1.

「うわあぁ!」
 ルクスが感嘆の声を上げた。
 声はよく響く。天井は高く、広い場所に出た。
「一夜にして滅びたという旧種族の遺跡、か」
 シグルドはぐるりと周囲を見回した。それほど深く地下に下りていないからか、崩れかかった天井から差し込む光で、おぼろげながらあたりの様子を覗うことはできる。

 アスガルド領へ戻る道を探っていたシグルドたちは、地下に広がる広大な遺跡に足を踏み入れた。
 追っ手から逃れるため、隣国ブリガンディアに抜けたものの、正規のルートを通ったわけではないから、関所を通るわけにはいかない。
 化け物が棲みついているという噂もあるが、フレイヤの遺跡を抜けることを選んだのだった。
「でもこの遺跡、本当にアスガルドまで続いてるのか? 途中で行き止まり、なんてオチだったら、マヌケだぞ」
 入り口の細い通路を抜け、一行が出たのは広間だった。か細く光の射す天井を見上げ、ヴァンがぽつりと呟いた。
「アスガルド領まで通じているのは、以前の調査で明らかにはなっています。ただし、中は迷路のように入り組んでいて、研究者でも通り抜けることが難しいとか……」
 フェスターはそこで、言葉と足を同時に止めた。
 ヴァンも踏み出しかけた足を戻し、周囲の音に耳を澄ました。
「ルクス、戻れ!」
「え?」
 暢気に先行していたルクスが、シグルドの声に振り返った、そのとき。
 頭上から放たれた無数の矢が、ルクスとシグルドの間を隔てた。
「何者だ!」
 足元に突き刺さった矢に呆然と立ち尽くすルクスを強引に引き寄せ、シグルドは矢の出所を仰いだ。
「なぁんだ、ガキばっかりじゃない」
 天井近く。せり出した踊り場に、無数の人影が見える。
 うごめく人影の中央で、ひとりの女が長い髪をかきあげた。僅かな光も跳ね返す、輝く金髪の持ち主だった。
「お前ら、ここがフィルハイム一党の縄張りと知って、踏み込んできたのか!」
 若い女の横で、小柄で貧相な男が声を張り上げる。か細くしわがれていて、とても威圧感があるとはいえない声音だった。
「……なにそれ」
 シグルドに引き戻されたルクスが、公子の影から思わず素直な感想を漏らす。
「お、お前ら! フィルハイム一党の名を知らんのか!」
 貧相な男が一行に指を突きつけて激怒する。しかし、その声すらひっくり返っていて、全く迫力がない。
 いつ仕掛けられてもいいようにと身構えていたヴァンが、体から力を抜いた。
 シグルドも大袈裟に溜息をつく。
「大道芸なら他所でやってくれ。僕たちも暇じゃないんだ」
「あんたたち、セドのやつらに頼まれてやってきたんだろ!」
 不毛なやりとりを終わらせて先を急ごうとするシグルドを、女の声が制止した。
 再び奇妙な一党を見上げると、中央に立つ金髪の女が不敵に唇を緩めていた。
「……セドを襲っているのはお前たちか?」
「襲われてるのはこっちさ! 父親の仇、討たせてもらうよ」
 すみれ色の双眸に怒りをたぎらせ、女は高々と宣言した。
 合図と共に、男たちが次々と高台から飛び降り、統制の取れた動きでシグルドたちを取り囲む。
 各々、手に武器を持ち、じりじりと輪を狭めながら間合いを計っている。
「父親の仇って、なんだよ」
 ルクスを中央に囲み、背中合わせに賊と対峙する。ヴァンが苛立った声を上げた。
「僕に訊くな」
 苛立っているのはシグルドも同じだ。セドの人々から"化け物が出る"とは訊いていた。しかし賊に襲われるなど全くの想定外だ。
 完璧に、多勢に無勢だった。男たちは二重三重にこちらを取り囲んでいる。
 その様子を高みから見下ろす美しい娘は、一際艶やかに微笑し、
「やっちまいな!」
 下僕たちをけしかけた。
 野太い声が応え、一斉に得物を振り上げる。
「ああ、もう!」
 懐に飛び込んでくる屈強な男たちに、ヴァンが舌打ちを落とした。

