マテイの炎
【C.C.C.】-Fire of Mathey-
9.
靴音の響き方が変わった。広い場所に出たようだった。
広がる空間の気配に、思わずルミアルは立ち止まる。空間に対してあまりにも自分がちいさく感じられて、心細くなった。
有機物の気配がしない。生きているものの気配が。
空だ。寒々しい。
泉から湧き出るような、水音ばかりが遠く聞こえる。
すくむ足を叱咤して、水音に近づくことにした。
無機質の只中に立ち尽くしているよりは、ずっとましだと思った。
これほどまでに必死に全力疾走をした記憶は彼の人生にはなかった。気を抜くとすぐに咳き込みそうになる。酸素が足りなくて、めまいがした。
必死に繰り返す荒い呼吸が自分のものだとは、にわかには信じられない。こんな自分の呼吸を聞いたことがない。
額から浮き出した汗が眉間を伝って鼻のあたりまで落ちてくる。火照った体が汗のせいで冷え始めていた。
自分の靴音ばかりが高く響く。
後ろからカイナが追いかけてくるのではないかと思ったが、何も聞こえなかった。
追いかけるしかないと思ったはずなのに、浅慮だったのではないかと後悔しはじめる。
カイナに離れるなと言われたばかりだった。
どれほど離れただろう? ずいぶんと走った気がする。感じた距離感が確かならば、この地下空間はおそろしいほど広いことになる。改めてそれを感じて、さらに心細くなった。
己の限界を知ること。乱暴ながら面倒見のいい女医に言われた言葉が、今頃しみてくる。
がむしゃらに突っ走ってつぶれるのはただの阿呆だ。
自分はまだ、自分を知らない。自分すら知らない。
前方がわずかに明るい。
足元が見えることに気がついて、ルミアルははっと顔を上げた。
確かな照明があるわけではない。壁際に近づいた、ただそれだけのことだった。
しかし、ルミアルを待っていたのはただの壁ではなかった。
薬のカプセルを縦にしたような。奇妙な機械が壁にそってずらりと並んでいる。水が湧くような音はそれらから聞こえていた。
その奇妙な物体はガラス張りになっていて、内側に水分が満たされているようだった。
何か物体が漬かっている。
まるで水槽に近づくかのように、ルミアルは両手でカプセルに触れ、中を覗き込み。
“内容物と目が合った”。
飛びのくようにカプセルから離れ、よろめくままに後ろへ下がる。
カプセルの中には、人間がいた。
うつろに目を見開き、ぐったりと弛緩しているその様は、とても生きているとは思えない。
循環しているらしい水に藻のようにたゆたう髪は、すっかりと色素が抜けて白髪になってしまっていた。
「まったく困った坊やだな」
朗々と響きわたった男の声には、隠し切れない苛立ちが滲んでいた。
声と共に爆発したかのようにいっせいに照明が点り、闇に適応していた瞳を容赦なく射抜いた。
白色の照明は、独特の光沢を持つ壁や床に跳ね返り、目がくらむほどにまぶしい。
眼前でフラッシュを焚かれたかのように、一瞬視界が効かなくなった。
「どうあっても絶望したいらしい」
背後から足音が近づいてきた。体をひねって振り返る。
白く焼けた視界に、ぼんやりとひとの形が浮かび上がった。
大人の、中肉中背の男の、すがた。まずは輪郭だけが伝わってきた。
「貴様……」
姿をくっきりと見とめるよりも先に、口をついて怨嗟がこぼれる。
ちらちらとうるさい視界がようやく普段の明暗をとりもどすと、白衣姿の男がひとり、立っているのが見えた。
「あれは、一体なんだ!?」
ずらりと並ぶカプセルを指差し、ルミアルは叫んだ。
壁に沿ってならぶ無数のマシン。そのほとんどに人間が詰め込まれている。
カゼルは憐憫にも似た笑みを浮かべ、両腕を広げた。
「ラヴァル家の次期当主殿、”マテイ”へようこそ。ここは―――」
ばらばらと、無数の足音が乱れながら近づいてきた。
黒い影がいくつもなだれ込んでくる。
もう失われてしまったはずの教会の剣、漆黒と金の軍服。
各々銃器を手にした亡霊たちは、カゼルの周りをぐるりと固めると、銃口をルミアルに向けた。
