The Tower of BABEL
【赫心編】
穢れない真心を込めて。
ひとはひとを愛するのだろうか。
それとも。
利害と渦巻く欲のために。
貪るのだろうか。
1.
坑道を出てしばらく歩くと、周囲の空気がおかしいことに気付いて立ち止まる。
相変わらず周囲は静かで、街中が寝静まっている。けれど。
何かが違った。どこかで、肉食獣が息を殺しているかのように。
外套の中を探り、眼鏡がないことに気付く。先程割ってしまったことにも。
構わない。別に眼鏡があろうとなかろうと、視界に支障があるわけでもなし。
予感がした。
何かが始まる前兆の空気を感じる。
ざっと土を踏む音が聞こえて、ランドウはそちらへ顔を向けた。
「西軍大将閣下とお見受けします」
黒い軍服に胸元の金十字。自分が所属している組織の、下級のものだということを知る。
「いかにもだが、私は現在休暇中のはずだ。火急の用でも?」
「猊下からの通達があり、東軍が動いています。閣下がこちらにおいでとのこと、指揮をとって頂くようにと」
「……現在指揮を取っている上官は」
「東軍アフライド・ゼイン中佐です」
「わかった。アフライドと会おう」
軽く頷き、ランドウはその兵に従った。
数歩歩いて、振り返り。赫月に浮かび上がる塔を見上げた。
巨大なはずのその塔が、何故か心細く見えたのは、赫い光のせいだったのだろうか。
しばらく歩くと、一台の黒塗りの車が止まっていた。
ランドウがそこに辿り着くよりも早く、扉が開き、中から長身の男が姿を現した。
「わざわざご足労ありがとうございます。どちらにいらっしゃるか分からなかったものですから」
「君の上官はどうした」
「ジャンヌは別件で出払っております。わが軍の大将は相変わらず消息不明でして」
お手上げとばかりに両手を広げて見せて、アフライドは苦笑いしてみせる。
「なるほど。……で、君がここに来た仕事の内容は」
「猊下からの通達です。"そろそろ潮時だろう"と」
「"何が"だ?」
「この街が、です」
声を落とし、アフライドが短く告げた。
ランドウは顔を上げ、赫い光の中に浮かび上がる塔を見上げた。
外套の中に手を差し入れ、胸元に収めたものに触れる。
坑道の奥。忘れられたコンピュータールームの内側に。しまわれていたもの。
(これは、私に下さるんですか、猊下)
「……なるほど」
自分を納得させるように、ランドウは頷いて見せた。
「二度目の、裁きか」
*
ざくっ。
木の枝を紐でくくりつけただけの。あまりに質素な十字架を地面に突き立てる。
東の空が少しずつ明るみ、夜の闇を食み始めた。
「本当に、こんな簡単なモンで、いいのか?」
採掘場の端から拾い上げてきたスコップを地面に投げ出して、ハルトが隣の少女に問う。
「うん。ありがとう」
夜着の上にガウンを羽織っただけの薄着で、リョウコはハルトを見上げてはにかむように笑って見せた。
「おい神父見習い、祈ってやれよ」
墓標をしっかりと地面に固定しているレイに向かって、至極偉そうにハルトが言った。
「だって、僕は教会のやり方しか知らないよ」
ここは教会の信仰が薄い場所だし。それにさっきこの人たちを撃ったのは教会の人間で……。
「ぐだぐだ言うなよ。方法なんざ、どーでもいいだろ」
「だってさ……」
「お願いします」
祈るような瞳が自分を見つめるのに気付いて、レイは抵抗の言葉を飲み込んだ。
泣きそうなリョウコの瞳に、ハルトが「ほら」と急かす。
レイは、服の内側から銀のロザリオを引っ張り出して、墓標に向かった。
「主は、かの生命を求められました。その尊い生命を。天上の世界のために」
学園で、何度も繰り返した言葉。もう、聖書など開かなくても分かる。滑らかに口を出る。
けれど、本当に人に。こうやって墓標に向かって口にしたのは初めてだった。
形式的にではなく。祈りを。
心を。込めて。
「別れを嘆いてはいけない。彼らは天上で新たな生命を与えられ。そして想いは巡る」
人の死に、面と向かって向き合ったことなどない。
そんな、とても生温い世界にずっと浸されてきたことに気付いた。
人は死ぬ。いつか必ず。
そんな小さな。小さすぎて当たり前な。そんなことを忘れていた。
リョウコは、胸の前で両手を組んで、墓標に向かうレイを見た。
大地から顔を出し始めた太陽の光が、きらきらとその金の髪に反射する。
神々しいひかり。
(つよいひかりだ)
直感で、リョウコはそう思った。
その澄んだ深い緑の瞳が湛える力は、強い光だ。そう思った。
「……願わくは、召された尊いその魂に、幸多からんことを」
レイが胸の前で十字を切り、しばらくの間黙って目を閉じた。
「ありがとうございました」
振り向いたレイに、リョウコが深々と頭を下げた。
頭を上げると、まじまじと自分を見ているレイの瞳に気がついて、リョウコは首をかしげた。
「あの……」
「あ、ごめん。初めて見たときと随分印象が変わってるから……」
怪訝そうなリョウコの視線を浴びて、慌ててレイは弁解を並べた。
けれどそれは、言い訳ではなく真実で。
ところどころで切りそろえられた髪型はそのままなのだが、表情があどけない。
キモノを着ていないことも違和感のひとつだろう。
「人前に出るときは、一杯お化粧してるから……キモノも。本当はね、顔がとっても疲れるし、キモノなんて窮屈なの。でも、そのほうが神聖に見えるからって……。ハリボテなの」
そう言われてみれば、きついほどはっきりした目のラインも柔らかく、目を引く朱の紅もなく。
歳相応の少女だった。
「また……、ひとりぼっちになっちゃった」
即席の十字架を見つめて、リョウコが零した。
「ひとりぼっちって……」
「私嫌われ者だから。ずっと、ひとりだったから。石とか投げられて……」
「どうしてそんな……」
どうしてそんなに忌み嫌われなければならないのだろう?
たった一人の少女が?
