ロゴス


 はじめに、言(ことば)在りき。



1.

―――もしもし、こんなところに転がっていると、轢かれるよ。

 耳を掠めて消えたのは、空耳だ。
 ものをひっくり返す雑音が、絶え間ない。
 忙しなく、すぐ傍を人が通り過ぎてゆく。黒と金の、軍服姿が。
 少し前まで人が生活していたであろう地下の空間は、今や見るも無惨に荒らされていた。
 しかしそれは、周囲を蠢きまわる軍服姿たちが荒らしたものではなく、踏み込んだときには既に、この状態だったのだ。
 つまり、テーブルや椅子はあちこちに散らばり、傾き、割れた食器などがそこここに散らばっている。
 別の部屋では、モニターが無惨に割られたコンピュータ端末、千切れたコード、あちらこちらに散らばる記憶メモリー装置などで、足の踏み場もないほどに荒れ果てていた。
「すごいですね、ここは。自分で自分のアジトを荒らしに荒らしていった、って感じかな」
 見覚えのある部屋に佇むアザゼルに、不似合いなほど能天気な声をかけたものがあった。
 糸のような金髪をきっちりと整え、軍服を隙なく着こなしている。
 未だにどことなく少年らしさを残した顔立ちは、常に笑みを湛えているのだ。
 優等生然としていて、さわやかな。
「めぼしいものは何も見つからないようです、大佐」
 隣に並んだ青年は相変わらず、すがすがしい笑顔を浮かべていた。
 西軍大将閣下のご意向で、部下に配属された男。
 名を、ウルムスという。
 そうか、と応じた。
 ウルムスは相変わらずにこにこと、傍にいる。
「嬉しいなぁ」
 まぶしいものを眺めるように目を細め、ウルムスは働き蜂のように忙しなく動き回る部下たちを眺める。
「アザゼル様の部下に配属されるなんて。夢のようです」
 声はどことなくあまやかだった。酔ったような。
「ずっと、憧れていましたから」
「俺に、か」
「そうです」
 反射のような、素早い切り返しだった。
「僕たちにとって、憧れの的でした。今は亡き教皇猊下の尊い血筋を汲み、けれどもそれに甘んじることなく時代の革新に努めておいでになって。僕たち士官候補生にとっては、誰よりも、傍に置いていただきたい方だったんですよ」
 ウルムスは瞳を輝かせていた。無邪気に夢を語る子どものようだった。
 不意に、悲しそうに目を伏せる。
「五年前、突然いなくなられたときには、本当に落胆しました。目指すべき到達点を失ったみたいで」
 偉大で、自らにも他にも等しくきびしく、妥協はしない。
 時には恐ろしいほどに厳格であったのだ、と、ウルムスは言った。

 今の俺は、そうではない。
 咽喉元まででかかった台詞は、飲み下すことにした。
 おそらくもう、昔のままの自分ではないのだ。
 しかしそれを口にして、何になるわけでもなかった。

「ですが今、こうして傍に仕えさせていただけて、僕は幸せです」
 顔から憂いを取り払って、ウルムスが微笑した。
「では僕はもう少し周囲を回ってきますね。お暇でしたら、先に地上(うえ)の車に戻られていても大丈夫ですよ、ここは僕がやります」
 ウルムスは踵を返し、唯一の扉に向かって歩き出した。
「ああ、あとアザゼル様」
 外れかけた扉までたどり着いて、ウルムスが振り返った。
「何か見つけられたら、教えてくださいね」
 無邪気な笑顔でつぶやいて、立ち去った。
 アザゼルはしばらく、新たな部下の立ち去った長方形の隙間を見つめ、やがて緩慢にまばたきをした。
 足音が遠ざかると、上着の内側から、小型の機械端末を引きずり出す。
 掌におさまるサイズの、縦長の端末は、おおきさの殆どを液晶の画面が占めていた。
 壁に背を預け、端末の電源を入れる。
 右手でズボンのポケットを探った。
 やがて、指先に触ったそれをつかみ出す。
 親指と人差し指で挟める大きさ、薄さの、チップ。
 この部屋の、引き倒された食器棚の奥。コーヒー豆の袋の底から発見したものだった。

(気付いていたのか? ウルムスは)
 自問する。
 何か見つけたら、教えてくださいと。意味ありげに呟いて消えた部下。
 あの男は、常に柔和な顔をしている分、読めない。
 なんにせよ、警戒するに越したことはない。
 正規軍にしてみれば、アザゼルと言う生き物は、教皇の息子という肩書きの他は、記憶を失っていたとはいえテロリスト集団に属していたのだ。
 得体が知れないのは、むしろこちらの方なのだろう。異物だ。

 本来ならこの拾得物は提出すべきものだ。
 世間を騒がせているテロリストの居場所を示すものかもしれない。
 けれども、アザゼルはそのチップを誰もいない室内で、端末に飲み込ませた。
 なぜか? その自問に答えるものはなかった。

 コードレスのイヤホンを片方の耳に押し込んで、指先を添える。
 音声データだった。

―――君なら、このチップに気付くと思っていた。

 なつかしい声だった。
 以前は一日も欠かさず耳にしていた声だ。
 それを聞かなくなってから、半年以上経ってしまっていた。
 今ではもう、なつかしいと、思うようになっている。
 遠い。

―――残念ながら、所有しているアジトは全部破棄することにしたよ。君たちが動く頃には、全て機能していないはずだ。高価いマシンも多いけれど、君は操作方法や、僕のデータの隠し方の癖を知っているから、残しておくと危ないので、破壊していく。

 声は淡々と静かだった。
 “いつもどおり”だ。
 掴み所のない、くせもののままだ。

 五年前の、あの日も。
 こののんびりとした声が、「轢かれる」などと脅したのだ。


            *


 空は、透き通っていてどこまでも高かった。
 周囲に視界を遮るものは何もない。視界いっぱいに、蒼穹がひらけていた。
 しばらくぼんやりと、空を見る。
 きれいだと、まず思った。
 ここはどこなのか、どうして地面に転がっているのか、そこまで考えが至ったのは、随分経ってからだった。
 自分が誰なのか? 一番初歩的なことすら思い出せないことに愕然として、まだ地面に横たわっていた。

