弟殺しの街
〜A〜
―――殺したかった。苦しめて、苦しめて。私から奪ったものを、取り返して。
殺してやりたかった。
他の誰のものでもない、この手で。
1.
―――これが、僕の知っていることの全てだよ。
もう、どのくらい前のことだったろう。
そんなに前でもないのに、なんだか遥か昔のような気がした。それだけ色々なことがあった。
(サイジョウさんが私に、おしえてくれたこと)
久しぶりにバベルまで戻ってきて、塔のあった場所に立って、あたりを見渡す。
朝日に照らし出されたのは、まっさらの地面だけ。
爆破によって崩れ去った塔は、解体されて跡形もなかった。
一時、狂信的なムードに満ちていたバベルも今は、ただの発掘場に戻っていた。
ここに立っていても、誰も彼女が一時期崇め奉られた「神の手」のリョウコであることに気づかない。
なんだかおかしかった。
あの日を境にばっさりと切り落とした髪も、随分と伸びて、肩につくぐらいになっていた。
時間が流れていることを知る。
止められない時間の中、限られた時間の中で、生きていることを知る。
―――時間が、止まっているんだ。そこだけ。
(それって……どういう気分、なんでしょうか)
訊いたら、サイジョウさんは少し驚いたような顔をした後、苦笑する。
それは、僕には分からない。推測してみるなんてことも、無理だ。長すぎる。
(でも、そんなのって……)
―――そうだね。だから僕はもう、教会なんて、なくてもいいと思うんだ。宗教は自由だと思うけど。
いまさら、この世界から宗教を取り除くことなど、不可能だ。それほどまでに宗教は人々の支えになり続けている。
それは、私にもわかる。
―――ただ、もう親離れをしてもいいと思うんだ。そして、"親"も子離れしていい。
「やっぱり、ここにいた」
いつもの"のほほん"とは少し違う声が聞こえて、リョウコは振り返る。
眠そうな目をしたまま銜え煙草のサイジョウ・ヒイラギがそこに立っていた。
「……寝たんじゃなかったんですか?」
夜通し車を走らせて、バベルについたのが先程。もう夜も明けきっていた。
ずっとハンドルを握ったままだったファンが先にダウンし、なんだかんだで起きていた面々は、今日一日を休息と決め込んだのだ。
「朝の散歩をね」
紫煙を吐き出しながら、疲れた顔で少しだけ笑って見せた。
しばらく二人は黙って、バベルの塔があったあたりを見つめていた。
「思い出してました」
先に沈黙を破ったのはリョウコのほうだった。
地面を見たまま、ぽつりと呟く。
「サイジョウさんが、教えてくれたこと。あの日から、ずっと考えてる。私は、どうしたらいいのか―――」
「これから君はもっと―――」
短くなった煙草を地面に落とし、踏み消しながらサイジョウが口を開く。
真面目な声音だった。
「もっと色々なものを目の当たりにすると思う。聞いただけじゃなくて、その目で耳で見て、感じることになると思う」
枯れた大地を渡る風は、砂を含んでいる。吹き抜ける風が、ふたりの黒髪を撫でていった。
「ひとつだけ、約束して欲しいんだ」
思ってもみなかった言葉に、リョウコは隣に立つ男を見上げた。
約束、なんて。
サイジョウは前を見たまま、リョウコと視線は合わせない。
いつものように眼鏡をかけていないその顔は、なんだか別人のように見えた。
「僕たちは今、こうして一緒に行動している。でもそれは、絶対じゃない」
噛み締めるようにゆっくりと。つむがれるその言葉。
「僕たちは前に言ったように、君のことを荷物だとは思っていないし、一緒にいられるのは楽しい。それは、分かっていてくれると思う」
はい。小さな声を出して、リョウコは頷いた。
口に出されなくても、それは温度で分かる。回りの温度で。
「これから先、色々なものを見たとき、君は自分で自分の道を選んでいい。僕が君を助けたからとか、今まで一緒にいたからとか、そういう義理みたいなものは、何一つ感じなくていい。それは裏切りじゃない。……前に言ったように、僕にも本当は、下心があったしね」
―――君の力を利用して、人を集めようと思ったこともある。
そう言われたことがあった。まだ、サイジョウと行動を共にし始めてあまり時間が経っていない頃に。
それが下心だと、サイジョウは言った。
傷つかなかったかといえば嘘になるけれど。納得する部分もあった。
そういう、利害が一致するところがなければ、助けてもらうのも不自然だったから。
「突き放しているわけじゃないことは、分かってね。ただ、君はやさしいから、義理とか人情とかに縛られてしまうかと思って。君が選んだ答えが僕らといることなら、全然構わない。ただもしも別の道が見えたら、我慢はしないでほしい。それだけは、約束して」
「……サイジョウさん」
「君が迷っていることは、知っているんだ。自分でいうのもなんだけど、結構僕の周りは結束が固いからね。でも、モエもファンも、自分で選んだことだからね。今は二人とものほほんとしてるけど、考えるだけ考えたから。……開き直っちゃったのかもしれないけど」
それとも、僕の性格がうつったからかな。小さく笑って、サイジョウは新しい煙草を取り出した。
「考えるだけ、考えればいいよ。答えが出るまでは、自信を持ってここにいていい」
ずっと、考えていた。
ここにいてもいいのだろうか。
私はどうして、ここにいるのだろうか?
楽しいだけで、嬉しいだけで、優しいだけで。
いいのだろうか?
まだ答えは出ていない。
隣で、サイジョウが大きな欠伸をした。
朝日には悪いけど、もうそろそろ限界だなぁ。寝ないとな。
ぶつぶつ言いながら踵を返した。
数歩歩いてから半ば振り返る。穏やかな笑顔で、言った。
「戻ろうか」
*
結局、ほとんど眠れなかった。
夜の闇が薄くなる頃、とうとうベッドから這い出した。
昨晩。
男の死体を発見してすぐ、レイはシェリルの消えた方向に走った。
絶対に彼女が何かかかわっていると思ったからだ。しかし、その姿を見つけることは出来なかった。
時間にすればほんの数分。しかしシェリルの体は掻き消えたように消えていた。
―――自分が何をしたのか……。
あの冷たい瞳。
―――分かっているわね。
灼きついて離れない。
もう、この街には用はないというのに。
引っかかっている。ずっと。
考え込んでいても埒が明かなくなったので、レイは身支度をすると宿を出た。
あまり気は進まなかったが、この街で頼りになるのは"彼"だけだろうから。
と。レイは『69』の扉の前に立っていた。
地下へ続く階段を下りてから気づく。酒場を経営している人種がこんな時間に起きているはずがない。
レイ自身は夜中頃に店を出たが、きっと店主は明け方まで店をやっていたのだろう。
迷惑だろうとは思ったが、とりあえず扉に手をかける。鍵がかかっていたら出直そうと思った。
が。
あっけなく扉は開いた。
「……全く、あんたって本当に迷惑を顧みない奴よね」
途端に低いお姉言葉が聞こえてきて、レイはびくっと立ちすくんだ。やっぱり迷惑だったんだろう。
……帰ろうかな。
「そう言うな。久しぶりに訪ねてきてやったんじゃねぇか。この俺が」
しかし、別の声が答えた。張りのある、通る声だった。
「ふん。酒も飲めない奴に酒場に来てもらっても、嬉しくないわよ」
「飲めないんじゃない。飲まないんだよ」
「ヘリクツ」
「何とでも言え」
カウンターの中には、ぶちぶちと文句を言いながらも嬉しそうなJがいて。
それに向かい合わせるようにひとりの男が座っていた。金と黄とオレンジとを足したようなばさばさの髪を、後ろでひとつに、まるで尻尾のように結わえている。
何よりも目立つのは、彼の着ている白衣、だった。
じっと二人を見つめていると、まず、白衣姿の男がレイに気づく。
「ほら、客だぜ」
レイのそれよりも鮮やかな、エメラルド色の瞳を細めると、白衣の男が立ち上がる。
あら、レイちゃん! と、カウンターの中でJが目を輝かせ指を組み合わせた。
「邪魔したな、ジャガー。何にせよ、ここに寄って良かったぜ。このままだったらバベルまで行っちまうところだった」
カウンターに背を向けたまま、白衣姿の男がこちらへ歩いてくる。軽く手を上げたのはJへの挨拶のようだ。
普段は名前を呼ばれると獣のように怒るJも、目を丸くして「あらもう行くの?」などと言っている。
「俺の用はもう済んだしな。なんだかんだでカルチェ・ラタンに逆戻りだ」
バベル? カルチェ・ラタン?