まるで自分の痛みのように顔をしかめるレイに、リョウコはちょっとだけ笑った。
「私、この髪の色でしょう?」
長く伸びた髪を一房、持ち上げる。漆黒の、黒炭のような髪。
「それに私の目」
ゆっくりと自分の右目に人差し指を差し入れる。緩慢な動作で抜き取ると、指先に黒い膜がついた。
それを地面に落とすと、反対側も同じようにする。
何度か瞬きを繰り返したあと、リョウコは顔を上げた。
はッ、と。自分の後ろ側で、ハルトが息を呑んだのを、レイは聞いた。
「赫いの」
漆黒の髪に白い肌。大きな瞳は……。
―――燃えるような赫。
*
テントのわずかな隙間から。
差し込んでくる光がまぶしい。
ああ朝だ。ぼんやりとした頭でぼんやりと思った。
繰り返す、何度も。輪廻のように廻り来る。
太陽は一度死に、朝になると生まれ変わる。そういう思想があった。
まるで人間の生涯を象徴しているようだ。
終わりのあとに再び廻り来る。はじまり。
不健康なディスプレイを見るともなしに見つめたまま。そんな新しい始まりを迎えてしまった。
劇的とは、程遠いもので。
キィボードの横には、握り潰した煙草のソフトケース。もう中身を失って久しい。
冷え切ったコーヒーは、マグカップの内側に年輪を描いている。
(元気ですか?)
勇気を振り絞って呟いた質問に、相手は答えなかった。
去ってゆく、闇に溶け行く背中。足音が聞こえなくなるまでその場にいた。
(僕は貴方に……)
貴方に、なんだろう。その先の言葉は、あまりに長い年月を経て風化してしまった。
さらさらと風に流され、なくなってしまった。
何と言うつもりだったのだろう。もし彼が、自分をあの時。追いかけてきてくれたのならば。
僕は貴方に―――。
失われた言葉の先。もう戻らない、天涯。
「おはよぉございます〜! 隊長朝ですよ〜っ……て。起きてたんですね」
ばさりとテントが捲り上げられて、朝っぱらから元気な声が飛び込んできた。
いつもの自分よりは一秒ぐらい遅いタイミングで顔をあげ、テンションの高い助手を見る。
「モエちゃん、おはよう」
「……徹夜は、お肌の敵ですよ」
すぐ近くまできて、まだ内容物を残したままのマグカップを持ち上げ、モエは小さくそれだけ言った。
お互いに引いた境界線の中には。まだ入らない。入れない。
心にどんなに傷を抱いていようと、干渉しない。それがこの隊の決まりだ。
「モエちゃん」
ファイルいくつかとマグカップを持って、テントを出てゆこうとする助手に、サイジョウは声をかけた。
はぁい? 間延びした甘ったるい声が直ぐ様返る。
「ごめんね」
いつもの、変に伸びた、不真面目な声音ではなくて。
少しトーンを落とした、低めの声。
「…………」
テントの幕を捲り上げたままの背中が、少し黙った。
「どぉいたしまして」
そのあとに返る、温かい声。
ばさりと幕を下ろして、ほわほわした助手が新しいコーヒーを淹れに行く。
その動作を視界の端に収めて、口元にわずかな笑みを浮かべた。
(返るものがある)
それはなんと贅沢なことだろう。
自分がこの世界にいるのだと確かめられる。声をかけては声が返る。
それはなんと。
幸せなことだろう。
*
「私は、この町の端っこで生まれたの」
足元に落ちた漆黒のカラーコンタクトを見下ろして、リョウコが口を切った。
とつとつと、言葉を捜して。
「お父さんは発掘関係の仕事で、お母さんは少し体が弱いけどお料理が上手で。楽しかった。だけど、お父さんが急に行方不明になって。詳しくは教えてもらえなかったんだけど、死んだんだと思う。お母さんは私を養うために一生懸命だったけど、とうとう体を壊して……死んでしまった。何度もね、助けてって申請しにいったの教会に。……聞いてくれなかった」
子供の言うことなんて。はねつけられて地面に転がる。
助けて。助けてください。閉じられた門にたたきつけた手から血が滲んだ。
その痛みを思い出すように、自分の右手の小指の横を見つめた。
「悔しかった」
どうして聞いてくれないの。助けてくれないの。
―――神様。
「教会なんか、って思った。それからは、この街の発掘隊で雑用をして養ってもらってた。友達は……出来なかったけど、食べるものと寝る場所には困らなかった」
バケモノ。そう言って投げつけられた石の痛みは、まだこの頬が鮮烈に覚えている。
「この力に気付いたのは、本当に小さな頃で、それが特別なことだなんてちっとも思わなかった。目を閉じれば……」
そっと。目蓋を下ろす。目の裏に闇。その闇の向こう側。
「声でもない、文字でもない、なんだか不思議なものが流れ込んでくる。優しい音楽みたいに」
寂しかっただからだろうか? 寂しかっただけなんだろうか?
この声が聞こえるようになったのは。
一人だったから、話す相手がいなかったから、空気が同情してくれたんだろうか。
それでもいいと思っていた。それでも私は確かに、空気の中にいるときだけは、一人じゃなかった。
「この場所は、あんまり雨の降らないところで。降ったときに一杯貯めないといけないの。空気がね、そっと教えてくれるから、大人たちに言ったの。"明日雨が降るよ"って」
ざわざわする小さな空気の変化。まだ、人の感覚じゃ分からない。人の肌じゃ悟れない。
それぐらいのレベルの。風が運ぶ小さな変化。
「はじめは大人たちも相手にしてくれなくて、"ああそう"ってしか相手にしてくれなかった。だけどそれが2回3回当たり始めて、大人たちが私に天気を聞いてくれるようになったの。だんだんそれが噂になって、ナツコさんが現れた。"教会"を壊そうって」
笑顔で、手を伸ばしてくれた。初めて。
やさしくしてくれた。
「……ナツコさんがしてることがいいことだなんて、私思えなかった。大きな塔を建てて、あんなふうに人々を並ばせてお金を巻き上げるような真似して。だけど……!」
震える手を伸ばし、墓標の枝に指を絡ませた。強く握り締めると、きしりと枝がしなった。
知ってたんだ。作り笑顔だって。私が大事なんじゃなくて、この力が大事なんだって。
愛してくれてなんかいなかったんだって。
教会、嫌いだったし。この世界は、どこか歪んでるし。
壊せるなら、それもいいと思っていた。
「それでも、よかったんだ。私ずっと一人だったから。傍にいてくれる人がいて、大事にしてくれる人がいて……それでよかった。悪いこと全部、見ないふりしてた……。嫌われたく、なかったから。言われるとおりにしてた。もう一人になるの、嫌だった、から……」
すがり付いてでもその手を、離したくはなかった。
一度与えられた温もりを手放すのは、本当に痛いから。
失いたくないから。