 遠くから、車の走行音が近づいてきた。
 すぐ傍で、急ブレーキの騒音と共に、タイヤの音は止まる。
 ひとがいる、というまだ幼い少女の声と、ああっほんとうだ、という間の抜けた男の声を耳が拾う。
 ドアの開閉の音。
 ひとつの足音が傍に寄ってきて、唐突に。
 視界を占める空を遮る、影が出来た。
 眠そうな目をしている。
 空っぽの頭で、そう思った。
 体の左側にしゃがみこんだスーツ姿の男が、しげしげとこちらを覗き込む。
 こんなところに転がっていると、轢かれるよ。むしろ轢きそうになったよ。
 声も眠そうだった。
 細められた、濃紺の瞳は深く、底知れない。
 どうしたの、行き倒れ?
 わからない、と正直に答えた。
 わからないの? 自分のことなのに?
 なにも、わからないんだ。
 ここがどこなのか、どうしてこんなところに転がっていたのか、今はいつなのか、自分は一体誰なのか。
 名前すら。
 そりゃぁ、困ったねぇ。
 男の声に誠意はなかった。完全な他人事の、相槌だった。
 サイジョウさん、どうしたの。
 少しばかり離れたところから、少女の声が聞こえる。警戒している。どこか弱々しい。
 ああそれがねぇ、迷子を拾ってしまってね。
 こちらを見下ろしたまま、男は少女に声を返す。

―――ここで君を轢きかけたのも何かの縁だろうし。このままここで転がっていても仕方がないよ。見てのとおりここは荒野で木もないから夜は冷えるんだ。明日の朝まで眠っていたら、そのまま簡単に自殺ができるよ。死にたいのなら止めないけど。

 一緒にくるか、と。
 言った。

 視界が広がったと思ったのは。気付いたら瞠目していたからだろう。
 驚いていた。

 縋ったのは、何も持っていなかったからだ。
 自己を確立するものを。失っていたからだ。
 どんな支えでも良かった。
 そのとき現れたのが他の何かでも、同じように縋り付いていただろう。
 特別なつながりなど、必要なかった。
 死に掛けた生きものがただ、避難場所を見つけた。それだけの話。
 それだけだ。



―――決着を、つけたいと思うのなら……。

 耳元の単調な声が、意識を回想から引きずり戻した。

―――君がもし、僕と決着をつけたいというのなら、おいで。
 なぜかその声は、一緒にくるかと誘ったときと、同じ響きに聞こえた。

―――僕は、これからあのふたりの故郷あたりに引き揚げるつもりだ。僕を殺したいとか、捕らえたいとか思うのならば、そうすればいい。君から逃げるつもりはない。ひとりで来ても、部下を何千人連れてきても、かまわないさ。君が来るならね。

 馬鹿な男だな。
 ひとりごちて、イヤホンを耳から引き抜く。
 端末の電源を落として、チップを引きずり出した。
 親指と人差し指の間に挟んで、力をこめる。
 やがて、ぱきりと軽い音がして、チップは真っ二つに割れた。

「アザゼル様、ここはもう何もないようですね」
 明るくはきはきとした声が飛んできたのは、端末を懐に仕舞いなおしたところだった。
「あれ? 何かなさっていたんですか?」
 ドアを失った入り口から、荒れ果てた部屋を覗き込んで、ウルムスは首を傾げる仕草をする。
 穏やかに、笑んでいる。
「……。いや、なんでもない」
 壁に預けていた体重を、取り戻す。
「無駄足だったみたいだ。引き揚げよう」
 家具や食器の障害を踏み越えて、アザゼルは入り口まで到達する。
 怪訝そうな視線を向ける部下の傍をすり抜けて、かつての住処をあとにした。



2.

 記憶のはじまりは、なんだっただろう?
 まどろみの意識の中で、考えた。
 夢がまだ余韻を残していて、現実がまだほんの少し遠い。
 生ぬるく、とても心地よいだるさだ。
 そうだ、はじまりは、なんだったっけ。考えるのも忘れそうになる。
 煙草の香りが、きつかった。

―――もうっ、子どもの前でやめてください、煙草は!
―――ああ、ごめん、ごめんなさい。

 ああ、そうだ、物凄い勢いでシスターに叱られてる姿だっただろうか。
 子どもの前も何も、その人の職業上、喫煙って咎められる行為じゃないのだろうか。そんなことを今更考えてみる。
 意識は再び下降する。また沈む。
 心地よい。

 ぼすっ、と鈍い音と共に頭部に衝撃を感じたのは、あと一歩で意識を手放す頃合だった。
「いつまで寝てるつもりだよ、もう昼間だぞ」
「起きてるよ」
 弱々しく、レイは答えた。
「うそつけ。これで放置したら絶対お前、寝るからな!」
 決め付けられる。
 さすがに少々不快になって、レイはだるさを引きずるように体を起こした。
「ああ、それでか」
 枕を投げつけてくれたらしい、”赤子の時からの幼馴染”を、寝室の入り口に発見して、思わず納得した。
「寝惚けるなよ」
 ひとりで納得して頷いているレイに、寝室の扉を開け放った体勢のままで、ハルトは眉間に皺を寄せる。
「寝惚けていないよ。お前の煙草のせいだ」
「はァ?」
「神父の、夢を見てたんだ」
 うな垂れて、レイは目を抑える。目蓋の奥が重かった。
 煙草の香りのせいだ。
 あの人は、体の一部のように煙草を吸っていたことを不意に思い出した。
 聖職者という立場からは、赦されないはずのそれがごく自然にそこにあった。
 そのような思い出すら既に、なつかしいと思っていることに気付く。
「珍しくサイジョウが精力的なんだ。遅れれば遅れるほどお小言が増えるんだぜ」
「分かったよ」
 思い出から意識を引きずり上げて、レイはベッドを下りた。


