マテイの炎
【C.C.C.】-Fire of Mathey-
1.
つま先に擦り寄るようにひたひたと広がる海を見下ろして、少女は露骨に眉をひそめた。
夜闇の中では色は知れない。が、おそらく赤黒いのだろう。
水分にしては、やけにとろみがある。
鉄分の臭いが鼻をついた。
「やりすぎなんじゃないの」
独白にしては声が大きすぎた。屈強な体躯がいくつも振り返り、小柄な少女を見つけ出す。
人垣の間から、力なく地面に倒れ伏した赤黒い海の源が見えた。もうそれはおそらく、人ではあるまい。
「これはこれは、CCC(トリプルC)嬢じゃないか!」
左胸に揃いの羽飾りをつけた男たちの中からひとり、さわやかな微笑を顔に貼り付けた男が進み出た。両手を広げ、さも感激したという様子で。
胡散臭くてたまらない。少女は目をすがめる。
太陽と海とが似合いそうなさわやかな笑みだが、頬といわず首といわず、返り血を浴びているのだ。その笑顔は実に不気味だった。
「なに、これ」
年長者に礼儀も払わず、少女は地面を顎で示す。じわじわと広がる血の海を。
「また吸血鬼だよ」
困ったように肩をすくめる男の身振りは、広い舞台でのみ映えるような、大仰なものだった。この男はいつもそうだ。深刻さが感じられない。
「名うての賞金稼ぎであるCCC嬢が、騒ぎを聞きつけて飛んできてくれたことには感謝する。が、お手を煩わせるまでもなく、我々自警団がとどこおりなく処理を済ませたところだ」
まるで舞台口上だ。
おざなりに頷いて、少女は薄汚い袋小路に背を向けた。
来た道をたどり、大通りへと戻る。下卑た喧騒と酒の臭いとがまざりあう歓楽街を一本折れたところで、吸血鬼狩りという名の殺戮が行われているのだ。気分が悪い。
路地から酒場の明かりもまぶしい大通りへ戻り、小柄な少女はふと、空を仰いだ。
風に運ばれた砂が舞い、空はいつもくすんでいる。
滅多に晴れ間を見せない空も、このアルマロスの特徴だ。荒野の只中にある、ならず者の集まる無法地帯。
たしかに自然はきびしい。治安も決していいとはいえない。
けれども、住み難いと感じたことはなかったのだ。
―――一月ほど前までは。
2.
「脚で扉を開けるなと、何度言ったら分かってくれるんだろうこの子は!」
不可侵の砦であるカウンターの内側で、一本の棒のようにひょろっと長いマスターが片手で顔を覆った。
悲壮な面持ちである。
「あたし今とっても、美味しいカフェオレが飲みたい気分なんだけど!」
酒場の扉を行儀悪くも脚で蹴り開けて入ってきた紺の髪をもつ少女は、酔っ払いの如く据わった目できっぱりと言った。
漆黒の瞳の奥に今は、押し殺しきれない憤りが燃え滾っている。
小柄な体にはいささか高い椅子に陣取って、なめらかに磨かれたカウンターにがつんと頬杖をついた。
「なんだカイナ、荒れてるじゃねぇかよ」
左斜め後ろから、声が割り込んできた。
少女が荒んだ視線を向けると、既に半ばほどまで消費されたジョッキを手にした、山のような大男が立っていた。
綺麗に刈られた芝生の如き短髪の筋骨隆々とした男は、カウンターにジョッキを置き、少女の隣に陣取る。
「どうもこうも!」
馴染みの顔を見たところで、短気なりにがっちりと押さえ込んできた不満が勢い良く噴火した。
「なんなのあれは。気分悪いったら!」
右肩に蠍の刺青を持つ男は、しばらく視線を宙に漂わせてから、盛大に眉間に皺を寄せた。
「ああ、アレな。また何かやったんか、あいつら」
「吸血鬼狩りだってさ!」
憤然と吐き出して、この界隈でCCCという通称で呼ばれる少女は大仰に肩をすくめた。同時に、あの嫌な男の仕草を思い出して、盛大にしぶい顔をした。
*
アルマロスは、中央から遠くはなれた、不毛の大地の只中にある。