「あんなに嫌われ者だった私が、様付けで呼ばれて、大事にされて……。不思議だった。私は何も変わってないのに、周りばかりが変わっていって……。でももう、駄目なの」
何度。口に出そうとしたことだろうか。だけど口に出したら、皆いなくなってしまうから。黙った。
軋みを上げる墓標から指を外し、自分の額を押さえた。目元にわずかに影が出来、上り始めた眩しい光から瞳を守った。
「もうあんまりよく、聞こえない」
見ようと目を閉じれば閉じるほど、この目蓋の裏に広がるのは深い闇ばかりだ。
見よう見ようと思えば思うほどに、広がる闇は深く濃く。闇が深くて濃いほどに、見ようと思いきつく目をつぶる。
悪循環。
「無理矢理見ようとするたび、無理矢理聞こうとするたび、逃げるの。だんだん遠ざかる。もう私の手じゃ追いかけられない。遠い……」
もう昔のようには、語りかけてくれない。
「自然じゃなきゃ、だめなんだよ」
幾重にも膜を隔ててしまった向こうのように、はっきりと届かない。歪んでブレる。
きこえない。
「だけど皆、"見て"っていうの。"聞いて"って泣くの。だけどもう」
くるしい。
「もう……」
やめたい。逃げたい。
―――泣いたら駄目よ、リョウ。
がくりと膝から地面に崩れ落ちたその瞬間、お母さんの声が聞こえた。
石をぶつけられて、バケモノと罵られて、泣いて帰って来た私の頭を撫でて、私にそして自分に言い聞かせるように言っていた。
その声は、大地が生み出す優しい音楽に似ていた。
―――いつかは全部、上手くいくから。人間はみんな、この世界に幸せになるために、生まれてくるんだから。
潤んだ瞳から零れ落ちそうになる涙を必死に拭った。泣くもんか。
―――涙は悲しいときに流しては駄目なの。幸せになったときに流す分を取っておかないとね。
「"いつか"は……」
小さく声に出すと、視界の端で大人二人が怪訝そうな顔をするのが見えた。
幸せに泣ける"いつか"は。
「来るかな」
頑張れば。逃げずにいれば。その先に"いつか"はあるかな。
「それは知らないけど」
次第に空をよじ登り始めた太陽に、眩しそうにその赫の瞳を細めて、一人が言う。
「諦めたら絶対に来ない」
可能性を全部、殺しちゃうから。
来るかもしれない明日も、見果てぬ夢も。諦めたら全部消える。
「頑張れば来るよ」
今度は反対側から、もう少し優しい声が聞こえた。
「またお前はそうやって、甘いこと言って。自分で言ったことの責任取れるのか?」
「煩いな、頑張れば頑張っただけ返るんだよ!」
自分の頭の上でぽんぽんと交わされる言葉のキャッチボール。
「返らなかったらどうするんだよ」
「どうしてハルトはそんなにいっつも後ろ向きなんだよ!?」
「上ばっかり見てずっこけるよりマシだろぉが、お前みたいに」
「それってどういう意味だよ!?」
おかしい。
とうとうこらえきれずに吹き出してしまった。その小さな音すら耳ざとく聞きとがめて、二人が口論を止める。
たのしい。
吹きだしても止まらなくて、そのまま声をあげて笑った。
笑ったら少し、涙が出た。周りの二人を見たら、笑顔だった。優しい顔。
嬉しかった。
2.
広場は騒然としていた。
「おい、一体いつになったらこの扉は開くんだ!!」
天に向かってそびえたつ塔の一番下。がっちりと閉められた鋼鉄の扉を肥えた男が必死に叩いていた。
開門はいつも7時と決まっている。
しかし7時を10分過ぎても、20分過ぎても、一向に扉は開かず、また、中から何の通達もない。
「もう一週間並んでいるんだぞ! いい加減にしろっ!!」
連鎖のように次々と上がる罵倒の声。待たせられ続けた人々の、噴出した怒り。
扉を叩き続けている男は、自分に覆い被さった人影にも構わずに、必死に目の前の鋼鉄へ向かい続けた。
「すみません」
その人影が声を掛けてくる。構っている気にはなれなかった。
今目の前にある扉。その向こうに行くことしか。
「すみません」
すると、再び声がかかった。女の声。まだ若い。
「煩いな、黙ってくれ!」
罵声で応じて、男は再び扉を叩いた。
……気付けば、周囲の雑踏が薄れているような気もするが、構ってなどいられない。
これからの自分の成功が、この先にある"神の手"にかかっているのだ。
「すみません」
三度目。女が声を掛けた。
「いい加減にしろ、しつこい……!」
勢いよく振り返ったところで、男は言葉を飲み込まなければならなかった。
周囲の雑踏は完全に死んでいた。
瞳と瞳の間。眉間の少し下に、突きつけられた小さな空洞。
そこを凝視しすぎて、きっと寄り目になっているのだろう。頭がくらくらした。
「いっ……」
一体。
そう言いたくて声にならなかった。顔に思いっきり突きつけられた銃口から少しピントをずらすと、朝の光を跳ね返すばかりの銀色が目に飛び込んできた。
「すみませんが、退いて頂きたいのです」
冷ややかな銀の双眸が、真っ直ぐに自分の瞳を射抜くように見つめている。
黒い布地の、自分から向かって右側に、鮮やかに映える金十字。
「せい……き……」
「只今をもって、この広場を制圧下に置きます。抵抗しなければ危害は加えません。動かないで」
「あ、あ……」
背中を鋼鉄の扉に預け、男はずるずると滑り落ちた。
塔は答えなかった。
「……随分遅かったじゃないか。大佐」
下級兵がその男をずるずると運んでゆくのを横目で眺めた銀の瞳に、金が映った。
「"どいてイタダキタイ"ね……。丁寧な言葉は苦手だぜ。よかった。俺の出る幕じゃなかったし」
「少しは言葉を改めたらどうなの、アフライド・ゼイン」
「そうカリカリするなよ、ジャンヌ。うちの大将とは連絡が取れたのか?」
「……僻地で穴掘りよ」
「またかよ、あの人も懲りないな」
全くお手上げと言った体で、アフライドは深い溜息をついた。
周囲が黒い軍服で埋め尽くされてゆくとても平穏とは言えないその光景の中で、二人の会話は少し不釣合いだった。
「大佐!」
全くもう、何でこんなに色々なことが上手くいかないのだろう。
そういう深い意味をこめた溜息が、ジャンヌの口から漏れたとき。少し遠くから大声を張り上げながら一人の若い兵が走ってくるのが見えた。
「何事ですか、騒々しい」
「通信が入っています。大佐に繋げと……」
「誰?」
ピストルを軍服の内側、腰のホルスターに戻しながら、短く問う。
「東軍大将殿から」
一瞬で。ジャンヌとアフライドの間に流れていた、ある意味和やかな空気が凍った。
「アフライド貴方、出て」
「おい、うちの大将はお前にって……」
言うなり背を向けて、どこかへ行こうとするジャンヌに、アフライドは慌てて声を掛けた。