聞き覚えのある地名だ。入り口近くで首をかしげていると、いつの間にかその白衣姿の男が傍まで来ていた。
にやりと口元に笑みを刻むと、
「気をつけな。油断してると喰われるぜ」
と意地悪く言った。
「アース!!」
カウンターの中から、Jの慌てた声。
「じゃあな」
アースと呼ばれた男は、ひらひらと手を振って出て行ってしまった。
ちりん。入り口のベルがやけに大きく響いた。
「レイちゃん、立ってないでお座りなさいよ」
一時停止していた酒場の時間を動かしたのはJだった。
促されて、レイはカウンターに座る。
「アースの―――あの白衣の奴が言ったことは気にしないでね」
「はい、それは大丈夫……」
「いくらワタシでも、会って二日目のコには手は出さないから」
レイは、椅子に座ったまま石化した。
「あら、レイちゃんどうしたの?」
固まるレイに、Jは不思議そうに瞬きを繰り返した。
「……あの、ええと」
レイは気を取り直してJに向き直る。こんなところでめげてはいけない。
「すみません、朝早くから。昨日も遅かったはずなのに」
控えめにはじめると、Jはからからと笑って、
「構わないわよ。失礼な奴にたたき起こされて、すっかり目が覚めちゃったから」
気にしないで、とJは人懐こい笑みを顔に浮かべた。見慣れれば彼の顔も結構愛嬌がある。
「それで、朝早くから訪ねて来てくれたのはどういう用事があって? まさかワタシに会いに来てくれたわけでもないんでしょう?」
レイの前にコーヒーの入ったカップを差し出しながら、Jが何かを含むように笑った。
すっかりお見通しというわけらしい。
「この街のこと、聞きたくて」
切り出しながら、昨晩のことを思い出す。
闇。その黒に塗りつぶされた袋小路の奥。まだなまあたたかい、男の骸。
たちこめる血の―――。
「この街のこと?」
回想に沈もうとしたレイの意識を、Jの声が引きずり戻す。
今は物思いにふけっている場合ではない。
「ええと、できれば領主のこととか。この街に入る前に色々噂は聞いたんですけど……」
Jは、腕組みをしたまま「噂、噂ね」と何度か口の中で繰り返した。
「多分、その噂はかなり真実に近いと思うわよ。あの壁と、この町が二つに分かれた話でしょう?」
レイは素直に頷いた。
領地を巡る、兄と弟のあらそい。兄の弟に対する嫉妬。
「この街は、影ではこう呼ばれているわ。―――弟殺しの街、ってね」
静かに、Jは話し始めた。
*
「この街は、元々ひとつの領地だった。カインという名前のね。あの、街を二分する壁が出来たのは、つい5、6年前よ。前領主が死んで、息子のリラドがこの街を継いで間もなく」
領地はそもそも、長男に受け継がれるのがしきたり。しかし前領主は、領地を二人の息子に"分割"した。
「弟のキアベルは、体はあまり丈夫ではなかったみたいだけど、優秀で母親に似た美人だった。隣のアベルって街の名前はこの弟から取ったものね。双子というわけでもないのに、弟と街を二分しなければならなくなったリラドは、弟を妬んで、手をかけた」
レイは、両手で差し出されたカップを包んで、その中で揺れる黒い波紋を見つめていた。
「それから数ヵ月後、リラドは突然あの壁を作るように命じたのよ。そして、公の場には姿を現さなくなった」
「あの、シェリルという人は?」
黒の波紋から顔をあげ、レイはJと目線を合わせた。
「彼女は、リラドが引きこもった頃に、医師兼執事としてやってきたのよ。ずっとあのヴェールをかぶったままだから、気味は悪いけど」
頬に片手を当て、Jは深々と溜息をつく。
「領主がほぼ不在ってことを除けば、暮らしにくい街じゃないからね。結局ここにいついているんだけどさ。……でもどうしてこの街のことなんか?」
問い詰めるわけではなく、純粋な疑問としてJが訊いてくる。その問いに、レイは昨晩のことをとつとつと話し始めた。
宿屋への帰り道、男の死体に出くわしたこと。それがこの店で倒れた男であるということ。
その袋小路から、シェリルが出てきたこと。
Jは神妙な顔つきでレイの話を最後まで聞くと、「ふむ」といつも以上に低い声音で頷いた。
「……野次馬なのかもしれないんですけど、何だか引っかかってて……」
この街に通りすがっただけの人間が首を突っ込むことではないのかもしれないが。
しかし一度見てしまった光景は簡単には忘れられない。
「領城には、古い文献がたくさんあるって聞くわ」
「え?」
突然の話題転換に、レイは思わず訊き返した。
Jの顔には、何かをたくらんでいるような笑みが浮かんでいる。
「昨日言ってたその―――ダンタリアンだっけ? その手がかりがあるかも」
「でも……」
「……っていう建前で城には入れるんじゃない? ヒイラギちゃんから聞いたけど、随分レイちゃん頑固みたいだから、引っかかったままじゃいつまでもすっきりしないだろうし」
「あの……」
「気になるなら、行ってごらんなさいよ、城に」
2.
