1・
「サージェントって、大きな街だね……」
城塞都市サージェントの、うつくしく舗装された石畳を踏んで、ルクスは歩く。
数歩前を歩いていたゲルダが、艶やかな金髪を揺らして振り返った。
「ルクスは来たことなかったの?」
「こんなに大きな街は、初めてだよ……」
ルクスの生まれたヴィントは、小さな村だった。
細々と作物を作り、家畜を育て、必要なものは近くにある小さな町に買いに行く程度。
自給自足に近い生活だった。
強固な城塞と独自の軍隊を持つサージェントは、ラッセル領内でも有数の街だ。
学園都市としても名を馳せており、いくつもの研究施設があるという。
道は綺麗に整備され、人も多い。
目に見るもの全てが忙しなく、ぶつからないように歩くのが精一杯だ。
「あたしは何度か来たことがあるよ。"仕事"の途中にね」
「仕事……?」
「サージェントはブリガンディア神聖国のすぐ隣だから。聖都のお偉いさんから盗みを働いたあとに、身を隠したりしてたの」
その言葉を体現するように、ゲルダの歩みに迷いはない。
大胆に露出した脚を動かして、颯爽と歩いてゆく。
血にまみれたゲルダの服を新調するために、二人は街に出た。
ひっそりと迎え入れられたサージェントの城で、一応替えの服を与えられたのだが、動きやすいものがいいと言い出したゲルダに、ルクスが引っ張り出されたのだった。
首に下げた指輪を残し、身に着けていた宝飾品すべてを金に換え、ゲルダは新たな服に袖を通した。
肩や腕や脚を惜しげもなく晒す、軽装中の軽装。
けれど、鍛え上げられて引き締まった体躯には、良く似合っている。
女性的な体だな、とルクスは思った。
細いのに、貧相ではない。
ある種の迫力すら感じるその肢体に、ルクスは自らを振り返る。
凹凸のすくない、面白みのない体型であることは、誰よりも自分が知っている。
今まであまり気にしたことはなかったが、ゲルダの隣に並ぶのは気が引けた。
「ねえ、ルクスってさ」
隊列を作って大通りを巡回する白い鎧の騎士たちを眺めて、ゲルダが他愛もないことのように口を開いた。
「シグルドのことが好きなの?」
「ええっ!?」
自分でも驚くような声が飛び出した。
少女の悲鳴に、ゲルダがすみれ色の目を眇める。
「……あやしい」
「ち、ちがう! そういうのじゃないから!」
わざとらしいほどに両手を振って、否定を示した。
説得力があるはずもなく、ゲルダは更に見定めるように目を細める。
「ゲルダには話したでしょ! あたしも村が焼かれて、ドラゴンの正体が何か知りたくてついてきたって、だから……」
言葉をつなげばつなぐほど、嘘っぽくなる気がした。
尻つぼみに黙り込んでしまう。
「なんか納得いかないけど……。ま、本人がそう言うんだから、いっか」
「……え?」
「あたし、遠慮しなくていいってことでしょ?」
ゲルダは、紅をささなくても充分に赤い唇を笑みの形にゆるめる。
言葉の意味を飲み込めず、ルクスは数度まばたきを繰り返した。
「それって……」
「あんな男、探したって滅多にめぐりあえない」
サージェントのシンボルである尖塔を見上げるゲルダの瞳は、熱っぽい光をたたえている。
「あんなに、強く人を惹きつける人間、見たことないよ。助けてもらったってこともあるけど……。前だけ見つめてる強い目が、あたしはたまらなく好きなんだ。絶望の淵から、引きずりあげてくれた、あの目が」
「ゲルダ……」
「身分違いなのも、シグルドが全然そういう方面のことを考えてないのも知ってるけど、あたしはシグルドについていきたい。レンとの決着もつけなきゃいけないけど……。痛々しいほどがむしゃらなあいつが、願いを叶えるところが見たい」
シグルドがどこへ向かうのか見届けたい。
