ネバーランド




1.

 あれからもう、一年が経とうとしている。

 冬の気配に首をすくめる。
 ひとは、三つの首をあたためないと風邪をひきやすいんだって、そんな知識を仕入れたのはテレビからだったかな。
 手首と、足首と、首筋。
 マフラーを新調しなければならない。
 去年使っていたものは、勢いで捨ててしまったから。
 たった一年、三百六十五日。
 ぐるりと回っただけで、何もかもがすっかりと様変わりしてしまった。

 渋谷でおりるのは久しぶりだった。
 この街には、有名な公会堂やライブハウスがたくさんあるから、一年前まではそれこそ地元よりもくわしかった。
 コインロッカーの場所だとか、明け方までやっているファーストフードやファミリーレストランの場所だとか。
 寒さを凌いでならぶ場所まで。
 今はもう、あの頃とは全く違う種類の人間の服装をして、何食わぬ顔で街をあるいている。
 傷つかなかったふりをしている。
 大人のふりができるようになってしまった。
 社会的な顔で、自分の傷口からきれいに目を逸らすことができる。

 ニュースの合間によく映し出される有名な交差点で、信号に倣って人々は胡麻つぶのように立ち止まる。
 巨大なレコード店を真向かいに眺めて、ちいさく鼓動がはねた。
 見知った顔を、向こう側にみつけた気がした。



2.

【さんまんだって。アイちゃんどーする?】

 あの頃は、もっと身軽な恰好をしていた。
 いつでも走り出せるような。
 気持ちも、心も。
 不測の事態にそなえていた。
 その日も、届いたメールに慌しく電話をかけた。

「煉ちゃん、三万ってどこで?」
 電話をかけた相手の、本名は知らない。煉、というのはライブネームだ。
 私生活にはまったくつながりがないひとで、普段はまったく連絡もとらなかった。
《ネットの掲示板。アドレスおくろうか?》
 わたしだって、彼女に本名を教えているわけではないから、対等ではあったと思う。
「送って! でもそれっていつの記事?」
《二時間まえ》
「二時間かぁ、もう随分メールいっちゃってるかな?」
《かもしれないけど、やってみるしかないよね》
「うん、わかった。ありがとう。やってみるね」
 通話を終えてしばらくすると、メールが届いた。
 受信画面には、アドレスが貼り付けられているだけだった。
 ネットの情報掲示板。チケットの取引がなされている場所だ。
 一年前のあのころ、わたしは―――わたしたちは随分と、狂っていた。
 泳がなかったら死んでしまう魚のように、がむしゃらに追いかけていた。
 『サイレン』というバンドを。
 ライブ前に告知される、すべての抽選に申し込むのはあたりまえのことで、もしも抽選から漏れたとしたら、どこかであまっているチケットを探すのが当然だった。
 定価の数倍でもかまわなかった。
 どれだけの金が出せるか、ということが愛情の指標になっていた。
 情報を交換する掲示板だとか、ネットオークションだとか、友人の伝手だとか。
 ライブが告知されて、チケットが発売されてから、自分がチケットを手に入れるまでは戦争なのだった。
 先行に漏れたら、徹夜で店頭にならぶ。
 どこの「ぴあ」のお姉さんが手際がいいのか、みんな知っていた。
 夜の七時あたりからシャッターの閉まった受付の前に座り込んで、夜を明かす。
 何も怖いものはなかった。
 長い夜も。
 いつも傍らに音楽があったし、チケットを手に入れたあとに、ご褒美のように与えられる二時間足らずの饗宴に、ときめいていられたから。
 同じ時間、別な場所に並んでいる戦友と、メールを交わしたりする。
 わたしが彼女たちが何者かを知らないのと同様に、彼女たちもまた、わたしがどこに所属していて、どういう顔をして普段暮らしているのかを知らない。

 そっちはどう? わたしは一番にならべたよ。
 わたしも! チケット取れたらいいねぇ。
 うん。でも、どうにかして、行くけどね!