 次の瞬間。
 群れる人々の頭上で、まばゆい光が爆発した。翡翠色の輝きが、薄闇に慣れた人々の目を容赦なく射抜く。
 咄嗟に目を庇ったシグルドは、しかし、耳に滑り込んだ気高いいななきに、何が起こったのかを悟った。
「"聖なる獣"――」
「福音、なのか」
 いきり立っていたはずの男たちの口から、弱々しい声がこぼれて落ちる。
 振り上げられていた剣や斧が、ひとつ、またひとつと下ろされた。
 不遜に顎をそらすヴァンの頭上には、しなやかな体から淡い光を放つ、美しい魔物がいる。
 呆然と立ち尽くす男の手から、音を立てて剣が落ちた。畏怖でおののいたひとりが、あっけなく膝を折ったら――あとはなし崩しだった。
 屈強な男たちは、残らず地面にひれ伏した。



2.

「いやぁ、すまんかった」
 欠けた前歯を剥きだしにして、小男が笑った。彼なりに、精一杯愛想を振りまいているつもりらしい。
 シグルドたち――『福音の方とそのお供』という扱いだったが――は、フィルハイム一党と名乗る賊のアジトに案内された。
 アジトとは言っても、元々この地に残されている前時代の遺跡を、そのまま使っているだけなのだ、と言う。
 シグルドたちが踏み込んだ大広間から、いくつかの小部屋を通り抜けた先に、彼らの生活空間はあった。
 通されたのは、部屋の四方にかがり火を焚いた、酒場のような場所だった。勝手に運び込んだのだろう、無数の形も高さもまばらなテーブルが置かれ、明らかに柄の悪そうな男たちが酒を煽っている。
「またセドのやつらが討伐隊でも送り込んできたのかと思ってよ」
 酒をなみなみと注いだグラスを片手に、男はシグルドの向かい側の椅子を引いた。
「また?」
 男の言葉を、フェスターが耳聡く聞きとがめる。
 エギルと名乗った男は、ぐっとグラスを煽ったあと、身を乗り出した。
「一月ほど前、頭領が殺されたんだ。それ以来、みんな気が立っちまって。特に――」
 エギルは声を潜めて、部屋の奥に視線を流した。
「お嬢が、な」
 エギルの視線の先には、豪快にグラスを煽っているあの娘がいる。
 かがり火の炎を受けて、波打つ金髪はきらきらと輝いている。年の頃はおそらく、シグルドとさほど変わらないだろう。
「父親の仇を取って、一党をまとめあげようって必死なんだ。古参はみんなお嬢の味方さ、生まれてすぐに母親を亡くしたお嬢を育てたのは、俺らだからな。だけど、血気盛んな若い奴らは、反発してあちこちで盗みを働いたりする。フィルハイム一党は元々、あくどい金持ちしか狙わねぇ義賊だ。ところが、そいつらのせいで、セドからも討伐隊がやってくるし……」
「うまくいかなくて、お嬢も焦ってる」
 エギルの後ろから覆いかぶさるように、巨漢が現れた。
「変なモンスターも、出る」
 野太い声が、緩慢に付け加えた。
「モンスターだって?」
 聞き捨てならない言葉を聞いた。シグルドは圧倒的な体格を誇る男を、下から見上げた。
「おお、紹介するよ、こいつはブラギ。お嬢の幼馴染で、目付け役さ」
 エギルが椅子を立ち、巨漢の二の腕あたりをぺちぺちと平手で叩いた。
 よくよく見れば、圧倒的なのは体格ばかりで、その表情に凶悪さは見られない。動きも緩慢で、むしろ牧場でゆったりと草を食む牛を連想させる。
「親方は、バケモノに殺されたのかも、しれない」
 ブラギはつぶらな瞳をかなしそうに伏せて、か細く呟いた。
「セドも魔物に襲われていると聞いた。ここもそうなのか?」
 エギルは大袈裟に両手を挙げ、首を横に振って見せた。
「死人が出てるのは事実だ。だが、誰ひとり、姿を見たものがいねぇのさ」


