The Tower of BABEL
【闇翳編】



 天高くそびえたつ塔を作った。
 創造主である父に届くように。
 手を伸ばしたのは、神を超えたかったから?
 それとも。

―――神に愛されたかったから?



1.

 がくりと激しい振動。その次にぷしゅうと気の抜けた音。
「あ〜、また止まったよ……」
 斜め前の座席から、気の弱そうな青年の声が聞こえてきた。
「よく止まるんだよな、この路線」
「線路自体がもう大分古いらしいから、しょうがないんじゃないのか?」
 その隣の男が相槌をうつ。

 そんな会話を聞くともなしに耳に流し込みながら、レイは半分開いた窓から外を見た。
 向かい合わせの席では、先程から腕組みをしたまますっかり眠りの世界へ旅立ってしまったハルトがいる。
 草原の中を走る一本の電車。その電車が向かう先は南の大都市ソドム。ソドムに向かうにはもっと別の。しっかりとした電車があったにもかかわらず、ハルトとレイはこのボロの路線を選んだ。
 目的地はソドムではない。その手前にある廃墟の町バベル。
 バベルを通過する電車が、この一本だけだった話。
 しかし。先程からこのように止まってばかりなのだ。まぁ、それに見合う料金だし別に急いでもいないので、慌てもしないが。
「……また止まったのか?」
 腕組みをして目を閉じたまま、てっきり眠っているとばかり思っていたハルトから声が漏れた。
「うん」
「3度目だな。この列車の名物だ」
「名物って……」
 うっすらと目蓋を持ち上げ、色素の薄い赤い瞳で辺りを見渡す。
 太陽の光が眩しいのか、眉をしかめた。
「バベルまで……日が暮れるまで着ければいいな」
「日が暮れるまでって……」
「焦んなよ。時間だけはたっぷりあるだろ」
「だけど……」
「バベルに行くのか?」
 二人の会話の間に割って入ったしわがれた声に、二人が同時にそちらを向く。
 細い通路を挟んだ隣の座席に座っていた老人が、杖を支えに立ち上がったところだった。
「ああ。爺さんもか?」
 こういう初対面同士のふれあいに慣れているらしいハルトが一応対応する。
「いや、その手前に住んでいる。お前さんバベルに行くなら」
 向かいに座っているレイのことなど眼中にもない様子で、老人は顎にたくわえた白い髭を撫でてハルトを見た。
「その目」
 顎髭を撫でた指を、真っ直ぐにハルトの瞳に突きつけた。
 その不躾な態度に、レイはなんとなく嫌悪感を感じた。が、次に老人が発した言葉は、それを上回るものだった。
「隠していけ。面倒ごとに巻き込まれたくなければな」
「なっ……」
 まるでハルトの瞳が悪いかのように。不吉であるかのように。
 初対面の上に不躾に指まで突きつけて。その態度にレイが憤った。
 抗議しようと立ち上がりかけたレイの前に、腕が伸ばされた。制止するように。
 ハルトの。
「……ああそっか。バベルは"そういう"町だもんな。忘れてたぜ」
 いきなり目の前に腕を差し出され、勢いを削がれたレイが、半立ちという情けない格好のまま、ハルトと老人のやり取りを見ていた。
 ハルトは、ベルトに引っ掛けているじゃらじゃらとした鎖やその他の中からサングラスを引っ張り出して、装着する。
「さんきゅ。じーさん」
 満足そうに老人は頷き、すたすたと歩いていってしまった。
 その姿が完全に見えなくなると、レイはようやく座り直した。
「ハルト、なんで……!」
 いつもなら自分よりも沸点が低いはずのハルトが、あんな不躾な態度に黙って応じるなんて。
 違和感を拭えない。
「黒い髪に赤い目はな」
 サングラスを装着しているため、瞳から感情を読み取ることができない。何処を見ているのかすら分からない。
 ハルトは開いた窓に肘を乗せ頬杖にすると、窓の外に視線を向けた。
「地方によっちゃ、悪魔の象徴になるんだよ。別に人種差別でも何でもなくて、そういう信仰があるだけの話さ。何も悪くない。"郷に入りては郷に従え"って言うだろ。そりゃぁ不本意じゃないって言えば嘘になるけどな。厄介ごとに巻き込まれるよかマシだ。……結構多いんだ。そういう町」
「……だからハルトはいつも、サングラスを持ち歩いてるわけ?」
「まァねぇ」
 世界の外。まだ知らないことが多すぎる。
 カルチェ・ラタンの、さらに狭い大学の中で。限られた価値観の中で生きてきたレイにとって、世界はまだ限りなく広かった。
(でも、なんかそういうの)
 あんまり好きじゃない。
「なんでお前が泣きそうな面するんだ」
 困ったような笑いがハルトから零れる。そんな顔してない。ごまかすように少し乱暴に言った。
 本当は悲しかった。
 がくん。
 激しい振動がキて、がたがたと車両がゆれ出した。
「動き出したみたいだな」
 ひたすら続く草原の中を、"滑るように"とは程遠いがたつきで、列車が再び動き出した。



