イ フ



1.

 街は、漆黒に塗りつぶされていた。
 夜半過ぎ、シャトーを中心とした周囲の電力がすべてダウンしたのである。
 街はしばらく混乱していたが、深夜ということもあってか、今は落ち着きを取り戻している。
 辛うじて月明かりが照らす地上を駆ける影がふたつ、あった。
 街外れにある小高い丘、そこに立つあばら屋のような家が目的地だった。


            *


 ふたりは、幼い頃を共に過ごした孤児院のまえではちあわせた。
 それが、停電の直前だった。
 レイが難しそうな顔をしているのを、ハルトはいぶかしんだ。
「サイジョウにいじめられたのかよ」
「変だったんだよ」
 幼馴染のからかいには応じずに、レイは首をかしげる。
「あいつが変なのはいつものことだろ」
「なんだか感傷的だったんだよ」
「うわ、なんだそれ、気色悪い」
 ハルトは大袈裟に腕をさする。
「喧嘩した友人に会うって……」
 レイは途中で言葉を切った。
 兄弟のように育った男が息を飲む気配に気づいたからだ。
「ハルト?」
 記憶のそこを探るように、ハルトは赤の視線を彷徨わせた。
「勘違いだって思ったんだけどな」
「え?」
「街で、ファンを見た気がしたんだ」
 悲鳴があがったのはそのときだった。
 ふたりは弾かれたように顧みる。
 孤児院を、だ。
「どうした!」
 鋭く怒鳴って、ハルトが扉を開け放った。
 途端、腹部に何かが飛び込んでくる。
 腰にまとわりつくのは少女の腕だった。孤児院で暮らしている少女だ。
「停電よ、ていでん!」
 真っ暗になった孤児院の奥から、共に育ったユリの声が飛んでくる。
「停電?」
 暗闇に怯えている少女の背をさすってやりながら、ハルトはひとりごちる。
「ハルト」
 張った声音に呼ばれ、ハルトはレイを顧みた。
 目を瞠ったのは、強張ったレイの顔にではなく、その向こうに見えていた街の風景だ。
 明かりが消えてゆく。
 雲が月を覆い隠すが如く、街はすこしずつ、闇に飲まれてゆく。
「まったく、なんなのかしら。別に天気が悪いわけでもないのに」
 落雷や豪雨の影響では、もちろんない。
 蝋燭を片手に、ユリが顔を出した。
「ルーを中に入れてやれ」
 ひしっとしがみつく少女をユリに託して、ハルトは今や闇に閉ざされたシャトーの街を見遣る。
「どこかいくの?」
 ユリと手をつなぎ、少女は不安そうに青年ふたりを見比べた。
「様子見てくるだけだ」
 青年ふたりは視線を合わせ、どちらともなしに頷いた。
「何もなければ、それでいいんだ」
「ちょっと、あんたたちこんな時にどこに……!」
 ふたりは既に駆け出していた。


            *


「何をするつもりなんだろう」
 ゆるやかな坂道を駆け上りながら、レイは大声でハルトに呼びかけた。
「そんなこと知るかよ! 大体俺ら、ファンのことは何も聞いてないだろうが」
 アザゼル・ケルビーニ。五年前に失踪した、先日暗殺された教皇の一人息子。
 失踪直前までは、異端審問を司る、冷酷非道な男だったらしい。
 ふたりが知っている温厚な男と、その姿とは重ならない。
 おっとりと、どこか眠そうな雰囲気を醸す男は、一体なんだったのか。
 幻だったのだろうか。
 彼はサイジョウに心酔しているように思えたのだけれど。
 今は違うのか。
 何も分からないのは、判断する材料がないからだ。
 ふたりとも、あの男を知らなさ過ぎる。

 やがて、丘の上に粗末な家が見えてきた。
 そこもまた、闇に塗りつぶされているようだ。
 あとすこし。
 疲労を訴える体を叱咤して、脚に力をこめた。
 刹那に。

「うわっ」
 体を逸らしたのは反射だった。
 眼前から風を切る速さで何かが飛んできたのだ。
「ハルト!」
 左の頬が、通り過ぎたそれの摩擦でわずかに切れる。
「無事だ!」
 レイに怒鳴り返し、ハルトは身構えた。
 弾丸だ。
 おそらく当てるつもりはなかったのだろう。威嚇か、もしくはたわむれの。
 レイもまた、金の銃身を腰から引きずり出す。
 丘の上に黒い影がふたつ、あった。
 夜は何処までも暗く、ふたりは急いでいたので気づかなかった。