「自由な研究すら許されないのか、この世界は!!」
怒鳴り声が、コンクリートの壁に反響する。
そこは、四方を灰色の壁に囲まれた狭い部屋だった。
高い天井の、遥か上のほうにひとつだけ窓があるだけの。
一応ベッドはあるが、粗末なものでしかない。
ベッドに座った男は、正面の、まるで貼り付けられたかのような鉄の扉に、ありったけの声で怒鳴りつけた。
「信仰を蔑ろにしているわけではない!! 学生たちまで殺すのはやめてくれ!!」
彼は、ミンスター大学の神学教授だった。
つい数日前、大学の研究室になだれ込んできた左胸に金十字のある軍人たちに身柄を拘束され、ここに押し込められた。
看守には二週間後に処刑が行われることを告げられ、研究グループの学生たちも捕らえられていることも知った。
それから何日が経ったのか。日付も分からない。今は朝か昼か、それとも―――。
そのとき、今までどれだけ怒鳴りつけてもびくともしなかった鉄の扉が、がちゃりと音を立てた。
ぎぃ、と軋んだ音を立て、手前に押し開かれる。
光が。
薄暗い部屋に光が刺しこんだような。そんな錯覚を覚える。
開いた扉の向こうから金色が見え、彼は思わず口元を覆った。
「猊下……」
覆った指の間から零れ落ちたうめき声が、狭い牢獄に響く。
彼は、ベッドから転がり落ちるように床に伏した。
「猊下……大司教猊下! どうかご慈悲を!」
縋りつくような思いで彼は叫んだ。
この狭い牢獄に現れたのは、事実上、教会の最高権力者たるラジエル・エレアザールだったのだ。
「私どもは、信仰を揺るがすために研究をしていたわけではありません、どうか……」
「神の船は―――」
抑揚のあまりない大司教のしずかな声音は、彼を黙らせるに十分なつよさを持っていた。
なにか、形容しがたい恐怖が体の奥底からこみ上げて、彼は押し黙り、聖服を見上げる。
これは、畏怖なのだろうか。
見上げたところに、つめたい青の双眸があった。見下ろすその瞳に感情はない。
同情も軽蔑も、なにもなかった。
「触れてはならないものだ。それは神学を学ぶ貴方であれば、良くお分かりだろう」
「……で、ですが」
返す言葉が、情けないほど震えた。
「御使いがつかわされたという神の船はわれら神学を学ぶものにとって至高のテーマです! どうしても学びたいと願ってしまう。……ああ、私は構いません、どうかせめて学生たちだけは……」
大司教は、その冷えた青の双眸を少し細めただけで、何も言わなかった。
遥か高みにある小さな窓から差し込む光が、胸の金のロザリオに反射する。
なにものも、侵すことなど出来ない光。
動かない表情に、彼は絶望を覚えた。
もはやこの方の意志は動かないだろう。揺らぎすら、しないのだろう。
がくりと彼はうなだれた。冷たい床についた両手。
何故こんなことになってしまったのか。
ミンスター大学で行われている神の船研究は、以前から周知の事実だったはずだ。
何故、今なのだろう。
最近したことといえば、論文を書き上げたばかり―――。
突然、彼は最新の論文の一説を思い出した。
「……猊下」
震える声で相手を呼び、彼は灰色の床から顔を持ち上げた。
そこには未だ生き彫刻がいた。金の髪と冴えた青の瞳を持つ、うつくしい青年が。
「やはり、存在するのですね」
冴えた青が一瞬だけ滲ませた動揺で、彼は確信した。
なぜかとてもおかしくなって、口元に笑みなど浮かべてしまう。
何かが切れたような、安堵のような、安らぎのような。不思議な感覚だった。
「もう、見つけているのですね、貴方は。―――神の船を」
*
床に這い蹲る惨めな男の瞳が、突然やけに穏やかなものに変わった。
口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
「そうして貴方がたは、隠しておられる。神の船の秘密を」
―――かわいそうな……
揺らぎを失った神学教授の瞳に、突然何か別なものがかぶって、ラジエルは息を呑んだ。
脳裏に、点滅するフラッシュと、スライドのような映像の断片。めまいがする。
じっとこちらを見つめる男の黒い瞳が、不意に色を変えたように見えた。
赤。
うめきそうになるのを口唇を噛んでやり過ごすと、ラジエルはばさりと聖服を翻した。
すぐ後ろにある鉄の扉に手をかける。痛みにも似たつめたさが、指先から体に侵入した。
「神の船とは一体何なのですか!!」
言葉が背に、矢のように刺さった。
ガシャンと大きな音を立てて扉を閉める。
何があったのかと問い詰める看守を振り切って、来た道を足早に戻り始めた。
静まり返った廊下に足音だけがやけに響く。
―――かわいそうなひと。
赤い瞳が見つめている。長い黒髪が風に揺れる。
なぜかとても寒い。
―――私を殺せば、貴方の勝ち。けれど。
指先から、体中の温度が抜けてゆく。
冷えてゆく。
足音だけが耳に響く。廊下はこんなに長かっただろうか。
赤い瞳が、まるで呪いでもかけるように凝視してくる。
両腕を左右から掴まれ、長い髪をばらばらに乱しながら、それでも。
気高い瞳のまま、その鮮やかな赤い瞳に同情の色すら滲ませ。
笑っている。
―――けれど、貴方は癒されない。
刺すような、射抜くような。
無理やり体に入ってきて、侵食する。
赤。
―――貴方の魂は、永遠に癒されない。
*
「何用でございましょう」
巨大な扉の前に立ち来訪を告げると、中から無表情な老婆が現れた。扉を半分だけ開いて、こちらを見ている。
周囲に衛兵などの姿はなく、砦のような城は静まり返っていた。
表立った争いが無い街とはいえ、領主の館がこんなにも手薄でいいのだろうか?