「そういうの、"うちの大将閣下"が気にするとでも? 心配するだけ無駄よ。それに……」
数歩歩いた後肩越しに振り返り、その冷えた瞳でアフライドを見据える。
「私はこれからこの中に入って、色々することがあるから。手が離せなかったとでも言っておいて」
ブーツの踵が、乾いた大地を容赦無く打ち付けて遠ざかってゆく。
(この中に入って)
わずかに顎でしゃくったのは、目の前にそびえたつ巨大な塔だった。
「しっかしまァ、随分嫌われたもんだな。あの真面目な大佐殿が居留守か」
やれやれ、やっぱり俺は上官に恵まれない運命らしい。口の中でぼやきつつ、アフライドは仮設のテントのほうへ向かって歩き出した。
*
《あれ? 随分声が低く太くなったね、ジャンヌ》
「ご冗談。大将閣下に置かれましてはご健勝で何よりです。……で、今はどこにいるんですか」
通信機を耳に当てた途端、流れ込んでくるやけに間の抜けた声が。
本当に驚いたようにそういうから。怒鳴ってやる気も失せた。
本当は、言ってやりたいことならたくさんあった。どうしていきなり。休暇届を机の上に出して―――しかも自分の机の上に!―――姿を消してしまうんだろう。しかもこれで3度目。
「休暇届はちゃんと、然るべきところに出していけって、何度も言ったはずじゃなかったデスカ?」
《そうしたら引き止められると思ったから》
「当たり前です! 何今更8歳のガキみたいなこと言って……」
《やけに具体的な年齢なのは何で?》
切り返しに、柄にもなく詰まってしまった。相手はからかっているわけではなく、本当に、素で! そう思っているのだからタチが悪い。
「そういうことはどうでもいいんだ。あんたが勝手にふらふら出てくから! あんたまた、"西"のあの人に文句言われたって泣き言は聞かないからな!」
《え? 今そっちの指揮はランドウが取ってるんだ? やだなぁ、帰りたくないな……》
「あんたがいないんだから、しょうがないだろうが。とりあえずこっちに……」
《やだ》
「…………頼むぜ大将」
机の上に突っ伏してようやくそれだけ呟いた。もうそれ以外返す言葉も見つからない。
《今僕は10年に1度、いや、100年に一度かもしれない情報の元に動いてるんだ。これを逃したら絶対に後悔する僕が! あとでお小言でも何でも聞くからだからそっちは何とかして》
しかし、そんなアフライドの耳に、なおも響き渡る残虐な響き。純粋で真っ直ぐな。それゆえにあまりに"ヒドイ"。
真っ直ぐすぎてひどい。
こっちがまるで。正しいはずのこっちがまるで、邪魔してるみたいじゃないか。
《それに、塔を崩すのを見るなんて、僕はごめんだ》
―――ほら。
偏頭痛でズキズキいう頭を何とか机から持ち上げて、声を返せずにいる。
いつもと何ら変わらない、子供のような口調で言うんだ。
時々本当に真っ直ぐに一直線に射抜く。
人々が大人になるまでに、捨ててきた色々な、譲れないものとか、幼さとか。そういうもので図った。
正しいこと。
《力で押さえつけても、憎しみは募るばかりだ》
本当はこのひとは、神様なんじゃないだろうか。
教会お抱えの正規軍なんかに所属していながら、神なんて信じていないアフライドが。時々そう思うことがある。
ふわふわとつかめなくて、いつも我儘ばかりで。それでもこのひとは。
一番分かっている気がする。
痛みを。
「だから俺は……」
せっかく持ち上げた頭が重くて、机の上にもう一度横たえた。
一気に肩の力が抜けてしまう気がした。
「"あんたの下"じゃなきゃ、駄目なんだよな」
《知ってるよ。頑張って》
ぷつり。
通信が切れた。
「バカだよあいつ」
通信担当の兵士にインカムを突っ返して、アフライドは席を立った。
何故か笑ってしまった。
*
―――塔を、壊す?
―――そうだ。
塔の裏口の、やけに精巧に作られたロックを乱暴に壊して。鋼鉄だらけの塔の中に踏み込んだ。
壁も天井も全部無機質。なんて冷たい。
指示通りに塔のいたるところに渡されたものを取り付けながら、ジャンヌは辺りを見回す。
―――この街は、思った以上にまとまっている。まとまっているものを崩すためには、象徴を壊せばいい。この街の象徴は何だと思う? 大佐。
先程から、耳元で囁くように回り続けるランドウの声。
ふわふわしていて先が読めないから、自分の属する東軍の大将もあまり得意ではないが。
それとは、なにか「苦手」の質が違うような気がする。
(だってあの目は)
何も信じていない。何ひとつ信じていない。
そんな目をしている。
―――この街を象徴するあの塔と、"神"とすら呼ばれた少女。この二つだ。
―――娘を殺せと?
―――犠牲は最小限に押さえたいだろう。あの娘さえいなくなれば、統制は崩れる。時には犠牲が必要だ。
人柱。まるで何かの儀式のような口ぶりで、彼は言って見せた。
限りなく、静かな目で。
「取り付け完了いたしました!」
意識を深層から引き戻したのは、駆け寄ってきた部下だった。
左胸の金十字の上に右手の拳を重ねる。そんな独特の敬礼の仕方で。
「何時間後?」
「今から12時間後になります」
「……夜の8時ね。分かりました」
「大佐、どちらへ?」
「……もうひとつ、捜し物があるの」
踵を返し、ジャンヌはもと来た道を戻った。
この塔の最上階に、掲げる綺麗な飾り。
見せしめの人柱。
(私は一体何のために)
そこまで考えて止めた。考えるだけ無駄だった。
……考えるだけ、惨めだった。
どんなに考えてみて、どんなにもがいてみて、どんなに情けなくなったとしても自分を許せなくなったとしても。
ゆける場所などどこにもない。
離れられない。
―――"猊下"が好きなんだ?
ほんの少し前。黒い髪に獣のような赫い瞳を持った男が、そう言った。
でも、違うと思った。
好きとか愛とか。
そういうレベルの、この世界にある言葉では、間に合わない気がする。
この胸をじりじり灼く灼熱の温度を、言葉になんて絶対還元できない。
そしてそれは甘く優しいものではなくて、ただひたすらにこの体を灼き、水に飢え、渇き、それでも。
この体を絡め取る。煉獄の炎。
(こんな生命要らない)
もしあのひとが、心から、癒される日が来るのだとしたら。
こんないのちいらない。
制御を無理矢理外された扉は、不恰好に開いたままで、もう閉じる能力を失っていた。
そこをくぐって外に出ると、朝の鮮烈な日差しが少し和らいでいるのに気付いた。
あまりに眩しい光は嫌いだ。この髪に反射して、眩しくて痛い。
ナイフみたいだから。
人を傷つけるために刃物を持ち出すくせに自分は、鋭い光にさえ怯えている。
今も尚。
3.