「やあ、久しぶりだ。健勝そうで、なによりだよ」
 影のひとつが、あまりに紳士的な挨拶をした。
 折り目正しい挨拶とは裏腹に、その右手には黒く光る得物が握られている。
 かすかな月明かりの中で、胸元の金十字がにぶく輝いていた。



2.

 人の気配がしない。
 粗末な木の扉を、ゆっくりと向こう側に押し開く。
 扉と外観に似合いの、質素な部屋が眼前に広がった。
 闇に慣れた目には、窓から差し込む月明かりで十分だ。
 上から強い力を加えれば、真っ二つに折れてしまいそうなテーブルの上に、不似合いなほど上等な機械端末がひとつ。
 部屋の左隅にひとつ、サイドボードが寄せられているきりで、家具らしいものはない。
 生活のにおいがしない部屋だった。
 一歩踏み入れれば、床が憐れなほどに軋む。
 だが、温度があった。
 どこか懐かしい温度だ。
 ぎぎぃ。
 軋む床を踏んで、部屋の奥へと踏み入れる。
 背後で扉が閉まった。
 僅かに入り口を振り返り、アザゼルはすぐにそんな自分を嘲笑った。
 今更あとへは退けない。
 数歩も歩けば、奥の壁に突き当たる。テーブルを見下ろせば、持ち運べるかたちの機械端末の傍にコーヒーカップがひとつ置かれたままになっていた。
 唯一、人の気配を感じさせるそれ。
 そっと、触れてみる。
 冷えていた。
「馬鹿らしい」
 ひとりごちて、ゆるく首を左右に振る。
 何を感傷にひたっているのか。
 足元の床を、靴の先で小突く。
 返ってくる音を確かめる。
 たったふたりとはいえ、まさかここで生活しているわけはない。
 それに彼は、地中に潜るのが好きなのだ。
 光を避けるように。
「俺を、試しているつもりなのか?」
 アザゼルは苛立った。
 まったく彼らしい隠れ家なのだ。
 まるで自分がどれだけ彼の性癖を知っているのかを、しらしめられているようで腹が立つ。
 靴音も高く部屋を横切り、アザゼルはこぢんまりとつけくわえられたような台所に踏み入った。
 壁に引っ掛けられている日めくりのカレンダーを乱暴に毟り取る。
 腰に差した短刀を引き抜くと、カレンダーの後ろから現れた僅かな隙間につきこみ、左から右へと一気に滑らせた。
 ずず、と質量が動く音が、少し離れた場所で聞こえた。
 先程いた部屋を振り返る。
 唯一の家具であるサイドボードが横滑りに動いていた。
 あっけない。
 容易さに、アザゼルは辟易する。
 おそらく自分以外ならば、もっと時間もかかるだろうが。
 即座に見抜けてしまう自分にも、見抜けると分かっていてこのような仕掛けを再び施す男にも、嫌気が差した。
 逆手に持った、用済みの短剣を壁から引き抜く。
 かすかな光を受けて、刀身がぬめるように輝いた。
 魅入られるようにしばらく見つめてから、腰に戻す。
 再び軋む床を踏んで、開かれた入り口へと向かった。
 案の定、そこには地下に通じる階段が姿をあらわしている。
 数段より先は、濃厚な闇に塗りつぶされていた。
 ひとつ、深い呼吸をして、初めの一段に脚をかけた。
 コンクリートで出来ているそれにぶつかると、踵は高らかに音を立てた。