確か街の入り口には顔を覆い隠した、珍しい服を着た衛兵が立っていたはずだが。
しかも、出迎えに出たのが小柄な老女とは。人質に取られたらどうするつもりなのだろう。
(……人質、なんて)
反射的に物騒な方向へ考えてしまった自分の思考能力に、レイは少なからずショックを受けた。
考えてみれば、逃亡生活ももう2ヶ月余り。すっかりお尋ね者思考になってしまっているらしい。
……変わったな、僕。
「用が無いのならば、わたくしはこれで」
黙りこんでしまったレイに深々と頭を下げ、老婆が扉を閉めようとするので。
「すみません、待ってください!」
呼び止めた。
「何用でございましょう」
口唇すらほとんど動かさずに、老婆が繰り返した。あまりの無表情さに、レイは威圧感のようなものを感じてたじろいだ。
どうも苦手だ。何を考えているのか分からなくて。
「あ、あの、僕は各地をめぐって様々な文献などを調べ、神学を研究しているものです。こちらに古い文献があるとうかがったもので」
見せて頂けないかと、というレイの言葉は尻つぼみになって消えていった。
瞬きすらほとんどしない老婆の視線が、痛いほど顔に刺さる。
文献を見せてもらいたい、というのは嘘ではないが、肩書きや城に入る動機にはやや後ろめたいものがあるので、その視線が特に痛い。
なんだか、胃のあたりも痛いような気がする。
「どうしました、ノーマ」
半ば開かれた扉の向こうから、聞き覚えのある声が割って入った。
「シェリル様」
老婆が下がると、代わりに黒いローブを纏った人影が扉を大きく開け放った。
「貴方、昨日酒場で……」
今日も頭からすっぽりとフードをかぶっていて、表情は見えないが、声音は少し驚いているようだった。
シェリルの傍らで、老婆が何かその耳に囁いている。ぼそぼそと聞き取れる単語で判断するに、レイがこの館にやってきた理由を説明しているらしい。
「昨日は本当にご迷惑をおかけしました」
老婆の話を聞き終え、シェリルはわずかに覗いた口元に笑みを浮かべた。
「このあたりで金髪は珍しいと思っておりましたら、神学の研究をなさっている方だったのですね。どうぞ、この屋敷の書庫でよければ」
思った以上にあっけなく。
カインの城の扉は、レイの前に開かれた。
*
「立派な屋敷ですね」
石造りの廊下を、シェリルに先導されて歩く。
「ありがとうございます。古い館です」
ふふ、と笑みを漏らしてシェリルが応じた。
確かに建築様式はかなり古い時代のものだが、しっかりと手入れも行き届いており、古ぼけた印象はなかった。それどころか、どこか威厳のようなものすら感じる。
窓は総じて小さく、屋敷の外観は、巨大な長方形の石を並べたような簡単なものだ。時折風が激しく窓を叩いた。屋敷のつくりは、厳しい自然に合わせたものなのだろう。
しかし、内装は違った。
石の壁のいたるところに彫刻が施され、装飾品も華美ではないものの一級の品だということが分かる。細工が細かい。
レイがすっかり周囲の装飾に見入っているので、シェリルが足をとめた。自分を待っているのだということに気づいたレイは、赤面する。
「すみません、あまり立派だったもので」
「いいえ、構いません。このような古い城は珍しいでしょう」
恐縮するレイに笑いかけ、シェリルは再び歩き出した。黒いローブの裾が、さらりと翻る。
そこで不意に、昨晩の路地裏が蘇る。そこからシェリルは黒いローブを翻して出てきたのだ。
「シェリルさん」
呼びかけると、シェリルは「はい?」と声だけをよこした。振り向きもせず、足も止めない。
「昨日倒れた方の具合は、その後、どうですか」
出来るだけ不自然にならないように訊いたつもりだが、もしかしたら声が少し硬かったかもしれない。
ぴたり、と。一瞬だけシェリルの足が止まる。
「―――ええ、おかげさまで。大分いいようです」
感情の分からない淡々とした声で告げ、再び足を進める。
(男が死んだことを、隠した?)
少し距離の開いたその黒い背中に、レイは眉をひそめる。
夜の闇の中とはいえ、見間違えたはずが無い。
昨日、酒場で倒れたあの男は、死んでいたのだ。あの路地裏で、腹部を外に開いて―――。
「シェリル様!!」
背後からぱたぱたと足音が追ってきた。
ふたりが振り向くと、シンプルな灰色の服を纏ったメイドがそこに立っている。顔は青ざめ、口唇が震えている。
「何事ですか、騒々しい。お客様の前で」
「旦那様が……。いつもの発作を……」
整わない呼吸で、あえぐようにメイドが言った。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、シェリルが動いた。
来た道を、ほとんど駆けるような速さで戻り始める。その背を、メイドが追った。
旦那様? カインの領主、リラドのことだろうか。いつもの発作? 彼は病気なのか?
メイドの言葉を反芻しながら、レイも黒いローブの背中を追った。
いくつめかの角を曲がったところで、レイはシェリルの姿を見失った。
目の前には長く伸びる一本の廊下だけがある。突き当たりに、今までこの館で見たどれよりも大きな扉がある。
あの扉が、リラドの部屋なのか? しばらくその場に立ち尽くしていると、廊下の側面に貼り付けられたようなたくさんの扉のうちのひとつから、黒いフードが滑り出してきた。
巨大な突き当りの部屋に、一番近い部屋だった。そこがどうやら、シェリルの部屋らしい。
シェリルはそのまま、突き当りの巨大な扉の中にするりと入っていった。
扉は、まるで誘うように半分ほど開いていた。
レイは、ゆっくりと歩き出した。突き当たりの扉が徐々に近づいてくる。
ううう、とまるで獣のうなり声のようなものが聞こえて、レイの足が止まる。
その声は、半ば開かれた扉の中から漏れてきていた。
人の声、なのか? 一歩一歩、扉へ近づくごと、その咆哮は大きくなる。まるで手負いの獣が周囲を威嚇するようだ。
目の前に迫った扉に片手をかけて、レイは薄暗い室内を覗き込んだ。
「水を」
部屋の中央に据えられた、巨大なベッドの傍らに、黒いローブの姿があった。
室内をめまぐるしく行き交うメイドたちに、冷静な声音で指示を出している。
ベッドには、巨大なものが横たわっていた。
レイは、反射的に右手で口元を覆った。もれそうになるうめき声を押さえるためだ。
虚空をさまよう手があった。何かを求めるように空を掴む。
その行き先が定まらないのは、目が見えていないからなのか。
その手は不自然なほど浮腫んでいた。焼け爛れたように肌が崩れ、あちらこちらに水ぶくれや"いぼ"が見える。
「シェリル……か……」
しわがれた声が呼んだ。
髪が綺麗に抜け落ちた頭。顔も信じられないほどに浮腫んでいた。
崩れた肌が目に覆い被さり、視界をさえぎる。それ以前に、もはや視力も無いのかもしれない。
聞いた話では、まだ30代半ばだというのに。その容姿はまるで、70過ぎにも見えた。これでは民衆の前に姿を現せるはずがない。
これが、この街の領主、リラド・カインの姿。
「旦那様、お薬をお持ちいたしました。―――こちらです」
何かを求めてさまようリラドの手を、ためらうことなくシェリルが取った。
そのまま、自分の反対の手に持ったグラスの方へと導いて、握らせた。
うう、とうめきながら、リラドは振るえる手で水を一口含んだ。
それを確かめながら、シェリルがサイドテーブルに置いてあった紙包みを開いた。
心臓が、凍りついたかと思った。
シェリルがリラドに飲ませたもの。それは"白い粉"だったのだ。
*
どのくらい、そこで呆然としていたのだろうか。
視線はずっと、ベッドの上に注がれていたのだが、体が動かない。
リラドの体の震えが次第に収まり、やがてベッドにぐったりと沈み込む様が見えた。
呼吸は荒いが、幾分か落ち着いたらしい。
「……レイさん」
呼ばれ、レイは目を見開く。冷たさが、体の内側から一気に体中に広がった。
ベッドの傍らに立っていたシェリルが、顔をあげてこちらを見ている。
フードの中の、見えない瞳がこちらを凝視しているのが分かった。
追い出されるかもしれない。直感で、そう思った。許しもなくこの部屋までついてきてしまったのだから。
しかしシェリルは、扉の向こうで立ちすくむレイに向かって、口元に微笑すら浮かべて見せた。
ゆっくりとレイの傍まで来て、自分も部屋の外へ出ると。
「お見苦しいものをお見せいたしました。ご覧の通り、領主は病を患っております」
レイの目から室内を隠すように、シェリルは後ろ手でゆっくりと扉を閉ざした。
「今度こそ、書庫へご案内いたします」
閉まりゆく扉の隙間から、すすり泣きのようなものが聞こえてきた。
尾を引く、かすれた声が何度も何度も繰り返している。
「許してくれ。私を許してくれ、キアベル―――」
3.