広大な荒野を渡る行商人たちのキャンプが発展した街で、現在も多くの商人たちが出入りをしている。
周辺には大きな街はない。更に、砂塵から街を守るために築かれた高い外壁が、くっきりと内と外とを区切っている。
元来商人たちはしたたかな生きものである。必然的に、アルマロスに集まる人びとは、一癖も二癖も隠し持った人間に限られてくる。
やり手の商人、中央を追われて逃れてきたもの、地方の集落から仕事を求めてくるもの、孤児たち、没落貴族、なによりアルマロスは賞金稼ぎの街として知られている。
のどかで美しく整えられた街ではないにしろ、それなりのルールが存在し、それに則って生きている以上、決して地獄ではない。癖が強いだけだ。
“だけだった”。少し前までは。
一月ほど前から、人気のない路地裏で死体が見つかるようになった。
もともと荒くれものの街であるので、死体が見つかること自体は、さほどショッキングなニュースではない。
しかし、同様の手口で殺された死体が増えるにつれて、やはり人びとは不安を覚えはじめた。
噛み付かれた痕があるのだ。
首に。
吸血鬼だサタンだとアルマロスは騒然となり、更にはこんな辺境には不似合いな上等な出で立ちをした亡霊を見たという噂があちこちで上がりはじめ、混乱は飽和状態に達していた。
自警団が結成されたのは、亡霊の噂が立ち始めた頃だった。
この街のすべてが賞金稼ぎと商人とならず者で構成されているわけではない。この街に根付き、生活をしている一般人のほうが圧倒的に多いのだ。
件の吸血鬼―――一応そう呼称するとして―――は神出鬼没であり、決して狭くはないアルマロスの、いたるところに現れる。
いくら優秀な賞金稼ぎが集まる街とはいえ、いざ吸血鬼が現れたそのときに、傍にいるとは限らない。
自らの生活は自らの手で守るのだという崇高な理想のもと、一般市民の若者たちが集まって結成されたのが、自警団だった。
数人でグループを組み、交代で居住区を中心に見回りを行う。住民たちも、自らの危険も顧みずに立ち上がった若者たちに、賞賛の眼差しを贈る。
美談だった。
しかし、半月ほど前からゆっくりと確実に、歯車がかみ合わなくなりはじめた。
異変は、自警団のひとりが誤って、没落貴族を殺害してしまったことに端を発する。
自警団に加わらなければアルマロスの男ではない、という周囲の無言の圧力に負けて参加したその男は、元来たいへんな怖がりだった。
殺された没落貴族はといえば、中央を追われ辺境へ落ち延びてきたものの、特権階級であったことのプライドを捨てきれずに、いつも身なりに気を使っていたのだという。
人気のない暗がりで、臆病な自警団と上等な出で立ちの没落貴族がばったりと鉢合わせた結果は、決して想像に難くない。
あっけなく、血は流れた。
元々軋轢がなかったわけではない。没落貴族たちは、中央を追われて流れ込んできたいわば余所者である。
しかし彼らには、多くの人間を額ずかせてきた特権階級としてのプライドがある。
アルマロスの住民といえば、階級に縛られぬ自由人がおおい。”そり”は合わない。
表だって争うのが馬鹿らしく、お互いに妥協を重ねながら、なんとか均衡を保っていただけなのだ。
十五年前。
強力な一神教で世界を束ねていた教会の中枢部が瓦解した。
教会の権威は堕ち、栄華を誇った聖都は半壊し、未だ再建の最中にあるという。
教会の失墜とともに旧体制が軒並み崩れ、すべてを牛耳っていた宗教の力が弱まったことを受けて、お飾りに過ぎなかった王族が権利を主張する傍ら、貴族たちの盛衰も激しく、中央はまさに混乱を極みにある。
辺境へ落ち延びてくる没落貴族の数は増えるばかりで、住民たちの不満は日に日につのるばかりだった。
自警団による没落貴族の殺害は、恰好の引き金になる。