            *


「なんでてめぇがここにいるんだ」
 左頬を伝わる生ぬるい流れを乱暴に拭って、ハルトは黒影を睨み据えた。
 再会を喜べる相手ではなかった。
 銃口をハルトとレイに向けたまま、男は肩を竦めた。
 かすかに笑ったようだった。
「少々野暮用でね。観光のようなものかな」
「停電は、あなたの仕業ですか」
 自らも銃口を向け返し、厳しくレイが問うた。
 黒髪から金髪へと緩慢に視線を流し、男は濃紺の瞳を細めた様子だった。
 まるで、愛らしいものでも見つけたような所作。
「そのことについては、私は与り知らないな」
 舞台上の役者のように首を傾げてみせる。
「近頃部下が元気がないのでね、気になったのだよ」
「それでわざわざ西軍大将殿がこんな僻地にまで出向いてきたって? 部下想いだな」
 ハルトは服の上から右腕を撫でる。仕込んだ爪の感触を確かめた。
 横目で、見慣れてしまった男とは別の、もうひとつの影を窺う。
 漆黒の衣に、心臓の上に金十字を抱く。
 正規軍の軍服だ。
 が。顔が見えない。
 街中が闇に飲まれているからではない。
 軍服から露出している肌が、すべて白い布で覆われているからだ。
「ジン―――ジン・ルクレイヴか」
 くわせものの多い正規軍佐官の中でも、一際謎の多い男だ。
 常に体中を包帯でおおいつくし、素顔を見たものはいない、とか。
「ファンが来てるんだな」
 ランドウは答えなかった。
「貴方は一体、何がしたいんだ」
 この男が一体何を望んでいるのか。
 レイには計りかねた。
「”翼”くんには、昔話したこともあったかな」
 詰問するようなレイの声に、ランドウはことさらゆっくりと口を開いた。
 勿体つけるような台詞回しに、レイは憮然と唇を噛む。
「私は、親離れをしたいのだ」
「親とは、なんです」
「おや、君がそんなことを言い出すとは。サン・エノクの首席(トップ)が」
「ごまかさないで下さい」
 潔癖にレイが追及をすれば、ランドウは何故か傍らのジンに含むような視線を向けた。
「”光”くん、君はそういうところが名づけ親にそっくりだな」
「僕が聞きたいのはそんなことじゃない!」
「神だよ」
 焦れたレイの怒声を遮るように、西軍のトップは言った。
 決して大きな声ではなかったが。
 刻み込むような衝撃はあった。
「神とは何かと、訊かないのかね」
 棒を飲み込んだかのように立ち尽くすふたりを、愛でるようにランドウは笑った。
「訊いて、てめぇは素直に答えるのかよ」
 ハルトは身を低く構えた。いざとなればいつでも飛びかかれる用意だ。
 相対したふたりの軍人の、戦闘能力は全くの未知数だ。
 今まで対峙してきた東軍の面子とはわけが違う。想定(シュミレーション)が不可能なだけ、性質が悪い。
「神とは―――”アーク”だ」
 無造作に投げ出された答えに、ふたりは一瞬、呆気に取られた。
「箱舟(アーク)?」
 初めて知る言葉のように、ぎこちなくハルトが鸚鵡返しにした。
「光くん、君には随分と耳慣れた言葉だと思うがね」
 難問を優等生に投げかける教師の風情で、ランドウは空いている腕を広げて見せた。
「神の箱舟は、神自身、だと?」
 星を渡ってきた宇宙船のことを指すのか?
「それもまた、ひとつの答えではある」
 教師然とした軍人は、模範に近い解答を得られたかのような、満足げな笑みを浮かべてみせる。
「だが、言葉にはいくつもの側面があることを、忘れてはならない」
「謎掛けはもうたくさんだ!」
 焦れたハルトが地を蹴った。
 右腕に仕込んだ鉤爪を露にして、泰然と銃を構える軍大将に踊りかかった。
 ランドウは引金を引くこともなく、それどころか僅かに、微笑する。
 黒い影が素早く割って入ったのは、ハルトが一瞬、憐れむかのような微笑に目を奪われたそのときだった。
「ぐ、ぁっ……!」
 腹部に衝撃を受けて、そのまま後方に跳ね飛ばされる。
 勢いを利用して、体を返して着地する。
 胃液がこみ上げる不快感に顔をゆがめた。
 ひらりひらりと、白い布が夜風になびいている。
 それが包帯の一部なのだと気づくまで時間は要らなかった。
「ハルト」
「平気だ」
 案じる相棒の声に、素早く答えた。
 懐に潜りこまれ、鳩尾あたりを強かに突かれた。
 おそらく肘か何か。
 ミイラ男は、軍大将を背に庇うように立っていた。
 包帯に覆われた顔のなかで、唯一露になっている瞳すら、感情の熱を窺い知ることが出来ない。
 素早く、無駄のない動きだった。
 ロウエン出身であるトクヤマ・シノブとまではいかないが、かなりの手練には違いない。
「せっかくの感動の対面なんだ。邪魔をするのは野暮と言うものだろう」
 どこから取り出したものか、ランドウは唇の端に挟んだ煙草に火を灯した。
 高熱の焔が一瞬、橙に輝いて、燻る。
「私はこれでも、部下を可愛がっているのだよ」
 闇に、紫煙が溶けた。


