イレギュラー
第十六話〜最終話



【第十六話】

「弟から話を聞いて、まさか勝利くんがそんなことになってるなんて思わなくて」
 憂いを帯びた表情で、溜息をついてみせる。
 半歩ほど後ろに控えていた要は、相変わらずの同居人の開き直りっぷりに半ば感心し、半ばあきれていた。
 神田勝利とは面識もなく、彼に対する予備知識もほとんどないにも関わらず、随分と親しそうな素振りが出来るものだ。

 翌日、要は放課後と同時に家に飛んで帰り、一馬を伴って再び一竜を訪れた。
 道すがら、やはりあまり乗り気ではない同居人に、一抹の不安すら抱いていた。
 勝利に会うためには家の中に入れてもらう必要があり、怪しまれないためには多少の嘘も必要だったのだ。
 要は、勝利の母親を前にして、罪悪感に蝕まれているというのに、目の前の男には微塵もそれが感じられない。
 たいしたものだと思うし、反面恐ろしいとも感じる。
「英くんのお兄さんなの。わざわざすみません」
 勝利の母が深々と頭を下げる。
「その後、経過はどうなんでしょうか」
 憂えた一馬の声に、勝利の母は苦そうに笑って、首を横に振った。
「ぴくりとも動かなくって」
「あんなに快活な子が……ひどいですね」
「家が静かになっちゃって」
 笑おうとして、彼女は失敗していた。思わず目頭を押さえる。
「こいつが」
 一馬の手が、要の頭に乗せられる。
 突然のことに、状況が飲み込めず、要は息を飲んだ。
「随分勝利くんによくしてもらっていたみたいだから、やりきれなくって」
 左右の目頭を押さえたあと、再び母親は来客に微笑みかけた。
「いつまでも玄関先でごめんなさいね、あがっていって。私はまだ店があるけど、気にしないでね」


「なんていうか……すごいね」
 考えた末に、要はそれだけを言った。
 褒めているわけではなかった。
 先に階段を上っている相手にも、それは十分伝わった様子で。
「……仕方ないじゃないか」
 と、溜息が返ってきた。
「怪しまれるのは困るだろう」
 それにしたって、肝が据わりすぎだ、と要は思う。
 おそろしさすら感じてしまう。
「あまり、気分のいいものではないけどな」
 どんな理由があるにせよ、嘘をついているということには変わりはないのだ。
 うん、と要は小さくうなずいて返した。

 突き当たりの扉を開いたのは、要だった。
 昨日訪れたばかりの部屋は、全く何ひとつ変わらない姿のままで、目の前に広がっている。
 机の上で開かれたままの教科書も、積み上げられたままの書籍も。
 窓際に寄せられたベッドも、その内側で眠る少年も、何ひとつとして変わってはいなかった。
 一馬は、ベッドの傍らに歩み寄った。
 少年らしさを残した面立ちが、今は微動だにせずに深い寝息を立てている。
 枕もとにしゃがみこんで、一馬は、初対面の少年を覗き込んだ。
 項のあたりに視線を感じる。見守っている、というよりも祈っているに近い。
 気がつかないふりをした。
 右腕を持ち上げて、自分と少年との間にかざしてみる。
 指の隙間から、生気にとぼしい顔が垣間見えた。
 魔の棲むこの右手を、少年の額に押し当てるだけだ。たったそれだけのことに、踏み切れずにいる。
 内側からゆさぶり、揺り起こす。覚醒させるといえば聞こえはいいけれど。
 不法侵入には違いがない。あまつさえ、糧をせしめるのだ。
 そうして永らえるあさましい生き様を、赦せたためしは一度もない。
 背中にちりちりと突き刺さる視線が、責めているようだ。ためらうことを。
 錐で穴を空けるような。虫眼鏡で紙を焦がすような。熱っぽく、痛みを伴う視線を確かに感じている。
 ごめんね、と小さく呟いた。
 君を喰らう所業を、どうか見逃してほしい。
 掲げた右の掌を、一馬は、勝利の額に押し当てた。

 一瞬で、触れた肌と肌とが境界をうしなった。
 ぬるりとすべるように融ける。
 熱を持った皮膚がうしなわれ、周囲の景色が重みとろみを持った液体のようにぐずぐずと崩れる。
 だらだらと、滴る血液のように。
 腐り果てた肉のように、上から下へ、色をなくして崩れた。
 世界が壊れる錯覚。
 何度味わっても、慣れるということを知らない。
 これが、乱暴に境界を越える、ということ。
 ひとが誰でも持っている、他者と自分とをくぎる線を、大股で跨ぎ越す犬畜生のような所業。
 くずれてゆく”壁”に、思わず目を閉じた。
 どれぐらいそうしていたのか、分からなくなった頃、頬に風を感じた。
 閉ざした目蓋のおもてから、光がしみてくる。
 ひょう、と風が耳元で鳴いた。随分、荒れて吹いている。