            *


「遅いっ!」
 腰あたりで、高い声が言った。
「ごめん」
 素直にレイは詫びた。
 ぷりぷりと怒りを振りまくその物体を、見下ろして。
「ホント、これだから困るよ。相手が子どもだからって舐めてるんじゃないの? ぼくだって、あんたたちが思ってるほど暇じゃないんだけど? でも、ヒイラギがどーしてもっていうから、手を貸してやってるだけで」
 腰に両手をあてる体勢で、短髪の少年がふんぞり返った。灰色の髪がつんつんと尖っている。
「大人には口の聞き方を考えたらどうなんだ」
 視点をあわせるように屈みこんで、ハルトがこまっしゃくれた少年の頬をびよんと引っ張った。
「大人たるもの、時間は守るべきなんじゃないの」
「……ああいえばこういう」
「子どもにあれこれ言う前に、自分の態度を正してよ。一時間の、遅刻、です!」
 遅刻は事実なので、ハルトはそれ以上文句を連ねられずに、不本意そうに黙る。
「ステフ」
 男の声が、少年を呼んだ。荒々しい岩場が続く一角から、眠そうな声が。
 ステファン・リックは、敏感に反応を示して、くるりと踵を返した。
「なんだよ、しょうがないなァ、ヒイラギはー」
 しょうがない、とは言いつつも少年はやけに嬉しそうだ。
 尻尾が生えていたならば、さぞかし盛大にはたはたと揺れていることだろう。
 天才ハッカーとして通っているこの少年は、なぜかサイジョウに良く懐いている。
「遅刻組ふたりもおいで」
 眠い声が、大きな岩の向こうから呼ばわった。”遅刻”をやけに強調する。金と黒のふたり組は、どちらともなしに顔を見合わせた。ハルトが諦めたように肩を竦める。大きな岩を回り込むべく、歩き出した。

 荒地は、キトから徒歩で出かけられる距離にある。
 子どもの足だったら、往復で丸々一日の探検になるような。大人の足でも、一時間以上はかかる。
 巨大な岩の転がる不毛な荒地。ただっ広い荒野以外何も無い場所なので、村の人間はまず近づかない。
 乾いた風が砂塵を巻き上げて吹き抜けていった。
 いくつの頃だったか、正確な時期は忘れたが、幼い頃。ふたりはここに探検にやってきたことがある。男の子の好奇心だった。
 更に説明をつけくわえると、レイはハルトの『考古学ゴッコ』に引きずられてきたのだが。

 こんな景色だったか、とハルトは思う。
 思っていたよりも見通しが良い。転がっている岩は、もっと大きくなかっただろうか? そこまで考えて、当たり前のことに気づく。それはそうだ。ガキと今とでは身長が違うのだ。
 あの頃は、巨人がそこここに蹲っているように威圧的だった岩々も、今はあっけないものだ。
 そんなことを考えながら、ふたりはステフが喜々として飛び込んでいった岩陰に回りこんだ。
 赤茶けた岩々の合間に、この風景にはあまりにも不似合いな、白いシャツ姿の男がいる。地面にぱっくりと口を開いた洞窟の傍らにしゃがみこんで、地べたに置いた端末のディスプレイを覗き込んでいる。眼鏡の奥の瞳は今日も眠そうだった。
 ステフも、彼に倣うようにして、大きな瞳でディスプレイを覗き込んでいる。
「やぁ、”おそよう”」
 画面を覗き込んだままで、サイジョウが言った。
 ハルトは露骨に眉をひそめる。この男は、一から十まで全て皮肉にしないと気がすまないのか。
「君らが子どもの頃にもぐりこんで叱られたっていうのは、ここでいいの?」
 サイジョウの問い掛けに、レイは周囲を見回した。個性の無い荒野ばかりが広がっている。
「たぶん、あってると思いますけど……。自信はあんまり。でも、そういう穴から地下に潜った覚えはあります」
 ぽっかりと口を開いた穴は、なだらかな下り坂になっているはずだ。そこからしばらく天井の低い洞穴が続き、突き当たりには、こんな荒野には不似合いな鋼鉄の扉が一枚。
 その先が遺跡、のはずだ。ファレスタ山脈やカルチェ・ラタンの地下で見た、現代科学を遥かに超越した機械の群れ。

「とりあえず入ってみるかね。中を確かめてみないことには何も言えない」
 よっこいしょ、と掛け声をひとつ。サイジョウは立ち上がった。
 言われもしないうちにてきぱきと、ステフが端末を片付け始める。まるで世話女房のようだ。
 ひ弱にしか見えない、全国指名手配中のテロリストの頭目は、まるで隣の部屋に移動するような気安さで洞穴にもぐりこむ。
 レイとハルトはお互いにを見合わせてから、頼りない背に続いた。


―――ねぇ、もう帰ろうよぅ。
 圧迫感のある狭い岩壁にはさまれながら、レイは幼い子供の声を聞いた。
 半べそなのは、自分だ。まだ孤児院で暮らしていたころの。
 十年以上も前の話だ。今も目の前を歩いている幼馴染の腕を、後ろから必死に引っ張っていた。
―――ばっか、ここまで来て帰れるか!
 ハルトは振り返らなかった。鬱陶しそうに、絡みつくレイの腕を振り解く。
 早く荒野を出て帰途に着かなければ、孤児院に戻る頃にはとっぷりと日が暮れてしまうだろう。
 シスターたちに心配をかけるのは嫌だったし、何より、怖かった。
 しかし、この幼馴染は一度好奇心に火がついてしまうと止められないのも、レイはよく知っていた。
 レイが帰る、と言ったところで、彼は一人で残るだろう。ほうっておくわけにもいかなかった。
 そうだった。あの日、確かにこの細い洞窟を進んで、その先にある遺跡にたどり着いたのだ。

 ぼんやりと、闇の果てに白いものが浮かび上がる。
 それが、わずかな光を跳ね返す鋼鉄の扉なのだと気づくまで、時間は要らなかった。
 現代の科学をはるかに超越した、古代文明の遺跡。その入り口。
 昔と何も変わっていない。