            *


 通路は狭い。
 左右に圧迫感を感じる。
 狭い場所はどうも苦手だ。
 薄ら寒いものを感じて、アザゼルは右手のひらで項を撫でた。
 通路は一本。真っ直ぐに伸びている。
 天井も低い。停電が起こっていなくても、初めから照明など取り付けられていないのだろう。

―――かあさん!

 少年の声がした。
 よどみなく運んでいた足がふと、止まる。
 だから、狭い場所は嫌いなのだ。
 余計なことを思い出す。

―――かあさんをはなせ!

 産みの母と引き離されたのは、八つの頃だった。
 教皇であったケルビーニ8世が、体調を崩した折である。
 彼には世継ぎがいなかった。正式には。
 アザゼルの母は、教皇の正式な妻ではなかった。
 後継ぎとするために、強引に、母とふたりの穏やかな生活を奪われたのだ。
 ある日唐突に現れた漆黒の軍人たちに、繋いだ手を解かれた。
 父に迷惑がかからぬよう、聖都から離れた街でひっそりと暮らしていた。それだというのに。
 今更、なぜ。
 子どもとも認めてはくれなかったくせに。
 母を盾にとられ、八つの子どもは抵抗を諦める。
 聖都までの長い道程を、誰とも話すことなく俯いて過ごした。
 あの車のシートを今でもまざまざと思い出すことが出来る。
 憎悪だけが体をすみずみまで満たしていた。
 権力という魔物に取り憑かれた化け物たち。
 父は、穏やかな笑顔で出迎えた。その笑顔の、なんと白々しかったことか。

 大事なものを、すべて奪ってやる。
 優しく肩を抱かれ、教会の中枢に巣食う悪魔たちに紹介されている間中、呪文のように唱えつづけていた。
 権力、富、名声。彼らをよろこばせ、支えつづけているものを。
 腐りきった教会の体制を憎み、それによって肥える聖職者たちを憎んだ。
 風の噂で、母が病によって帰らぬ人となったことを知ったのが、十四の頃だ。そのあたりから、もう顧みるものは何もなくなった。
 異端審問と称して、自らの理想とそぐわぬものを悉く弾圧し、時には手にかけることもあった。
 確固とした規律で整えられた禁欲的(ストイック)な組織。
 それをつくりあげ、悪魔どもを押し流してしまいたかったのだ。
 そう。
 ドラッグを使って洗脳を試みてでも。
 あの頃は何も怖いものがなかった。
 顧みるものがなかったからだ。
 冷酷無比と、よく言われたものだ。誰になんと思われようと怖くなかった。

―――変わったな、アザゼル。
 義姉の声がふと、耳元によぎる。
―――お変わりになられましたね。
 いとおしそうに目を細める、老執事も。

 弱くなったのだ。
 思わず歯噛みをしたくなる。不甲斐ない。
 顧みるものができた。他者の心を窺う余裕が。
 それの、なんと心を縛ることか。
 どこから何がおかしくなったのかなど、分かるはずもない。

 しかし、たとえば。
 もし、教皇の私生児として生まれなければ。
 もし、HGというドラッグに手を出さなければ。
 こうはならなかったのだろうか。
 そして、もし。
 あのとき―――。