 しみこむ光に促されるように、目蓋をひらく。
 灰色の世界が広がっていた。
 足元も、四方も、無機質なコンクリートに取り囲まれている。
 ずいぶんと、高いところのようだった。
 周囲に建物はみえない。くすんだ空がどこまでも広がっている。
 ビルの屋上か。
 それ以外には見えなかった。
 がらんと、何もないまっ平な人工の地平が足元に広がっている。
 耳障りなほど、風が鳴る。女の、苦悶の声のようにも聞こえた。
 屋上の果ては、階段一段分ぐらい高くなっているだけで、柵などは無かった。
 唐突に、一馬は、屋上の縁に座り込む人影を発見した。
 柵や金網の無い際から、地上を覗き込んでいるように見える。
 制服を着ていた。見慣れたものだ。修恵学園中等部の。
 胡座をかくようにして座っていた少年が、肩越しにふりかえった。
 黒髪が四方に跳ねている。顔つきは、悪戯好きで活発な少年のようだ。しかし、髪と同じ色の瞳は、利発そうだった。
 取り立てて美麗であったり端麗であったりはしないけれど、人懐こい顔立ちに見える。
 驚いたように、少年は目を瞠った。
「……誰?」
 不自然な体勢に体を捻ったまま、勝利が問うた。
「どうやってここに来たんだ? お兄さんも出られなくなった?」
「出られなくなったのか?」
 一馬は問い返した。
 勝利は何度かまばたきをしたあと、コンクリートに片手をついて、立ち上がった。
「だって、階段が」
 あらためて向き直って、勝利は一馬の後方を指差した。

「階段がどこにもないんだ」



【第十七話】

 指し示されるままに、一馬は振り返った。
 息を飲む。
 一歩後ろは、断崖絶壁だった。
 まるで大地震でもあったかのように、ビルの壁がくずれてしまっている。下の階までも大分距離があり、とても飛び降りることは出来そうに無かった。
「降りられないんだよ。どうやってここにのぼったかも覚えてない」
 少年が歩み寄ってきて、一馬の横から絶壁を覗き込んだ。
「帰り道がない、ってさ」
 しゃがみこむように地上を見下ろして、ぽつりと勝利が呟いた。
「すげ、怖いことなんだな」
 膝をかかえこんで、崩れた退路を見下ろしている。
「俺、ここに来て、どのぐらい経ってんのかな」
 自由奔放な黒髪が、絶壁から吹き上がってくる風に揺れる。
「一週間ぐらいかな」
 律儀に、一馬は答えた。
「うわ、マジで? 皆勤賞目指してたのに」
 最悪だ、とはいうものの、そこまでショックを受けた口ぶりには聞こえなかった。
「それで、お兄さんは? 迷子?」
 首だけを持ち上げて、勝利は一馬を見上げる。
「君に会いに来たんだ」
 正直に答えた。「要に頼まれてね」
 勝利は目を瞠る。
「英? お兄さん、英の知り合いなの?」
「今、一緒に暮らしてる」
「家族とかじゃなくて?」
「あいつは今、家族と離れて暮らしてる」
「”神の子”だから?」
 口走って、勝利は慌てて顔をそむけた。
 思わず飛び出した単語に、彼自身、驚いたようだった。
「そうだよ」
 簡単に、一馬は肯定した。
 勝利の体に緊張が走る。
「君たちが見た週刊誌の内容は、大体が本当のことだよ。信じられないだろうけどね」
 無情に、突き放しているつもりだった。
「もし君が、そのことで少しでも嫌悪感を抱くんだったら、無理はしないでくれ」
 無理をして、触れ合おうとはしないでくれ。
 無理はゆがみを生む。今、この現状のように。
 膿み、いずれ腐るだろう。
「君のために頼んでいるわけじゃない。要のためなんだ」
 一度得た温度が離れる孤独は、辛い。
 それが、生まれ持ってしまった力のせいだとしたら、やりきれないだろう。
「興味本位とか、正義感じゃないって」
 崩壊した床をぼんやりと眺めて、勝利が口を開く。
「好奇心なんかじゃないって、思ってた」
 屈伸した膝をのばすように、勝利は立ち上がる。
 ひらりと体を翻して、屋上のはしの方へ歩いてゆく。
「英のことも、高幡の―――ことも。面白がるつもりなんて、全然なかったんだよ。でも……」
 淵から、勝利は地上を見下ろした。
 はるか下方に、赤黒い水面が広がっている。コンクリートを、うすく覆っていた。
「知らなかったんだもんな、俺。帰れなくなるってことがどういうことか。こんなふうに、身動き取れなくなるのがどんなことなのか、分かってないのに、分かった顔してたんだ」
 知らないということは、最も残酷な罪だ。
 すがすがしい顔をして笑っていられる。
 力づよく励ますことが出来る。
 崩れそうな肩を平気で叩き、傷口に指を突っ込む。
 知らないから、痛みにも鈍感だ。
 知識で知るのと体で知るのとは、意味が全く違う。
 指を切ってみるまで包丁の本当の恐ろしさが分からないのと同じ。
 清らな顔には、自分でも気づかないような優越が滲んでいたんじゃないだろうか。
「俺、かな」
 身を乗り出して、眼下の赤い海を見下ろす。
 底知れぬ、深さに見えた。
 とろみを持っているような、濃い赤だ。
「俺が、高幡の帰り道、ぶち壊したのかな」
 引きつるように、口元が持ち上がった。
 笑ってしまった。