「ここは、今は亡き教皇猊下直属の、不老不死の妙薬の研究所です」
王者のように兵士を従え、朗と通る声でカゼルは言った。
*
どっと降り注いだ光に、カイナは思わず足を止めた。
闇に閉ざされていた世界が、上方からあますところなく照らし出され、あまりのまぶしさに目がくらんだのだった。
いっせいに照明が点いたのだと、一拍おいて気づく。
天井を仰いだ。照明のようなものは一切見えない。どういう仕組みなのかはよく分からない。このあたりは、ふらっといなくなった考古学者のほうが詳しい。
明るくなっただけマシだ。そう思うことにした。
今は音信不通の男の傍らで、幼いころから奇妙なガラクタ―――貴重な遺物らしいが―――を見続けてきたのだ。この不可思議な照明の仕組みに、興味が無いと言えば嘘になる。
けれども今はもっと、優先すべきことがある。
全世界の中で一人の男を捜すよりも、この遺跡の中で一人の少年を探すほうが、絶対に早い。
反らした咽喉を、元に戻す。
前方をまっすぐ見据えた。進むべき道があるのだ。
少し離れたところに白い物体が倒れ伏しているのが見える。先程の女と同様だ。白い衣服に白髪。うつぶせに倒れていて、体の下には赤い絵の具をぶちまけたような汚れが広がっている。すっかりと固まっているように見えた。
今日や昨日のものではあるまい。
歩み寄って、見下ろした。左胸のあたりに黒いしみが広がっている。銃創だろうか。
一体、ここでなにが起こっているというのだろう。
命を失ったまま放置されている憐れな骸を見つめ、わずかに目を細めた。
瞬間。
しなやかな肉食獣の機敏さで、カイナは顔を上げた。
まっすぐ伸びた一本の道の先から、何かが破裂するような音が届いた。
それはあまりに、銃声に似ていた。
10.
言葉がうまく嚥下できずに、ルミアルは数度まばたいた。
何もかもすべて、理解の及ばぬ言葉だった。
教皇? 不老不死の妙薬? 研究所?
何の話だ?
「ここが古代の遺跡だったことぐらい、あなたにも分かるだろう。教皇猊下は考古学者たちを集め、この遺跡を研究所につくりかえた。伝説の不老不死の妙薬を手に入れるために、ね」
カゼルはふたたび高い天井を仰いだ。照明器具が一切ないにもかかわらず、まぶしく何もかもを照らし出す不可思議な天井を。
「その妙薬は、細胞を再生しつづけるらしい。文字通り、老いもせず致命傷を受けない限りは死ぬこともないそうだよ。教会の支配体制が瓦解してから中央を逃れた教皇猊下は、その力を得て神になろうとしたのだね、ほかの人間とはあきらかに違う、絶対的で超越的な存在に。すべては己の復権のためにだ」
教皇の私兵を気取っている割には、カゼルの口調にはどこか、さげすむ色がある。
「まぁ、ご本人は五年前に病を患われて、あっさりと召されてしまったがね。それと共にこの研究所も遺棄したのだが」
朗々とつづくカゼルの演説も、ルミアルの耳にはほとんど入ってこなかった。
ひとつの疑問が体中を支配していた。
「―――うえ、は」
教会の研究所だと言うのなら、何故。
「姉上は、どうして連れ去られたんだ」
確信めいた予感はあった。
だが思考は、それを理解することを拒んでいる。
認めたくない。決してそれは、認められない。
やさしかった姉の笑顔ばかりが、何故か今、よみがえってくる。
飲み込みの悪い生徒を見る顔で、白衣の男はひとつ溜息を落とした。
「これだから子どもは嫌いだ。すべてを白か黒かで分けようとする。真実をありのまま突きつけられたほうが痛いのだと分からないのか。―――察しているだろうに」
カゼルは、ルミアルの肩越しに無数に並んだマシンを見た。
その視線が、促した。予感を確信に切り替えなければならなかった。
「貴様、姉上を……」
体の両脇にぶら下げた拳を、爪が肌を傷つけるほどに強く握り締めた。
「”実験台にしたのか”」
血を吐くように、白か黒かを決めるために、ルミアルはとうとう予感を言葉にした。