書庫に一歩足を踏み入れた瞬間、レイは思わず当初の目的を忘れそうになった。
館の、2階分をぶち抜いたその書庫は、足元から天井まで、びっしりと本で埋め尽くされていたからだ。
レイは元々読書が好きだ。酒場なんかより、よっぽど図書館などのほうが落ち着く。
さすがにカルチェ・ラタンにある中央図書館などとは比べるべくも無いが、これほどの本にお目にかかったのは、物凄く久しぶりだった。
「では、私はこれで。調べ終わりましたら、誰か屋敷のものを捕まえてください」
「あ、はい、ありがとうございました」
ぼんやりと本の海に見蕩れていたレイが、シェリルのその声に振り返ると、彼女はもう書庫を出てゆくところだった。
ばたん、と扉の閉まる音が響き渡った。
あとは再び、静寂があたりを包み込んだ。
(あれは……)
とりあえず部屋の中央に立って、ぐるりとあたりの棚を見回したレイの目に、信じられないものが飛び込んできた。
黒の皮で出来た背表紙に、金の文字。
「アンドラスの『楽園の書』……? しかも初版じゃないか」
レイは、本棚に駆け寄るとその一冊を慎重に棚から抜き出した。
神学の参考書の中でしかお目にかかったことのない本だ。しかも初版となれば価値は計り知れない。
「あるところにはあるんだな……」
手の中にしっかりとその本の重みを感じ、レイは感慨深げに呟いた。
「……って、こんなことしている場合じゃないんだ」
これだけの書籍があるのだから、調べない手は無い。勿論、ダンタリアンについてだ。
記憶を辿りながら、次々と参考書から現実に現れた書籍を探した。部屋の中央にぽつんと置かれているテーブルの上に積み重ねる。
やはり、どれだけ探してみても、実物―――『神の姿と契約の匣』そのものは見つからなかった。
ある程度の書籍をかき集めたところで、レイはテーブルについた。一番上の一冊から読み始める。
元々なにか作業をはじめると没頭してしまう学者気質のレイは、すぐにその作業に引き込まれた。
マーロイド・ダンタリアン。
幼い頃から神の声を聞き、宗教者としても神学者としても、一定の評価を得ていた。
また、各地を渡り歩き、神話を集めてつづったりもした人物だ。
が、ある日を境に家に閉じこもるようになり、一冊の本の執筆に取り組み始めた。
その変貌に、周囲は悪魔が憑いたのだとまことしやかに囁いた。
その悪魔がダンタリアンに書かせた書物。それが『神の姿と契約の匣』。
教会は、その本を出版されるや否や発禁処分にし、また、ダンタリアン自身も異端者として火刑に処した。
ただ、ダンタリアンは、自分の故郷のいたるところにその本を隠したと言う伝説が残っている。
街の名は、水の都―――ソロモン。
1時間ほど書籍を読み漁って、得た情報はたったそれだけだ。
ひとつ大きな溜息をついて、最後の本を閉じた。反射的に目頭を押さえる。目が痛かった。
この痛みは久しぶりだった。学生の頃は、毎日このような書物と格闘していたというのに。
まぁ、何はともあれ、これでこの館に入った名目上の目的は達成された。このまま館を去るという手もある。
伝説が実であるにしろ虚であるにしろ、一度はソロモンに行かねばならないだろう。
幸いソロモンは、カルチェ・ラタンへの道のりでは、回り道にはなるが後戻りはしない。
棚に、抜き出した本を戻しながら、レイは先程の声を思い出した。
―――許してくれ、私を許してくれ。
リラドの声は、一人の人物に向けられていた。
キアベル。それは、彼自身がその手にかけたという、弟の名前だ。
その声音は、詫びと後悔と、もうひとつ別のものが混じっていたように思えた。
恐怖だ。
彼は確かに、怯えていた。
リラドの姿は尋常ではなかった。ただの病気とは思えない。
肌が、まるで酸でもかけられたかのように溶けている部分もあった。あの水ぶくれや"いぼ"は一体なんだろう?
(呪いなんて、存在するはずないと思ってたけど……)
あれはもしかしたら本当に、弟の呪いなのかもしれないとすら、レイは思い始めていた。
しかし何故、自分はこの館に滞在することを許されたのだろうか?
あの時、レイは館から追い出される覚悟で、リラドの部屋を覗いた。
もう何年も民衆の前に姿を現さない領主の寝室を、ふっと通りかかった旅の研究者が盗み見て、許されるはずなどない。
それが、シェリルはまるで何事もなかったかのように、レイを書庫へ通してくれた。
主が病であることすら、民衆に公表していなかったのに、易々と「主は病だ」とまで言って。
何故だ?
それに、シェリルがリラドに飲ませた、白い粉……。
何もレイは、この世界に存在する全ての白い粉が、ロレーヌで手に入れたものと同一だと考えているわけではない。しかし、出会いすぎている。これは偶然なのか?
なにやら靄のようなものを胸のうちに抱えたまま、レイは書庫を後にした。
一歩廊下に踏み出すと、足元で石畳がかつりと鳴る。その音がやけに大きく響くほど、館中は静まり返っていた。
寒い、と。
直感的に思ってしまう。寒い。人の住んでいるぬくもりが、この屋敷にはない。
室内が暗く感じられるのは、何も窓が小さいからだけではないのだろう。
空気が、陰鬱なのだ。
ひとつ深呼吸をすると、レイは歩き出した。元来た道を戻る。記憶を頼りに、リラドの寝室のある方向へ。
しかし、目的地はそこではなかった。
あの時、黒いフードが飛び出してきた部屋―――。
リラドの寝室の手前、シェリルの部屋だ。
(……どんどん思考が犯罪者になっていく……)
そうは思ったものの、欲求には逆らえなかった。彼女が手にしていた白い粉が少しでもあれば、ロレーヌのものと比べて成分の分析も出来る。
いくつめかの角を曲がり、ようやく目的の扉の前へたどり着いた。人の気配はないが、やけに緊張する。
きょろきょろとあたりを見回すその動作は、かなり挙動不審だろう。
ノブに手をかけて回すと、かちゃりと音を立てて扉が開いた。手前に引く。
室内はカーテンが引かれ、酷く薄暗かった。半ばほど開いた扉から体を中に滑り込ませ、後ろ手に扉を締める。
そこは、ベッドと机、それにたんすが置かれただけの、寒々しい部屋だった。部屋の隅、壁に寄せて置かれている、しっかりとしたつくりの机だけがやけに目立った。
その机の上に、飴色のビンが置かれていた。薬ビンのように見える。
ゆっくりと近づいて、そのビンを持ち上げた。白いラベルにはアルファベットが二文字。『HG』。
中には白い粉が―――。
そのとき。
ぎぃ、と軋みを立てて部屋の扉が開いた。ハッ、とレイが顔をあげるよりも早く、何かが勢い良くぶつかってきた。
咄嗟に目をつぶってしまって、相手が見えない。
レイはそのまま、机の傍の壁にぶつかる。
「うわっ……」
背中を強く打ち、呼吸が一瞬止まった。反射的に腰のホルスターに手を伸ばそうとしたところで。
壁が動いた。
背を預けていた壁が急になくなったかと思った次の瞬間、レイは暗闇の中に投げ出されていた。
*
どうやら隠し扉だったようだ。
しばらくぼんやりとその場に座り込んでいたレイが出した結論はそれだった。
状況を整理しよう。