 絶対にチケットが取れる、という保障なんてどこにも無かった。
 だけど、わたしたちは何故かいつも、自信にみちあふれていた。
 そして事実わたしたちは、大概どうにかしていた。
 自分の力でどうにか、ライブ会場にたどり着くことこそが、しあわせだった。

 三万、どこから搾り出そうかな。
 考えながら、出品者にメールを送る。急いで送る。
 二時間経っているから、もう数件はメールが届いているはずだ。
 どれだけ愛しているのかをしたためるのを忘れずに。

 そう。わたしたちは大分狂っていた。
 楽しかった。


            *


「きゃぁ! ひさしぶり! さむいねぇ!」
 北の地で、煉ちゃんに会った。
 ちゃん付けで呼んでいるけれど、随分年上のひとだ。
 同じものを愛している同志だから、馴れ馴れしく呼んでいられた。もっと別な場所で会っていたなら、こんなふうにはなれなかっただろうに。
 もう秋も終わりかけていた頃だったけれど、わたしたちはTシャツ一枚だった。要らない荷物はすべて、駅前のコインロッカーに置き去りにしてきていた。
 肩から、グッズのタオルを引っ掛けていたけれど、東北の土地はもう随分と寒かった。
 わたしはその日、夜行バスで明け方にその街についた。
 安いバスだったから、もちろん熟睡なんて出来るはずもなくて、漫画喫茶を見つけて夕方まで仮眠をとった。
 ライブが終わったらすぐにまた、東京に戻らなければならない、強行軍だった。
 明日仕事があるから、とか。
 そんなことは、ライブに行かない理由にはならなかった。
 愛がたりないよね、と罵られてしまう。
 何より、用事が終わってからすぐにバスに飛び乗り、離れた場所に来て、そしてまたとんぼ返りするという非現実的な生活に、浸っていたのかもしれない。
 無理をして駆けずり回るということが、とても美しく思える。
 それほどまで愛している自分が、健気に思える。
 わたしたちは、サイレンを愛しているのと同時に、とてつもなく、自分を愛していた。
 あきらめることは、負けることだったから。

 平日のライブなら、仕事を早く切り上げる方法を考える。
 有給をつかったり、日曜日にも職場に行く。
 まるで綱渡りのような生活がいつまでも続くとは思わなかったけれど。
 目の前でばっさりとなくなるとも思わなかった。



3.

 とある頃から、まことしやかに囁かれ始めた噂があった。
《ヒトミさぁ、本当にやってんのかな》
 新譜の話題でひとしきり盛り上がったあとで、ライブ仲間のキミちゃんが気まずそうに切り出した。
 ヒトミというのは、サイレンのヴォーカルで、中条一弥という。
 わたしたちの中では、神のようなひとだった。
 容姿が特別にずば抜けて優れている、というわけでも。
 歌が天才的に巧いというわけでも、なかった。
 容姿と歌声とパフォーマンスと、すべてのものが重なったときに、彼は神になった。
「……噂、信じてる?」
《そうじゃないけどさぁ! でも最近痩せたよね、ヒトミ》
 否定はできなかった。事実だったから。
 最近は大衆的にも売れてきたから、忙しいんじゃないの。
 そうつぶやいて、自分もごまかす。
「新しいファンが言ってる噂でしょ、わたしたちが信じてあげなきゃさー」
 わたしたちは売れる前から彼らを見出していたことに、幾ばくかの優越感を抱いて、同時に遅れてやってきたファンのことを大分軽視もしていた。
 不安がなかったわけではないし、噂の裏づけも、今思えばたくさんあったけれど。
 最後まで味方でいなければならない、という自負がずっと重くのしかかっていた。
 昔のライブに行ったことがある、ということがステイタスになっていた。
 あのときから見ているから、わたしたちには何もかもわかっているんだと。
 思っていた。

 真実なんて、本当は要らなかった。

 わたしたちの目の前でヒトミが神であるならば。
 歌を、届けていてくれるのならば。
 嘘でも良かった。
 仕事を休んで、北から南へと日本を縦断して、非現実的な浮遊感に酔っ払っていられれば。
 駆けずり回っている自分を、愛していられたのならば。
 残酷な真実など、ひとつも必要なかった。

「うそだよ」
 嘘であればいいよ。
 嘘になればいいよ。

 そうしたらわたしたち、楽しくライブの算段ができる。
 どのバス会社が一番やすいのか、笑って相談できる。
 その土地の名産が何で、なにが美味しいのか、はしゃいでしらべることが出来る。
 この間名古屋にいったときは、味噌カツ食べ損ねたからね。
 今度は絶対に食べて帰ってくるんだ。
 それだったら、この店が美味しいよ。わたしが連れて行ってあげるね。
 現地の、素性も知らない人間と一緒に知らない街を練り歩くことができる。
 ギリギリの生活を、笑っていられる。
 大人になる必要もなかった。誰がえらいわけでもなかった。
 ただ愛がすべてだった。