2.

―――たとえば。
 あのとき僕が別の、もっと別の道を探していたら。
 きっと答えは変わっていただろう。
 どんなふうに?
 そんなこと分からない。けれどきっと。
 今よりしあわせに。


            *


 軽い三度のノック。返事を待たずに開かれる扉。
「猊下。ご機嫌は如何ですか」
 デスクに座っていたラジエルは、その不躾な態度を咎めることなく、目線だけを相手に遣った。
「なんだ。お前がここに来るのは珍しいな」
「実は、お願いがあって参りました」
 目元からフレームのない繊細な眼鏡を抜き取り、生きてきた年輪が刻まれた目元でわずかに笑ってみせる。
 濃い青の瞳。
「少しの間、休暇を下さい」
 年に似合わず白髪のない黒髪が、わずかに顔に被さる。それを掻きあげるようにして、男は言った。
「それで」
「少し旅行にでも」
「……西軍大将の言葉とは思えんな」
「息抜きには丁度いいでしょう。軍とはいえ、上層部が動くことなど滅多にない。こんなところに閉じ込められていては、肩が凝りますよ」
「追うつもりか」
「……何のことでしょう?」
 頬杖つき、重ねた掌の上に顎を乗せ、ラジエルは冷えた水色の瞳で相手を見据えた。
 冷えた温度を湛えたその視線に怯むことなく、男はわずかに口元に笑みさえ浮かべて見せた。
「お前はいつもそうだ。公式には絶対動かない。昔も……」
「これは私の趣味ですから。仕事にはなりませんよ」
「お前は何が欲しい」
 脈絡のない質問をラジエルは男に叩きつけた。
 地位も名誉もほしいままにしながら。この男の瞳はいつもひどく貪欲だ。
 ハイエナに似ている。
「……昔、私をそういう目で見ていた男をひとり、知ってますよ」
 何が欲しい。言葉にはしなくても、いつも問うてきた目。
「理想があると。貴方にも申し上げたでしょう。そのために私は、貴方につき従っているだけです。そしてその理想は、職業とは別のところで果たすべきだと思っています。ただそれだけのこと。軍の中枢にいるのは、そのほうが情報が入りやすいだけ。ご理解いただけましたか、猊下」
「……勝手にしろ」
 無言のまま続いたにらみ合いの後、根負けしたのはラジエルの方だった。
「ありがとうございます」
 にっこりと微笑み、男は深々と頭を垂れた。
 片腕を体の前に折り曲げ。
 まるで道化師のように。


            *


「オイオイ何だこりゃぁ……」
 予想よりは少し早く。夕方頃に駅に降り立った二人は、目の前に広がる情景に息を呑んだ。
 発掘現場であるだけに、バベルという場所は大きな谷の中にある。
 駅はそこよりも少し離れた谷の上にあるので、必然的に二人は、高い場所から谷底を見下ろす形になるわけだが。
 先程の鈍行からこの駅で降りる人数の、不自然な多さにもびっくりしたものの。
 その比ではなかった。
 谷底の中心から空へ向かって。一本の高い塔がそびえたっていた。
 "高い"という形容詞すら霞んでしまいそうな、鋼鉄の塔。
 そして、その入り口らしいところから、駅の近くまでずらずらと並んでいる人人、人。
「何だ、お前らリョウコ様にお参りに来たんじゃないのか?」
 駅から出てきたらしい男が、呆然としている二人を見咎めて声をかけた。
「リョウコ?」
「知らないのか? "神の手"のリョウコ。神の啓示を受け未来を占い、不治の病も治すらしい」
「……あんたも、占ってもらいに来たクチ?」
「いやいや、俺はソドムの雑誌記者さ。なんとか潜り込もうと思ってるんだ」
 最後の方をぐっと声を低めて言うと、男はそそくさと列の最後尾へ続いた。
「……どうする?」
「ジェイクさんが紹介してくれた発掘組織に行く方が先なんじゃない?」
 それにとてもこの行列では、並ぶ気にもなれないし。
 地をヘビのように這う行列に一瞥をくれて、レイが溜息をついた。
「そうだな。待つのは性に合わねぇな」
 同じように溜息をついてから、ハルトは、谷底まで続いている階段のほうへ歩き出した。
 どうやら塔に行くためには専用の道があるらしい。階段のほうへ向かうハルトたちに興味すら示さずにただひたすら塔を仰ぐ行列。
(これじゃぁまるで……)
 横目でその光景を見遣り、ハルトは心の中で呟いた。

