1.

 黒い鎧の男たちが、狭い入り口から室内になだれ込んでくる。
 呆然とそれを見守るシグルドの意識を、真正面からすり抜けた。
 奇声をあげて剣を振りかざし、あきらかに膨らんでいるベッドに駆け寄る。布が裂ける音のあと、羽毛がわっと舞い上がった。
 引き裂かれた枕と共に、寝台から転がり落ちる人影がある。ベッドの傍にある、バルコニーに続く窓に背を預けた。二年前の自分だ。
 動きが緩慢だ。確かあの日は、異様なだるさと眠気に襲われていた。寝起きが悪いほうではないのに、黒旗兵の剣が寝台に刺さる直前まで、体が自由に動かなかったのだ。
 あのとき、何が起こったのかを把握するの精一杯で頭が回らなかったが、今思い返してみれば、何か薬でも盛られていたのだろう。明らかにおぼつかない足取りを"外側"から見て、改めてカリストフの狡猾さに腸が煮える。
『お前たち、何のつもりだ、血迷ったのか!』
 下卑た笑いを口元に浮かべ、男たちは寝台を乗り越える。ひとりが、鈍い輝きを放つ刃を、朦朧とする公子の咽喉もとに当てた。
『口の利き方には気をつけてもらおうか。父親の権力がないお前なんか、ただの生意気なガキなんだからな!』
 意識が朦朧としているせいなのか、それとも現実を受け止めたくないのか、二年前の自分は訝しげに目を眇める。
『どういう、ことだ』
 男たちは顔を見合わせ、あざ笑う。
『お可哀想なお坊ちゃまに、教えて差し上げようか? お前の大事な父上と母上は、先程身まかられたよ。ラッセル家の血筋は、残すはお前だけとなったわけだ』
 男の言葉を聞いた瞬間の、あの背筋が冷える感覚を、シグルドは今でも覚えている。
『戯言を! 言うな!』
 怒声がはじけた。相手が複数で、自分が丸腰なのも忘れて、怒鳴りつけた。
『そんなことが……』
 あっていい、はずがない。けれど、言い切れなかった。
 びりびりと体を縛り付ける、予感。悪夢と絶望の。
『泣くなよ坊ちゃん、すぐに同じところに送ってやるから』
 男が刃を強く押し付けた。咽喉元に、鋭い痛みが走る。愚鈍になった体に、痛みだけが鮮明だった。
『カリストフか……。高々一軍団で、奴は何をするつもりだ!』
『高々? 一軍団?』
 ハッ、と男は無礼な笑い声を吐き出した。
 心底、無知な子どもを哀れんでいる様子だった。
『閣下は、大いなる力を手に入れた。もはや、本国の正規軍でも止めることはできないだろう』
 間近から覗き込む兵士の、狂気じみた瞳のぎらつきを思い出した。
『せめてもの慈悲だそうだ。お前は楽に殺してやる』
 男たちは既に、勝利の予感に酔いしれていた。大勢で押しかけたというのに、シグルドに詰め寄った一人以外は得物を構えもせずに、にやにやと公開処刑を見守っている。
 首に押し当てられた剣が引かれた。リーダーと思しき男は、剣を上段に構えなおす。
 振り下ろす、その刹那に。男の後方で、短い悲鳴がいくつも上がった。続いて、女の声が飛んでくる。
『若様、伏せてください!』
 あのとき、飛んできたこの声の意味を、正確に理解していたかどうかは疑わしい。
 ただ、条件反射のように膝を折って、腰を落とした。
 次の瞬間、血飛沫が降ってきた。
 リーダー格の男の腕から、騎士剣が転がり落ちる。断末魔を上げることも出来ず、男の体は横に倒れた。咽喉をばっさりと切られていた。
 返り血を浴びた壮絶な姿のまま、女がシグルドを庇うように立った。
 下がるように促す、彼女の左腕。その時はまだ、しっかりと体についていたのだ。
『遅くなってすみません、若様』
 不意打ちを喰らった残りの兵士達が、体制を立て直している。シグルドは、先程まで咽喉元に押し付けられていた兵士の剣を引き寄せて、武器を手に入れる。
『かまわない。それよりも、父と母は……』
 姉と慕う従者から、答えはなかった。
 きつく唇を噛む横顔に、先程の兵士の言葉が決してただの出任せなどではないことを悟る。
『何が起こっている』
 シグルドたちを囲む兵士たちは、皆どこかに傷を負っていた。そのせいか、勇んで間合いを詰めようとする者はいない。とはいえ、囲まれていることは事実だ。どうにかこの場を切り抜けねばならない。
『ドラゴンです』
 短く、フェスターは答えた。
『カリストフ伯が、ドラゴンを召喚しました。常駐の白旗騎士団と青旗騎士団は壊滅。お父上は……』
『いい、分かった』
 シグルドは、従者の言葉をさえぎった。口惜しげなフェスターの口調が、何より事実を物語っている。
『生き残るなら、城を出るしかないということだな』
 もはやこの城に味方はいないのだ。その事実を、シグルドはようやく受け止めた。