腹が減った。そう言いだしたのは一体誰だったろう。
人間というのは不思議なもので、小さな言葉一つで簡単に洗脳状態に陥ってしまう。
おなかが空いた"ような気がする"。そんなふうに。
特に空腹はたちが悪い。忘れようと思えば思うほど意識が集中して、止まらなくなるんだから。
ここの街は色気がねぇから。どうせだったら外まで行こう、と。
言い出したのはハルトだった。
色気? その言葉にあからさまに眉をしかめて見せたのはレイで。
私この街の外に出たことない。
そう言って目を輝かせたのはリョウコだった。
「だってそうだろ。あんな鋼鉄の塔が聳え立ってて、他はほとんど廃墟の遺跡と荒地で。店らしい店もほとんどない。ここから見えるのは発掘者たちのテントだけだ。色気なんてあるか」
「そもそもそれを"色気"って呼ぶハルトの神経が分からないんだよ僕は」
「だってそうだろ、飯屋とかサービスを捌く店は、どっかで客に媚があるだろ。その媚が上品か下品かでその店の質が決まるんだよ。女が媚びるのは嫌いだけど、店が媚びることは悪いことじゃないし、それが"色気"って呼べるぐらい質のいいものなら尚更……」
「ダメだ、ここでハルトのヘリクツ攻撃に負けちゃダメだ……」
今まで何度ももっともらしいハルトの言い分に丸め込まれてきたのだ。幼い頃からそれでどれだけ痛い目に遭ってきたことか。
もう騙されないぞと、レイは納得しかけた自分を奮い立てた。
「レイ俺さ、いっつも思ってたんだけど」
テントがたくさん立ち並ぶこの町を、もはやサングラスなどかけずに裸眼で歩いていたハルトが、急に真面目な声を出したので、レイも思わず、うん、と応じてしまう。
「お前ってさ、流されればいいとこも無理に踏ん張ってて。自分の譲れないとこ絶対に譲ろうとしなくて」
うん。相槌を返しながら聞いている。久しぶりにこの幼なじみの真面目な声を聞いた。そんなことを思っているうちに。
「……バカだよな」
トドメ。
かちん。脳ミソが固まるような音がした。こめかみの辺りに青筋が浮くのをリアルに感じ取る。
「バカってなんだよ!?」
とうとう押さえが効かずにレイは怒鳴った。
「あれ? なんだよ、褒めてるのに」
「褒めてない!」
「あ、悪い。言葉が足りなかったわ。"バカ正直"」
「……褒め言葉じゃないよ」
ああもう。どうしてこう。いつもいつもこうなんだろう。
頭を抱えるレイの横で、リョウコが目を皿のように大きく見開いている。
「ねぇ」
控えめに服の裾を掴むリョウコに、レイが振り向いた。
「いっつも、こうなの? なんか、喧嘩してるみたい……」
本当に驚いている顔で、半ば呆然として言葉がたどたどしい。
こんなふうに言葉をぶつけ合うの? 遠慮もなく、傷つけあい嫌われることなど怖れずに。
容赦無く。
「僕はもっと、咽喉に優しい会話をしたいんだけど……」
困ったようにレイが笑う。出来れば、必要以上に声を張り上げずに澄む穏便な話をしたいんだけど。
「すごいね」
熱に浮かされたようにリョウコがポツリと呟いた。
「なんだかすごいね。言いたいこと全部言い合えるのって、すごいね」
傷つけあうことだって、きっとあるのに。その先に崩壊を見ていない。
崩れても、積み直す覚悟が。その向こうにあるんだ。
嫌われるとか、ばらばらになるとか。そんなもの全く気にしないんだ。
なんだか、強いね。
「ハルトに遠慮がないだけだよ」
「仲良いんだね」
ふと漏れた一言にレイが硬直した。仲が良い!?
今までの会話を全て含めて、どうしてそんな答えが出てくるのか、レイにはわからなかった。
「おい! こっち来い!!」
先を歩いていたハルトが、急に声を荒げた。
塔の前に広がる広場を見渡せる高台に立ち、身を乗り出して下を覗き込む。
「どうなってんだこれは……」
人々が、救いを求めて列を連ねていたのが、ほんの昨日の話。しかし、眼下に広がる広場には。
「何でこんなに軍の奴らが……」
手に武器をもち、列を作っていた人々を一箇所に集めているのは、確かに黒い軍服、金十字。
「キャァアァアッ―――!」
空気を引き裂くような絶叫にハルトが振り返ると。視界に鮮やかな色が広がった。
空に斜めに上り始めた太陽の光を受け入れることなく跳ね返す。銀。
「動かないで」
「レイさん……!」
後ろから腕を回し、レイの首の前に水平に。相手の髪と同じ銀の光を発する銀の剣が突きつけられている。
ごくりと息を飲むと、薄い皮が一枚すぅと切れて、生暖かい感触が首筋を伝った。
「レイさん!」
そのすぐ傍で、リョウコが気が抜けたようにへたり込んでいる。
「……ご無沙汰だな。今日は一人か?」
白銀の髪を綺麗にまとめた軍服の美女に、全く"色気"のない声でハルトが言う。
「今日は貴方達に用はない」
「ならさっさとレイを離してどっか行ってくんねぇ? 相手してる暇ねぇから」
「―――"神の手"のリョウコ。こちらに来なさい」
ハルトの言葉を完璧に流して、ジャンヌは視線だけをリョウコに向けた。
「なんだと!? 何をふざけたことを……!」
「来るの、来ないの?」
ぐっとわずかに刃をレイの咽喉に押し付け、冷たい声がいう。
紙で肌を切った時のような、鋭い痛みが走り抜け、レイはわずかに眉をしかめた。
「いいよ、リョウコちゃん、行かなくて」
咽喉元を伝い、鎖骨のほうへと流れてゆく赤い流れを感じながら、眉をひそめながら、それでもレイは笑って見せた。
「でっ……も」
「いいよ」
首に、突きつけられた刃。この切れ味だと、この細い腕でももう少し力を込めるだけで体の一番大事な血管を切り裂くぐらいなら容易だろう。
でもレイは、にっこり笑ってみせる。
「……お前がレイの首切る前に、俺がお前を撃つぞ」
ぐっと低くなったハルトの声にジャンヌはついと視線をそちらに向けた。
すると、黒光りする銃口がこちらを向いていた。
がちりと安全装置を外す音がやけに大きく聞こえた。
「じゃあ、お前の指が少しでも動いたら、俺がお前を撃つな」
全く別の方向からどこか気の抜けた声が響いた。
ジャンヌに銃口を向けたまま、ハルトはわずかに視線をそちらに向ける。すると、自分がジャンヌにしているのと同じように、銃口が自分に向いているのに気づいた。
「……お前らしくないなジャンヌ。特攻だな。どうした」