 アザゼルは足をとめた。
 突き当たりだった。
 どれほど歩いたのかももう定かではない。随分と元の場所からは離れてしまったことだろう。
 このような地下道を半年で掘れたわけがない。ということは、元々この場所にあった「遺跡」ということだろうか。
 丁度胸のあたりまでの石像がひとつ、ぽつりと置かれていた。
 精巧なつくりで、胸の前で両手を組み、ひざまずいて祈っている少女の像。
 石膏のようだ。
 開かれた瞳は硝子玉でもはめ込まれているのか、かすかに輝いていた。
 右の掌を少女の、開かれた瞳にかざした。
 そのままぺたりと面にふれ、まるで死人にそうしてやるかのようにゆっくりと、目蓋を閉ざしてやる。
 途端、どこかで歯車が回るような音が聞こえ始めた。
 床が沈み、ゆっくりと少女の像を飲み込んでゆく。
 少女の像が呆気なく床に吸い込まれてしまうと、ようやく背後の壁が横滑りに開いた。
 あの男の、好みそうな仕掛けだ。
 また、試されたのだろうか。
 暗闇に閉ざされた廊下に、かすかな光が漏れてくる。強烈な蛍光灯のそれではない。
 何かがほのかに発する輝きだった。
 音が、ひびく。
 それは、開かれた向こう側に広大な空間があることを示していた。
 床が、ほのかに輝いている。白銀のそれは、遺跡でよく発見される金属質のものだ。
 静かな振動が肌に伝わってくるのは、巨大なマシンが動いているからだろうか。
 ゆっくり、アザゼルは一歩踏み込んだ。踵が高い音を立てる。四方の壁に跳ね返った。
 見上げるほどに、天井は高い。四方の壁はモニターやらコードやらコンソールやらで埋め尽くされていた。
 左から右へ、舐めるように天井を眺める。古代の遺物は、まだ生きて、動いている。
 たくさんの機械の振動音、モニターを過ぎる謎の文字列。浮かび上がる図形。
 ゆっくりと、時間を掛けてそれを眺めてから、アザゼルは床に視線を落とした。
 部屋の奥からこちら側に、伸びている影がひとつ。
「ここは遥か昔、反乱軍と称する人々の拠点だったみたいだよ」
 やさしく、声が注釈をくわえた。
 導火線を火がすすむように、ゆっくりと影を視線で辿り、ようやく相手の足を見つける。
 靴から、どこか皺の寄ったズボンを辿り、シャツとネクタイをとらえ。
 右手を腰に回し、アザゼルはホルスターから得物を抜いていた。
 だらしなく緩んだ襟元と、繊細なつくりの眼鏡を視界におさめながら、銃口を男に突きつけた。
「君なら、ここまで来ると思っていた」
 左手はポケットに突っ込んだまま、いつもどこか眠そうな顔をしている男は、右腕を持ち上げた。
 ぴんと伸ばした指の先に、黒光りする銃器を握っている。

「―――さあ、殺し合いをしようか」
 サイジョウ・ヒイラギは、いっそ穏やかな顔で微笑して見せた。



3.

