Prorogue
耳を塞いでも、容赦無く捻じ込んでくる賛美歌。
消えていなくなりたい。
早く「君」が僕に、取って代わってくれないのかとか、いつも考えてる。
早く僕を塗りつぶしてくれないかとか、そんなことばかり。
神様なら、早くそうしてよ。
窒息する前に。
Prorogue
でかい。
第一印象はそれだった。
目の前に現れた巨大な門と、その内側にある広大な庭。
キリスト教を主体とした新興宗教の、総本山らしい。
右手に握ったメモで場所を確かめる。
間違ってはいないようだ。
しかし、ここはまるで教会というよりかは、ヨーロッパの古城のようだ。
《はい》
目の前のインターホンから声が聞こえて、一馬は、自分が既にインターホンを押してしまっていたことに気付いた。
「あ、あの。成瀬と言います。銀 始(シロガネ ハジメ)から連絡が行ってると思うんですが……」
《少々お待ちください》
機械的な声の後、ぶつりとインターホンが切れた。
鉄格子のような大きな門が、音を立てて開いた。
外と内との境界を一歩踏み越えて、一馬は大きく深呼吸した。
もう、戻れないのだと言い聞かせるために。
*
2日前。
目の前で湯気を立てる緑茶にぼんやりと視線を落としながら、一馬は人を待っていた。
和風の客間。目の前には津軽塗りの大きなテーブルがひとつ。
このくらいの大きさで、多分200万。なんて、下世話なことを考えてみる。
「やぁ、待たせて済まなかったね」
からりと気持ちいい音を立てて障子が開いた。
「久しぶり、一馬君。元気にしていたかね」
向かい側に座った男に、一馬は一言、ハイおかげさまで、と返す。
37とは思えない程の落ち着きを漂わせているのは、銀一門の後の当主という重責を背負っているからだろうか。
「始さんも、お元気そうで」
銀一門の跡取、銀始。雅の一回り以上違う兄だ。
当主として育てられた故か、その風格、落ち着き、格が違う。
「急に呼びたてて済まなかったね。君に頼みたいことがあって……」
「父様」
先程始が閉めたばかりの障子の外から、まだ声変わりを終えていないような少し高い声が聞こえてきた。
「お入り」
穏やかな声で始がそう言うと、ゆっくりと障子が開き、お盆にお茶を乗せた少年が入ってきた。
少し冷めかけた一馬のお茶を新しいものに替え、始の前にもお茶を置いた。
「失礼しました」
丁寧に頭を下げると、艶のある黒髪が揺れた。
「……都佳沙くん、今いくつでしたっけ」
静かに障子を閉めて出て行った少年の名前を口に出してみる。銀家の人間の名前は、皆どこか凛と綺麗だ。
……認めるのは悔しいが、無論雅もそうだ。
「13。春から中学二年だよ」
父親の口調だった。
「早いですね」
一馬の口調に何らかの重みを感じて、始は少し黙った。そしてそのあと「そうだね」と繋げた。
「君を呼んだのは、他でもない。察していると思うが」
「"夢喰い"ですか」
問うと、始はしっかりと頷いた。
「酷だと、思っている。しかし……」
「……俺は、生き残ることを選びました。なら、仕方ないことです」
仕方ない、なんて。本当は欠片も思ってはいないけれど。
これ以上この人たちに迷惑をかけるわけには行かなくて、一馬は無理に笑って見せた。
始も困ったように笑ってみせる。
「銀のほうに話が来たんだが、どうも私たちの領分ではないようだ。君は、『神の子』を知っているかね?」
*
―――最近、力をつけ始めた、キリスト教を主体とした新興宗教がある。教祖は英 秀一郎。
一本道。イギリスの古城を思わせる建物に向かいながら、一馬は始の言葉を頭の中で繰り返した。
―――尤も、その集団が力をつけたのは彼の力ではなく、息子の力だが。
―――息子?
―――『神の子』と呼ばれている。都佳沙と同い年だが司祭クラスで、魔を払うといわれている。その体に神を降ろすことが出来るとも。
入り口まで辿り着き、巨大な門を見上げた。鉄。
とても自分ひとりの力では開きそうも無い。辺りを見渡すと、すぐ隣に通用口らしい扉が目に入った。
そこから入るか。
取っ手に手をかけ、開こうとした瞬間。
いきなり内側から強い力で扉がこちら側に開いて。
がん。
一馬は思いっきり顔面を強打した。
「………………」
すぐにじんじんと内側から灼けるような痛みがこみ上げてくる。
とにかく鼻が一番痛い。
「ごめんなさい!」
まだ高い、慌てた声が上から聞こえた。
あまりの痛みに自分がしゃがみこんでいたことに後れて気付いた一馬は、鼻を押さえたまま立ち上がる。
「いや、気にしなくていいよ」
鼻は赤くなっているが、必死になって謝っている子供にあまり乱暴な言葉は吐きかけられない。
涙で滲んだ視界がようやく元に戻ると、目の前でおろおろしている少年の顔が真っ先に飛び込んできた。
(猫)
反射的に連想。
栗色の髪は猫っ毛で、同じ色の瞳は丸い。
「どこ行ったんですか!!」
屋敷の内側から聞こえてきた不特定多数の大人たちの声と足音に、目の前の少年がびくりと震えた。
「逃げてるの?」
問い掛けると、彼は小さくこくりと頷いた。
*
ばたんと大きな音を立てて通用口が開いた。30ぐらいの男が顔を出す。
今度はその横に立っていたおかげで、一馬は直撃を食らわずに済んだのだった。
「あの、こっちに13歳ぐらいの男の子が走ってきませんでしたか!?」
随分慌てて探し回っているのだろう、息は乱れ、額には汗も滲んでいた。
「あっちの、見えてるの、森ですか?」
一馬は、自分から見えている広大な庭の一点、木々が生い茂っている方を指差した。
「はぁ、そうですけど……」
「そっちに走っていきましたけど」
「森だ!!」
男は振り返り、屋敷の中にいるらしい人々に向かって怒鳴った。
いい年をした大人たちが我先にと森に駆けてゆく様を見送ったあと、一馬は、近くの植え込みに視線を移す。
がさり、と音を立てて、少年が恐る恐る顔を覗かせた。
「行った?」
「行った」
「……どうもありがとうございました。えっと……」
がさがさと植え込みから出てきた少年が、丁寧に頭を下げた。髪に張り付いた葉を取りながら、なにやら戸惑った様子。
「成瀬一馬」
「ありがとうございました、成瀬さん」
名乗ってやると、もう一度丁寧に頭を下げる。
「君は?」
切り返すと、少年はその大きな目をさらに丸く見開いた。そう聞かれるとは思っていなかったみたいに。
やがて、まるでカタコトのように少年は名乗った。
―――夢遊病だと父親は言っている。少し、見てもらいたいんだ。その少年のことを。
「英、要」
夢喰い
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