 引き返すための階段を。
 現世につなぎとめる手を、無邪気な顔をして払ったんだろうか。
 きれいごとで。
「怖いよ」
 赤い海が滲んだ。声が揺れる。
 咽喉が鳴った。
「帰りたくっても下りられないんだ。頭が変になりそうだよ。高幡も、こんな気持ちだったのかな。俺、全然知らなかった」
 段差に足をかけ、勝利は屋上のへりにのぼった。
 肩越しに、一馬を振り返る。
 涙をたたえた瞳のあやうさに、一馬は息を飲んだ。
 しかし、駆け寄ることも出来なかった。
「だって、普通にこっから下りられないんだったらさ」
 ふっと、勝利は微かに笑った。
「だったら、こうするしかないじゃんか」
 甲高い悲鳴のように、風が鳴った。
 それにあおられるように、少年の体が大きく向こう側へ傾ぐ。
「神田くん!」
 絶叫が風に巻き上げられる。
 あまりにあっけなく、少年の体は、空の向こうへと消えた。



【第十八話】

 ぞっと、全身総毛立つような焦燥におそわれて、駆け出していた。
 屋上の端までたどりついて、段差の向こう側を見下ろす。
 地面は、まるで薄い膜に覆われてでもいるかのように、赤い水に浸されていた。
 柵も金網もない屋上というのは、想像以上に恐怖を掻き立てる。
 体を傾けたら落下する。体がそれを知っている。
 逞しい人間の想像力が、落ちたあとを考える。
 落下の衝撃だとか、人体がつぶれる様だとか。
 だから身震いが来る。
「神田くん!」
 もう一度、叫んだ。
「あー……まただ」
 背後から、声が聞こえた。
 振り返れば、悲壮な面持ちの中学生が立っている。
「何度やってもこう。戻ってきちゃうんだよね」
 背筋を、つめたいものが落ちていった。
 ざわついた胸の内側は、まだおさまらない。動悸だけが早い。
 少年は、打ちのめされたようにうな垂れた。
「驚かさないでくれよ」
 心底安堵して悪態をつけば、少年がかすかに笑って、「ごめん」と呟いた。
「俺、ここから出られないのかな? やっぱ、卑怯者だから」
「卑怯?」
「英のこと」
 重そうに首を持ち上げて、勝利は一馬を見た。
「全然そんなつもりなかったんだ。慶太に言われるまで気がつかなかった。俺、あいつのこと身代わりにしてた。英のことを助けたら、高幡のことがチャラになるような気がしてたんだ。どっかで」
 自分のしてたことは、間違っていなかった。
 高幡を追い詰めたのは自分ではない。
 確かな証拠がほしかったのだ。
 同じ行いをして成功をしたら、プラマイゼロに。無にもどるような気がしていた。
 無意識のうちに。
「ほっとけなかったのは本当だよ。クラスの雰囲気もいやだったし、今までふつうに転校生に接してたのに、雑誌が出てきた途端よそよそしくなるのも馬鹿馬鹿しいと思ったし、でも……どっかにずっと、高幡のことが引っかかってた」
 今度こそ、って。
 思ったこともあった。
「ひとりひとり、感じ方が違うってこと、知らなかったからさ。俺は昔、乗り越えたことがあったから、どうとでもなるって思ってたんだ。高幡のときに、それで追い詰められる人間がいるってことも、分かったはずなのに、また同じことしようとしてた」
 自己満足の道具にしようとしていた。
 傷口を塞ぐバンソウコウにしようと。
「英も、しんどかったかな」
 勝利は乱暴に髪を掻き乱した。
「要はね、神田くん」
 小さい子どもに言い聞かせるようにゆっくりと、呼んだ。
「要は、うれしかったって言ってたよ」
 うすい、涙の膜に覆われた瞳を、勝利は一馬に向けた。
 いぶかしむ表情だった。
 耳触りのよい慰めやごまかしに聞こえただろうか。
「その、高幡くんの話を耳に挟んで、驚いたんだって。どうしていいか分からなくなって、結局君を避けてしまったって、悔やんでたよ」
 複雑そうに、勝利が顔をゆがめた。
「いいことを教えてあげようか」
 いまいち素直に受け止められない少年に、秘密を打ち明けるように話し掛けた。
「君を助けてほしいって、要が俺に頼んだんだよ」
 勝利は不思議そうな顔をした。
「俺にはこんなふうに、人の意識に邪魔をする力があって、普段はそれを使わないようにしてるんだ。だけど、あいつがどうしてもって」
「英が?」
「あの子が俺に頼み事をしてきたのは、これが初めてだよ」
 それがどれだけ、重要なことなのか、君にはわかるかな。
「百人いれば百人、受け止め方が違うってことを君が知ってるんだったら、理解できるだろ。高幡くんには重みになったかもしれないけど、要には違ったんだ」
 のしかからずに、ちゃんと、支えになっていたんだから。
「だから君は何も、おそれる必要はないよ」
 戸惑ったように、勝利が一馬から視線をはずした。
 たった今与えられた事実を、どうやって受け止めようか、困っている様子だった。
「友達に」
 そこで言葉を切ったら、促されるように勝利が顔を上げた。
 目元がわずかに赤らんでいた。
 不安そうに、見つめる瞳だ。
「君と友達になりたいんだって」
 そのときだ。
 表面張力がとうとう崩れて、目のふちから雫が零れて落ちた。
 うん、と掠れた声でうなずいた。
 次々、顎に向かって流れる水を、手の甲で拭った。
「俺も……」