 景色が、揺らぐ。水面に雫を落としたときのように、波紋を描いて、滲む。

 ざく、ざくと。
 土を掘る音が聞こえる。
 気がつけば、シグルドは土の上に立っていた。
 二年前の領城ではない。
 夜だった。
 ひとつの明かりもない暗闇。そのどこからか、土を掘る音が聞こえてくるのだ。
 ぐるりと首をめぐらして、音の出所を探す。
 そのうち、闇の中にぼんやりと青い光が浮かび上がった。
 穴を掘る音も、その光のあたりから聞こえている。
『どうして、こんな……』
 か細い声が呟く。同じ言葉を、何度も繰り返す。
 光の出所へ、シグルドは近づいた。
 地面に座り込んでいるのは、やはりルクスだった。淡い光は、ルクスが首にかけている夜光石から放たれている。
 少女は一心に、手で穴を掘っていた。顔も腕も服も、土で汚れている。しかしそれに構う様子は微塵もない。
『なんで、村が……。あたしたちが、何をしたっていうの』
 ルクスの唇から、ぼろぼろと言葉が零れ落ちる。けれどその声はかすれて細く、感情の起伏は感じられない。
 改めて周囲を見渡して、シグルドは愕然とした。
 彼女の周りには、無数の穴が掘られていた。
 夜光石のほのかな光を受けて、ルクスの瞳から落ち続ける雫が輝く。
 ざっと吹き付けた風が、焦げた臭いを運ぶ。
 かつて、ここは村だったのだろう。
 今は見るも無残に破壊しつくされ、無事に立っている建物など、ひとつもない。
 ただ、無数の瓦礫が横たわっているだけだ。瓦礫の隙間から、白い腕がのぞいているのが見える。
 ここが、ヴィントの村なのだろうか。
 思い返せば、出会ったその夜、ルクスはひどく土で汚れていた。
 村が焼かれたその夜、彼女はここで穴を掘り続けていたのだ。
 何のために? 想像するだけで、胸が締め付けられる。答えは、おそらくひとつだ。


 蝋燭を吹き消すように、淡い光が消えた。
 次に聞こえてきたのは、豊かな水のせせらぎだった。
 清らかな川のほとりに建てられた、粗末な小屋。
 よく晴れた空から、燦燦と日が注いでいる。
『腕は切らねばなるまい』
 開け放たれた小屋の扉から、しわがれた老人の声が聞こえてくる。
 ドラゴンの業火を受けて、領城の裏手を流れる川に落ちた二人を、下流で拾い上げた老医師だった。
 昔は王都で貴族に召抱えられていたという彼は、数年前に隠居を決め込み、ラッセルまでやってきたのだと語っていた。
『残しておけば、腐食が広がる。腕を失うのは辛いことだが、命には代えられまい』
 狭い小屋に設えられた粗末な寝台の上で、フェスターはゆっくりと首を前に倒す。
 その表情に、迷いや後悔は感じられない。
『私の腕は、シグルド様の命になったのです。あの方に希望を託すことができるなら、この腕ひとつ、惜しむものではありません』
『いくら主とはいえ、それほどまでに公子に入れ込むか』
『ご隠居殿には分かりますまい。私はあの方に救われ、あの方に生かされてきたのです』
『しかし、坊主は立ち直れるかね。背中の火傷もさることながら、まるであの目は――復讐に取り憑かれた悪鬼のようだ』


 まばゆい光があたりを包み込んだ。
 水のせせらぎも消え、古ぼけた小屋も失われた。
 代わりに、風が木の枝を揺すぶる音が聞こえはじめた。鳥が連れ立って、枝から飛び立つ。
 深い森の中に、立っていた。
 生臭い臭いが鼻につく。鉄分の臭い。生き物の体に流れる、液体の臭気だった。
 高い声を上げて、幼子が泣いている。
 まだ一人では歩けぬくらい、幼い赤子だ。
 幼子の傍らに、ふたつの死体が横たわっている。
 若い男と女だった。
 一陣の風が吹き、幼子のすぐ傍に、緑のたてがみと尾を持った美しい馬が現れる。
 最早動かぬ女の服にすがって鳴く赤子の顔を、舌でべろりと舐めた。
『お前の父母は勇敢だった。薄汚い密猟者から私を守るために、その尊い命を犠牲にしたのだ』
 赤子はゆっくりと泣き止み、美しい馬の、翡翠色の瞳を見つめた。
『ならば、私の命もお前のために捧げよう。お前の命が尽きるまで、傍にいて守ると誓おう』
 天馬の体と赤子の体が、共鳴するように輝きだした。
 両方とも漆黒だった赤子の瞳が、片方だけ絵の具を溶かすようにゆっくりと、翡翠色に変わっていった。