その欲望は、ルクスにも覚えがある。
初めは、村をつぶした張本人と激しく憎んだ。
大罪人と言われる男がどういう人間なのか見定めようと同行を決めた。
けれど――。
背にドラゴンの業火を負い、右手に魔力を食らう契約を刻み、親殺しの汚名を着せられて尚、一歩も立ち止まろうとしないその姿から、目を離せない。
本当は、誰よりも民を愛し、誰よりも平和を望んでいることも知っていた。
決して器用とはいえない、気難しい男だというのに。
フェスターもヴァンもゲルダも、揺らがぬ背に惹かれている。
(多分、あたしも……)
腰に下げた、シグルドから託された短刀に触れる。
彼が報われる瞬間を見届けたい。
心から笑えるそのときに、近くにいられたら……。
時折湧き上がるその感情に、ルクスはまだ名前を与えられずにいる。
顔を上げて、真っ直ぐに想いを口にできるゲルダを見ると、ちくりと胸が痛んだ。
擦れ違う男のほとんどが驚いて振り返るような美貌と、抜群のスタイルを持つゲルダに、まぶしさすら感じる。
自分はまだ、こんなにも幼い……。
「おや、こんなところで会うなんて」
背後から、聞き覚えのある飄々とした声がかかった。
「見たことのない綺麗な娘さんもご一緒で」
「カイル!」
「何こいつ、知り合い?」
声に驚いて振り返ると、いつも通り胡散臭い行商人がそこに立っていた。
へらっと笑うそのしまりのない表情に、ゲルダが渋面を作った。
「偶然だね、ルクス」
「……絶対、偶然じゃないでしょ? またシグルドのこと追いかけてるの?」
偶然にしては出来すぎている。
身構えて、ルクスは怪しい男と距離を置いた。
「またまた。公子ご一行は俺を買いかぶりすぎだよ。サージェントは大きな街だから、商売も上手くいくかと思って……と、全然信じていない顔だな」
警戒心を剥き出しにして、ルクスはカイルを睨みつける。
「アンタ誰? シグルドのことを追いかけてるって、敵?」
威嚇の体勢をくずさないルクスをかばうように、ゲルダが間に割って入った。
「お初にお目にかかります、綺麗なお嬢さん」
カイルはさりげなくゲルダの右手を取ると、堂に入った素振りでくちづけた。
「私はカイル・モーガン。見たとおりのしがない商人です。公子の敵というよりは、いわばファンのようなものだと思ってもらえれば助かります」
「……ふうん」
さっとカイルから手を引き離して、ゲルダは訝しげに目を眇める。
「害がないなら別にいいけど。シグルドに手出ししたら、あたしが許さないからね」
「……相変わらず、公子は愛されていらっしゃる」
あっけなく離された手を持ち上げて、カイルは肩をすくめた。
「……ただの商人が、手甲当ててるのがおかしいって言ってんの。近づいてくる気配も感じなかったし、あんた、本当は相当腕が立つんでしょ?」
「ああ、これ?」
カイルは、ゲルダに跳ね除けられた右手をひらひらと揺らして見せる。
商人の右手の甲は、革で作られた手甲に包まれていた。掌と腕の半ばまでを覆うそれは、確かに戦いを生業としないものには必要がないものだ。
「お見苦しい古傷があるんです。昔ちょっと、ね。商売は心証も大きく関わるから」
隠しているんです、とカイルは笑う。
ゲルダは更に眉間に皺を増やした。
言葉の駆け引きがあまり上手くはないルクスにさえ、その言い訳は苦しく聞こえた。
けれど、カイルはへらへらしているだけで、それ以上は語ろうとしない。
「ところで、公子はどちらに?」
へらっと笑ったまま、話題をそらしてしまう。
「シグルドなら――」
ルクスは咽喉を反らし、街の中央に鎮座するサージェントの城を仰いだ。
――シグルド!
感極まった、麗しい女性の声が蘇った。
2.