 扉までたどり着くと、すぐさまサイジョウが扉の右手側、壁に埋めこまれたような一枚のプレートに手を当てた。どういう仕組みなのかは分からないが、この男は機械と”話ができる”という。
 強固にくみ上げられたプロテクトですら、手を触れるだけで外してしまえるのだ。
 プレートに触れたサイジョウが、僅かに眉をひそめる。少し間を置いたのち、扉は空気が抜けるような音を立てて横滑りに開いた。
「あー、参った」
 サイジョウは右手をひらひらと振った。痺れをほぐす動作だった。
「どうかしたのか?」
 ハルトが後方から訪ねる。
 すたすたと開かれた扉の向こう側へ歩き出しながら、サイジョウはんー、と生返事をする。
「子どもの頃に君たちがもぐりこんだときも、プロテクトは掛かってたのかな?」
 質問を返されてしまった。
 異端者ふたりは顔を見合わせる。
「プロテクト?」
 代表して、レイが訊き返した。
「扉に。頑丈なプロテクトが掛けられててね。少しばかり手間取ったよ」
 ひらひらと、サイジョウは再び右手を振ってみせる。
「素通り、だった気がするけどな」
「そうだろうね」
 思い返すように中空を見上げてハルトがつぶやく。語尾に被せるように素早くサイジョウが切り返した。
 じゃあ聞くなよ、とハルトは露骨に顔をしかめた。
「なんの知識もない子どもが開けるようなものじゃなかった。とすれば、君たちが入った後に誰かがこの扉を”封印”したんだろうな。かなり機械方面に精通した人間だとは思うけど」
 サイジョウの声が遠くまで通るようになって、ようやく広い場所に出たことを知る。観劇をするような奥行きのあるホールの感覚だった。わだかまる闇のせいで、遠くまでは見渡せない。
「神父……」
 口をついて零れた言葉に、レイ自身驚いた。
 何故そう思ったのかは分からない。が、確信に近かった。
 町の人間が来ないようなこんな場所に、そのような手の込んだことをするとしたら、彼しか思い浮かばなかった。
 隣を伺うと、ハルトも渋い顔をしていた。考えたことは、おそらく同じなのだろう。
「完全に地中に埋まってはいるけど、電源は生きているみたいだねぇ」
 ゆるく点滅を繰り返すグリーンの非常灯が、そこここで瞬いていた。周囲を僅かに照らして、また闇に還る。
「明るくしてみようか」
 不意にその場にしゃがみこんだサイジョウが、床の面に掌を滑らせた。
 そんな簡単に、と反論をする間も与えずに、膨大な量の光が爆発した。
 遠い天井から降り注ぐ光の束が、床の銀に反射して、とにかく眩しい。
 色素の薄い瞳に直撃を受けて、ハルトはうめいた。もう少し、断りのようなものが欲しい。
「驚いたな」
 感嘆の声に、ハルトは光に焼かれた瞳を開く。ちらちらと残像が残っている。
「ここまでしっかり残っているのも珍しい」
 サイジョウは楽しそうに、ぐるりと周囲を見回した。
 くまなく光に照らし出された空間は、寒々しいほどの銀だった。
 幼い頃にこの場を訪れたことがあるはずのふたりは、まばゆくさらけ出された風景に、絶句する。
 子どもの頃も、探検はしたのだ。ただし明かりはなかった。
 この広いホールに、他の遺跡のように祭壇のようなものが存在し、現在の技術を越えた機械端末が多く設置されていることは分かっていた。
 しかしこれは。
 本来ならば美しいはずの銀の壁のそこここに、穿たれた小さな穴。
 無数の。数え切れぬほどの。
「弾痕、か」
 壁際に歩み寄ったサイジョウは、しゃがみこんで、その小さな穴に指を這わせる。
 鋼色の一部が赤茶けたように変色している部分を、なぞった。
 入り口から向かって右手側の壁。そこに無数の弾痕と、その弾痕から縦に線を引くような赤銅色の変色があった。
「人が死んでるな。争った、というより処刑されたという感じか」
「なんだって?」
 テロリストの独白を聞きそびれて、ハルトが訊きかえす。
「ここに何人か並べられて、撃ち殺されたんだよ、おそらくはね」
 検分を終えたのか、白いシャツ姿の男は立ち上がり様に物騒なことを言った。
 目が慣れてくると、ホールの荒廃が目に付いた。
 壁のあちこちには弾痕。祭壇へ進むための数段の段差は所々崩れ、床にもあちこち赤銅色の変色が見受けられた。
 入り口とは別に、遺跡の奥へ続くだろう扉は、壊れているのか中途半端に開いたままになっている。
 大規模な殺戮があったのだろう。長い年月を経てもその痕跡だけは消えずに残っている。
「だけど、これが隠したかったこと、なのか?」
 確かに陰惨なかおりはする。けれども、大陸のあちこちで発見されている遺跡の中にも戦闘のあとらしきものは発見されている。今更―――。
「違うだろうな。この程度ならいくらでも転がってるさ。遺跡には戦闘のあとがあるものが多いしね。きっと入り口を封印した”誰か”は何か見つけたんだろう。この奥で」
 すたすたと、サイジョウは歩き出した。崩れかけた祭壇の前を通り過ぎ、半ば開かれたままの扉のほうへ向かう。
 ガイアズメールやカルチェ・ラタンの地下で発見したものと構造が同じなら、その扉の向こうには、船の奥へ続く廊下が伸びているはずだ。その廊下を真っ直ぐ突き当りまで進むと、コンピュータルームがある。
「遺跡の端末は大概、全て繋がっている。ひとつでも復旧させられれば、メインにも潜れる」
 立て付けの悪くなったような扉を無理矢理開いて、サイジョウは真っ直ぐに突き当たりの扉に向かう。
 廊下にもあちこちに弾痕がちりばめられていた。
「教会はここに立ち入っていないようだ。だとすると、彼らが必死に隠したがっているようなデータも、残っているかもしれない。隠したかったのは、おそらくそっちじゃないかな」
「データ……」
「神の船の秘密、とかね」
 サイジョウの手が、突き当たりの扉に触れた。
 まるで生き物のように、扉はなめらかに開いた。
「毎回思うけど、人間業じゃねぇよな」
 様々な法則をまるで無視している。ぞっとしない。
 腹の底が冷えるような感覚を味わいながら、ハルトは口に出した。
 ふふ、と小さくサイジョウは笑う。
「そりゃドーモ。僕もそう思うよ」



3.