―――これじゃぁまるで宗教じゃないか。

「ジェイクさんが言ってたのは、多分このことだね」
 そちらからわざと目を逸らすようにしながら、レイが零した。
「多分な」
 ろくに整備もされていない階段に一歩を踏み入れて、ハルトが返す。
「普通なら、許すはずないな。教会が」
 教会以外の"何か"を仰ぐことなど。
「"私以外のなにものも、崇めてはいけない"」
 思い出した文句を口に出して、レイが苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
 聖書の文句だ。
 目の前で繰り広げられているこの情景は、背徳行為以外のなにものでもないはずなのに。
 教会が手を出さずにいるなんて、変だ。
 崩れかけた階段を踏みしめながら谷の底へと下る。
 至るのは一体いずこか。
 微妙にくねりながら、下へ下へと続く階段の、果てが見えない。
 落ちてゆくようだ。
 ―――奈落へ。


            *


「ああ、親父さんから連絡は受けてるよ」
 ようやく谷底に着いた二人は、いくつも並ぶテントの中の、黒い旗を掲げているひとつをくぐった。
 ジェイクの名前を出すと、奥でコンピューターと格闘していたやたら目の細い眼鏡の男が片手を上げる。
「ここじゃぁナンだから、外でお話しましょー」
 と、その男が言うとおり、テントの中は機械やら書籍やらで溢れかえっており、文字通り足の踏み場もなかった。
 棚の上に置かれた機械からは、絶えずかたかたと紙が吐き出されており、しゅるしゅると床を埋めてゆく。
 そのある意味"壮絶"な空間に、二人が呆然と立ち尽くしていると、男はデスクの傍からコーヒーの入ったマグカップを持ち上げ、近づいてきた。
「外にベンチが置いてあるから、そこのほうが落ち着くと思うよ」
 二人と擦れ違いテントを出た男が、顎ですぐ傍にある広場を示す。
 確かにそこには木で作られたベンチやら、簡易の流し場やらが置かれていて、テントの中よりはよほど居心地が良さそうだ。

「ハジメマシテ。サイジョウ・ヒイラギと申します」
 二人をソファーに座らせ、自分は専用らしいパイプ椅子にふんぞり返り、態度とは全く逆の、丁寧な挨拶をよこした。
 ワイシャツをだらしなく着崩し、黒い髪にはところどころ寝癖がついたままである。
「あ、でもサイジョウの方がファミリーネームね。うちの家系は代々苗字が先に来るの。呼びたかったら"ヒイラギちゃん"でもいーよ」
「はぁ……」
 すっかりサイジョウのペースに飲み込まれている二人は、ただ頷くしかない。まだ礼儀正しく相槌を打ってやるレイは優しいほうだろう。
 ハルトなど、すっかり閉口してしまっている。
「あ、主任、トリップから戻ったんですか〜?」
 近くを通った18ぐらいの、ふわふわ頭の女の子が、両手に余るぐらいのファイルを抱えながら、サイジョウの方を見る。
「ああ、モエちゃん、この人たちにお茶出してあげて」
「はぁい、ちょっと待っててくださいね〜」
 甘い声が尾を引き、先程のテントの中へと消えていった。