「シグルド!」
通された部屋に入るなり、華奢な影がシグルドの腕に飛び込んだ。
何事かを飲み込めないルクスの視界に、シグルドと同じ色の長い髪が揺れた。
「生きていてくれたのね……」
シグルドの胸から顔を上げた女性の顔を見て、息を飲む。
何て、うつくしい人なんだろう。
それ以外に形容する言葉が見つからない。
ルクスの姉も綺麗な娘だった。隣で唇を尖らせているゲルダも、ぱっと目を引く艶やかな美貌の持ち主である。
けれど。
彼女――サージェント候の一人娘であるオーガスタは、俗っぽい賛辞がはばかられるほど、神聖で清浄な輝きを放っている。
「心配をかけてすまなかった」
後ろに立っているルクスには、シグルドの表情を窺うことができない。
それでも……。
(やさしい声)
いまだかつて、自分には向けられたことのない類の、柔らかい声音だった。
「いいえ、無事に戻ってくれただけで充分だわ。――フェスターも、よくシグルドを支えてくれましたね。貴方には、何とお礼を言っていいか……」
オーガスタの、シグルドと同じ深緑の瞳が、いたわるようにフェスターの左腕に注がれる。
「そのお言葉だけで充分です、オーガスタ様。わたくしが若と共にあるのは、当たり前のことですから」
「ありがとう、心強いわ」
慈愛に満ちた微笑をフェスターに向けたあと、オーガスタはようやく入り口に立ち尽くすルクスたちに目を向けた。
「貴方がたも、シグルドを支えてくれているのですね」
慈愛と気品に溢れる瞳に見つめられて、ルクスは声を出すこともできなかった。
貴族への口の利き方など、知らない。
何より、女神のようなオーガスタと自分を引き比べて、萎縮してしまう。
「先に城へ報せに来てくれたフェスターから話は聞きました。従弟をここまで導いてくれたこと、感謝しています」
「……こんな城の奥に部外者を導き入れて、平気なの?」
明らかに挑発的なゲルダの口調に、室内の空気が凍りついた。
「あたしは隣の国の盗賊の娘で、ヴァンはアスガルドでは憎まれてるイドゥナでしょ? いくらお姫様だからって、勝手にこんなことしたら……」
「貴方がたがシグルドの仲間だと言うのなら、部外者ではありません」
拗ねたようなゲルダの言葉にかぶせるように、きっぱりとオーガスタが言い切った。
「むしろ、彼の危険な旅に同道してくれることに、感謝と畏敬の念を感じています。身分だけで境界を引いて、一体何になるでしょう。私はただ幸運に恵まれ、この血筋に生まれただけですよ」
やさしい声の中に、確かな意志の強さを感じ取って、ゲルダは目を瞠った。
何より、深緑の瞳がたたえる強さが、従弟と良く似ている。
「負けたわ」
嘆息して、ゲルダは肩をすくめた。
「生意気な口を利いて、ごめんなさい」
「いいえ、分かっていただけて嬉しいわ。――立ち話をさせてしまってごめんなさい。お茶を用意させますから、お座りになって」
*
得心がいった様子で、カイルが頷いた。
「なるほど。サージェントは、公子の母君のご実家か。"サージェントの美姫"オーガスタ様とは、従姉弟同士でしたね」
「いい女ね、彼女」
ゲルダは、不本意そうに唇をとがらせる。
「サージェントの美姫といえば、王都にも噂が届くほどだからね」
「認めるのは悔しいけど、初対面はあたしの負けだわ」
「……何を賭けて張り合うつもり?」
「当たり前じゃない、シグルドよ」
「それはまた。美女ふたりに取り合われるとは、公子も罪なお方だな」
「あんたもファンだっていうなら分かるでしょ。シグルドがどれだけ人を惹きつけるのか」
「確かに、彼は魅力的な人間だ」
カイルがふと、口元に笑みを浮かべた。
(あれ?)