日々の鬱憤が表面化し、アルマロスは殺伐とし始めたのだ。
*
「でもよ、実際ゾンビみたいなのもいるんだろ。見たこたぁねぇけどよ」
空になったジョッキの底を半眼で覗き込みながら、巨漢が言った。
「白髪に赤い瞳の死体がいくつか見つかってはいるみたいだね」
うつくしく磨き上げられたカウンターの上に、淹れたてのカフェオレをしずかに置いて、紳士を体現するマスターが話を引き継いだ。
「何でも、生きている人間と見れば見境がないとか」
「見境ないのは奴らのほうだってば」
両手でカップを持ち上げて、カイナはにべもなく言い放つ。
「気持ち悪いゾンビが徘徊してたって、貴族狩りしていいって理由にはならないでしょ」
「まぁ、近頃はやたらと幅きかせてやがるがなぁ」
ジョッキをあきらめ丸太のような腕を組んで、このあたりでは名の知れた運び屋は、深刻そうに眉間に皺を寄せる。
「ボクたち正義ですって顔に書いてあるのが気に入らないのよ」
カイナの猫舌を考慮して適温に調節されたカフェオレを一気に飲み干して、子どもっぽく唇を尖らせた。
「なんつったかな、リーダー格の男」
右の肩に掘り込まれた刺青にちなんで「蠍」と通称で呼ばれる男は、たくましい人差し指でこめかみを掻く。
「カゼルでしょ」
「そう、そいつだ。アルマロス出身だって言ってはいるがよ、ガキの頃の話なんだろ? しばらくこのあたりを離れてて、最近になって戻ってきたらしいじゃねぇかよ」
「なんだ、案外情報通じゃないの」
「馬鹿いえ、運送業が運ぶもんは荷物だけじゃねぇんだ」
素直に感心した様子の賞金稼ぎに、蠍は憤然と言い返した。
「ここは元々我々の街だ、お貴族様に大きな顔をされるのは気に入らない、か」
右側にひらりと揺れる白を感じて、カイナはそちらに体を捻った。若干かすれた低い声は、あらたに現れた客のものだった。
「先生、ひさしぶり!」
カイナがぱっと顔を輝かせる。
病的なほどに青白い白衣を羽織った、三十がらみの女が口の端を歪めるようにして笑う。
不揃いな金髪がまっさらな白衣につつまれた肩を流れ、肩甲骨のあたりまで伸びている。若干不健康そうながら、顔だちは整っていて、スタイルもいい。
「ドクター・イシス、こんばんは。いつものでいいですね」
「そうしておくれ。まったく、この街の奴らはわたしを過労死させたいらしい」
自ら左の肩に手をやって、揉み解す。顔には疲労がくっきりと滲んでいた。
「しばらくじゃないか。どうしてたんだよ? 酒好きが」
カイナを挟んだ向こう側から、蠍が顔を出す。
ドクター・イシスはいささか鋭い感じのする目を細め、巨漢を睨み据えた。
「あんたがわたしの代わりに患者を診てくれるっていうんなら、わたしは好きなだけ昼間っから酒を浴びてられるんだけどね」
「最近はどうやら、あなたのところに駆け込む患者が増えているそうですね」
女医の前にグラスを置いて、マスターが苦々しく笑う。
「駆け込み寺にした覚えはないんだけどね」
凝り固まった肩をすくめ、イシスはグラスに口をつける。
「正規の病院にいけない奴らがこぞってうちに来るんだよ。困ったことに奴ら、金だけは持ってるもんでね、金さえ貰えれば面倒見るっていううちのスタンスが災いしてるのさ」
イシスは正規の手順を踏んで開業しているわけではない。いわゆる闇医者である。
お尋ね者であろうが何であろうが、治療費さえ出せるのならば診る。荒くれ者の多いアルマロスでは、重宝がられている。
賞金稼ぎの中でも彼女を贔屓にしているものは多く、カイナもそのひとりだった。
守銭奴だと陰口を叩かれるイシスではあるが、元々は研究者一族の出で、若い頃は聖都の研究所にいたこともある。医者としてのプライドや技術は一級で、本当に苦しんでいる患者を目の前にすれば、金などなくても診てしまう性分だということを、カイナは良く知っていた。