 闇に、紫煙がゆるりと溶けた。
「君が聞いている”歌”、どんな意味があると思うかね」
 右手の指先に挟んだ煙草をハルトに向けて、ランドウは口を開いた。
「ただの通信機能、だろ? 奇跡でも何でもない」
 人々が神の恩恵だと崇め奉る能力は、別に選ばれしものの証でもなんでもない。
 遥か太古の遺物。遺伝子を利用した通信機能のなごりではないか。
 自嘲気味に、ハルトは吐き捨てた。
「確かにそうだ。だが、我々が聞いているその歌は、今、誰が歌っているのだろうね」
「……今?」
「そう、今だ」
 訝しげに眉をひそめるハルトに、ランドウは微笑する。
「ファレスタ山脈のガイアズメールはまだ生きてた。そのなごりが聞こえている―――んじゃ、ないのか?」
「一部ではある。が、声の源は他に存在する。知りたくはないかね」
「神の、声」
 喘ぐようにレイがつぶやいた。
 宗教の中枢を握る人間には、なくてはならないと言われる神に選ばれしものの証。
 それは、遥か太古に使用されていた、通信機能のなごりだとばかり。
 たいした意味もないのだと割り切ったはずだったのに。
「この世界は巨大な箱庭だ。うつくしき、理想の墓標なのだよ」
 ランドウは、紫煙を上げる煙草を掲げるように腕を持ち上げた。
「私たちは、神と名乗るものたちの掌の上で、踊っているだけなのだ。私も、君たちも、―――ファストも、な」
 ランドウの指先から、音もなく煙草が落ちた。
 地面に落ちたそれが、蛍火のようなかすかな灯りで生き長らえているのを、靴先で踏みつける。
 満足そうに口元をゆるめる。
 とある名を出しただけで、対峙したふたりが面白いほどに身構えた。
 彼らふたりにとって、それは神の名と同じなのだ。
 軽々しく、呼ばわることは許されない。
 逆鱗に触れられたかのように、ふたりは気色ばんで、軍人を睨みつけた。
「神父の」
 レイの声は、わずかに震えていた。
「神父の体を、持ち去ったのは、あなたなのか?」
 必死に押し殺した声の中に、それでも押さえきれない憤りが滾っている。
 息を飲んで、ハルトが幼馴染を振り返った。
 そうだ。
 主のない墓。それを教えられたときに、真っ先に思い当たったのは、この男だった。
「そうだと、言ったら君はどうするかね」
「何のために!」
 言い終わる前にレイは噛み付いた。
「お前はなんでそんなに、神父に執着するんだよ!」
 交互に吠える子どもたちに、ランドウは目を細めた。
「同じものだからだ」
 異国の言葉を耳にしたかのように、ハルトとレイはまばたきを忘れた。
 しかし、ランドウはそれに対して説明をつけくわえることはしなかった。
「遅かれ早かれ、墓はあばかれただろう。私がやらずとも」
「どういうことだ?」
 うっすらと、ランドウは微笑する。
 ハルトは小さく舌打ちを落として、地を蹴った。
 気の短いハルトにとっては、煙に巻くような態度は逆鱗を丁寧に撫でてゆくのにひとしい。
 さっと、間に影が割り込んだ。計算のうちだ。
 鉤爪を真横に薙ぎ払う。包帯に包まれた体は器用にその軌跡を避けた。
 それもまた、計算のうち。
 体勢が崩れた隙に、ジンを押しのける。―――つもりだった。
 鉤爪の一部が、ジンの面を覆う包帯の一部を巻き込んだ。
 夜闇に、病的に白い包帯が蛇のように流れる。
 露になった顔の造作を目の当たりにして、ハルトの体が凍りつく。
 ジンの背後で、ランドウがまるで憐れむような笑みを浮かべて見せた。


            *


―――殺し合いをしようか。

 穏やかな笑みをたたえて、男は言った。
 銃口を男の胸に当てたまま、アザゼルは唇を噛んだ。
 が、こちらに向けられているはずの銃口は、なぜかゆっくりと、下ろされた。
 アザゼルの戸惑いと共に、狙点がぶれた。
「なんて、ね」
 ピストルを鋼鉄の床に呆気なく放って、おどけるかのようにサイジョウは、両手を挙げてみせた。
「僕に君が撃てると思った?」
 困ったような、疲れたような顔で、降参のポーズを取っている。
 アザゼルは、ピストルを向けたままで固まっていた。
 何が起こったのか分からなかった。
 思考の歯車がうまくかみ合わない。何をすればいいのかわからない。
「君がひとりで来てくれたらいいなって、思ってたよ」
 サイジョウはまるで、恥らうかのように目を伏せた。
「そうしたら、僕にもまだ、縋る余地はあるのかってね」
 構えたピストルが急に重量を増した気がして、アザゼルはそれをゆっくりと下ろす。
 体の横に、だらしなくぶら下がった。
「俺を、殺すつもり、だったんだろう」
 半年前、確かにその口から聞いた。
 殺すつもりだった、と。
 手の内で、飼い殺しにしていたのだと。
 だから、逃れた。
 ゆがみを正しいかたちに。
 元の位置に嵌まるように。
「初めは、―――そう、初めはね」
 挙げた両手を、すとんと下ろして、白状する。
 まるで悪戯を咎められた子どものように、バツが悪そうだ。
「昔、僕の世界には」
 闇の中でもにぶく輝く床に、藍の瞳を落として、御伽噺のように始めた。
「利用価値があるものと、そうでないものしか、存在しなかった」
 利益があるのか、ないのか。
 あるとしたら、どのように活用できるのか。
 危険(リスク)は?
 利益(メリット)は?
 ひとを、数字で計るほうが、はるかに楽だった。
 資産、行動力、権力、バックグラウンド。
 感情的なつながりは、足を引っ張るだけだと。
「昔の、僕のものさしで測れば、君は確かに有害だったんだ。HGを持ち出したこともふくめてね」
 だから初めは、殺すつもりだったのだ。
「自分のことを、冷酷な現実主義者(リアリスト)だって、自惚れてたけどね。他人の感情に干渉しなかったのは、振り払われたときが怖かっただけで、臆病だったよ、とても」
「……五年も」
 雄弁な声を、弱弱しく震える響きが遮った。
「なんで、五年も俺を、傍に、置いておいたんですか」
 “あの頃”と同じ調子で、問い掛けた。
 まだ、ファンと呼ばれていた頃。
 作戦の詳細を問うように。
「君があのとき、別れを切り出さなければ、ずっと近くに置いておくつもりだったよ」
 やさしい目を、サイジョウは敵であるはずの男に向けた。
「僕には、本当の家族がどういうものか、知らないんだけどね」
 照れくさそうに、こめかみを掻く。
「君たちを、家族だと思っていた。今だって、そうだ。だから半年、わがままを言わなかったことを、ずっと後悔してたんだ」
「わがまま」
 鸚鵡返しにした。何かが、胸のあたりを締め付けている。
 緊張にも似ている。
 それが、期待なのだと、すこし遅れて気がついた。
 あんな啖呵を切って飛び出したというのに、何を期待しているのだ。冷静な自分が宥めようとするのだけれど、鼓動はひと刻みごとに高くなる。