 そう、なれたら。
 いい。
「戻りたい」
 濡れた声が、喘ぐように言った。
「俺、戻りたいよ。どうしたらいい?」
 ぐっと腕で涙をぬぐって、毅然と勝利は顔をあげた。
 強い意志の瞳が、そこにあった。
 これがきっと、本来の顔なんだろうな。憂えているよりも、よっぽど似合っている。
 ああもう。
 もう大丈夫か。
 勝利の肩越し、後方を眺めて、一馬は吐息をひとつ、零した。
「ここは君の夢の中だからね。君が心底望んだことは、叶えられるよ」
 一馬が自分の肩の向こう側を眺めているのに、つられるようにして勝利も振り返った。
 鉛色の空に切れ間が出来て、一条、光が落ちてきていた。
 きらきらと、その光に照らし出されて、硝子のようなものが輝いていた。
 一定の段差で上方へ向かっている。硝子の板。
 支えも骨組もないのに、まるで階段の如くに。
 その十数段の階段の先に、扉が浮いていた。
「すげ……」
 御伽噺のような、きらきらした情景がそこに広がっていた。
 魔法のようにうつくしい。
 光が目にしみて、せっかく止まった涙がまた、こぼれそうだった。
 こんな非現実的な、こんな漫画じみた光景に、満たされる。
 出口だと、誰が示してくれたわけでもないけれど、確信があった。
 光の先が、帰る場所だ。

 よろめくように、硝子の階段に歩み寄った。
 一段目に足をかける。壊れたりはしない。大丈夫だ。
 足早に数段のぼってから、勝利は振り返った。
 夢への侵入者は、相変わらずそこに佇んでいた。
「ありがとう!」
 声を張り上げて、叫んだ。
 一馬は軽く、右手を挙げて応えた。
 階段の先にあるドアに、勝利が手をかけた。
 途端、鉛色の空が崩れ、雨のように降ってきた。
 雲が割けて、目もくらむ光が、其処此処に降る。
 硬く冷たいコンクリートが、光の触れた場所から溶け出した。
 光に、すべて飲まれてゆく。
 美しい世界だった。

 ギブアンドテイクなんだよ。
 涙が出そうなほど美しい世界。建物はすべて失われ、後はただ、目を灼くほどの眩しさに包まれてゆく。
 満たされるのを感じる。
 目が覚めたら君は、こんなあたたかい光も覚えていないだろう。
 礼を言われるのは筋違いだな。
 魔物にこんな、綺麗なものをあたえたら、駄目だよ。
 自分の体すら、光の中に溶け込む錯覚に、一馬は自嘲した。