酒好きで口が悪く手も早い、性格も若干キツめのために敬遠されがちではあるのだが、この酒場に集まるものたちには随分と慕われているのだ。
「お貴族さま、か?」
声をひそめ、蠍が問う。
煙草に火をつけながら、イシスは頷いた。
「財産没収されてるとはいえ、落ち延びてくるために残った財産全部持ってくるからね、宝飾品なんかも合わせれば、この界隈の奴らよりは随分と金持ちだ」
「そんなに酷いんだ、貴族狩り?」
「かすり傷程度で飛び込んでくるような軟弱者は蹴りだしてるけどね、厄介な猫をこの間、ついつい拾っちまったのさ」
「ネコ?」
いぶかしげに眉を寄せるカイナの、紺色の髪を乱暴に撫でてイシスが嘆息する。
「目を離すとすぐにいなくなっちまうんだよ。あれは生粋の貴族育ちなんだね。本人に悪気はないんだろうが、背中にボクは貴族です、と書いて歩いているようなもんだ。この街を出歩くのは危なすぎる」
「珍しいな、飛び出した患者は連れ戻さない主義のお前さんが。ああ分かったあれだろ、いい男なんだな?」
言ってから、蠍はすぐに身構えた。彼女の気に障ろうものなら、灰皿やグラス、火のついた煙草などが投げつけられる可能性がある。が、イシスは赤い唇を引いて、艶然と微笑した。
「あと十年経てば、わたし好みの男に育つだろうよ」
「なんだガキかよ」
蠍はあからさまにがっかりと顔に書いた。
「ガキなんだけどね、気位は高いわ頑固だわ、困ったものさ。見目麗しくなかったら叩き出してるところなんだけどね」
イシスは見目などで患者を差別はしない。おそらくは彼女に拾われたという少年の体調があまり良くはないということだろう。ドクターストップをかけた場合、イシスはきびしい。そして、経験と知識に裏打ちされた直感は、正しい。
「何はともあれ、ここしばらくはあんまりいい空気じゃないね、アルマロスは」
イシスはほそく紫煙を吐いて、グラスを煽った。
3.
「あ、じいちゃん」
道端に、カイナは小走りに近寄った。
酒場の帰り道、夜も程よく更けて、店が集中するメインストリートはひっそりと静まり返っている。歓楽街の喧騒が渇いた風に乗ってわずかに届くのみだ。
売り物を撤収して空っぽになった露天の傍に佇んでいた小柄な老人が、振り返る。
「おまえさんか。こんな時間にひとりでは、危なかろう」
顔には年輪のように皺が刻まれている。齢は七十を越えているだろう。蓬髪に白い口髭で、身なりも決していいとは言えないが、背筋はしっかりと伸びており眼差しはつよく、凛としていた。
「あたしは平気なの。このあたりでは有名人だから」
カイナは勝ち誇ったように胸を張る。老人は愉快そうに笑った。
「じいちゃんこそ危ないでしょ。夜は出歩かないほうがいいよ」
「まぁ今更、どこにおっても同じじゃ」
「だけどさ、今は特に危ないよ。だってじいちゃん」
貴族じゃないか、とは流石に口には出せなかった。
しかし複雑そうなカイナの表情を正しく読み取って、老人は目元を和らげる。
「心配せんでもこれからねぐらに戻るところだ」
「だったら腕利きの賞金稼ぎが護衛してあげる」
楽しげに宣言するカイナを、老人は拒まなかった。連れ立って歩き出す。
老人―――ハマエルとは数ヶ月前に出会った。
ハマエルは、街外れの壊れかけた小屋に住み、孤児たちに読み書きを教えている。
彼の教え子が露天で盗みを働いたらしく、子どもを庇って商人に暴行を加えられているところに丁度出くわしたのだった。
商人はすっかり気が立ってしまっていて、盗みの罰には度が過ぎていた。子どもは泣きじゃくっているし、老人は無抵抗だったので、見かねて割って入ったのがきっかけだった。