薬のビンにすっかり気を取られていたレイは、部屋に入ってきた何者かに激しく体当たりをされ、壁に叩きつけられた。
背中の壁がなくなったのではなく、回転ドアのようにくるりと回っただけのようだ。今はもうぴったりとしまってしまい、あたりは暗闇に包まれていた。
こちらからは、押しただけでは開かないし、また元の部屋に戻るのも気が引けた。
が、閉じ込められたのかといえば、それは違った。隠し扉のあったほうとは反対の方向に、一本細い道が伸びていたからだ。
王侯貴族などの屋敷に良く見受けられる、脱出通路かもしれない、と思った。
緊急時に屋敷の外に逃げ出すことの出来る道―――。
目が周囲の闇に慣れてきた頃、レイはようやく立ちあがった。ここでこうしていても仕方がない。とりあえずは一本しかない道を進むしかないようだ。
レイをこの通路に吐き出したまま、隠し扉は完全に沈黙している。誰も追ってくる気配もない。
腰のホルスターを確かめ、服の埃を払い、レイは歩き出した。
どれぐらい歩いたのだろう。
一本道は何度も折れ曲がり、レイは既に自分がどの方向へ向かって歩いているのか分からなくなっていた。
なんだか、同じところをぐるぐる回っている錯覚に捕われてしまう。
右手に触れている石の壁はしっとりと濡れており、一歩踏み出すごと、足元でも水音がびちゃりと鳴った。
息苦しいと感じるのは錯覚ではないだろう。空気がよどんでいるのだ。
もう引き返す気すら起こらないほどに歩いた頃、唐突に道が途切れた。目の前に壁。
しかし、その壁の向こうからうっすらと白いひかりが漏れてきていた。
わずかに濡れた右手で目の前の壁を押してみると、ぎしりと少し動いた。
(これなら、開く)
右肩を壁に押し付け、体重をかけた。ずず、と僅かずつ前に傾く。
もう一息、と力をこめた瞬間、壁がぐるりと勢い良く動いた。
「うわっ……!」
勢い良く暗闇から投げ出され、レイは前方に倒れこんだ。
一気に、我先にと眼球に飛び込もうとする光が、痛い。瞳孔の収縮するいたみに、きつく目をつぶった。
顔面を叩きつけるのだけは免れたものの、無様に床に転がってしまっている自分に気づいて、レイは今日何度目かの溜息をついた。。
今日はもう、埃にまみれてばっかりじゃないか……。
手をついた床は氷のように冷たい。硬い感触はおそらく石畳だろう。
うっすらと目を開き、あたりを見回すとシェリルのものとさほど変わらぬ内装の部屋だった。
が、目の前のベッドにはシーツも布団もなく、赤い天蓋は途中で裂けていた。
机は床に倒れ、たんすも扉を開いたまま。荒廃が色濃い。
はたと、いつまでも床に転がっている自分に気づいて、ようやくレイは立ち上がった。
今日何度繰り返したか分からない動作―――服の埃を払う―――をしながら室内を回ってみたが、人が使っているような形跡はなかった。
ぐるぐると回りまわって、同じ屋敷のどこかへ出たのだろうか?
なにやら腑に落ちないものを感じながら、部屋の外へ出て―――。
(違う)
直感的に思った。
カインの城ではない。
天井は半ば崩れ、何処からともなく風の吹き込む音がする。
装飾として立派に立っていたであろう鎧が、床に倒れ、頭やら腕やらをバラバラに散らしていた。
リラドの城は、古いとはいえしっかりと手入れが行き届いていた。が、この城はまるで打ち捨てられたかのように荒れ果てている。小さな窓に硝子が残っているのが不思議なぐらいだ。
荒れ果てた廊下を横切って、窓に近づく。リラドの城は少し、街よりも高く作られていた。同じような城ならば、街の情景が見えるはず―――。
「嘘だろ……」
窓ガラスに手を当て、レイは思わずうわごとのように呟いた。
眼下に広がったのは、貧民窟としか呼びようのない、都市の残骸だった。
半ば以上崩れた建物が、寄り添うように立ちすくんでいる。今にも倒れてしまいそうだ。
(あの壁が、左手に見える……)
この街が奇妙と呼ばれるゆえん。街を中央で分断する壁。カインの側から見たときには、右手に見えたはず。
では、ここは。この城は―――。
カツン。
靴の踵が石畳を打ち鳴らすような音がして、レイはハッと右側に伸びる廊下を見た。
人影のようなものが突き当たりの壁を曲がるのが見える。軽やかな足音が遠のいた。
「待って!」
叫んで、レイは反射的に駆け出した。誘い込まれている。そんな気もしたが、追わずにはいられない。
人影が消えた角を曲がると、すぐそこに巨大な扉が待っていた。威圧するように。
数秒間その扉の前で立ち尽くしたあと、レイはゆっくりとその扉を押し開いた。重い。
開かれたその先に一歩踏み込むと、そこは大広間だった。
広い室内に、ぎぃと扉を開く音がやけに大きく響く。
この城がまだ栄えていた頃には、数々の催し物が行われていたのだろう。天井のシャンデリアの豪奢さが今は空しい。
何かに導かれるように、レイは広間の中央まで進み出た。ぐるりと360度、あたりを見回してみる。
壁には等間隔に絵画が飾られていた。立派な額の中におさめられている。そのうちのひとつにレイは目をとめた。肖像画のようだ。
近づくと、額の下にプレートがついていた。タイトル。
"KYAVEL"。
(キアベル? リラドが手をかけたって言う、弟―――?)
自分の背の丈の倍はあろうかというその肖像画を、下からなぞるように見上げる。
立派な貴族服に身を包んだ若い男。砂色の髪、涼やかな目元。なるほど、噂で聞いた通り線の細い美青年だった。
だが。
(……あの口元)
レイの視線は口元で止まった。
その口元は、見下すような馬鹿にするような、歪んだ笑みを浮かべていた。
そんな笑い方をする口元を、レイはどこかで見たことがあるような気が―――。
「ようこそ、アベルへ」
背後で声がした。同時に何か冷たいものがうなじのあたりに押し当てられる。
「ああ、動かないでくださいね」
反射的にホルスターに手を伸ばしたレイのうなじに、ちくりと鋭い痛みが走った。背中に向けて、つぅと生暖かいものが伝って落ちる。血の匂いがした。
すると、腕だけがぬっと前に回ってきた。握ったナイフをレイの喉笛に押し当てる。その刃は、少しだけ赤く濡れていた。
「随分と、物騒なものをお持ちですこと」
聞き覚えのあるその声は、のんびりと呟き、腰の後ろの方にしまってあるレイのピストルを一丁、ゆっくりと抜き取った。
背中の中央あたりに硬いものが当たって、レイは思わず呼吸を止めた。喉もとの刃と背中の銃口。完全に自分の命は相手の手の内にあった。
「どのような目的かは存じませんが、不必要な詮索は死を早めるだけですよ、レイさん」
ちゃきり、と安全装置をはずす音が体の骨にまで響いたような気がした。
「貴方だったんですか」
唐突に目の前に放り出された真実に、レイは愕然としていた。
あの口元に浮かんだ歪んだ笑みが誰と一緒であったかを、"背後の声を聞いて"思い出したからだ。
「なにがです」
独白のようなレイの呟きに、人影が聞き返した。
「あなたが、キアベルだったんですか、シェリルさん―――」
呆然としたレイの呟きに、黒いローブ姿の人影はくっと咽喉を鳴らし、目の前の肖像画と全く同じ"ゆがみ"を口元に浮かべた。
4.