――お前たちは奪われながら、ここへたどり着いた。

 奇妙な声と共に、世界は一瞬にして闇に閉ざされた。
 男のものとも女のものともつかぬ、不思議な声だった。波のように、寄せては返す。
 耳元で聞こえたかと思えば、遥か彼方に遠のく。
 自分の掌さえも見つけられぬほど深い闇に、シグルドは静かな恐怖を覚えた。
 立っている場所が何処かも分からない。本当に自分の体があるのかも、判断がつかない。自分の存在を確認できないということは、これほどまでに心の安寧を奪うものなのか。
 シグルドの動揺になど構うこともなく、声は続けた。

――さあ、答えてもらおう。全てを奪い返す力と引き換えに、お前は何を差し出す?



2.

 静かに風が渡る。
 里の中央に湧く泉に、漣が立った。
 滝の向こう側からは、未だに焦げた臭いが漂ってくるが、ばちばちと木々を苛む炎の音は、聞こえなくなっていた。
 人気のない里の只中に立って、長はひとり、空を見上げる。
 晴れ渡った空にひとつの黒点が生まれ、見る見るうちに近づいてくる。
 水のしたたる青い翼を優美にたたんで、長の傍らにルサルカが降り立った。
「森の火は収まったようじゃな」
 長は、何も映さぬ双眸を美しい魔物に向け、穏やかに語りかけた。
『しかし、火の眷属を逃してしまった。そのうち里の入り口も気づかれよう』
 憂えた様子のルサルカに、長は深く頷く。
「よいよい。充分な時は稼げた。民たちの多くは近くの里に追い出すこともできた。残ったのは私と同様の、頑固者の老いぼればかりよ」
『ヴァンはどうした』
 静まり返った里を見渡して、ルサルカは気遣わしげに相棒を見下ろした。
「公子と共に行かせたよ」
『公子とか』
 水の魔物は、意外だとばかりに嘴を開く。
『あれの親は騎士くずれに殺されたのだろう。それ以来、ヴァンはアスガルド人――とりわけ貴族階級を憎んでいるはずだが……』
「ヴァンには多少の荒療治が必要だろうよ。お主も気づいておるはずだ。ヴァンがスレイプニルを駆って里の外へ出るのが、偵察のためだけではないと。外界への憧れは、若者の宿命。盲目的な憎悪が己の道を狭めていることを、あやつも本当は気づいているはずだ。ヴァンが今後どんな道を選ぶにしろ、この出会いは決して無駄ではあるまい。婆の最後のおせっかいじゃ」
 ルサルカは、長年連れ添った片割れを、青く輝く瞳で見下ろした。
 何かを言いたげな沈黙が、しばし続いた。
『……お前はここに残るのか、ロルヴァ』
 沈黙のあとで、ルサルカは囁くように言った。
 ふふ、と長はかすかな笑いを唇からこぼす。
「その名で呼ばれるのは、いつぶりのことか」
『話をはぐらかすな』
 ルサルカは生真面目で神経質だ。全く危機感のない片割れに、思わず口調も厳しくなる。
 これから何が来るのか、誰よりも知っているのは、この里長のはずなのに。
 長は、皺だらけになった手で、水の魔物を制した。
「分かっておる。私はここを離れるわけには行かぬよ、腐っても頭領だ。それに、今からここにやってくる火種は、この里が生んだ憎しみだ。憎悪が生まれることを見過ごしたツケは、払わねばならん。残った老いぼれは皆、同じ思いだろうよ」
『そうか、あれはあのときの――』
 何か思い当たった様子のルサルカに、長は再びゆっくりと首を前に倒す。
「おぬしを付き合わせることになるが、"おてんば"と契約したのが運のツキと思うて、あきらめてくれ」
 歯を見せるように、長は笑った。
 ルサルカはどうやら、苦笑したようだった。
『昔のお前はおてんばだが、美しい娘だったな』
「今は見る影もなく老いぼれたがの」
『魂の気高さは、今も一点の曇りもない。契約を交わしたそのときから、我らは一蓮托生。もはやお前の"おてんば"には、何も言わぬよ』
 ルサルカが摺り寄せた嘴を、ロルヴァは頬で受け止めた。小さな掌で、しっとりと濡れた咽喉のあたりを撫でる。
 静謐な時が流れた。
 まるで、祈りを捧げるように、神聖な。