「情けなく、君を引き止めればよかった」

 足元で、硬いもの同士がぶつかる音が鳴った。
 いつのまにか指からこぼれおちた銃器が、金属質の床とぶつかりあう音だった。
 サイジョウの目は、真っ直ぐにこちらを射ていた。
 衒いも含みも、なにもない。
 どん、と跳ねた鼓動に呼吸を忘れた。
 うれしいのか、かなしいのか。
 分からずに、それでも泣きたくなった。
 何もかもを憎み、数字のように人を測ってきたのは、自分もおなじだ。
 価値のあるものとないものをより分け、父からすべてを奪い取るつもりでいた。
 生きること自体が、戦いのように。

 けれど、あの五年は。
 まるでままごとのようだった。
 修羅場を幾つも踏んで、銃器の使い方がうまくなり、体にいくつも消えない傷を負う。
 教皇の膝元にいた頃よりも、遥かに戦場に近い場所で生きていたのに、そこはあたたかく眩しかった。
 記憶を取り戻したそのときは、もとの場所に戻ることが正しいのだと信じて疑わなかった。
 もともとおさめられていた場所に、嵌まろうとしたのだ。
 けれど、あの五年で。
 己のかたちは、すっかりと変わってしまった。
 うまく嵌まるものか。
 譲歩を、手加減を、あまやかすことを。
 慈しむことを、体が知ってしまえば、何もかも元通りに、きれいに嵌まるはずもない。

 振り返ることならば、幾度もした。
 もしも、初めから教皇の私生児にうまれなければ。
 もしも、母と引き離されなければ。
 もしも、HGに手を出さなければ。
 もしも、記憶を取り戻さなければ。