ルクスは違和感を覚えた。
飄々とつかみ所のない、覇気のない笑いならいくらでも見たことがある。
けれど、カイルが口元に刻んだその笑みは、今まで見たことのないような、どこか酷薄なものだった。
しかし、ルクスがまばたきをした次の瞬間には、いつものへらへらとした微笑に戻っている。
「ああいうのを、英雄の器というのかな」
「……安っぽい言い方」
辟易した様子で、ゲルダがばっさりと切り捨てた。
「やれやれ、また気の強いお嬢さんが仲間に加わったものだな」
困った様子で眉を下げて、カイルが苦笑する。
その横顔をじっと見つめていると、青く透き通ったその眼差しが、不意にルクスに向いた。
「どうかした? 俺の顔に何かついてる?」
和やかに笑いかける、その表情。
やはり、先程の冷たい表情は、見間違いだろうか?
「ううん、なんでもない」
ぎこちなく、ルクスはごまかした。
重厚な鐘の音が鳴り出したのは、そのときだった。
いつの間にか、閉門の時間だ。
サージェントは夜間の出入りを制限している。
その時間は厳しく守られ、まだ日が落ちきっていなくても、城門は閉ざされる。
鐘は、その合図だった。
白い鎧の騎士たちが、城塞の四方に開いた門へ向かう。
「聖騎士たちは働きものだなぁ」
重い鎧をまといながら機敏に動く若者たちを見て、カイルが老人のようなことを言った。
「聖騎士って、サージェント独自の騎士団でしょ?」
「そう。サージェントは実力至上主義だから、実力と人柄を認められれば貴族でなくても騎士になることができる。たとえば今、獅子軍を率いているロキエル・アレス軍団長のようにね」
「ロキエルさん……。あの人が?」
「なんだ、君たちはもう会ったのか。まぁ、獅子軍はオーガスタ様の私軍のようなものだから、当然か」
城に迎え入れられたあの日、オーガスタの後ろに控えていた若い騎士。
金の髪に薄い青の瞳を持つ、整った顔立ちの青年だった。
まるで御伽噺に出てくる騎士がそのまま抜け出してきたかのようなその姿に、ルクスも目を奪われた。
オーガスタとの会見の間は、ほとんど口を開かなかったが、その洗練された物腰や凛々しい顔立ちに、てっきり貴族の子息だと思っていた。
「彼は、庶民の出なんだよ。努力と才能だけで、今の地位に上りつめた。だからこそ、サージェントでも人気が高い。まぁ、娘たちにはあの容姿と騎士道に則ったやさしさが人気のようだけどね」
オーガスタの応接室を退出する際に、ロキエルが自ら扉を開けて通してくれたのを思い出す。
どうぞ、とやさしく促され、穏やかな笑みを向けられ、鼓動が跳ねた。
村の男どもは粗野で、ルクスもおてんばだったから、女性らしい扱いを受けたことがない。
旅を共にするシグルドは、全く女心の分からない男だし。
初めて男の人を素敵だと思った。
どぎまぎしてしまって、ろくに礼も言えなかったけれど。
「あたしは断然、シグルドの方が素敵だと思うけど」
「ゲルダ嬢は揺らぎがなくて、実に凛々しいね」
「あたしは決めたんだもの。シグルドについていくって」
きっぱりと言い切るゲルダの目には、確かな決意がある。
「帰るよ、ルクス。日暮れまでには戻れって言われてるでしょ」
ゲルダは、怪しげな行商人に興味を失ったらしい。
城へ続く道を、大股に歩き出す。
「う、うん……」
「"草"には気をつけて」
立ち去りかけた二人の娘に、行商人が声をかけた。
「……くさ?」
肩越しに振り返ったルクスの目に、意味深な微笑が映る。
「草って、何……」
「ルクス!」
聞きかけたルクスの声を遮るように、誰かが大声を上げた。
声変わりを終えたばかりの、少年の声だろうか?
自分の名を呼ぶ声の方へルクスは顔を向け、そして言葉を失った。
【つづく】