カイナはこの街では顔が利く。割って入ったことにより、見るに見かねていた周囲の人間も手を貸してくれた。
とりあえず盗みを働いた子どもにゲンコツひとつをお見舞いしてから、カイナはハマエルをイシスの元へ連れて行った。
ハマエルはアルマロスにおいてはただの浮浪者でしかない。
いずこからか逃れてきたものか、数年前にこの街に住み始めたらしい。
流石に身なりはみすぼらしいものの、教養があり知識も豊富で、一部では賢者のように扱われていることを、あとから知った。
元は貴族の生まれで、中央では随分とあくどいこともしたのだと聞いた。それ以上のことは頑として口を割らない。ハマエルという名も本名ではないのかもしれない。
「でもさ、つらくないの?」
夜空を見上げ、カイナは口を開いた。
ハマエルの視線が向けられるのを感じる。
「いい暮らししてたんでしょ。あたしも孤児育ちだから全然想像つかないけど。今の暮らしとは全然違うでしょ」
「お前さんは孤児だったことで不幸になったかね」
カイナは夜空から、傍らを歩く老人に視線をうつす。
ゆっくりと首を横に振る。
「この街に暮らしてる子どもたちに比べたら、すっごく恵まれてると思うよ。確かにオヤジは禄でもないやつだったし、母さんはあたしがちいさい頃に死んじゃったけど。それからあたしの面倒を見てくれたひとたちが、大事にしてくれたからさ」
ハマエルは満足そうにひとつ深く頷いた。
「肩書きや札束ではないのだよ。私はこの街に来てからそれを知った。選ばれて生まれ、民を従えるものと自惚れて、金と財宝に囲まれてしあわせだと思っておったがの。周囲の顔色をうかがい言葉の裏を読み、騙し騙され疑心暗鬼を飼い馴らしながら生きておったのだ。それをしあわせだと思っておったことが、わびしいかの」
「みんな、じいちゃんみたいな考え方だったら、こんなことにならなかったかな」
カイナはつま先に視線を落とした。
中央を逃れてアルマロスに落ち延びてきた貴族たちが疎まれるのは、彼らが今はもううしなわれた過去の幻影にしがみつくからだ。
地位や富、従属する民。自らを支えてきたものがすべて、失われたことを認めるのがおそろしいからだ。ゆえに倣岸になる。
「仕方がない。かなしいことだが」
ハマエルがちいさく首を振る。
「ひとはそう簡単には変わらんよ。生まれたときから権力を支え、民を治めるものだと教えられて育つとな、それが世界のすべてになる。彼らを庇うわけではないが、覚悟もないうちにすべてを取り上げられるとな、どうすればいいのかも分からなくなるのだ。それはおそろしいことだよ」
唐突に光をうしなうようなものだ。
「私は、笑って食事をしながらテーブルの下で足を蹴りあうような生活に随分辟易していたし、覚悟を決めて一切合財を放り捨てたから、あたらしいものも見えたのだ。自らが盲目にならなかったことを、しあわせだと思うとるよ」
「覚悟、かぁ」
理屈としてはわかるが、いまいち実感の湧かない話だった。
「金や地位がなくともひとは生きてゆける。自分が生きているのだと体の隅々まで信じられるのならば、な」
ハマエルは気高い目をしている。
うつくしいな、とカイナは思った。
初めて出会ったときも、彼は真っ直ぐな目をしていた。だから一目でこの老人を好きになった。
カイナはいつも、濁らない瞳が好きだ。
「さて、護衛はこのあたりでよかろう。お忙しい賞金稼ぎ殿のお手をあまり煩わすと、若いもんが煩いでな」
ハマエルの口調には、どこかからかうような響きがあった。
「あたしを普通に雇うと、高いよ」
調子に乗ってカイナも腰に手をあてる。
老人は大声を上げて笑う。
「気をつけてお帰り」
肩越しに振り返り、やさしく、ハマエルは言った。
なんだかくすぐったい気分になって、カイナは笑ってしまった。
【NEXT】
【ark】