 指先に、棒状の金属が触る。
 耳朶にぶら下がるそれをひとつ掴んで引っ張ると、鈍い痛みだ。目が覚める。
「全く、次から次へと落ちつかねぇ街だな」
 アース・フィラメントは、自身に宛がわれた華美な一室の、デスク備え付けの椅子に座って、背もたれに首を預けていた。咽喉をそらす。鈍い頭痛がこめかみあたり。
 何しろ眠っていなかった。
 半年前、ほぼ半壊した研究施設の再建問題で、柄でもないデスクワークなどしているせいなのか。
 とはいえ、奔走しているのは大体彼の助手のほうだ。しかし一応のトップとして、諸々の書類に目を通して判を押したりサインを綴ったりしなければならない。
「一応今ここは喪に服しているんだ。教皇庁でそんな物言いはどうかと思うがな」
 ノックもなしに扉が開かれる。スーツ姿の男が、音もなく室内に滑り込んできた。
「お前はよく飽きないもんだな。半年も駆けずり回って。ああ、元々そっちのほうが向いてんのか」
 あお向けていた首を元に戻す。副主任であるオルウェン・ドーソンと向かい合った。
 研究所のトップは、新しい施設があらかた出来上がるまでは教皇庁に部屋を与えられていた。
 普段は客間として使われているその部屋は無駄に贅沢で、アースの趣味には合わなかった。何から何まで飾り立てられていて、気色悪い。
「あれほど、眠るならベッドに行けと言ったはずだが?」
 抱えてきた書類をデスクの上に投げ出して、オルウェンは眼鏡を引き抜いた。
 充血しきった目を持つ上司が、ここ数日ベッドで眠っていないことを、オルウェンはよく知っている。
「あんなごてごてに飾り付けられたベッドなんか、落ち着くもんか」
 目をしばたかせて、アースがぼやく。まるで子どもの言い訳のようだ。
「もう教皇庁に移動して半年だぞ、いい加減慣れてくれ。お前が使い物にならないと困る」
「例の薬品の残りは―――」
 お小言から、アースは無理に話を逸らした。
 先程と同じように、椅子の背もたれに項を預けて、背を逸らす。
 充血しきった双眸を閉ざすと、重みとちりちりとした痛み。
「地下から運び出せたのか?」
「あまり大量には残っていなかったが、一応運び出した。信頼できる部下に内密に作業に当たらせている。仮設の研究施設に運び込むようには言ってある」
「いや、俺の手元だ」
「なんだって?」
「あの薬に用がある。保管しておいても仕方がない。持ってこさせてくれ」
「用があるとはどういう意味だ? あの薬品は―――」
「あの薬品がないと困るやつがいるんだよ。そろそろストックも切れる頃だろうしな」
 今頃は、戦々恐々としてるんじゃないか? アースはつけくわえた。
 それ以上、アースは何も言わなかった。
 問い詰めたいことは多々あったのだが、この男が口を噤んでしまうと、テコでも動かないことをオルウェンは知っている。喋りたくなったら自分から話すだろう。
 背もたれに体重を預けて身じろぎもしない上司を見て、そのまま少し眠ればいいだろう、と考え直すと、踵を返した。
「その書類に一応目を通しておいてくれ。例の薬品については俺から話を通しておく」
「―――大司教の噂は本当なのか」
 全く別の話をアースは切り出した。
「なんだって?」
 閉ざしかけた扉を再び少し開いて、オルウェンは顔だけを覗かせる。
「教皇が殺されてから、上層部が権力争いを続けてるのは火を見るより明らかだけどな。かのラジエル猊下がご病気っていう噂がまことしやかに街に流れてるらしいじゃないか」
 相変わらず目を閉じたままだが、声はしっかりとしていた。
「……初耳だな」
「正式な発表じゃない。城下に蔓延してるただの噂だ。が、最近は執務にも顔を出さないことがままあるとか。実際のところは、どうなってるんだかな」
 一体この男は、どこから情報を得てくるものかと、時々オルウェンは不思議に思うことがある。
 他愛もない噂話から、機密事項まで。この男が張り巡らせた情報収集の糸は、一体どこまで伸びているものか。
 アースよりも教皇庁内部を駆け回っているはずのオルウェンは、今ここで初めて、大司教の噂を耳にしたというのに。
「……まぁ、近々教皇の葬儀も執り行われるだろうから、そのときに会えば分かるだろうけどな」
 その言葉を最後に、アースは沈黙した。
 静かに、オルウェンは扉を閉ざした。


 部下の足音が遠のく。それが完全に消えてしまってから、アースは背もたれから体重を取り戻した。
 重い体を引きずるようにして、椅子から立ち上がる。
 デスクの上に積み上げられた書類には目もくれずに、左手側にある扉に向かった。
 精巧に細工を施された煌びやかなドアノブを握って、まわす。奥に押し開いた。
 コーヒーを淹れているような。こぽこぽという音が耳に届いた。
 薄暗い室内の中央に、楕円形のカプセルのようなものが据えてある。
 ドアの縁にもたれかかって、遠目からアースはその球状の物体を見つめた。
 研究所の爆発にも、傷ひとつつかなかったマシン。
「……死ぬ前も死んじまってからも、悪運の強い男だな、爺」

―――私を憎いと思うのならば、私が作り出したもの全てを壊せばいい。私の体も、研究も、その産物も。

 言葉は呪いだ。アースはそう思う。
 この男の言葉は、死んでからもこの身を縛り付けている。

―――ただひとつだけ、我儘を聞いてくれるか。私が死んだら、美しい花の下に埋めてくれ。このような呪われた体でも、花々の苗床になるのならば、これほど嬉しいことはない。私は元々、植物の研究がしたかったんだ。

 だからアースは、憎んでいるはずの男の死体をまだ保存している。
 この男があれほどまでに拘った、既に失われた花に、この体を食わせてやる。そう決めている。
 それが、アースの弔いであり、復讐でもあるのだ。

「あんたの作り出した研究施設もぶっ壊れた。あんたの実験体も、もうあんまり長生きはできないぜ。ザマァミロ」
 言い捨てて、アースは再び扉を閉ざした。
 その扉に背を預けるように座り、目を閉じた。


            *


「日にちはこのように決まりましたので、どうか猊下にもよろしくお伝えくださいますように」
 無表情なシスターが、淡々と告げた。
 差し出された書類を受け取って、リョウコはぺこりと頭を下げた。
「お体の具合は如何なのでしょうか?」
 僅かに表情に憂いを含ませて、シスターが問うた。リョウコは、シスターの胸に掛かった大きな十字を見ていた。
「まだ万全ではないご様子なので、大事をとって、ということだそうです」
 リョウコは、胸のうちで繰り返し練習した言葉を舌に乗せた。
 できるだけ声が震えないように。表情が不自然にならないように。
 シスターは口元に右手を当てて、まぁ、と眉をひそめる。
「大変ですわね。早く全快なさることをお祈りさせていただきますわ。どうかご加護が」
 慈愛に満ちた憂い顔で、シスターは十字を切った。
 ありがとうございます、とリョウコはもう一度頭を下げる。
「どうか、不慮の死を遂げられた教皇猊下のご葬儀には、ご参列くださいますよう、とお伝えください」
「はい。承りました」
「それではわたくしはこれで失礼いたします」
 深々と頭を垂れて、シスターは踵を返した。
 彼女が退出するまで、リョウコは頭を下げたまま見送る。
 扉が閉ざされ、足音が遠のくと、深く深く、安堵の吐息を漏らした。
 手渡された書類をあらためる。
 先日賊に暗殺されたという教皇の葬儀の日程が、ようやく決定したのだという。
 一週間後。
 書類を片手に持ったまま、リョウコは大司教の執務室を横切った。続きになっている寝室の扉へ手をかける。
 ノックもせずに、押し開いた。
 目の前に広がった光景に、リョウコは落胆する。分かっていた。分かっていたけれど。
 寝室のベッドは、全く乱れもせずにそこにあった。
 主の姿は、今日もない。
 もう三日戻っていない。
 人気のない、寒寒とした寝室を見回してから、リョウコは再び扉を閉ざした。