 夢が、溶ける。
 指先の感覚までうしなわれる。
 あとは真っ白な、光の中へ。



【第十九話】

 重い。
 急に、狭い箱に押し込まれたような窮屈さを感じた。
 目蓋の裏に、光がしみてくる。
 先程まで感じていたあたたかい光ではなくて、人工の、痛みを伴うまぶしさだった。
 先程までの、光?
 それって、なんだろう。
 とてつもなく、眩しく美しい世界にいたような気がしたけれど。
 もう思い出せなかった。
 体のうえに煌々とかがやく光が、徐々に徐々に、目蓋の裏に浸透してくる。
 縫い付けられたかのようにしっかりと閉じたそれを、ゆっくりと、開いた。
「いっ―――てぇ」
 うすく開いたとたんに、蛍光灯の光は我れ先にと瞳に飛び込んできた。
 瞳孔が、急激な光の増量に勢いよく収縮して、痛い。
 もう一度きつく、目を閉じた。
「神田くん?」
 すぐそばで声が聞こえた。
 そろそろともう一度双眸をひらく。
 ぼんやりとぼやけた視界に、人影が映った。
「だいじょうぶ?」
 大きな瞳が、悲壮なほどの不安をたたえて覗き込んでいるのがみえた。
 あれ、俺、どうしたんだっけ。
 次第に眩しさに慣れた視界が映し出すのは、紛れもない自室だった。
 そしてベッドの傍らには、心配を体中であらわしている転校生がいる。
「……英?」
 思わず名前を呼んだ。
 どうしてここにいるんだ?
 体を起こそうとしたのだけれど、うまく出来なかった。
 骨がすべて抜かれてしまったかのように、体の自由が効かない。
「よかった」
 全身の緊張を解くかのように、大きな吐息をひとつ、要はこぼした。
 転校生の向こう側に、見たことのない男がひとり立っていた。
 濡れ羽色、というのだったか。艶のある黒髪の、二十歳ほどの男だった。
 初めて見るはずなのに、何故かなつかしいと、感じた。
 既視感? それとも少し違うような気がする。
「無理して体を起こさないほうがいい」
 おだやかな声が、制した。
「一週間も寝ていたら、すぐには動けないだろうから」
「一週、間?」
 声はがらがらと掠れてひどいものだった。
 一週間眠っていたといわれたら、それも仕方のないことかもしれない。
「よかったね、おかえり」
 黒髪のひとが、そう言った。
 妙に安堵した。
 がっしゃん、と陶器が割れるような音が聞こえた。
 音の方へ首を傾けると、部屋の入り口に、母親が突っ立っていた。
 ばけものでも見たかのように目を見開いて、棒のように立ち尽くしている。
 足元には、落下した盆と、割れたグラスと、麦茶の海があった。
 瞳をうるませて、広がる海をまたぎこえて、室内につかつかと入ってきた彼女が。
「ばかものっ」
 怒鳴って、勝利の脳天を拳骨で殴りつけた。
「いってぇ、何するんだよ!」
「何するんだよ、じゃないよ! いきなりぶっ倒れたと思ったらなんだい、一週間もウンともスンとも……」
 みるみるうちに、怒鳴り散らす彼女の目に涙が浮かんだ。
 声がつまった様子で、それ以上は何も言わない代わりに、もう一度勝利の頭をはたいた。
「これっきりになるんじゃないかと……」
 蚊の鳴くような声で、呟いて、母は息子から顔を背けた。
 目元が光っていた。
「ごめん……」
 母親の泣いている顔など、見たことがない。
 咄嗟に、勝利は謝った。
「本当に、もう。寿命が縮んだよ、どうしてくれるんだい」
 目頭を押さえる様子に、勝利は戸惑った。うろたえた。
「だから、ごめんってば」

 親子のやりとりをまぶしそうに見守っている要の肩を、一馬は叩いた。
 口元だけで、出よう、と伝える。
 同居人の顔と、親子の姿を見比べてから、要はこっくりうなずいた。
 音を立てないようにこっそりと、扉の前に広がる水溜りを避けて、ふたりは神田家をあとにした。


            *


「……ありがとう」
 しばらく無言で歩いているうち、要が主語もなく言った。
「たすけてくれて」
 うん、と一馬は頷くだけで返事を返した。
「ごめんね」
 シュンとして、要が続けた。
 立ち止まる要に、一馬は振り返る。
「カズマが、その力使うの好きじゃないって、知ってたけど。僕、どうしても……」
「もう終わっただろ」
 かわいそうなぐらい落ち込んでいる要に、笑いかける。
「終わったことは、もうどうしようもないから、いいんだよ」
 うかがうように、要が上目遣いで同居人を見上げる。
「いいんだ」
 押し切るようにくりかえせば、要がこっくりと頷いた。
「あとは、お前がどうにかしないと」
「え?」
「夢は俺が食べてしまったから、神田くんは何も覚えていないんだ。お前がちゃんと、説明してあげないと」
「あ」
 たった今思い出した、というような顔をした。
「そっか、そうだね」
 自分を納得させるように、何度か頷いて、毅然と顔を上げた。
「ちゃんと話すよ」
 力強い目をしていた。
 夢の中で、神田勝利が見せた眼差しにも似ていた。
 意志の強い眼差し。
「帰るか」
 促せば、要はかすかに笑って、しっかり頷いた。