ハルトにマシンガンの銃口を向けたまま、アフライドが口を開く。
三竦みの状態のまま、空気だけが間を流れる。重い、空気が。
「おい、お前ら。連れて行け」
後ろに近づいてきた部下の足音に、振り返らずにアフライドが告げた。
「待てよ!!」
黒い服を着た男たちがぞろぞろと高台に姿を現し、へたり込むリョウコを両脇から引き上げた。
声が嗄れるかと思うぐらい、大きな声でレイが叫んだ。思わず身を乗り出したせいで、刃が少し咽喉に食い込んだ。
「動くな!」
鋭い痛みが咽喉を刺し、思わず息を詰めてしまう。
白い上着の前が、咽喉から伝った流れの所為で赤く染まっていた。
「リョウコを離せ!!」
「お前は動くな」
いつのまにか傍にきていたアフライドが、ハルトの背中にマシンガンの銃口を押し付ける。
「リョウコ、逃げろ!!」
「リョウコちゃん!!」
「……お前らはよっぽど、死にてぇらしいな」
尚も抵抗を続けるハルトに舌打ちをしつつ、アフライドはぐっと背中に銃口を押し付ける。
「これ以上動けば、切る」
耳元でまるで囁くように告げられた言葉が、鼓膜から入り体中を駆け巡った。
心臓まで締め付ける。
「待ってッ!!」
嗚咽を無理矢理咽喉から吐き出すような。絶叫が一瞬だけ、周囲の時間を止めた。
「私、行くから……だから二人を離して!!」
「リョウコちゃん……」
「離してッ!!」
「連れていけ」
黒い服の男たちが両脇からリョウコを抱え、未練の所為で重いその足を引きずるようにして、連れてゆく。
「私ッ……」
必死にこちらに顔だけ向けて。叫んだ。泣きそうに顔を歪めて、けれど泣かずに。
「"諦めないから"っ……!!」
*
どん、と背中を突き飛ばされて膝からがくりと地面に崩れ落ちた。
ばたばたと砂色の地面に落ちた赤い色を目の当たりにして、今になってくらくらしてきた。
痛い。
慌てて咽喉元を押さえるとぬるりと滑った。
この短期間のうちに、この色を見る機会のなんと増えたことか。
首をやわやわと傷つけた剣は今はもうない。
黒いブーツの音が次第に遠ざかってゆく。
「レイ!」
くらりと遠退いた意識を、聞き慣れた声が繋ぎとめた。
駆け寄ってきたハルトががくりと蹲るレイの体を助け起こした。
「……大丈夫か?」
「うん、血を見て、ちょっとくらっとしただけ。あんまり傷は深くない、と思う」
「真っ赤だけどな……」
白いシャツが、首から伝った血で真っ赤に汚れていた。
「お前最近、血に染まりすぎ」
「染まりたくて染まってなんかない……」
ふらつく足で立ち上がるレイを脇から支えたハルトが、リョウコたちが消えていった方を睨みつけた。
「助けに行くぞ」
「……もちろんだろ」
その視線の先には、この街の中心にそびえたつ塔があった。
空を目指して建てられた、人の欲望の柱が。
4.
そして、赫い月が笑う、夜が来る。
*
「なんだかこぉしてみると、ミイラみたいですねッ」
首に巻かれてゆく白い包帯が、気道を締め付けるかのように感じたのは、彼女の発言の所為かもしれない。
「あれ? 失血ですかぁ? 顔色悪いですけど」
顔の横に緩く揺った髪が、ふわふわとウエーブを描いている。
顔面蒼白になったレイに向かって、至極無邪気にモエは訊いた。
「本当に君たちって、かなりやんちゃだね」
たったさっきまでソファーですやすやと寝息を立てていたサイジョウが、眠気を絡ませたままの声でそう呟いて体を起こした。
「あーあ、肩凝っちゃった」
「そりゃぁ、ソファーなんかで寝てたら肩も凝りますよぉ。前もそんなこと言ってませんでした? 学習能力は?」
「ガクシュウノウリョク? ああ、あとで辞書でも引いておく」
呟きながら煙草を銜え、銜えたわりに火をつけようとせずに、機械から吐き出される紙の束を持ち上げた。
「ん? ………………へぇ」
メガネの奥で一瞬だけその細い瞳を開いて、そのあとにまたもとの細さに戻した。
「爆破されるんだねぇ、あの塔」
そして、近くの店が閉店するかのような容易さでそう呟くから。周囲の人間は皆、その話の重要性を図りかねてしまった。
たっぷり、沈黙が狭いテントの中を通り過ぎた後。
「なんだって!?」
ガタリと座っていたパイプ椅子を大げさに倒しながら、立ち上がったのはハルトだった。
「ああしまった。情報を流してしまったネ」
慌てて口にチャックをするような動作をして見せるサイジョウの襟首を、ハルトが必死の形相で掴んだ。
「爆破!?」
「情報は確かですよ。発掘仲間の間で交わされる情報は大体100パー真実だから。信じてもいいよ」
口の端に煙草を銜えたまま、もごもごと器用に話すサイジョウに、ハルトがもういい、と呟く。
「あー苦しかった」
大げさに咽喉をさすって見せて、苦しいというわりに直ぐ様煙草に火をつける。
この男は矛盾だらけだ。
「何時ですか!?」
包帯を丁寧に巻いてもらったレイが、荒くはなくても鋭い声でサイジョウに問う。
「ん〜とね、8時?」
もう一度紙を見ながら、サイジョウは頼りない疑問形で返事を返した。
「8時!?」
今度はハルトとレイの声が綺麗にハモる。
うるさいうるさいと、耳に人差し指を突っ込んで見せながら、「はちじだよ」ともう一度サイジョウが言った。
「あと何時間?」
「6時間ちょい」
「じゃあ急がなきゃ……」
「だな」
「ちょい待ち」
仲良さげに頷き合ってテントを出てゆこうとする二人に、サイジョウが声をかけた。
「急ぐってナニを?」
「情報って大事なんだろ?」
先に外に出ていたレイの後ろで、まだテントの幕を捲り上げたまま、ハルトが口の端を持ち上げた。
かなり嫌味な笑い方で。
「助力と引き換えはいかが?」
「……は?」
「どうせあの塔に入るつもりなら、二人じゃ無理でしょう。お姫様を救出してくれるんだったら、中に入るまでぐらいなら、フォローしてあげるよ」
銜え煙草で、腕組みをして。細い瞳を開いた真摯な眼差しで。
まるで蛇に睨まれたカエルのように、ハルトは動けなかった。
(こいつ……)
只者じゃない、かも。
「あんたの見返りは?」
「そうだねぇ、ちょっと対決したい人がいる、かな?」
少し渇いた口唇をうっすらとなぞって見せて、サイジョウが呟いた。その瞳が冷たくて、まるで……。
("まるで"。なんだ?)