「とゆうことで、お名前と素顔を拝見していいかな。特に右のコ」
 すっかりと冷めてしまったコーヒーを口に含んだあと、サイジョウは二人を交互に眺めた。
 サイジョウから見て右側にいたハルトは、暗に「そのサングラスを外せ」と言われていることに気付いた。
「いいけど、あんた何か特別な信仰とか持ってる?」
「いーや、僕は無神論者デスよ」
 それもそれで危険思想だな、と思いながら、ハルトはサングラスに手をかけた。
「ハルト」
 短く名前を告げながら、サングラスを胸元に引っ掛ける。
「ナルホド」
 露になる真紅の瞳に、満足したようにサイジョウが頷いてみせる。賢いね、とぽつりと付け足す。
「僕はレイです。レイ・クレスタ」
「キレーな子だね。僕はキレーな子は好きだよ」
「…………え?」
「あはは、冗談冗談」
 思わず顔を青くして引きつるレイに、サイジョウはにこやかに笑って手をぱたぱたさせて見せた。
(冗談に聞こえないっつーの)
 固まっているレイの傍で、ハルトは心の中で吐き捨てた。
「あのォ〜、主任変態ですけど、気にしないで下さいね〜」
 テントから出てきた先程の女の子が、にっこり笑顔に似合わない言葉を吐きながら、二人にコーヒーカップを配った。
「いつもどおり今日もヒドイね、素敵だよ、モエちゃん」
「お褒めに預かり光栄ですっ……あーーーっ!?」
「熱ッ!」
 マグカップ二つを運んできたトレイを胸に抱えたモエが、大げさに叫んだ。
 コーヒーを口に運びかけていたハルトが、その声に驚いて、舌先に火傷を負う。
 ひりひりと痛む舌のまま、一体なんだと顔を上げると、人差し指が見えた。不躾にこちらに向けられている、震える人差し指。
 片手でトレイを抱え、ふるふると震えながら、モエがこちらを指差している。緩く結んだ茶色の髪が、肩の辺りでふわふわと揺れている。
「目、目〜っ!」
 サングラスを外した後だということに、少し遅れて気付く。
 曝け出された真紅の瞳。
 マズったかな。そう思うよりも少し早く。
「いいなァ〜、ルビーの目ぇ〜。欲しい〜っ!」
「………………はぁ?」
「ナマで初めて見ました。本当に真っ赤なんだぁ」
「コラコラ、欲しいってモエちゃん、モノじゃないんだよ?」
「そんなの知ってます! それでも羨ましいんですよぅ」
 あくまで軽くたしなめるサイジョウに、モエはぷくうと頬を膨らませて見せた。
 ひりひりと舌が痛い。