カゼルは答えない。
その沈黙が、何よりも雄弁な回答だった。
―――ひみつにしてね。
少女のように、唇の前で人差し指をたてる姉の顔が脳裏にちらついた。
“わたし今、好きな人がいるのよ”―――。
「貴様ァ―――ッ!」
世界が白く焼けた。己の咽喉から迸った絶叫は、獣のうなり声にも似ていた。
次の瞬間、ルミアルは白衣の胸倉に掴みかかっていた。
頭ひとつ分ほど高い相手の顔を、自分のほうへ引きずり寄せる。
「姉上は、姉上はおまえを……!」
憤りがあとからあとから噴き出して、咽喉をふさぐ。
言葉にならない。
姉はあの時、この男を。
こんな男を、確かに愛していた。愛していたのに。
引きずり寄せた男の顔には、表情がない。優越も同情も憐憫も、悔恨もない。
硝子のような瞳に映っている、般若の如き己の顔が、むなしいほどに。
「実験体は」
口元だけを動かし、カゼルは言った。
「完成することはなかった。中毒症状を起こして死ぬものが大半だった。ごく一部は不老不死は手に入れた。だが、自我を保っていられたものは、ひとりもいなかった。我々は教皇の死とともにこの研究所を遺棄したが、風の噂で吸血鬼のことを耳に挟んだ。我々はこの研究所を完璧に葬り去るために、アルマロスへ戻ったのだ」
ルミアルは突き飛ばすように、カゼルの胸元から手を離した。
そんな言葉が聞きたいわけではない。
「彼らはね、咽喉が渇くんだそうだよ。だから見境なく、水分をもとめて人を襲う」
だから首筋に食らいつき、生き血をすするというのか。
「不老不死というのは厄介なものでね、多少の傷を与えても細胞を再生してしまう。彼らに邪魔をされて、この遺跡のメインコントロールルームを探すのに、ずいぶんと手間取ってしまった。だがそれも、今日で終わりだ。電源が復旧したということは、誰かがコントロールルームに辿りついたのだろう。あとは自壊モードに切り替えればすべては終わる」
カゼルがまわりに視線を向けると、軍人たちの銃口が改めて、ルミアルに照準をあわせた。
「マテイを知っているものには消えて貰わなくてはならない。誰も知らなければ、そんなものは無かったことになる。クリストファ伯も潔癖なひとだった。わざわざ名乗り出なければ、こちらも気づかなかったものを」
「なんだって?」
血だまりを、思い出した。
力なく横たわる老人の骸。
「やはり、おまえたちが殺したのか」
腹のあたりから全身に冷たさが広がってゆく。怒りではなかった。
あまりの無慈悲さに、おそろしくなった。
カゼルは小さく肩をすくめる。
「存在を知るものが誰もいなくなれば、存在自体がなかったことになる。今、そう言ったはずだが」
「悪魔め! 地獄へ堕ちろ!」
言葉尻にかぶせるように、ルミアルは叫んだ。
カゼルは笑った。なぜか困ったように。
今のこの状況にはあまりに不似合いで、ルミアルは一瞬、視線を奪われる。
が、すぐに我に返った。
マシンガンをたずさえた男たちが身構えたからだ。
ぐるりと銃口に包囲されている。逃げ場はない。
「ならば先に天に召されて、愛しい姉を待つがいい」
カゼルが軽く片手を挙げ、居並ぶ軍服たちを見回した。
いくら世間知らずの子どもでも分かる。あの手が下ろされたときが、最期だ。
そのとき。
世界が赤く染まった。
照明の明度が落ち、注ぐ光が赤に変わったのだった。
《退避勧告です。自壊モードが選択されました。当施設は三十分後に、マシン、データ、通用口等のすべてを爆破により自動的に破壊します。大変危険ですので、誘導灯に従い、直ちに脱出してください。繰り返します―――》
危機感のない明瞭な女の声が降ってきた。
「時間だ」
事務的にカゼルがつぶやく。それは死刑宣告だった。逃げ場もないのに、体は勝手に身構える。
しかし、相対した軍人たちの顔が急に強張り、ルミアルの肩越しに後方を凝視するのが見えた。
ざあっと大量の水が流れる音を背中で聞き、遅れて異変に気づく。
鼻腔の粘膜を刺激する薬品の、強烈な臭い。ひたひたと寄せてくる水の気配。