どこかで見たことのあるような。
「あちちちちっ!!」
浮かびかけた面影を、間の抜けたサイジョウの悲鳴が掻き消した。
銜えたままの煙草の先にどうやらふれてしまったようだ。
(前言撤回)
溜息をついてレイを手招きする。テントの中に戻ろう。
やっぱりこいつバカだ。
*
塔の最上階。私室。
いつも下を見下ろしたバルコニー。
月を見上げた場所……。
ここが崩れる頃にはまた、赫い月が昇るだろう。
傷つければきっと、血を流すような赫い月が。
「今日の午後8時。この塔を爆破します」
そのバルコニーに、大きな椅子がひとつ、取り付けられていた。
そこに、リョウコはいた。
肘掛の部分に乗せた両手首と首に、がっちりと嵌められた枷で、身動きが取れない。
気道はちゃんと確保されているはずなのに、押さえつけられている圧迫感に息が詰まる。
「君は、奇術で民衆をたばかり信仰を汚した。その罪で、ここで塔とともに生命を終えてもらおうと思う」
冷たい枷が、徐々に体内の温度を吸い取って暖かくなる。
後ろから聞こえてくる男の声は、冷たいままだけれど。
「貴方は神でもないのに」
首を固定されているから、後ろにいる相手を振り返ることなど出来ない。
けれど十分だ。言葉が届くなら。
「ひとを裁くの?」
一瞬の沈黙。そのあとに咽喉でくっと笑う声が漏れた。
「何かおかしい?」
「いや?」
足音が徐々に近づいてきた。すぐ横で、止まる。
「私が知っている同僚に、君はよく似ている」
漆黒の髪に青い瞳。口調や表情は酷く穏やかなのに、心の中が酷く苛烈な。冷えた炎を抱いた人だ。
「夢を追って色々な場所を飛び回り、必要最低限にも満たない仕事しかしない。けれど腕は確かだ。そして時に……」
意識に浮かんできたその面影を、表すべき言葉を捜しあぐねて、ランドウは少し黙る。
「幼い」
ようやく言葉を見つけてそれを口にする。
馬鹿にしているような口調なのに、敵意がなかった。
仕方ない、と溜息をつく時のようだった。
「この世界の不条理さと、醜さをその瞳で直視しては傷つく。不器用な子供だ」
「だけど私は、妥協したり、目をそらすのは、もう嫌です」
「……そうか。それではこれ以上はなしていても駄目だね。平行線だ。立っている場所が違うから交差する場所もない」
いつの間に着替えたのか、ランドウは軍服だった。黒い軍服に金十字。
なんだか似合ってない。
踵を返して遠ざかる、先程とは逆に遠退いてゆく足音。
「ただひとつ言えることは、妥協を繰り返し目を逸らしてでも、手に入れたいものがある人間もいるという話だけだ」
ぱたりと扉が閉まった。
もう音はしない。
*
「おい、本当に大丈夫なのか!? あと2時間しかないんだぞ!?」
結局午後6時まで待機を命じられたハルトとレイはもちろん落ち着かない。
そんな二人の分まで落ち着いてやっているという体のサイジョウが、かなり癇に障る。
「まぁお待ちなさいよ。今、軍のやつらが広場の一般人を退去させてるから。一般人のいる中に突っ込んでも思うようには動けないでしょうに」
などと言いながら、サイジョウは呑気にマグカップを傾ける。
「一般人の退去終了しました〜っ! 軍も一定距離を保って塔から離れた模様ですっ」
ばさりと幕を跳ね上げて、まだ10代らしい青年がはつらつと告げた。
「ご苦労であった、ファンくん。そろそろかな」
ソファーにふんぞり返っていた体を重そうに持ち上げて、サイジョウは煙草をもみ消した。
首を回したり、手首を回したり、腕を捻ったり。
なにやら準備運動のようなものをはじめる。
「モエ。君が二人を塔に入るまでフォローしてあげて」
「はぁい」
ほえほえした声で答えると、モエはぱたぱたとテントから出て行ってしまった。
「え? あの、フォローって……」
一体何の? あんなほえほえとした彼女が?
「君駄目だね。見た目で人を判断してはいけませんって、習わなかった?」
尚も丁寧に首を回したりしているサイジョウに、レイはとりあえずはぁ、とだけ答えた。
「そぉですよ〜」
すると突然後ろから、ぐっと首をつかまれた。小さな手だが、容赦がなく強い力だった。
「私だって、このままもうちょっと頑張れば、多分貴方の首、へし折れると思います」
ハッタリなどではなかった。わずかに力を込められた首の内側が、きしりと鳴ったのを感じたから。
「怖がらせちゃいけません」
「はぁい、隊長。すみません」
レイの首から手を離して、モエはぺろりと舌を出して見せた。
「じゃぁ改めて、着替えてきま〜す!」
元気一杯に宣言して、モエは再び外へと出てゆく。
「なぁ、あんたたちって」
その背中を大げさに振り返って見送ったあと、ハルトがサイジョウに向き直った。
「ナニモノ?」
普通の発掘屋さんとは、空気が違った。統率力のようなものが。
このような事態に"慣れ過ぎている"。
それが盗掘関係でもおかしい。盗掘屋さんは抵抗することよりもまず逃げる方を選ぶからだ。
「ナニモノ、って。ユカイでキケンな発掘屋さんファミリー」
「嘘つけ」
「兼」
「…………?」
「レジスタンスかな?」
ぼきぼきと指の骨を鳴らしたあと、仕上げとばかりにサイジョウはメガネを引き抜いた。
サイジョウは、ぽかんとしているハルトの肩越しに、テントの外を見た。
真っ赤に燃えた太陽が、ちょうど地平線に消えてゆく頃らしく、色気のない土色の大地が一面真っ赤に染まっていた。
また夜が来る。
一つの生命が終わりを告げるように。
その赤を目蓋に焼き付けるように、サイジョウはゆっくりと一度、瞬きをした。
*
「あと二時間もたたないうちに、この塔が崩れるのかぁ」
「建てるの金かかったろうになぁ」
もう銃を構える必要などないくせに、相変わらずマシンガンをその腕に抱いたまま、兵士が二人ぽけぇっと聳え立つ塔を見上げていた。
入り口の警備を任されている二人も、あと30分もしたら退去していいはずだった。
「あの女の子、なんていったっけ、キョウ、ショウ……」
「リョウコだろ」
「そう。塔のてっぺんに縛り付けられてんだろ? いくらなんでもなぁ」
「しょうがないのさ。それが上のやり方だ」
「それにしても、お偉方は中から降りてこないけど、いいのか?」
「大丈夫だろ、何か考えがあってのことだろうさ」
周囲は少しずつ闇に包まれ始めていた。
「冷えてきたな」
木々の育たない荒れた大地は、温度を保っていることが出来ない。
太陽が沈めば、徐々に熱は奪われてゆく。
空の端っこに、不気味な赫い月が顔を覗かせていた。
―――キキィ。
変な軋みが鼓膜を振動させた。
二人は同時ぽかんと、頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
タイヤの、軋み?