「……なんなんだこいつら」
「ハルト、聞こえてるよ」
「っと失礼。ちょっとふざけてしまいマシタ」
「"ちょっと"?」
「ハルト」
 改めて向き直ったサイジョウに、ハルトが怪訝そうに眉をひそめた。あからさまなその態度に、レイが相棒の服の裾を引っ張る。
「モエちゃんおかわり。……君たちは色々な諸事情があって教会から追われてるんだったね?」
 差し出されたトレイの上に自分のマグカップを乗せ、サイジョウは眼鏡を抜き取った。
 ワイシャツのポケットから布を取り出し、磨き始める。
「それで? 一体僕にどうして欲しいのかな。見ての通り、僕は普通の発掘屋サンだし、見ての通り人手もあまりいない。ま、今は数人地下に潜ってるけど。差し伸べて上げられる手の数は、そう多くないし、そう強くない」
 普通の? ハルトは、よほど口に出して言ってやろうかと思ったが、横から睨まれたので、断念した。
「発掘屋さんだったら、情報も流してくれるのが、結構普通だよな?」
「……引き換えるものがあれば、ね」
「俺たちがオカネモチに見える? それだったら一回、眼科に行ってきたほうがいいぜ」
「いいや、全然。どうやら僕の目は正常みたいだよ。遠視だけどね」
 ハラハラしながら、レイは二人のやり取りを見守っている。そもそも外交担当はハルトの役目なので、口を挟めないのだが。
「この街が"どうしてこうなったのか"、そのアラマシぐらい教えてくれたってバチは当たんないと思うけど?」
「情報は大事に扱わないとでしょ。それがたとえこっちにはどうでもいい話でも、相手によって価値が違うものだし?」
「慎重だな。石橋叩いて、割っちゃうタイプ?」
「そーだなぁ、割ったあと逆切れして川を泳いで渡っちゃうタイプかな」
「タチ悪」
「よく言われる」
 不毛な言い争いに先に見切りをつけたのは、ハルトのほうだった。
「あんた、タヌキだね」
「どぉも」
 呆れ顔のハルトに、相も変わらずにこにことサイジョウは笑ってみせる。
 こりゃダメだ。全くジェイクのやつ厄介なやつを回しやがって。という感情をこめた長い溜息を吐き出した。とき。
「……この町で生まれたひとりの少女が、先見の力を持った。はじめは天気だけだったんだけど、どんどん力が強まった」
 眼鏡をかけ直し、ポケットから煙草とマッチを取り出したサイジョウが、火をつけながら口を切った。
「元々謎の廃墟であるこの町を、その少女が故郷と読んだ。それが始まりだね」
「それって……」
「ここらへんは元々、宗教の色があまり濃くないところで、逆に言うと教会への反感も結構多いところでね。その女の子の裏にいる大人が、教会への対抗勢力に祭り上げようとしているらしいね。ご覧の通りのあの塔であの行列さ。おかげでこちらはキタナい商売がやりづらいったら」
「……普通の発掘屋じゃないじゃんか」
「あれ? 発掘ってそもそも盗掘と同意語じゃないの?」
「違うと思う」
 いけしゃあしゃあと言ってのけるサイジョウに向かって、ぼそりとレイが突っ込んだ。
「だから、君たちが適当〜に、こっちに教会勢力を寄越してくれて、この状況をすこぉしでも打破してくれるんなら、願っちゃったり叶っちゃったりするんだけどね?」
「……なんだか、とってもムズカシイこと言ってねぇ?」
「さぁね。まぁとりあえず寝床ぐらいならお貸しして差し上げますんで。とりあえずテントの掃除でも手伝ってね。オカネが無い場合は労働力を提供していただくことになりマス」
「へいへい、もうどうにでもして」
 話すことすら疲れた、というようにハルトが音を上げた。
 レイは未だ話の展開についてゆけずに目を点にしている。
「ああっと、それからねぇ」
 溜息を吐き出し立ち上がろうとするハルトとレイをサイジョウがそんな間抜けな声で呼び止める。
 ちょうどやってきたモエからおかわりのコーヒーを受け取り、立ち上がった。
「3番坑道はねぇ、入っていったやつがばったばた死ぬから、"絶ッッッッッ対に"、入っちゃダメだよ?」
 感情の読み取りにくいほわほわした笑顔を残し、サイジョウはテントへと戻っていってしまった。

「なぁレイ、今の、なんて聞こえた?」
「………………3番坑道に行けって」
「そうだよな、俺もそう聞こえたぜ」
 なんにせよ、全くもって食えないタヌキであることに違いはない。
 敵に回したくないな。お互いが同時に心の中でそう呟いていたことを、二人は知る由も無い。



3.