全身が総毛立つ。悪寒に、ルミアルは恐る恐る振り返った。
すぐそこに、地獄があった。
壁に沿って並んだ無数のカプセルが今は開き、内包した薬品を光沢のある床にぶちまけていた。
わずかにとろみのあるその液体は、降り注ぐ赤い光に照らし出され、血液のようにじわじわと広がる。
そして、薬物に濡れた床に。
這い蹲る無数の。
―――人。
産み落とされたばかりの獣の仔のように全身を濡らし、絶え間なくうめき声を上げている。いたるところから上がるそれらの声が高く低くまざりあい、耳をふさぎたくなった。
阿鼻叫喚だ。
「うわああっ」
耐えかねた軍人のひとりが、引き金を引き絞った。
乱射された弾丸を受けて、実験体が奇妙に痙攣する。
あっけなく仰向けに倒れ、しばらく震えたあと、再び緩慢に体を起こした。
「頭か心臓を狙え! 奴らは致命傷を与えられない限りは死なん!」
呆然と立ち尽くす軍人たちに鋭く叫び、カゼルは右耳を押さえた。
「おい、どうなっている、コントロールルームは……」
右耳に装着した通信端末からは、応答がない。舌打ちをし、カゼルは白衣の内側から自らも黒光りする拳銃を引きずり出した。
銘々実験体に向かってゆく軍人たちをぐるりと眺めてから、銃口をルミアルに向けた。
「おまえからだ!」
銃が咆哮した。
“とたんに、カゼルの手からピストルが弾け飛んだ”。
右手を押さえ、白衣の男はその場に膝をつく。
弾丸が飛んできた方向を振り仰ぎ、歯軋りをした。
「CCC―――!」
ルミアルは呆然と、小柄な人影が自分とカゼルの間に割って入るのを見た。
「カイ……」
「あとで一発、思いっきりぶん殴ってやるから、覚えてなさいよ!」
走り通しだったのか、息は乱れている。怒髪天を衝く勢いで激怒しているのが、背中を見るだけで分かる。
いくら腕のたつ賞金稼ぎとはいえ、ひとりが加勢したところで事態はまったく好転したわけではない。
しかし、ルミアルは自分でも驚くほどに、安堵した。
彼女は苛烈なまでの生命力を放っている。生命の熱。
この煉獄では、なによりもまぶしかった。
「全部聞かせてもらったわよ」
カイナは、黄金色の銃口をカゼルに向けた。
「あんたが教皇派の残党だったなんてね」
「わたしにもなにか賞金が掛かっているかな」
痺れを訴える右手を押さえ、カゼルは立ち上がった。
口元には不敵な笑みを浮かべていた。
「別に賞金なんてどうでもいいわよ。あたしは、あんたが、気に入らないの」
ぴったりとカゼルの額に照準を合わせ、カイナは刻み付けるように宣言した。
「だがどうする、ここはすぐに爆破されるぞ。それに―――」
いつの間に拾い上げたものか、カゼルの手にはピストルが戻っている。すばやく照準を合わせると、引き金を引いた。
微動だにしないカイナの横をすり抜け、後方へ飛ぶ。濡れ雑巾を壁にぶつけるような音と、低いうめきが聞こえた。
「ここは吸血鬼の巣窟だ」
ルミアルの背後で、眉間を打ち抜かれた実験体のひとりが膝からぐちゃりと床に沈んだ。
「それに、君の噂は聞いているよ。わたしが殺せるかね、今まで一度もターゲットを殺害したことがないそうじゃないか」
「知らないの? 賞金稼ぎは生け捕りが基本なの。それに、手当たり次第口封じをして回るしか芸がない奴らよりはマシよ!」
「カイナ!」
ルミアルがカイナの腕を強く引いた。
とっさに振り返ると、すぐそばまで白い影が近づいていた。
ルミアルをかばうように下がらせ、掴みかかってくるそれを回し蹴りで退ける。受身すら取る余裕がない様子で、白い亡霊はあっけなく横に飛んだ。
遠ざかる足音を背中で聞いた。おそらくカゼルだろう。黙って逃がす気にはなれない。しかし、後顧の憂いは絶っておかなければならなかった。
奇妙な鳴き声をあげて立ち上がろうとする影に、カイナは銃口を向けた。
廊下で対峙した女と同じように、赤い瞳から涙を流している。
―――彼らは、咽喉が渇くそうだよ。
―――奴らは致命傷を与えられない限りは死なん!