【第二十話】

「夢喰いって、いうんだ」
 勝利が学校に戻ったその日の放課後、要は中庭にいた。
 円藤と話をした、あのベンチに座っている。
 部活動の喧騒が遠くから聞こえてくる。
 勝利は何も言わずに、隣に座っていた。
「信じられないかもしれないけど、夢に潜ることが出来るんだ。潜ってる間の夢を食べるっていうから、神田くんは何も覚えてないと思うけど」
「確かに、覚えてない、かも。眩しかったことしか」
 ぎこちない沈黙が、その場に満ちた。
「でも俺、お前に助けてもらったんだろ?」
「僕は……なにもしてないよ」
 また黙り込んでしまう。
 要は、深く深呼吸をした。
「あのさ」
 腹をくくって、切り出した。
「僕、本当に普通とちょっと違うんだ。あの雑誌に書かれてたこと、ほとんど全部、本当のことなんだよ」
 信じられないかもしれないけど、とつけくわえた。
 普通なら、信じられないだろう。
 なにいってんの、と返されることが一番おそろしかった。
 つづく沈黙に、押しつぶされそうになる。
「僕、神田くんに謝りたかったんだ」
 勝利が、自分のほうに顔を向けたのがわかる。
 そちらを見つめ返すことは出来なかった。
「急に、無視したりして、ごめん。どうしたらいいか分からなかったんだ。神田くんが話し掛けてくれるのも嬉しかったし、楽しかったよ。だけど、―――噂を聞いて」
「高幡の」
「……うん」
「俺も」
 背もたれに重みを預けて、勝利が顎を反らした。
 ベンチを包み込むような大木の、めいっぱいに広げられた枝葉の緑に、目を細める。
「英にひどいことしただろ。噂って、多分ほんとだからさ。俺きっと、お前のこと身代わりにしようとしてた。楽になりたくって」
 風に葉擦れ。すきまからちらちらと、光が零れていていた。
「高幡が、自殺したの、俺ショックだったんだ。全部が全部自分のせいだなんて思わないけど、背中押したの、俺なんじゃないかと思って。だからなかったことにしたかった。お前のこと利用しようとしてた」
 今度は要が、隣の勝利をうかがった。
 さわさわ揺れる枝を見上げて、ぼんやりと遠くを見ている。
「俺、お前のこと分かんなかった」
 仰向けた首を急に元に戻すから、とうとう目線が合ってしまった。
「なんていうか、浮世ばなれしてるっていうか。顔もそうだけど、色々知ってるみたいであたりまえのこと知らなかったり、まわりの奴らとなんか違ってて、戸惑ってた。クラスの奴らだってきっとそうだ」
 要の持つ雰囲気に、なじめずにいたのだ。
 どこか、他人と違う。
 だからあの突拍子もない雑誌の記事だって信じ込んでしまったんだ。
「それにお前、諦めがよすぎて、俺はそれが気に食わなかった」
 明らかに態度を翻したクラスメートにあっけないほど簡単に要は諦めた。
 それでいいのか。
 不当な責め苦だと思わないのか?
 納得がいかなかった。
「本当の、ことだから。反論できないよ」
 恐れられたって、仕方がないと思っていた。
「今は、関係ないじゃん」
 力づよく、勝利は言い張った。
「今のお前を分かってもらったら、いいんじゃないの」
 要が驚いた顔をするので、勝利は思わず黙り込んだ。
「……悪い、俺の、悪い癖だ」
 高幡のときから変わっていない、我を通す癖だった。
「ううん」
 要は、首を横に振って答える。
「そうだよね。そうだと思う」
 噛み砕くように、要が頷いた。
「僕は神田くんの、そういう真っ直ぐなところがとても好きだ。助けられてると思うよ」
 ぱちくりと、勝利が目をしばたいた。
 何を言われたものか、一瞬分からなかった。
「ばっ……!」
 言葉が意味を結んだ瞬間に、とてつもなく恥ずかしくなって、勝利は顔をそらした。
「お前! 変なこと言うなよ」
 耳のあたりが熱かった。クラスメイトの、しかも男子相手に何を赤面しているんだろう。
 要は別に、恥ずかしいことを言ったという自覚はないらしい。
 勝利の反応にきょとんとしている。
 こういうところが、浮世離れしているというのだ。

「あ! いた!」
 居心地の悪い空気を、外からの攻撃が破った。
「勝利おまえ、いつまで部活休んでるつもりだよ! 鈍った体、鍛えなおしてやるから早くこいよ!」
 校舎の二階部分の窓から、小柄な人影が顔を出していた。
 円藤慶太だった。
「おー。今行く」
「早く来いよ!」
 のんびりと答える勝利に釘をさし、円藤はひらりと要に手を振った。
 要の反応を待たずに、円藤は窓際から去っていってしまった。
「さて、と」
 大きく伸びをして、勝利がベンチから立ち上がった。
「何がどうなってんのとか、俺、よくわかんないし。レイカンとか全然ないから、いまいち英の説明とか、身にしみてわかんないや」
 うん。ちいさく、要はうなずく。
 正直な反応だと思った。勝利は、常に誠実だ。
 嘘がない。
「でも、こうやってさ、また起きて普通に生活できて、うれしいよ。ありがとな」
 笑って、勝利は校舎のほうへ歩き出した。
 ベンチに座ったまま、要は背中を見送った。
 何か、言ったほうがいいのかもしれない。
 だけど何を?
 ためらううちに、背中が遠ざかる。
 このまま別れたら、今までと何も変わらないんじゃないのかな。
 一歩を踏み出せぬうちに、勝利の姿が校舎の中に消えた。
 すとんと、体から力が抜けてしまった。ベンチと同化してしまったような気すらする。立ち上がれない。
 根性なし、と自分を責めた。
 どうしていつもいつも、肝心なところで手を伸ばすことが出来ないのか。
 臆病な自分が、嫌になる。
 撥ね退けられたらどうしよう、なんて。
 そんなことを考えてたら何も出来ないじゃないか。
 友達に、なんて。青臭くて恥ずかしくて、改めて口に出して頼むことじゃないけど。
 だけど。