―――望んでいたのは、こんな結果じゃない。


            *


 どこかで水滴が落ちる音が聞こえる。
「本当にこんな……」
 不用意に出した自分の声がやけに大きく反響して、レイはその先を飲み込んでしまった。
 こんなところになにかあるのかな。
 言わなくてもニュアンスが伝わったらしく、少し前を歩いていたハルトが足を止める。
「さぁな。だけど、発掘現場にしちゃ、静か過ぎだし。何より入り口にあっただろ、あの立ち入り禁止のテープ」
 ここまでするかってぐらい。
 張り巡らされた黄色と黒のテープを引き剥がして、中に入ってきた二人だったが。
 "ばったばた死ぬ"と言われた割には何事も無く随分深くまで入ってこれた。
 お互い口には出さないが、「あのタヌキにガセネタを掴まされたかな」と心の中で思っていることは明白だった。
 右も左も剥き出しの土で、等間隔に設置された電灯は生きているが、明るいとはとても言いがたい。
 上を見上げると、剥き出しの岩を木や金属で支えてあるだけ。
「……みんな、こんな感じなの? 発掘現場って」
「まぁ、大体は。もっと大きなとこだと、色々機械が入ったりするけど」
 掘れども掘れども、この町を裏付けるものなど何も出てこないこの場所で。
 一体何を掘っているって言うんだ。
 まるで賽の河原。積み上げては崩される。一生終わらないエンドレスの……。
「爆弾なんかだったら、一発だね」
「時々お前、カゲキなこと言うね……」
 そりゃそうだけど。間の抜けたことを真顔で言ってのけるレイに、考えが途中で崩されてしまう。
 ……しゅる。
「もう少し先に行けば、広いところに出そうだな」
 レイに倣って天井を見上げ、徐々に道の幅が広がっていることを確かめる。
 ……しゅるしゅる。
「そこまで行って何もなかったら、まぁとりあえず戻ろうぜ。結構深く入ってきたし。夜になったら厄介だ」
「鳥目だからね、ハルトは」
「色素の問題だろ。お前だって人のこと言えるか」
「ハルトよりはマシだよ」
 しゅるしゅる。
「ねぇ、何の音だろう、さっきから……」
 互いの声でも水滴の音でもない。小さいながら耳につく音。
「あぁ、なんだろぉな」
 口調の割には声が張っていた。ぴんと。張り詰めて。
 何かを引きずるような音。長いものが地面を"這う"ような音。
 暗闇に弱い赤の瞳を細めて、等間隔に設置された、弱い電灯の光の先を見据える。
 ここから先の、広い空間から。"気配"が伝わってくる。ひしひしと。
 しゅう。
「しゅぅ?」
「あのさ、ハルト。なんだかあの音、生理的に好きじゃない……んだけど」
「珍しく同感」
「だってあれじゃまるでへ……」
―――ドガァン
 レイがその名前を口にする前に、大きなものが突然、横の壁から狭い坑道の中に突っ込んできた。
 頭と思われる場所から、思いっきり反対側の壁に突っ込んでゆく。
 ずん、と坑道自体が揺れ、ぱらぱらと上から石の破片が零れ落ちてくる。
 めり込んだ頭を引き抜き、二人の身長よりも巨大なソレは、上から鎌首をもたげてきた。
「わぁっ!」
「お前反応遅い……」
 首の下から続く白い腹が、地面に長く横たわっている。
 開かれた口から時折覗く、二股に分かれた長い舌。
 金に光る爬虫類特有の、光彩の細い目。
「やけにでけぇな、コレ」
「冷静に大きさ判別してるときじゃないだろ!?」
 蛇。
 首の後ろ側が大きく膨れ上がっているところを見ると―――第一どこまでが首でどこからが体なのかは微妙なのだが―――コブラってやつらしい。
「蛇って、ネズミとか卵とか丸呑みできるんだろ? だったらこの大きさだと、ヒトぐらい飲めっかな?」
「怖いこと言うなよ!!」
 生々しく持ち上げた腹のあたりが上下する。絶えず口からはシュウシュウという音が漏れ、ちろちろと赤い舌が揺れた。まるで炎のように。
(……今、目が)
 一瞬だけ掠めた"色"を、ハルトは見逃さなかった。
(なるほど)
 無言の睨み合いがしばらく続いた頃、向こうが大きく首を持ち上げた。威嚇するときの体勢。もしくはこれから……。
「走れ!」
 ハルトが叫び、元来た道を戻り始めた。
 弾かれたように続いたレイの背後で、ガゴッという硬い音が聞こえて、走りながら少し振り返る。
 すると蛇の大きな頭が地面にめり込んでいるのが見えた。どうやら二人のいた場所に突っ込んだようだ。
 ハルトが叫ばなかったら、動けなかった気がする。
 しばらく全力疾走で狭い坑道内を駆け戻ると、背後の気配が消えた。
「……どうやら、追っては、こないみたい、だな」
 両手を膝につき、しばらく肩で息をした後、噴き出した汗を手の甲で拭う。
 近くの壁に体を預け、レイはまだ苦しそうに息を整えている。
「運動不足だな」
「……ハルトだって、息上がってるじゃないか」
「もう平気」
「あなたたち、ここで何をしているの」
 突然割り込んできた幼い女の声に、二人の呼吸が止まった。