 もしもあのとき。
 あなたの元を、去らずにいたら。

 唇を噛んで、アザゼルは、うな垂れた。
 済んでしまったことを嘆いても、どうしようもないと思っていた。
「ファンくん」
 昔の名で、サイジョウが呼んだ。
「戻っておいでよ」
 まるで、数日の、突発的な家出をした子どもへ向けるかのように。
 サイジョウは言った。
 あまりにあっけなく、あまりに簡単に。
 向こうから手が差し出されるなんて、思っても見なかった。
 目元が焼けるように熱くなって、熱がそのまま頬に零れた。
「サイジョウさん、俺……」
 手の甲で溢れる涙を拭ってから、アザゼル―――ファンは顔を持ち上げた。
「記憶が、戻らなきゃ良かったって、何度も……」
 ファンはよろめくように、一歩を踏み出し―――。
 歩み寄ろうとした青年の胸が、鼓膜を裂くような轟音と共に血を噴いたのは、そのときだった。
 胸から赤い飛沫を散らし、ファンはそのまま前のめりに倒れる。
「ファン!」
 床と激突する寸でのところで、サイジョウがその体を抱きとめた。
 うつぶせた体を返すと、ファンは自分の胸元を押さえていた手を眼前に晒し、赤く染まったそれを呆然と眺めた。
「やっぱり閣下の仰るとおりでしたね、アザゼル様」
 優越に蕩けた声が、細い通路のほうから響いた。
「残念です。あなたは変わってしまわれた」
 首を横に傾け、ファンは入り口を見つめる。
「ウルム、ス……」
 涙で歪む視界に、軍服の姿をみとめた。
 うつくしい金の髪を丁寧に整えた、潔癖そうな男。いつもは敬慕に溢れていたその表情は今や、冷酷な笑みで歪んでいた。
 蔑むような笑みに、ファンの口元がゆるむ。
「やはり、アンティクリストは、俺を信用なんて、してなかった、のか」
 視野が狭くなっていた自分に、自嘲が這い上がる。
「昔のあなたに、私は憧れていたんで―――」
 陶然としたウルムスの肩口が、血を噴いた。
 痛みと熱は遅れてついてくる。愕然と、ウルムスは己の左肩を見下ろした。
 続けざまに、銃撃音が響き渡った。高い天井に、吠えるようなその音はよく響いた。
 ウルムスの腕や胸、腹にあまりに呆気なく銃弾は打ち込まれた。
「ぐ、ああああああっ!」
 髪を振り乱して、ウルムスはがくりと膝を折った。床に赤い海がゆるゆると広がる。
 ウルムスが倒れ伏そうと、弾丸は容赦なくその体を打ち据える。
「サイジョウさんっ……!」
 情け容赦のない狙撃者の腕に、物陰から飛び出してきた人影が縋りついた。
「もうやめて! はやく、ファンくんの手当て、しないと……!」
 既に、弾はきれていた。
 それでも引金を絞る小さな音がすぐ傍で聞こえ、ファンはゆっくりと、自分を抱える男を見上げた。
 息を乱した、青ざめた顔の男が、そこにいた。
 右手に、貧相な体には不似合いの銃器が握られている。
 このひとの、こんなに必死な顔を、初めて見たような気がする。
 体から体温が抜け落ちてゆくのは確かに感じているのに、何故かファンは笑ってしまった。
「……記憶を、取り戻さなかったら、よかったって、半年ずっと、思ってました」
「いいから、黙りなさい。手当てを……」
「でも、違ったんだ。記憶を、取り戻しても、俺……どこにも、行かなきゃ、よかっ……たのに」
 意地を張って、引き止められなかったことに拗ねていたのかもしれない。
 元の場所に戻ることこそが、正道だと思っていた。けれど。
「ファン……!」
 咎める声が、ふるえている。
「ずっと、ここに、帰って……きたかった、んだ」
 今頃気づいても、遅い。
 目を細めたら、涙がこめかみを伝って、落ちていった。
「喋るな!」
「教皇庁の、最下……層で、見たん、だ」
 胸が焼けるように熱い。
 途切れ途切れに咳き込みながら、必死にファンは言葉をつないだ。

「”アーク”を、見た」
 掠れた声でそれだけを告げて、ファンはゆっくりと、目蓋を下ろした。


            *


 風にさらわれた包帯が、はらりと地に落ちる。
 全身から力が抜けたようだった。ハルトはふらつく足で後方にあとずさる。
「なんで……」
 思わずうめいた。
 夢でも見てるんじゃないだろうか。
 そうだ、これは悪い夢に違いない。
「嘘、だろ」
 背中に、まるで懇願にも似たレイのつぶやきが刺さった。
 嘘だろう? タチの悪い夢に決まってる。
 だってまさかそんな。
 ランドウがまるで、かわいらしいものでも見守るかのように、微笑していた。
 ジンはまるでつくりものでもあるかのように、表情ひとつ、うかべていない。
 記憶の中となんら変わらないそのつくりに、ハルトは愕然と呟いた。


「ファスト神父……」





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