、何をしているんだ」
 ヴァンの問いを受けて、ゲルダが声のトーンを落としたそのとき。
 神経質そうな声と共に、シグルドが現れた。
 続いて入室したフェスターが、丁寧に扉を閉める。
「ルクスの様子がおかしいんだ」
 足を投げ出したままベッドに座っているヴァンが、公子に告げる。
 シグルドは、訝しげに目を細めた。
「会ったんだよ、街で」
「会った? 誰にです?」
 言葉の足りないゲルダの説明に、フェスターが重ねて問う。
 ゲルダは普段は活き活きとしているその表情に憂いを浮かべて、告げた。
「同じ村の奴ら。ヴィントの村の、――生き残りだって」



【つづく】