            *


 酒がぬるい。咽喉を伝って落ちていく感覚が、不快でたまらない。
 一気に飲み干して、グラスを木のテーブルにたたきつけた。
「荒れているな、ゲルダ」
 穏やかな声が、右耳に滑り込んだ。
 ひとりの男が、隣の椅子を引いて座る。
「べつに」
 急にばつが悪くなって、ゲルダはふいっと男から顔を背けた。
「福音持ちに手を上げたって、ジジイどもがうるさいだけ」
 まったく、うまくいかないことばかりだ。
 腹立たしいし、かなしい。
 愛する父の仇を討ちたい。ただそれだけの願いがどうして叶えられないのだろう。
「だけど、レンが帰ってきてくれて、よかったよ」
 小さく呟き、ゲルダはすみれ色の瞳を男に向けた。
 男は、閉じられたままの目をゲルダに向ける。まっすぐに視線を受け止めるその様子に、本当に彼の目は機能していないのか、疑いたくもなる。しかし、レンはゲルダの物心がついたときから、盲目だった。彼が目を開いているところを、一度も見たことがない。
 生まれつきなのだと、彼は言っていた。その代わり、他の感覚が鋭く発達している。だから困らないのだ、と。
「正直、あたしひとりだったら、どうしていいか分からなかった……」
「すまないな、もう少し早く戻っていれば、親方を救うことが出来たかもしれない」
 レンは薄い唇を噛んでうつむく。
 ゲルダはわざと、明るい声を上げた。
「いいの、終わったことはもう仕方ないよ。それより、今度はどこに行ってたの? 気づくといなくなってるんだもん、旅に出るのはいいけど、一言ぐらい挨拶してってくれてもいいんじゃない?」
「すまない」
 口の端に苦笑を滲ませて、レンは詫びる。しかし、それ以上旅の話はせずに、ゲルダの耳元に唇を寄せた。
「あの旅の一行、あまり信用しないほうがいい」
 いつも温和なレンの声が、氷のように冷えている。耳元から全身に、冷気が駆け巡った。
「……どういうこと? 福音持ちだよ? ジジイどもも他の皆も、大喜びじゃん」
 思わず自分も声を潜め、間近にあるレンの、光を宿すことのない双眸を見つめ返した。
「福音を持っているということが、その人間の人格を保障するわけじゃない。彼らはアスガルドに抜けたがっているそうだ。後ろ暗いところのない旅人なら、なにもこの遺跡を通らなくても、街道を少し北に行けば関所があるだろう。わざわざ遺跡に踏み込んだということは、"関所を通ることができない"からじゃないのか?」
 レンの言葉は理路整然としていて、反論の余地が見つからない。
 なるほど、福音持ちだからと無条件にひれ伏したが、よく考えてみるとおかしな話だ。
 ゲルダはレンの言葉に耳を傾けながら、離れたテーブルでエギルと和やかに語らっている旅の一行を眺めた。
「それって、お尋ね者……とか?」
 風の魔物スレイプニルとの契約者、気難しそうな青年と、片腕のない女剣士。そして、どう見ても戦力には見えぬ少女――。
 確かに、奇妙な取り合わせだ。
「特に、あの青年からは、不可思議な力を感じる」
「あの青年って、綺麗な顔した?」
「彼の、右手」
 レンの言葉に導かれるように、ゲルダは端正な顔立ちをした男の右手を見た。距離はあるが、視力はいいほうだ。確かに彼の手の甲には――。
「なにあれ、刺青? へんな、黒い模様が……」
 炎をかたどったような模様がある。
「何らかの魔力を持っているのだろう。もしかしたら、ここ一月ほど続いている異変に、何か関係があるかもしれない」
 ゲルダは神秘的なすみれ色の双眸を細め、大袈裟に鼻を鳴らした。
「あたしは最初から、胡散臭いって思ってた。……どうやって化けの皮剥がしてやろうかな」
 赤い唇をゆるめ、ゲルダは不敵に微笑した。獲物を見つけた肉食獣のように、大きな瞳が輝く。
「あまりことを大きくするのは、得策ではないだろう。福音を崇めるご老体や、頭領を失ってから増長している奴らに、付け入る隙を与えても仕方がない。今は地固めをしていかなければならない時期だ。フィルハイムの名を持つお前が、彼らを導かなければならない。それを、頭領も望まれているはずだ」
 自信に満ち溢れ、野生的な美しさすら漂わせていたゲルダの表情が、不安げに歪む。泳がせた視線を、結局盲目の昔馴染みに戻した。
「だったら、どうしたらいいの? 黙って見過ごすの?」
「この遺跡は、ふたつの国にまたがっているほど広い」
 不安げに見上げてくる美しい娘をなだめるように、レンは口元に柔らかな微笑を浮かべた。
「例えば、奥に踏み込んで、出てこなかったとしても――誰も不思議には思うまい」



【つづく】