 ざぁっと木々を揺すって、生ぬるい風が吹いた。
 ふたりは同時に顔を上げ、空を見上げた。
「"火種"が来たな」
 ロルヴァの声が、熱を帯びた風に溶けた。


            *


 やがて、闇の中にひとつの光が生まれた。
 純白の光。蛍のように、ゆるやかに明滅する。
 ふたつ、みっつ。そして無数の光がふわふわと体の周りを飛び回る。
 その光で、シグルドはようやく自分の体がまだ存在することを確認した。

――にくしみの気配だ。

 光のひとつが、幼い子供の声で言った。
 耳元を通過したときだった。
 はっとシグルドが振り返ると、既にその光は闇の中に消えている。

――ドラゴンの臭いもする。

 今度は反対側の耳をかすめる、老いた男の声。

――何を求め、ここまで来た?
――お前の故郷からは、遠く離れているはず。
――背に禍々しい刻印を持っているな。
「力を……」
 四方から矢継ぎ早に被せられる問いに、眩暈がしそうだ。
 ちらちらと、浮かんでは消える光ばかりで、どこに焦点を当てればいいのか分からない。
「ドラゴンを退ける力を求めて、ここまで来た」
 シグルドは声を張り上げる。
 さえぎるものが何もないのか、声は遠くまで通り、反響はなかった。闇にするりと、飲み込まれたようだった。
 小さな光が、首筋を通り過ぎる。
――力を手に入れ、どうする?
 呼応するように、数多の光がくるりくるりとシグルドの周囲をめぐった。
――恐ろしい力だぞ。
――お前が無事でいられる保証はない。
――命を賭して、何を為す?
「人々に、安寧を取り戻す」
――綺麗な話だ。
――心に渦巻く闇には、そぐわない。
――それが大義名分ではないと、断言できるのか?
 あどけない少女の笑い声、野太い男の言葉。
 光は右へ左へ、シグルドを翻弄する。
――"あの男"の首がほしいだけではないのか?
 ふと、耳元で囁いた声に、慄然と息を飲んだ。
――"私"の首を切り離した、その復讐に。"私"のためではないのか?
 低く、深い声。あまりに耳慣れた声だ。二年のときを隔てても、忘れるものではない。
「父、上……?」
――私だけではない。お前の愛する母も、あの男の手にかかったのだぞ。
 炎に包まれたあの日の記憶が蘇る。
 あの男は、高々と掲げて見せたのだ。未だ血の滴る、父の首を。
 目の前が暗くなった。決して、周囲を漂う光が消えたわけではない。こみ上げた激しい怒りが、シグルドの視野を狭めたのだった。
 確かに、カリストフに対する激しい憎悪は本物だ。父の亡骸を冒涜したあの光景を思い返すだけで、腸が煮える。
 しかし父は――。
 憎しみを促すような声を、息子にかける男だろうか。
「父上は、復讐をお望みですか……」
 顔を上げると、淡い光に包まれた父が、まっすぐにシグルドを見詰めている。
「父上は常に、民の安寧を思えと教えてくださいました。カリストフへの憎しみは、確かにあります。ただ……、民の安寧を願う心と、相反するものではありません。憎悪を抱いていても、民の安寧のために戦うことは、できるはずです!」
「ここに眠る力は……」
 穏やかに父は口を開いた。
 生前のままの穏やかな口ぶりだった。
「魔力を喰らう。森羅万象に宿る生命を取り込む力だ。私たちから全てを奪ったドラゴンすら、喰らうことが出来るだろう。この力の見返りに、お前は何を差し出すのだ?」
「何、を?」
 父の形をした光は、ゆっくりと頷く。
「以前この力を得た者は、自らの命を差し出した。ドラゴンを打ち倒した後、石と化したのだ。片腕を差し出したものもいる。お前は命や片腕を捧げる覚悟はあるのか?」
 シグルドは少女の涙を思い出した。
 彼女の手に預けた、短剣も。
 そして、姉と慕う女の片腕――。
「戦いを終えた後の私の命は、既に預けてしまいました。この腕は、僕を生かすために失われた尊い腕の代わりです」
 体の内側すらも見透かそうとする、父の曇りのない瞳を、シグルドはまっすぐに見返した。
「私にはたくさんの約束と誓いがあります。容易く捧げるわけにはいきません」
 髭を蓄えた口元を緩めて、父は笑った。
「強欲だな」
 父の体がぐにゃりと溶けた。
 淡く発光する、ひとつの光の塊になる。
 広がり、縮み、そしてやがて、一振りの剣の形になった。

――お前がこの力に耐えられるのか、試してやろう。

 ふわりと剣が宙に舞い上がり、切っ先をシグルドに向けた。
 まばたきをした、その一瞬。
 風を切る音と共に、剣がシグルドの左胸を貫いた。
 全身に走った衝撃に、シグルドは――絶叫した。



【つづく】