            *


「二万かなぁ」
 前歯の欠けたオヤジが、いやらしい笑い方をした。
「二十番台だからね。これでも安いほうだよ。大特価だよ」
 たしかに、安かった。
 開場まで時間が迫っているから、そんなに競るつもりはないのかもしれない。
 今日はダフ屋と交渉するつもりできたから、財布にそれなりの札は入っている。
 ダフは違法行為だけれど、最終手段ではあった。
 どうしようもないときにわたしたちが最後の砦として使ったりするから、会場前にはいつも、胡散臭いオヤジの姿がなくならない。
 札を二枚引きずり出して手渡すと、オヤジはまたにんまりと笑った。
 手にした封筒の中から、今夜のライブのチケットを引きずり出す。
 二十六番。
 全席自由(オールスタンディング)だから、整理券の番号がすべてだ。
 後ろ側から、前にもぐりこむ術も知っていたけれど、最近はあたらしいファンが増えたせいで、なかなかうまくいかない。
 “ハコ”のルールを知らないビギナーは、憎むべき対象だった。
「チケット買うよー、ないならあるよー」
 奇妙な呼び声を、人々は嫌悪するように通り過ぎながら、時々は利用するのだ。

 ようやく空いているコインロッカーを見つけて、荷物のすべてをほうりこむ。
 パーカーも脱いで、Tシャツになった。
 コートを引っ張り出すこの頃合に、酔狂な恰好だけれど、暮れかけたこの場所ではそれが当たり前だった。
 Tシャツにジーンズで、ワンコインとチケットだけあればいい。
 動きづらいオシャレや、大きな鞄こそ、信じられなかった。
 とても狭量な楽しみ方をしていた。
 ひとつの楽しみ方こそ、すべてだと信じていたから。
 まるで宗教のように。

 無理矢理手に入れたチケットで、我先にと開場に入る。
 鞄を持たないのは、荷物チェックがいらないからだ。
 走らないで下さい、という言葉は無視して、フライヤーも放棄して、会場になだれこむ。
 もうライブははじまっているのだ。
 不健康に暗い会場はすでに、地鳴りのようなSEの音と、不穏な空気に満ちていた。
 殺気立っている。
 闘争本能が目覚めてくる。
 建前がなくなる。争うことも、肘がぶつかることも、怖くなくなる。
 最前列のバーを掴むと、すぐ傍に煉ちゃんがいた。
 生き別れた戦友にめぐり合ったかのように、嬉しくなる。
 同じように、Tシャツにタオルを首からかけた、軽装だった。
「ここ見てるからさー、アイちゃん、ドリンクひきかえてきなよ」
「煉ちゃんの分ももってこよーか?」
「わー、アリガトー、じゃあね、ビール!」
 チケットの半分と引き換えに手に入れた、ワンドリンクの引換券を受け取って、駆け込んでくる人波を逆さに縫ってあるく。
 等間隔に置かれたバーのあたりは、もう既に人が陣取っていた。開かれた入り口からはまだ、雪崩れのように人が飛び込んでくる。
 すでに定位置を確保出来ているという事実―――しかも最前列!―――に、わけもなく余裕になる。
 あと一時間は、プラスチックのコップに入ったアルコールで舌をしめらせながら、日常とは全く関係のない話をして過ごせる。
 そのあとに、楽園が待っている。
 たかだか二時間。
 仮初の幻で、わたしたちは自分が生きていることを知るのだ。
 血のにおいがするほどの高揚のなかで、たしかに。
 心臓が動いていることを知る。

「ユウキさんがさぁ」
 やわらかいクッションを巻いてあるバーにもたれかかって、煉ちゃんが切り出した。
 さすが、大きなハコは配慮が行き届いている。
 金属だけのバーだと、後ろから押されて腹に大きな青痣ができるのだ。
 ライブの最中は痛みにも鈍感だ。なにか、脳内麻薬が出ているに違いない。
 家に帰ってからあちこちに痣をみつけて、愕然とする。
「福岡のあとでね、打ち上げに顔出したんだってよ、やっぱり」
「うわ、やっぱり?」
 ユウキさんというのは、もっとも古株にあたるファンで、伝説のようになっている。
 彼らがまだメジャーではなく、もっともっと狭いハコで演っていたころから、ずっと追いかけているひとで、彼女に睨まれたら、ライブ会場にも来られなくなる、というのが専らの噂だった。
 入り口に立っているうちにはわからない、派閥めいた争いだとか、ファン暦に順ずる序列が、不条理といわれても確かにそこには存在している。
 だからわたしたちも、自分よりも短いファンに、まるで自分が偉いかのようにふるまうのだ。
 愛を競い合う。