            *


「参ったなぁ」
 愛らしい顔をゆがめて、盛大に渋い顔を作るが、迫力はない。
 石畳の敷き詰められた坂を下りながら、思案する。
 一体どこではぐれたものか。
 二ブロック前までは、順調に漫才のような言い合いをしながら歩いていたはずなのだが。
「やっぱりあれかな、市場の前を通ったあたりかな」
 少年は一人ごちた。
 人いきれの中ではぐれたに違いない。
「……このまま僕は帰ってもいいけど、探すだろうなァ。律儀だから。今日に限って通信機も持ってきてない。どうしよう」
 ぶつぶつと呟きながら、テクテクと坂を下る。

 隠密任務だった。ゆえに本日は私服である。
 市井の人々にまぎれて、近頃噂の占い師についての情報を収集するのが目的だった。
 栗毛に金の瞳の十二三程の少年は、大きな瞳をめまぐるしく動かして、引き連れてきたはずの部下の姿を探す。
 でかい男だから、すぐに見つかるとは思ったのだが。
 どうもそう上手くはいかないらしい。
 一人で振り返りもせずにずんずんと貴族街に向けて歩いてきたのがどうやら敗因のようだ。
 白のシャツに濃いグレイのズボンといういたってシンプルな恰好の少年は、かといって立ち止まっているわけにも行かずに、ゆっくりと坂道を下る。
 ふぅ、と思いつめたような溜息を落として、曲がり角を左へ折れ―――。
「うわっ!」
 俯いて歩いていたのが良くなかったようで、正規軍東軍大将閣下は、思いっきり人の腹部に激突してしまった。
 反動に耐えかねて、そのまま地面に尻餅をついてしまう。
「ああっ、ごめんね、大丈夫?」
 すぐに、さっと影が覆い被さってきた。誰かが屈みこんだのだろうとすぐに見当をつける。
 装い慣れたお子様の仮面を顔面に貼り付けて、ミカエルは精一杯笑顔を作った。
「ごめんなさい、ちょっと考えごとしてて」
「私もなのよ、ごめんね」
 上辺にすっかり騙されたらしい女性が、さっと手を差し伸べてくれる。
 好意に甘えて手を握り返すと、引き起こされた。
「こんな町外れにひとりなの?」
 ぴしりとスーツを着こなした小柄な女性だった。
 午後の日差しを受けて、金の髪がきらきらとまぶしい。長めの前髪を左側から右に分けて流してある。
 スーツを着ているというのに、どことなく幼い感じのする顔だ、と思う。
「え、ええと。お父さんとはぐれちゃって」
 なにやら警戒している気配を察知して、ミカエルは精一杯笑顔を作った。
「そうなの? 私もちょっと知り合いとはぐれちゃったのよ。どうして市場から貴族街に続く道って細く入り組んでるのかしら? 嫌になっちゃうわ」
 心底げんなりした様子で溜息をひとつ。
「ああそうだ、ボク、迷子だったら一緒に探してあげようか?」
 膝頭に手を当てて、女はミカエルの顔を覗き込んだ。
 どう言ったものか。どう言い逃れたものか。必死に考えをめぐらせる。
 あまり一般人と一緒に行動するのは得策ではない。
「でも、お姉さんに迷惑がかかっちゃうから。お姉さんも知り合いのひと探さないといけないんでしょ?」
 精一杯申し訳なさそうな顔を作って、上目遣いに言う。
 ああ、今日に限ってシノブが近くにいないことが悔やまれる。
 今日は、ジャンヌに付き従って、教皇を暗殺した賊の捜査に出かけているはずだった。
「いいのいいの! 困ってる人を助けるのが私の仕事だしね。子どもがそんなこと気にしないのよ」
「仕事?」
 思わず真顔で聞き返してから、ミカエルは慌てて首を傾げる動作を追加した。
 一瞬、取り繕えなかった。相手が不審に思わなければいいのだが。
「そう。困ったときはなんでも相談してね」
 けれど女はすっかりと、ミカエルの姿かたちに騙されている様子で、何ひとつ不審に思っていないらしい。
 内心でホッと胸を撫で下ろしながら、ミカエルは次の手を探る。
「お姉さん、警備省の人?」
 カマをかけてみることにした。
 すると、女は一瞬きょとんとした顔をして見せてから、満面の笑みを浮かべる。
「あら、どうして?」
「だって、警備省のひとって、困ってる人を助けるのが仕事なんでしょ? ボク、ずっと凄いなーって思ってたから」
 純粋な子どもの憧れで、カバーする。
 姑息な手段だった。
「仕事っていうかね、生きがいってヤツよ。人助けすれば金がもらえるからやってるわけじゃないのよ」
 すがすがしく、女は笑ってみせる。ミカエルは彼女に好感を持った。
 女はミカエルの頭に手をのせて、少し強めに撫でた。
「ボク、名前は?」
「ええと、エル」
 いつも名乗っている通り名を告げる。
「エルね。私はクリスティン。クリスティン・サウザンド。クリスって呼んでくれて構わないわ」
 頭の上から退けられた手が、握手のために差し出された。
 女の、線の細い手だが、細かい傷が刻まれている。銃を握ることもある手なのだろう。
 ミカエルは、あどけない表情を取り繕うのも忘れて、しばらく差し出された手を凝視していた。
(サウザンド―――)
 聞き覚えのある苗字だ。
「……どうかした?」
 差し出された手をそのまま放置されたクリスが、怪訝そうに問う。
「あ、ごめん―――」
「いたいた。こんなところに」
 慌ててミカエルが握手に応じようとしたところで、男の声が割って入った。
 耳慣れた声に、ミカエルは振り返った。
「急にいなくなるから、探し回ったじゃないですか」
「お父さん!」
 天の助け。ミカエルは、男が言い終わらないうちに、腰にタックルを仕掛けるように飛びついた。
「は、ハァ? 誰がお父さ―――ってェ!」
 反論しようとする男の足を、ミカエルが思いっきり踏みつけた。
「おとうさんー、怖かったよー」
 刻み付けるように足を踏みつけながら、ミカエルは盛大に部下にしがみついた。
 異変を敏感に察知して、東軍の中佐を張る男は、小さな上官の体を無言で受け止めた。
「あら、お父さん?」
 クリスは、いきなり現れた金髪の男と、それにしがみつく少年を見比べた。
 父親、なのだろうか。髪の色も目の色も違う。
 何よりも、家庭的な臭いのしない男だった。白いシャツに黒のパンツ姿で全く飾り気がない。が、隙もない、とクリスは思った。
 油断ならない気配だわ、と胸中でひとりごちた。