            *


「いいんですかぁ、主任?」
 賽の河原はここにも一箇所存在していた。
 片付けても片付けても、すぐに資料でいっぱいになるくせに、甲斐甲斐しくデスクの傍を片付けてやりながら、モエが切り出した。
「ん〜? 何が?」
 サイジョウはディスプレイを覗き込んだまま、もう何杯目か分からないコーヒーを咽喉に流し込みながら、気の抜けた返事を返す。
「あの二人、行っちゃいましたよぉ?」
「そうだねぇ」
「相変わらず素敵に無責任ですね。主任のそぉいうところ、好きですけど」
「アリガトウ。僕も素敵に酷いモエちゃんが好きだよ。相思相愛だね」
「あ、そんなどうでもいいことはいいんですけど、さっきお客さんがいらっしゃってましたよ」
 どうでもいいって。そんな冷たいところも素敵だよ、などといいながら、サイジョウがやっとディスプレイから顔を上げた。
「へぇ、誰?」
「さぁ。カルチェ・ラタンからいらっしゃったみたいですよ。お名前は伺わなかったんですけど、主任よりも年上みたいでした。黒髪で青い瞳の。昔のお知り合いだとかで」
「……へぇ」
 すっ、と。サイジョウののほほんとした瞳に一瞬だけ。宿る鋭い光をモエは見た。
 口には出さないが。
「"あのひと"かぁ、懐かしいなぁ。……でもあんまり会いたくないなぁ」
「お嫌いなんですか?」
「ううん、好きだよ」
「じゃあどうしてですか?」
「う〜ん、そうだねぇ……」
 サイジョウはワイシャツのポケットから煙草を引っ張り出し、マッチで火をつけながら、疲れた目を労わるように目頭を押さえた。
 意識の底を丁寧に探るように。考え込んだのち。
「多分、僕にそっくりだからだね。同族嫌悪っていう言葉、知ってる?」
 肺一杯に吸い込んだ煙を吐きながら、のほほんと笑って見せた。


            *


 突然割り込んできた女の声に、ハルトとレイは無様な体勢のまま固まってしまった。
 次の瞬間、懐中電灯のようなものをモロに顔に当てられ、瞳孔が物凄い勢いで収縮した。
「不躾に光当てんじゃねェッ、目がイカレるだろうが!」
 その苦痛に耐えかねて、ハルトが喧嘩ごしの叫びをあげた。
「立ち入り禁止の場所に踏み込んでおいて、その言い草はどうかと思うが」
 どうやら相手は女一人ではないようで、今度は若い男の声が冷たく言い放つ。
 至極最もだ、とレイは思ってしまった。
「最低限の人権ってやつは、尊重されてもいいと思うぜ。いきなり顔に光当てるなよな」
「見ない顔ね。余所者?」
 今度は別の、歳を大分重ねているらしい女の声が聞こえた。
 余所者って。
 言葉に差別的要素を感じて、レイは思わず憮然としてしまった。
 蔑んでいる口調だ。
 いきなりフラッシュを焚かれたときに似た残像が、少しずつ去り。
 ようやく視界が確かになってくると、目の前に3人の人影が浮かび上がった。
 一番前に立っているのが、自分たちに声をかけてきた少女だろう。
 綺麗に揃った前髪と、頬のあたりで切りそろえられた横の髪。そして滝のように流れる後ろ髪。三段階に切りそろえられた漆黒の髪は、綺麗に手入れされているらしく艶やかだった。瞳も真っ黒。
 しかし、二人の目を引いたのは、そんなものではなかった。
 着ているものが特殊なのだ。
(キモノ……だったかな)
 知識を総動員して検索をかけた結果、一つのデータがレイの頭の中ではじき出された。
 腰よりも少し高い位置で朱色の帯を締め、白地に赤い鳥―――鳳凰のような気がする―――を彩った、民族衣装。
 口唇にはハッとするような朱い紅を引き、少しきつめに入れられたアイラインが大きい目を際立たせていた。
 後ろの二人は、どちらもスーツ姿で、片方はハルト達と同じぐらいの無表情な青年で、もう片方はハルトたちよりも一回りぐらい年上らしい女性だった。
「……あんたは?」
 後ろ二人には目もくれず、ハルトは少女に向かって訊いた。
「口を慎め!」
 途端に、隣に立っていた男が吠える。忠犬みたいだとは思ったが、事を荒立てたくないので、ハルトは黙った。
「……なるほど。あんたが"リョウコ様"か」
「そうです。わたくしはリョウコと申します。旅の方とお見受けしました。この場所へ立ち入ってはいけません。ここには強烈な悪意が渦巻いています。必ずやあなたがたの体、心をも蝕みましょう。近づかないことです」
 よどみなく、綺麗な言葉を並べたリョウコに、二人は思わず言葉を失ってしまった。
 丁寧な言葉だけではなく、彼女の周りに漂う空気。そうたとえば、オーラのようなものが。
 ひどく清浄で、白いものに感じられたから。
(これは本物かもしれない)
 狂信者に祭り上げられ、教祖にされる人物というのは、大体ニセモノが多い。
 口が上手かったり、相手を圧倒する何かがあるだけで、本物のカリスマではない場合が多いのだ。が。
「ここの土地に住むものは、この場所の恐ろしさを知っておりますれば、立ち入ろうとは致しません。お二方は旅の方でしょうから、咎めは致しませぬゆえ、どうぞお戻りください。そしてもう、近づかれませぬよう」
 決して言葉を乱すことなく言い切ったリョウコは、あくまで静かだった。
 その漆黒の瞳は穏やかな闇を湛えている。静寂を。安らぎを。
 これじゃあしょうがないかもしれない。心の中でぽつりとハルトは呟いた。
 目に見える奇跡を与えてくれない教会なんかよりも。
 目の前にこうして、確かな形を与えてくれるこの少女のほうが。
 縋りやすいのかもしれない。