この世界は堕落している。
神はたいそうお嘆きだ。
人は、強力な力によって―――神の使いによって導かれなければならない。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中、彼はしずかに目を閉じていた。
彼の神が囁くようにいう。
この世界は堕落してしまった。
お前が人々を救いへと導くのだ。私とひとつになりなさい。
楽園の扉を開き、神との合一を。
父よ、嘆かれますな。もうすぐです。
もうすぐ私が貴方の箱庭を取り戻しましょう。
「おやすみでしたか」
声に、彼は目を開いた。
扉が開かれ、赤茶色の髪にスーツ姿の男が滑り込んだ。
ドイルか、と彼は呟く。彼の有能な片腕だった。
「オゼが落ちました」
淡々と言い放つ、その口調が好ましい。
彼は、そうか、と頷いた。満足げに。
主に背いた悪魔の住む街、オゼ。赤い瞳と黒い髪は忌避すべき魔物のしるし。
滅ぶべきものだ。
「警備省が相変わらず動いております。いかがいたしましょう」
無表情で言い放つ片腕の言葉に、彼は笑いを口の中で噛み殺すのに苦労した。
大声で笑ってしまうところだった。放っておけ。
主の愛を解さないものどもに、加護などあろうものか。
我々は近づいている。神との合一へ。
少しずつ。
*
「じゃあここは……アベル、なんですね」
カインの城から伸びていた隠し通路の先は、壁で仕切られた隣の町、アベルの城へと続いていたのだ。
「そう。私の城です」
レイの首筋に当てていたナイフをしまい、銃口は相手の背に当てたまま、シェリル―――キアベル・カインが言った。
「昨日の、酒場の男は、貴方が殺したんですか」
「いいえ」
即座に否定が返ってきた。
「彼は勝手に死んだのです。"HG"を盗み出して摂取していたのでね。副作用です」
「……あの白い粉は一体なんなんですか」
「通称ヘヴンズ・ゲートと呼ばれる、ドラッグですよ」
「なんでですか」
淡々と質問に答えるキアベルに、腹のあたりからふつふつと憤りがこみ上げてきた。
「なんで、実の兄にそんなドラッグを―――! 殺されかけた復讐ですか?」
「兄?」
意外なことを聞いた、というような声でキアベルが吐き捨てた。
す、と背中に押し当てられていた銃口の感触が消える。
くく、と咽喉を鳴らして笑う声に、レイは恐る恐る振り返った。
キアベルは、レイのティフェレトを手にしたまま、腹を抱えるようにして笑いをこらえている。
やがて、こらえきれないように大声で笑い出した。
「兄? "あれ"が?」
「何がおかしいんですか!」
レイは思わず叫んだ。
目の前にいる男が、急に分からなくなる。わけのわからない悪寒が体中に走った。
―――許してくれ。
あんな姿になりながら、リラドは悔いている。弟に手をかけたこと。
懺悔の言葉をあんなにも傍で聞きながら、何故笑っていられる?
「"あれ"は何も知らない、可哀相で罪深い男さ。全てを与えられ、全てを許され、私から全てを奪った男だ」
「何……」
何を言っているんだ?
"全てを奪った"?
兄であるリラドから領地の半分を譲り受けたのは、キアベルのほうではないのか。
「カインの長男は、とても体が弱く、長くても5歳までは生きられないだろうと言われていた。父親は息子を遠くへ静養へ出した」
金色に光るティフェレトを手の内で弄びながら、キアベルが口を開いた。
「医者の診断が間違っていたのか、それとも静養が効いたのか、長男はすくすくと育ち、やがて健康を取り戻しカインへと戻ってきた。しかしそこには―――」
乾いた銃声が広場に響き渡った。
ティフェレトから放たれた弾丸は、キアベルの肖像がの咽喉元に穴をあけた。
レイは瞬きすら忘れ、黒いローブの男が握る銃口から細い煙が上がるのを見た。
「見知らぬ子供がいた。ひとつしか離れていない弟の存在を、静養をしていた長男は知らされていなかった。そしてその弟が言う。『お帰り、弟』」
ふっ、とキアベルの口元が歪む。
この意味が分かるか、と聞かれたような気がした。
「その弟は、頭の出来も要領もあまりよくなかったが、健康で人に好かれた。親にしてみれば、体の弱く、長く手元を離れていた子供よりも可愛かったろう。そこで、兄と弟は入れ替わった」
一瞬、閃光が走ったように。レイの頭が白に染まった。うまく考えられない。
キアベルが兄? リラドが弟、だった?
「体の弱さも手伝って、発育もよくなかった。訂正しようとしたところで、大人たちは揃って口をつぐむ。熱に浮かされている、幻想だと切り捨てられたこともあった。運良くここまで大きくなったが、そのうち死ぬと思っていたのだろうな。私が無事に育ったのは、両親にとっては最大の誤算というわけだ。申し訳程度に半分の領地を与えられたところで、それが何になる」
続けざまに二発、キアベルは引き金を引いた。その弾丸は、肖像画の右目と眉間に穴をあける。
「何故、"あれ"だけが求められる。手を差し伸べられる。全てを許される―――。私から全てを奪い、この生命までも奪おうとしたあの男が」
何故お前だけが愛され、求められ、手を差し伸べられたのか。
何故、その手は私には与えられなかったのか。
問いに答える声はない。
「しばらくカインから離れていた私がこの町に戻ってきたときには、もう既にリラドは精神的に参っていた。弟を手にかけたと苦しんでいた。何も知らずに。私は決意したのだ。殺してやる。この手で殺してやる。全てを奪い、苦しめてやると」
そうして、あのドラッグを与えた。限界まで中毒症状を引き起こし、肌が壊れ始めた頃に薬を与えてやる。まずは目が見えなくなった。
幻覚に苦しむリラドの耳元で、弟のか弱い声音で囁いてやる。
"なぜ私を殺したのですか、兄上―――"。
広間に再び哄笑が響き渡った。引きつったような、苦しそうな笑いだった。
「なんでそんな、血が繋がった弟にそんなことを……」
「血が繋がっているからさ!」
芝居がかったように両腕を広げて、笑いを引きずった声でキアベルが叫ぶ。
「だからこんなにも憎いんだよ。血を分けた生き物だから。……分かってほしいとは言わない。君はこんなにも誰かを憎んだことはないのだろう? それは幸せなことだ」
黒いフードに隠された奥の顔が、一体どんな表情をしているのか。レイは知りたいとは思わなかった。
嫌悪感に顔を歪めるレイなど構わず、キアベルは天井のシャンデリアを仰ぐように首を後ろへ傾けた。
「『弟殺しの街』。誰が呼んだかは知らないが、うまい名前だとは思わないか」
キアベルは今まさに、実行に移している。この街で。
"弟殺し"を。
「可哀相に」
キアベルは、銃口をレイに向けた。