 ふと、隣の隣をみると、若いコがいた。
 バーにもたれて、眠っているようにも見える。
 高校生ぐらいだろうか。
 しっとりとした黒髪を、横に結ってある。好印象だった。
 ライブの礼儀を知っている。
 結わない髪が乱れるのも邪魔だし、ポニーテールにまとめると鞭のようになるから。
 首の近くでまとめるのが、一番良識的だった。
 ふと、彼女がバーから顔をあげて、ステージを見た。
 硝子のように透明な目をしていた。
 まだ、機材が蹲っているだけだというのに。
 まるでそこが天国であるかのように、焦がれる目で見ていた。
 客電がおちれば、その高みが楽園に変わることを、知っている顔―――。

「アイちゃんだ! ひさしぶり!」
 どすん、と背中に体重がぶつかってきた。
 鈍い衝撃に振り返れば、キミちゃんが立っていた。
 揃いの戦闘服だった。今回のツアーのTシャツ。
「キミちゃん久しぶり!」
 熱い抱擁を交わす。
 またこの場所で会えたことが、素直に嬉しかった。
 過酷な生存競争を勝ち残ってくるのだもの。
 嬉しいに決まっている。
「今日でツアー終わっちゃうね」
 垂れ目をほそめて、キミちゃんもステージを眺めた。
 アンプやドラムセットが並べられているだけの場所だけれど、わたしたちには特別な場所だった。
 祭壇かもしれない。
 そこに神が下りてくる。
「あたし今回仙台いけなかったんだぁ。超よかったんだって? すごいへこむよぉ」
 背中に抱きついてくるキミちゃんの重みを受け止める。
「すごかったよー、ナカジョー、シャツにネクタイとか締めてたからね!」
「ぎゃあっ、なにそれ、殺す気ですか!」

 あの頃。
 わたしたちは皆、心に不安を飼っていた。
 まことしやかに囁かれていた噂を、嘘だとばっさり切って捨てようとしながらも、完璧に否定することができなかったから。
 もしかしたらみんな、もう、分かっていたのかもしれなかった。
 けれど、楽しい話題で盛り上がっている最中に、これから宴会が始まるという直前に、誰も水をさしたりはしなかった。
 明るい話題ばかりを選んで、騒いだ。
 言葉を恐れていた。
 口にすれば、形になるような気がした。

 騒いでいるうちに、開演時間を回っていた。
 ライブは往々にして、少しばかり”押す”。
 会場は俄かに殺気だってくる。
 いつ客電が落ちてもいいように。戦えるように。
 襲撃に備える。
 ひたひたと、スモークがステージを這いはじめて、自然とわたしたちは言葉少なになった。
 嘔吐感をも引きずってくる緊張が、熱になる。
 ふと横を見れば、先程の少女はまだステージを見上げていた。
 体の前に回したウエストポーチを、細い腕が大事そうに握り締める。
 痛みを堪えるような顔をした―――と、思った瞬間に。
 がつん、と音を立てて照明が落ちた。


            *


 吹き荒んでいた嵐のなか、突然台風の目に放り投げられたかのように、凪がやってきた。
 唐突に歌が止んだのだった。
 はじめは、何の演出だろうかと思った。
 違和感はさざめきになって、前方から後ろの方へと伝播していった。
 マイクスタンドにしがみつくようになった中条の体がぐらりと傾いで、そのままスモークが漂うつめたい床に崩れた。
 スロウモーションに見えたのは、咄嗟に自分の中の何かがストッパーをかけたからなのか。
 目の前で、赤裸々に行われている現実に、効果(エフェクト)をくわえた。
 体を折って咳き込む様が、陳腐なドラマのようにも思える。
 泣き声と悲鳴が漣のようにおしよせてくる。
 誰も、何故とはいわなかった。
 クッションがつめこまれたバーをしっかりと握る。
 出来ることなら、目を閉じてしまいたかった。こんなもの、見たくない。
 舞台袖から、転げるように小柄な女のひとが飛び出してきて、中条に駆け寄った。
 壱子ちゃんは、マネージャーさんとして、ファンの間でも有名だ。前のツアーで見たときよりも、彼女も痩せたんじゃないかと、ふと思った。
 半泣きで、中条の腕を掴む。引きずり起こそうとする。