 ばたばたと、廊下を慌しく走る音が迫ってきて、要は顔を上げる。
「言い忘れた!」
 中庭と校舎とをつなぐ入り口に、先程まで隣に座っていた姿が現れた。
「英要!」
 フルネームを、その場で叫ばれる。
 思わず背筋が伸びた。
「お前っ」
 怒鳴りつけるような声が、急に萎んだ。
 ぼそぼそと口元が動いたように見えたけれど、声は要の元までは届かなかった。
 意を決したかのように、勝利は毅然と顔をあげた。
「お前、俺と友達になれよ!」
 中庭に、絶叫が響いた。
 耳まで真っ赤になった勝利が、肩で息をしている。
 まばたきも忘れて、要はクラスメイトを見つめていた。
 急に視界がぼやけた。
「ってかさ、もうそうだよな!」
 照れ隠しのように、勝利が大声で言った。
 糸の切れた人形のように、要はぎこちなく頷いた。
 はにかむように笑って、勝利はまた明日な、と叫んだ。
 なにやってんだよ、早く来いよー。遠くから、焦れたような声が飛んできて、勝利はそちらに駆け出した。

 中庭にひとり残された要はというと。
 驚いて立ち上がれずにいた。
 溢れるほどではなかったけれども、ずいぶんと目が潤んでいた。
 どうしよう。
 びっくりした。―――うれしかった。
 気恥ずかしくもあるけれど。
 思わず笑ってしまった。

 友達なんて、と思っていた。
 おもて側だけ仲良く出来ても、仕方ない。
 身のうちに抱えた闇や、あっけらかんと人に話すことが出来ない過去が、ある日突然溢れ出したときに、どれほどの人間が残ってくれるだろうかと。
 怯えていた。
 びっくりして早くなった動悸を押さえるように、深く、呼吸をひとつ。
 普通ではないということを、治っても痛み続ける傷のように抱えているけれど。
 諦めなくっても、多分、いいんだ。
 ほっと、胸を撫で下ろしている自分に、要は遅れて気がついた。


             *


「ええと、まずはお友達から!」
「……それ以上になるつもりは僕にはないけれど」
「そんなつれないことは言わずに。友達の上は親友だったりするじゃんか」
「よく分からないな。僕は随分と君に、酷いことを言ったつもりだけど」
「過去は水にすべて流しました。あるのは今だけなのです」
 その奇妙な取り合わせに、端から見ている要はハラハラしている。
 下校途中だった。たまたま玄関で一緒になった要と都佳沙が並んで歩いているところに、後ろから勝利が突っ込んできたかたちだった。
 辛辣な都佳沙の態度に、勝利はめげる素振りはない。
「友達の友達は友達、で。いいじゃないですか」
 都佳沙は渋い顔をして、新人類でも見るかのような目で勝利を見た。
「一週間も眠っていて、どこかおかしくなったのかな。大丈夫?」
「おかしくなったかもね」
 へらりと笑って、受け流す。
 付き合っていられない、とばかりに都佳沙は大袈裟に溜息を落とした。
「都佳沙くんって呼んでもいい?」
 尚も食い下がる子犬のような男に、都佳沙は早々に白旗を揚げた。
「好きにしたらいいよ」
「俺は全然、こないだのことは気にしてないですよ。都佳沙クン、要のことが心配だっただけだろうから」
「え?」
 にやにやと、からかう口調の勝利。突然現れた自分の名前に、要がきょとんとふたりを見比べた。
 きっと都佳沙が勝利を睨んだ。
「神田くん……」
「いやだな、勝利でいいってば」
 都佳沙は、思いっきり脱力した。
「神田くん」
 律儀にまだ苗字で呼びながら、都佳沙は疲れた顔で言った。
「僕は君にあまりやさしく出来ないかもしれないよ」
「へ?」
「……苦手な人に、君のそのノリが似てるんだ」
 憎々しげに吐き出す言葉に、勝利はクエスチョンマークを頭に浮かべ、要は都佳沙の苦手とする叔父の姿を思い起こした。
 ちいさく、要は吹き出した。
 なるほど。言われてみればそうかもしれない。
 くすくす笑う要に、都佳沙は不本意そうに視線を逸らし、勝利はクエスチョンマークを増やした。