自我や理性が残らなかった、と言うけれど。
苦しくないなら、何故泣くだろう。
さまざまな事情で生まれた街を離れ、希望や夢も抱いていただろうに。
「……ごめんね」
引き金を引いた。
額に間抜けな穴を開け、赤い両目を見開いたまま、濡れた体が仰向けに倒れた。
小刻みに痙攣してから、動かなくなる。
「……ルミアル、あんた、銃の使い方わかる?」
骸を見つめたまま、カイナが訊いた。
「射撃を習ったことならば、ある」
憐れな体に吸い寄せられた視線を何とか引き剥がして、ルミアルは賞金稼ぎを見上げる。
眼前に、銀色の銃身が差し出された。
「弾は六発。予備はあるけど、充填してる時間が惜しいから、無駄弾はつかわないで。とにかくあたしたちは、ここから生きて出るの。自分の命を守るためにつかって」
「おい……」
「壁に沿って青く光ってるのが誘導灯。その先に地上への出口があるはず。非常口は最後の最後まで封鎖されないから、そこを目指す。ついてきて」
「ちょっと待て、これはおまえの!」
差し出されたまま受け取ってしまった重みを、ルミアルはもてあました。
両手で感じているのは、決して物理的な質量ではない。
セキュリティロックのかけられた自宅のなかで、さらに厳重にしまわれていた。
一度は奪われた”これ”を取り戻したときの、心底安堵したような顔を、しっかりと覚えている。
約束だと言った。家族のようなものだと。
受け取れない。
カイナは、黒曜石のような瞳で、穴が開くほどにルミアルを見つめた。
「今それをあんたに預けなかったら、あたしは多分一生後悔する」
銀色の重みをもてあましている少年の手を、上から押さえ込んだ。
「あんたのことを百パーセント守ってあげられるかどうかわからない。悔しいけど、あたしは万能じゃないから。ふたりとも無事にここをでるために、これが一番効率がいいんだよ」
今にも泣き出しそうな顔の少年に、カイナは破顔した。
「そいつの名前はマルクトっていうの。大事に扱ってよね」
笑顔のカイナに上から強く押さえ込まれ、ルミアルはそれを受け取った。ひとつ、強くうなずく。
自分の、自分たちの限界を、知ること。
限られた領域のなかで、できる限りのことをすること。
それが最善策だ。
うなずき返し、カイナはぐるりと周囲を見回した。
「自我が無くっても生きて動いてる人間を撃つのは嫌だから、極力避けましょ……っていっても、助けられるわけじゃないんだけどね」
数十分後には、この施設は爆破されてしまう。皆を連れて逃げることはできない。
先程まで鳴り響いていた銃声が聞こえなくなっている。
赤く照らし出された床には軍服姿の体がいくつも横たわっているのが見えた。
数は力だ。一度に複数に襲われたら、いくら銃器を手にしていても勝てない。
累々と重なった、白い遺体もある。先程よりは数が減っているものの、まだ苦しげにうめいてカイナたちに近づいてこようとするものもある。
しかし動きは緩慢だ。足を止めなければ、振り切れる。
カプセルが並んでいたのとは対面側の壁の足元が、青く光っていた。矢印の形をしている。
ふたりは揃って、光を見た。
「行くわよ」
大きく息を吸い込み、ルミアルはしっかりとうなずいた。
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