 けれど。壁にもたれかかっているという特殊な体勢だったレイは、その視界に見てはいけないものを見てしまった。
(―――!)
 少女の背中に押し当てられたもの。
 懐中電灯の白い光を反射した、銀色に光るそれ。
「……分かった。戻ろうぜ、レイ」
「え、あ、うん」
 すたすたと歩き出したハルトの背中を追って、レイも壁から体を起こした。
 擦れ違う瞬間、まるで縋るような、憂いを湛えたリョウコの瞳と一瞬だけ。本当に短い間だけ。
 レイは、目が合ったような気がした。


            *


 坑道を出ると、もうすっかり日が暮れていた。うろ覚えのまま、サイジョウのテントのほうへ戻ろうとするハルトの腕を、レイが掴んだ。
 ぐっと距離を詰めて、耳元で声を落として。
「やけにあっさり諦めるね」
 訊いた。
 ハルトがあんなにあっさりと引くなんて、レイには信じられなかった。
「まさか。深夜にもう一度仕切りなおしだ。どうやらよっぽど入って欲しくない場所みたいだからな、あそこ」
「え?」
「だってあの蛇、よく出来てたけど機械だろ」
「えぇっ!?」
「しーっ、声がでかいっての。あの蛇の目、等間隔で赤く光るんだ。中にセンサーが入ってるんだろ。あの広い空洞部分に人を入れないために誰かがあそこに置いてるんだな」
 あの緊迫した状況でよくもまぁ。レイは、今更ながらこの幼なじみの観察力に感心した。
 よく見てたな、と思った瞬間、自分の視界に飛び込んできた先程の情景を思い出して、黙りこむ。
「どうした?」
 急にしゅんとした、実に分かりやすい幼なじみの方を見て、ハルトが問う。
「……さっき、僕も見たんだ」
「ナニ? 蛇の目?」
「……違うんだけど、あの子」
 自分の声が、やけに小さく重いことに、また落ち込んでしまう。悪循環。
 白い肌を綺麗に彩る、特殊に切りそろえられた長い黒髪。神聖さを引き立てるようなキモノ。はっとするほどの朱い紅。
 特別であることを回りに知らしめるかのような、その全ての装飾と、彼女の纏う白い空気に掻き消されてしまいそうだったけれど。
 確かに。
「銃、突きつけられてた」
 自分の口にした言葉にまた傷つく。
 事実を改めて確認して、また苦しい。
 ごくりと息を飲むと、何か重りのようなものが咽喉から体の中心部へ向かって落ちてゆくようだった。
 背中。
 恐らく年増女の方から。
 シルバーに輝く銃が、彼女の小さな背中に。
 さすがにハルトの位置からは見えなかったのか、ぴくりと足を止めて「嘘だろ」と呟くのが聞こえた。
「それに、最後の一瞬だけ、目が合った、気がしたんだ」
 綺麗に整えられた眉が少し苦しげに歪んで。
「泣きそうだった」
「くそっ……」
 ようやく黒い旗を掲げたサイジョウのテントが見えてきた。舌打ちと悪態を時間差で吐き出して見せた後、ハルトは自分の髪に指を突っ込んで、ぐしゃぐしゃと掻き回した。

「訳わかんねぇよ、バベル」




【邂逅編】

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