 立って、と祈った。
 立て。そして、禍々しい噂を、嘘にしてしまえ!
 そうしてどうか、わたしたちを楽園から追い出さないで。
 この夢のような日々を、生きている証を、うばわないで。

 やがて、よろめくようにしてげっそりと痩せた体が立ち上がった。
 固唾を飲んで見守った。そのまま舞台袖に消えてしまえばいいと願った。
 体調不良だとか、ミエミエな嘘で取り繕ってくれればいい。
 わたしたちはそれで、納得したフリをする。
 真実を認めるほうが、どれほどつらいかを分かっているから。
 すべての人が、許すわけではないだろう。けれど、この非現実的な日常に生かされているわたしたちには、これがすべてなのだもの。
 たとえすべてが一夜の幻としても。
 けれど。
「ひきょうもの!」
 悲鳴が、沈黙をやぶった。
 嗚咽に歪んだ絶叫は、わたしのすぐ傍から起こった。
 先程の少女が、バーに足をかけるようにして身を乗り出していた。
 やめて! 叫んで、彼女の口を塞ぎたいのに、体が動かなかった。
 やめて、やめてよ。聞きたくない。
 視界がいっぺんに曇ったとき、わたしは自分がいつのまにか泣き出していたことに気がついた。


「クスリなんかやめてよ」


 上ずった声で、とうとう少女が断罪した。
 言葉にしてしまった。
 わたしたちは、突きつけられたその事実を、受け入れなければならないときが来たのだった。
 何もかもが、鮮やかなライトの下で、生中継(ライブ)だった。
 中条は最後にうな垂れて、近くにいた身内に何事かをつぶやいた。
 最後になんと言ったのか、様々な憶測や噂が飛交ったけれど、耳に出来た最前列の人間たちは、一様に口をつぐんだ。

―――うまく、歌えていない気がするんだよ。

 その言葉を。
 耳に出来たことが幸せなのか不幸なのかはわからない。
 きっと、皆同じなんだろう。
 ただ確かなことは、終わってしまった、ということだった。
 わたしたちの夢のような日々はそこで、ぶっつりと終わってしまったのだ。



5.

 すべてが、白日のもとにさらされた。
 目蓋の奥に残像を残すような、ぎらぎらしたスポットライトの下に。
 あますところなく。
 ロックスターは無様に地に堕ちて、数週間、メディアはお祭り騒ぎのように騒いで、あとは消化した。
 聴衆の前で断罪された薬物中毒者(ジャンキー)は、それからぷつりと表舞台から姿を消して、一年があっけなく過ぎ。
 一部の人間に強烈なトラウマを残して、あとは風化してしまった。
 そうだ。もう、一年が、過ぎた。
 わたしは何事もなかったかのように、日常生活の顔にもどった。
 ライブの告知に慌てて、チケット確保に奔走することも。
 仕事が終わってすぐにバスに飛び乗って、朝には遠い見知らぬ街についていることも。
 冬空の下、半袖一枚で列にならぶことも。
 なくなってしまった。

 信号が青に変わった。
 巨大な交差点を、人々がそれこそ縦横無尽に横断する。
 レコード店のあたりから、大人しい装いの女の人がこちらに向かって歩いてくる。
 煉、という名前で呼ばれていたひとだった。
 近づくと、相手も気がついて、はっと目を瞠った。
 煉ちゃんは、ちいさい子供の手を引いていた。子どもがいるなんて、知らなかった。

 わたしたちは一瞬だけ、視線を交わしてそのまま、何も言わずに擦れ違った。
 楽園がなくなった今、わたしたちは何も知らない他人だった。
 目の前にした巨大なレコード店から、流行のバラードが流れてきている。
 わたしの愛した音楽は、わたしの愛した衝動は、もうどこにもなくなっていた。
 傷つかないふりのできる、大人になどなりたくもなかったけれど。
 イベントのために徹夜で並んだ会場の横を通り過ぎても、有名なライブハウスに続く坂を登っても、あの日、高揚感に生かされていた子どもはもうどこにもいない。


 真実を現実と受け止めて、あきらめる覚悟が出来てしまったそのときに。

 わたしたちはやっぱり、大人になってしまったのだ。





<了>



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