 ぎゅう、とミカエルが更にアフライドの足を踏みつける。
「あ、ああどうもすみません。息子がご迷惑を」
 苦笑いで、アフライドはクリスに向き直った。
「え、いいえ! ここで世間話してただけですから。お父さん若いのねー」
「若作りなんです」
 笑顔でミカエルが切り返した。
 相変わらず足を踏みつけられたままなので反論もままならず、アフライドは辱めを甘受する。
 畜生、あとで覚えてろよ。
「もうー、お父さんにそんな事言っちゃだめよ!」
「あははは、ごめんなさい」
「ようやく見つけたぞ。こんなところにいたのか」
 抑揚のない声が、今度はクリスの背後から。
「あ、あんたどこ行ってたのよ」
 クリスは、ゴーグルを装着した長身の男を振り返る。両手を腰に当てて、ご立腹の体勢だ。
「お前が勝手に先走っていなくなったんだ」
 冷静に、男は反論する。
 あまり生き物らしさを与えない男の容貌を目の当たりにして、何を思ったものかミカエルは、さっとアフライドの影に隠れた。
「?」
 身を盾にされた部下は、上官の挙動のあまりの不審さに怪訝な顔をする。
「あら? どうしたのエルくん。大丈夫よーこいつ、変な恰好してるけど、悪いヤツじゃないから」
 クリスの相棒であるエーク・Hは、しばらく義眼であるゴーグルの奥から、胡散臭い男の陰に隠れた少年を凝視する。
「エーク?」
 訪れた奇妙な沈黙に、クリスが相棒の名を呼んだ。
 端と我に返ったらしい義眼の長身は、小柄な相棒に視線を移す。
「……いや、なんでもない。それよりも召集は15時だが、間に合うのか?」
「え?」
「本部で会議があるはずだが」
 クリスは、幾分かぎこちない動作で自分の腕にはめてある時計の文字盤に目をやった。
「……やばい」
 ややあって、一言。
「ごめんねっ! お姉さん急ぐから! もう迷子になるんじゃないわよ!」
 じゃ! と勢い良く一気に吐き出して、クリスは踵を返した。
 あきれた様子で、ゴーグル男はひとつ、大きな溜息を落とす。
 小さな会釈ののち、小柄な相棒を追った。
 去り際、男は再び、金髪男の影に隠れている少年を一瞥した、ように見えた。


「……一体何がなんだって言うんです。説明してくれるんでしょうね」
 台風一過。スーツ女とゴーグル男の姿が完全に見えなくなったところで、アフライドは上官を見下ろした。
「勘違いなら良かったのにな」
 上官は、やけに憂えた表情をしていた。独白のようにもらす。
「勘違いって、一体何がです」
「娘も警備省勤めだなんて、困ったよ」
 作り上げた子どもの仮面はもうすっかり剥げ落ちていた。口元に浮かんだ自嘲のようなゆがみは、とても十程の子どもができる顔ではない。
「あの義眼の男にはバレてしまったかもしれないな。ついてない」
「だからなんだって言うんです」
「彼女の父親は、フィーダー・サウザンド。警備省の捜査官だった男だ」
 金の瞳で、ミカエルは結局彼女と握手できなかった右手を見つめた。

「僕が殺したんだ」



4.

 とっぷりと、日は暮れている。
 街灯もないなだらかな坂道を、二つの影がのぼっている。
 無言だった。
「ハルト」
 少し遅れて後ろを登る人影が、前の背中を呼んだ。
「ん」
 生返事が帰ってきた。
「どう思う?」
「何がだよ」
「何がって、遺跡で聞いたことだよ」
 キトの東にある荒地から、今のねぐらである孤児院に戻る道すがらだった。
 ああ、と返事をして、ハルトはまた黙る。
 半日ほど前のことを思い出していた。


 時は、半日ほど前に遡る。
 サイジョウを含めた三人は、荒れ果てた遺跡の奥にあるコンピュータールームのメインモニターに向かっていた。
 サイジョウは、コンソールに右手を乗せてしばらくモニターを見つめている。
 沈黙していたそれに、電源が灯る。ざらざらと砂嵐が流れていた。
 やがて、体に悪そうな耳障りなノイズが流れ始めた。
 機械と、会話している。そんな言葉を反芻しながら、ハルトはシャツ姿の背中を見つめた。
 これが、この男の力だ。
《―――の、襲撃―――け、》
 突然、ノイズではない音を耳が拾う。ノイズが、徐々に明瞭になってゆく。
 人の声。男だろうか。
 モニターは砂嵐のままで動かない。
「なんだ……?」
 思わず疑問を口に出すと、サイジョウが己の口元に人差し指を押し当てた。
 黙れ、というサインらしい。ハルトは黙り込んだ。
 砂嵐とノイズは続いている。
《……何をやってるんだ》
《証拠を遺しておくんだ。俺らが殺されても、誰に殺られたか分かるように。あの、裏切り者の所為で俺たちは殺されるんだ》
《あいつの説得にはマリアが行ってる》
《マリアだって止められるもんか。あの男はもう、貴族院の手先だろ。俺たちを踏みにじろうとしてる》
 雑音。ノイズ。銃声だろうか。よく聞こえない。
《……はじまったな》
《誰が聞くか分からない。だが、同志だったら頼む、俺たちの仇を取ってくれ。俺たちはこれから貴族院の連中に殺されるだろう。この場所を奴らに密告したのは、ラジエルだ。ガイアズメール内の研究員だった、ラジエル・エレアザール―――》
 けたたましい銃声に続いて、声はぶつりと途切れた。
 砂嵐のようなモニター。ノイズだけが残った。
「これだけ、かな。残っているのは」
 コンソールに当てていた手を、サイジョウが引き剥がす。「後はもう何もない」
「どういうことだ?」
 誰ともなしに、ハルトが呟いた。答えを期待しているわけではなかった。沈黙が耐えられなかったのだ。
「さて、どういうことだろうねぇ」
 のんびりとした口調とは不似合いの、鋭い目が砂嵐を睨んでいた。
 それ以上の、会話はなかった。