突然ヘッドライトが上から降り注いで二人は目を庇った。
廃墟と崖ばっかりのこの土地特有の地形。
2メートルぐらいあるような、すぐ傍の高台の上から。
一台のトラックが突っ込んできた。
荷台からひらりと小さな影が舞うように飛び降りた。
なんだ、という前に、隣の男ががくりと膝をついて崩れ落ちる。がちゃりと、地面にマシンガンが落ちた。
「え?」
隣を確かめる前に。今度は自分の左脇腹に衝撃が来た。がん、と。
足で蹴られた。そう判断するまで少し必要だった。回し蹴りだ。自分の銃も宙を舞った。
ふらつく体。容赦無く首を片手で拘束され、容赦ない拳が鳩尾に入った。
「……カードキーは?」
凛と輝く黒い瞳。ようやく男は自分に攻撃を仕掛けた相手を見ることが出来た。
("子供"だ)
ふわふわと揺れる髪を頭の上で高く結い、尚も自分の首をその華奢な手で拘束し、鋼鉄の扉に押し付ける。
「なん……」
「この扉を開くカードキー、貴方が持ってるんでしょう? 出して」
瞳が、まるで肉食獣のようだと思った。
怯んで言葉も発せられずにいると、ぎり、と首を掴む指に力がこもった。さらに鋼鉄の扉と自分の背中が密着する。
「出しなさい」
「む、胸の、ポケットの中……に」
胃液くさい口を必死に動かして訴えた。
あいている少女の右手が、男の胸ポケットを弄った。
薄い感触を確かめて、少女の指がそれを引き抜く。
「はい、これ。これで中の扉は大体開くはずだから」
振り向きもせず、人差し指と中指の間にそのカードを挟んで、肩の上から後ろに差し出した。
「そしてゴメンナサイね、ちょっと気を失っててねっ! ……っと」
駄目押しするように、握り締めた拳をもう一度、兵士の腹に叩きつけて、ようやく首から手を離した。
どさり、と兵士の体が崩れ落ちた。
「……モエちゃん、あんたさ」
差し出されたカードキーを受け取ったハルトが、ようやく口を開いた。
「怖すぎ」
「どぉもありがとう。さぁどうぞ。中に入ってからは自分の身は自分で守ってね」
まるでさっきまでの人物とは別人のような顔で、モエはにっこりと微笑んで見せた。
二つに分けていた髪を頭の高い位置で結っているだけで、印象が変わっていた。
サイジョウはそれを「モエちゃん戦闘モード」と呼んでいたが。
褒めてないんだけどなぁ、そう思いながらハルトは、扉の横についているスキャンシステムにカードを通した。
しゅん、と音を立てて鋼鉄の扉が素早く開く。
照明が何ひとつ点いていない、真っ暗な一本道が目の前に現れた。
「そこまでだ。動かないように」
がちゃりと、同じような音がたくさん重なって聞こえた。
例えばそう。銃を構える音。
ゆっくりと振り返った3人の視界には、こちらに向けられているたくさんの銃口が見えた。
間違いなく、この体を蜂の巣に出来るだけの数。
すっかり暗くなった周囲の闇に溶けて、兵士達の体は容易に判別できない。
ただ、胸元の金十字だけがやけに鮮やかだった。
その兵士達の波を割るようにして奥から出てきた人影が、三人を真っ直ぐに見据えた。
「わずかでも動けば、体中に穴があく」
「あんたさ、軍服全然似合ってないじゃん。軍隊なんて止めれば」
怯むこともなく、ハルトがその視線を受け止める。
「似合う似合わないではない物差しも、この世界にはあるだけの話さ」
温度のない冴えた双眸が、少し愉快そうに笑んだ。
何が愉快なんだろう。
こんな、腹の探り合いみたいな会話は嫌いだ。
レイは、ぎり、と口唇を噛んだ。わずかに咽喉がヒキツれて、鋭い痛みが包帯の下からズキズキと訴えた。
キィッ―――!
突然軋みを上げてトラックが再び動き出した。二つの勢力を分断するかのように間に割って入る。
「モエ!」
運転席から鋭い声が上がった。
「貴方達は中に入って!」
その声を受けて、ハルトとレイにそう言い残すと、モエは腰から手榴弾のようなものを引き抜き駆け出した。
口で乱暴に栓を抜き、トラックの向こうへと放り投げる。
わぁぁっと悲鳴が上がり、銃を投げ捨てて兵士達が後方に下がった。
手榴弾からは、もうもうと白い煙が立ち昇っている。
「煙幕……!」
袖で口を覆って、ランドウが忌々しげに吐き捨てた。
ばらばらに人が散っていて、これでは無作為に発砲も出来ない。
煙が晴れるのを待つしかなかった。
「そろそろ、はっきりさせませんか」
煙の向こう側。敵陣としてはあまりに近い距離から、ランドウは聞き覚えのある声を聞いた。
「何を?」
口から袖を外し、短く問うた。
「貴方と僕の距離をです」
まだわずかに残った煙が視界を遮っている。
しかし気配はそこにあった。酷く近くに。
「貴方の目指す場所と、僕の目指す場所とは、恐らく正反対ですね。相容れないものだと思います」
「君は、あの少女を擁立するつもりか?」
「さて、どうでしょうね。ともかく」
さぁっと風邪に流されてゆく煙の向こう。まず見えたのは銃口だった。真っ直ぐに、左胸を狙う。
躊躇のない凶器。
「貴方と僕の立場は正反対だから、僕と貴方は敵だ」
一陣。風が吹いた。
ざあっと残りの煙が全て吹き飛ばされ、ランドウは初めて相手と視線を絡ませた。
同じ色の、濃い青の瞳。幾分か、相手のほうが黒に近い。
「すみませんががここから先、一歩だろうとを行かせるわけにはいきません」
いつもは細めている瞳を開き、サイジョウは親指で安全装置を外した。
引き金に絡めた人差し指に、力を込める。
「お父さん」