「もっと早く、忠告して差し上げればよかったかしら。妙な詮索は死を呼ぶと」
"シェリルの声音で"。キアベルは言った。女のようにくすくすと笑ってみせる。カッと頭に血が上った。
手がホルスターのマルクトへ伸びる―――。
「キアベル様」
しわがれた声が二人を制した。
キアベルは、銃口をレイの左胸に向けたまま、ゆっくりと声のしたほうを見る。
その隙にレイはマルクトをホルスターから抜き取った。
広間の入り口のほうから、小さな人影が近づいてきていた。
「ノーマ……」
キアベルの声は驚きに震えていた。全く想像もしなかった相手がそこにいたのだ。
玄関でレイを迎えに出た老婆だった。
機械じみた無表情のおもてに、今はうっすらと穏やかな笑みを浮かべている。
目の前に立った老婆に、キアベルは思わず銃を握った右手を下ろす。
穏やかな笑みを浮かべたまま老婆はキアベルを見上げ、その体をそっと抱きしめた。
「……もう、お止めなさいませ」
びくり、とキアベルの体が一瞬硬直したかと思うと、その口唇からつぅと赤いものが伝って落ちた。
その手に握っていた金のピストルが、耳障りな音を立てて石畳に落ちる。
ふらふらと数歩後ろにあとずさったかと思うと、キアベルはそのままどさりと床に倒れた。
ばさりと黒のフードが外れ、床に砂色の髪が広がる。
「……ノーマ」
左脇腹のあたりを押さえたまま、キアベルは信じられないという目で老婆を見上げた。
指の隙間から、赤黒い液体があふれて来ていた。
それを背後から見たレイは思わず息を呑んだ。
キアベルの、あらわになった顔半分は、醜く焼け爛れていたからだ。
からん、という音を立てて、老婆の手から血に濡れたナイフが落ちた。
「キアベル様。ご主人様は、ご存知でした」
床に転がり、荒い息を繰り返すキアベルの傍に跪き、ノーマは言った。
「リラド様は、全てご存知でした。承知の上で全てを、受け入れておいでだったのです―――」
僅かに笑んだ口元の上を、涙が伝って落ちた。
「この期に及ん、で、嘘など……」
ノーマはただ、首を横に振る。
―――許してくれ。
全てを知りながら。与えられるものが毒と知りながら。
何も言わず、ここにいたというのか。何年も、ずっと。
「嘘だ……」
「私が全てお話ししました。もう2年も前になります。リラドさまは静かに聞いておいででした」
―――許してくれ、キアベル。
「嘘だ!!」
「私に、もう殺してくれとおっしゃいました。だから、私はこのナイフでリラド様を……」
「やめてくれ!!」
キアベルは絶叫した。
傷口を抱えるようにしてうずくまるキアベルに、ノーマは微笑みかける。
「もうお仕舞いにいたしましょう。婆やも少々、疲れました……」
ノーマの手が、傍らに落ちているナイフを探る。返り血で赤く濡れた、細い指先が柄を掴む。
「やめてください!!」
咄嗟にレイはその老婆の手からナイフを奪い取った。彼女は確かに刃を内側へ向け、自分の胸へ突きたてようとしていたからだ。
「返して! ナイフを返して! 私はリラド様を刺し殺した、私も死ななければ―――!」
老人とは思えない力で、ノーマはレイにしがみついた。その必死の形相と掠れた声に、レイは思わず口唇を噛む。
やがてノーマは冷たい石畳に突っ伏して、嗚咽を上げた。
広間には、キアベルの荒い呼吸と老婆の嗚咽だけが響いた。
「とんだ、茶番だ……」
荒い呼吸を繰り返しながら、キアベルが自嘲気味に言った。
仰向けに転がり、首だけをレイの方へ向けた。
呟く。
「殺せ」
レイは耳を疑った。しかし、こちらを見るキアベルの眼差しは鋭く、真剣だった。
「そのピストルで撃てばいい。放っておいてもどうせ死ぬんだ」
彼の肌は、着実に温度を失って青白くなっていた。石畳に、赤い海が広がっている。
レイは、鈍く銀に光るマルクトを、キアベルに向けた。
こちらを凝視するキアベルと、視線が絡まる。
親指で安全装置をはずす。引き金に人差し指をかける。その間もずっと、レイはキアベルを見ていた。
数秒だったのか、それとも何十分だったのか。その沈黙の後。
レイはピストルを下ろした。ホルスターにしまいこむ。
驚いたように、キアベルが目を見開いた。
「怖気づいたのか」
「……そうだよ」
簡単に肯定した。
キアベルの傍らに落ちている金のピストルも拾い上げ、しまいこむ。
「僕は人を殺したくない」
人の生命を奪うことなど、出来はしない。
「ならば何故、2丁のピストルで武装する」
「護身だ」
「偽善だな。自分を守ることは、他を殺してゆくということではないのか」
「違う」
足早に、半ば駆けるようにして入り口の方へ歩きながら、レイはきっぱりと言った。
「守ることと殺すことは違う。同じであっていいもんか。人を殺すことに慣れることが強くなるということなら―――僕は強くなんてなりたくない」
奪うことに慣れたくない。力などほしくはない。
それで、弱虫と指を指されるならそれでいい。
「何処へ行く」
広間を出てゆこうとするレイの背中に、掠れた声でキアベルが問うた。
扉まで辿りついたレイが、ばっと振り返り、叫んだ。
「医者を呼びに行くに決まってるだろう―――!!」
5.
横から吹く風が、長い銀糸の髪を容赦なくなぶって通り過ぎた。
街の入り口から伸びる一本の道に、彼女は立っていた。まだ昼間だというのに、その道に人の姿はない。
しかし、人の気配がないわけではなかった。
そこここから注がれる視線を感じていた。刺すような、冷たい視線を。
建物の中から押し殺したような人の気配を感じる。自嘲が浮かんだ。
どうやら意外と早く噂はたどり着いていたらしい。
彼女がこの街に戻ってくるという噂は。
そうでなければ、こんなにも街に人の気配がないのはおかしい。
もう二度と、帰って来ないと決めたのではなかったか、と彼女は自問した。
この場所へはもう二度と、戻らないと。
それだけの覚悟で去った街ではなかったか。
「私は、何をやっているんだ」
独白した彼女の左腕に、鈍い痛みが走った。
見ると、足元に小石というには大きな石が転がったところだった。どこかから飛んできたものだろう。
明らかに故意に、投げられたものだろう。
それが歓迎なのだな、とジャンヌ・ビレスは苦笑した。
痛くはなかったが、熱い気はした。石のぶつかった部分だけ、火照っているような気がした。
そっと右手でそこに触れる。服ごと、その下の腕を強く掴んだ。爪が食い込むほど。
もっと痛めつけていい。もっと罵っていい。それでいい。
これは、私が望んだことなのだから。
ジャンヌは、目の前に伸びる一本の道を歩き始めた。
その背中に、憤りに震える男の声が叫んだ。
「どの面下げて帰ってきやがったんだ! この魔女め―――!!」