 そして、今に至る。
「同一人物だと思う?」
「まさか。ガイアズメールの研究員だったってことは、何千年単位で昔だぜ、今も生きてるなんて……」
 そこまで言って、ハルトは言葉を切った。
 今日遺跡で耳にした名前を、別の場所でも見たことがあった。
 確か、東の美人大佐の故郷だ。
 ビレスの地下に眠っていた遺跡から、警備省の女捜査官が持ち出してきたデータ。
 心理学の研究書類、だったか。
 そこにも、ラジエル・エレアザールという名が記されていた。
 名前が同じだけならばまだしも、姓までとは。
 こうも、点々とあからさまに布石のように落とされていると、引っかかる。
「あいつが、食えない黒幕だってことは、どっちにしろ確かだ」
 生き物とは思えない、作り物めいた美貌の大司教を思い浮かべて、憎々しげにハルトは吐き出した。

「あ! 帰ってきた!」
 女の声が、降ってきた。
 ふたりは同時に顔を見上げ、坂道の突き当たりを見上げた。
 シスターの恰好をした若い女が一人、孤児院の戸口に仁王立ちして待っている。
「遅いわよ!」
「なんだよ、もうガキじゃねんだぞ」
 幼い頃をともに過ごし、今はこの孤児院を手伝っているユリが、ぷりぷりと怒っている様子だった。
「ごめん、ちょっと色々あってね」
 幼い頃から頭の上がらない馴染みに、レイが詫びた。
「あんたたちのことなんて心配してないわよ、殺したって死なないような奴らだし」
「ホント、お前ガキの頃から変わんないな。可愛くねぇ。ちょっとでも心配したとか言ってみろ」
「小さい頃に院長たちとあんたたちのことどれだけ心配したか。もう心配するだけ無駄だって気づいたの。賢くなったのよ」
 ああ、このふたりは昔から顔を合わせたら口喧嘩だったな、などとレイは今更なことを思い出す。
 面倒見のいい、お姉さん気質のユリと、やんちゃ坊主を地で行っていたハルトとは、構いたい性質と構われたくない性質が相殺して、あまり上手くゆかないのだ。
「どうしたの? こうやって待ってたのなんて、初めてじゃないか」
 そしていつも、こんなふうに割って入るのは自分の役目だったような気がする。
「院長が、あなたたちを待ってたのよ」
 ようやく話がわかる人間に出会った、という風にユリが説明した。
「院長が?」
「話したいことがあるんだって」
 ハルトとレイは同時に顔を見合わせた。
「……とうとう叱られんのかな?」
「さぁ、分からないよ」
「別に、お小言って感じじゃなかったわよ。院長ももう諦めているみたいだから、あなたたちに関しては。ただ、深刻そうな顔をしていたから、明るい話ではないと思うわ」
 ユリは複雑そうな顔をした。彼女自身、戸惑っているのかもしれない。
「ってことは、院長はまだ起きているんだ?」
「そう。だから早く入って」
 ユリが急かした。
 ふたりは無言で小柄な幼馴染を追い越して、孤児院の扉に手をかける。
 もう決して若くはない人だ。ふたりとも、育て親にはやはり弱い。

 扉は軋んだ音を立てた。
 入り口を入ってすぐ、長テーブルの置かれている居間に出る。
 ぼんやりと、奥のほうが明るい。居間を横切って、突き当たりの左手が院長の部屋だった。
「院長?」
 軽く扉をノックして、レイが呼びかけた。
「お入りなさい」
 落ち着いた女性の声が、扉の向こうからこちら側に届いた。
 レイが扉を押し開くと、やわらかいオレンジ色の光が廊下に溢れ出す。蝋燭の灯かりなのだろう。ほのかだ。
「ふたりとも、こちらにいらっしゃい」
 凛とした声が、部屋の奥から呼ばわる。
 何度も叱られてきた声だった。逆らえない。
 無言で、ふたりは院長の私室に踏み込んだ。
 院長は、ハルトが後ろ手に扉を閉ざすのを確かめて、机の上に乗せていた本を閉じた。
「どうしたんスか、改まって」
 ポケットに突っ込んでいた手を抜いて、ハルトは、昔よりも幾分か小柄に見えるようになった育ての母に向き直った。「言ってくれたら早く帰ってきたのに」
 こんな遅くまで起きて待っていることもないだろうに。
「いいえ、夜が更けたほうがいいのです。あまり明るいうちにする話でもないでしょうから」
 彼女の顔に、いつもの穏やかな慈愛の笑みはない。
 いつもは目を見て話す人が、珍しく俯いて、閉ざした本の表紙を見ていた。
 他愛のない話ではなかった。ふたりは鋭敏に、その気配を感じ取る。
「あなたたちが大人になったら、話そうと思っていました」
 やがて、ためらいを振り払うように、院長は面を上げた。
 入り口あたりに並んで立ち尽くしている我が子ふたりを、交互に見上げた。
 思わず、ふたりは息を飲む。
 これほどまでにこの人がためらうのを、ふたりは見たことがなかった。
 決して裕福とはいえない孤児院を女手で切り盛りしてきた彼女は芯が通っていて逞しい。男らしいところすらある。
 こんな戸惑いを、子どもたちに見せたことはなかった。
 自然と居ずまいを正す。
「今のあなたたちならば、受け容れられるはずです。落ち着いて聞いてください」
 いつもどおり、意志の強い瞳で、院長は我が子ふたりを見た。
 ふたりは、黙って育ての母を見つめ返す。
 僅かなしじまの後、彼女は口を開いた。

「キトの教会にある、ファスト神父の墓は、空です」





TO BE CONTENUED






ark

TOP

NOVEL