            *


「ってなことを、思い出したわけだ」
「それ、いつの話かな」
 ファミレスの席に収まった勝利が、懐かしそうに言った。
 その場から激しく浮いている違和感の塊が、冷静に突っ込みを入れる。
「ええと」
 指折り数える素振りをしたあと、「三年前かな!」と勝利が言う。
 全くファミレスが似合わない人間が、へぇ、とあまり感心したふうもなく相槌をうった。
「ほんっと、昔の都佳沙ちゃんったらつれなかったわよ」
「そうかな」
「”そうかな”!? ちょっと、聞いた!?」
 勝利は隣に同意を求める。
「勝利、うるさい」
 隣に収まった友人から反撃をくらって、勝利はテーブルに突っ伏した。
「要ちゃんは、時を経るごとにつめたくなっていくのであります」
 べったり頬を押し付けて、勝利が嘆く。要が不快そうに顔をしかめた。
「要はそれが愛情表現だから」
「ああ!」
 コーヒーを口元に運びながら、都佳沙があっさりとそんなことを言う。
 がばりと勝利は体を起こした。得心がいった顔をしている。
「やっぱり? そうじゃないかって思ってたんだよね俺は!」
「なんだ、勝利は気づいてなかったんだ?」
「気づいてたよ! 気づいてましたとも!」
「愛情表現とか、変なこと言わないでよ」
 どんなに鈍感な人間でも、からかって遊ばれているということはわかる。
 不本意、という文字を背負って、憮然と要は立ち向かった。
「一馬さんぐらいに毒舌を言われるようになったら、一人前だね」
「アー……じゃあ、俺もっと親友として頑張らんといかんのか」
 がんばろ、と勝利は訳のわからない気合を入れている。
「都佳沙……」
 恨みがましく、要は向かいの席をにらむ。
「気をゆるしている証拠なんだから、いいんじゃないの?」
 あくまで都佳沙は涼しげだった。
「そうそう。都佳沙っちの雅さんに対する姿勢も大概なんだから、おまえ、気にすることないよ」
 それはフォローなのだろうか。横から口を突っ込む勝利に、要は首を傾げる。
 なぐさめにはなっていない。
「僕が? なんだって? よく聞こえなかったな」
 聞こえていないはずがない。
「いーえ、なんでも」
 状況の悪化を察知して、勝利がとぼけた。

「さてとー、俺はちょっと出かけるところがあるのでぇー」
 テーブルに両手をついて、勝利が立ち上がった。
「これから?」
 もう夕暮れ時だ。
「ちょっとね、秘密の逢瀬をネ」
 意味深につぶやいて、勝利は席を立った。
 補習がえりの高校生は、健全に黄昏時で散会することになる。



【最終話】

 花束を買うと、何故か気恥ずかしい気持ちになる。
 駅をとおりこして、ビルの立ち並ぶ大通り界隈にいた。

 もう三年。
 まだ、三年?
 どちらものような気がする。
 春がおとずれれば、無事に受験生に進級するのだ。
 ときは経ち、色々なものを置き去りにして大人になるのだろうか。
 鋭かった痛みも、にぶく弱くなり、思い出す機会も減る。
 残酷で、ひとでなしで、薄情で、やさしくない。
 人間、忘れるように出来ているんだけれど。
 忘れていく自分は、とてつもなく酷いいきもののような気がする。

 ここに来る頻度も、すくなくなったな。
 以前は月に一回ぐらいふらふらと来ていたものだけれど。
 結局今年は一年ぶりだ。
 それ以外の三百六十四日は、くだらないことで笑ったり怒ったりしているんだ。
「ずいぶん久しぶりで、ごめんね」
 何も、自分だけの変化ではないことは分かっていた。
 その証拠に、この場所に花が手向けられることも、ほとんどなくなりつつあった。
 ここで死んだ人間がいるってことを、この道を通るどれぐらいの人間が知っているだろう。
 未だに取り壊されずに残っている廃ビルだが、来年度に入ってからようやく取り壊すことが決まったと、風の噂で聞いた。
 完全に板がうちつけられて、出入り不可能になった入り口に、買ってきた花束をたてかけた。
「高幡、俺さ、本当はおまえとも」
 春はもう、そこまできている。
 三月の半ばとなれば、厳しい寒さもやわらいで、厚手のコートもいらなくなっていた。
 先程わかれた二人の顔を思い出していた。
 こんなに深い付き合いになるとは、出会った頃は考えもしなかったけれど。
 あれほどそっけなかった「隣のクラスの銀くん」とも、近頃は要を挟まなくても十分じゃれあうことができる。
「おまえとも、馬鹿言って遊びたかったんだ」
 偽善も正義感も優越もとっぱらって、くだらない話をしてふざけてからかいあったり。
 何もむずかしくはない。
 簡単なことだ。
 友達になれたらよかったな。
 お前のくるしみを、もっと聞き分けてあげられる耳を、もっていればよかった。
 あの頃は、まわりよりも、多くの物が見えているつもりだったけれど。
 結局は高幡、俺もさ、自分のことだけで大変だったんだ。
 ゆるしてよ。
 精一杯だったんだ。

「また来るよ。ストーカーだって言われても」
 ここに、あたらしくどんな建物が建っても。
 この土地を離れて暮らすことになっても。
 もういいって、言われたって。
 来るよ。

 肩越し、背中のほうから。
 まぶしい光が帯のように射してきて、勝利は振り返った。
 黄金に染まった空の、雲の切れ間から、あたたかい光がこぼれてきていた。
 なぜか、懐かしい気持ちになる。
 あんな、やわらかくって美しい光を、どこかで見たことがあったような。
 どこでだったかな。
 目を細めて、光を受ける。
 熔けてゆけそうだ、と思った。
 おだやかな、ゆるやかな時間の中に。
 切れ間から差し込む、黄金色の。

 光の中へ。



【了】





【戻る】